魔法の手帳
「犯人はあそこですね。他に人が居るかどうかは分かりませんけど」
辿り着いたのは中心街に近い場所の屋敷。手入れの行き届かず草の伸び放題の庭に、燻んだ壁。
放置されて久しい空き家なのだろう。夜に立ち入れば見えてはならない何かが出そうな雰囲気を醸し出していた。
「ふむ、まあ好都合、か」
「何がですか?」
「一つ、相手は貴族に手を掛けるような輩だ。其奴らが他の貴族の手先で、匿われていたならばこちらも手を出す訳には行かなかった」
「うん、ここに居るなら貴族なんかに匿われているって事は無さそうですね」
「その通りだ。そして一つ、奴らは裏ギルドの連中やも知れん」
裏ギルド。それは非合法の何でも屋。
冒険者ギルドは何でも屋だが、金さえ貰えるなら何でもするという訳では無い。内容と報酬の釣り合わない不当な依頼の他、それこそギルドの信用を失墜させるような非合法のものは依頼として受理されない。
だが裏ギルドは違う。金、それこそ法外な報酬と引き換えならば何でも依頼される。大きな声では言えない事から、口にした瞬間首が飛ぶ様な事までだ。
そして裏表のギルドの衝突で迷惑を被ったのも一度や二度では無い。
ベンソンは裏ギルドを心底忌々しく思っていた。
「だとして、どうしますか?その……人殺しとかはあたし考えて無かったんですけど」
人殺しが好きな者など余程の変態以外は居なかろうとは、ベンソンの思うところだ。だがこのミノーという人物、随分と生命を重要視している。
ベンソンが思うに、これから相手になるであろう人間は大抵屑なのだが、そういった連中相手の正当防衛すら忌避感を覚えているようだ。
「相手が殺しに来るなら殺さねばならぬ事もある。でなければ殺されるのはこちらだぞ。それとも……」
ベンソンは腰から下げた双剣に手を添えながら言う。これは誘導だ。
引退しているとは言え、ベンソンは数少ない超級冒険者の中でも、特に武力で身を立てた男だ。剣の腕で敵う者は今尚滅多には居ないのだ。
その実力は屋敷一軒の中に収まる程度の武力を殺さず無力化する事も不可能では無い程。
だがベンソンがそれをしてしまっては、ここに来た目的の半分しか達せられない。
「無力化できれば殺しは無しですね?」
ミノーの言にベンソンは首を縦に振り肯定する。意訳するならば
『お前が手の内晒す気無いなら屑共の命は無いぞ?良いのか?』
という事である。それに対する返答は
『あたしがなんとかするんで命だけは勘弁してあげてください』
と言う事だった。
やはり頭は良いのかと、ベンソンはミノーを見る。同時に確信した。やはりミノーは何かを隠していると。
◇◇◇
(むむむ、参ったな。マスターが居なければCO2攻撃かCHCI3攻撃でお屋敷の中身を制圧してしまおうと思ってたのに)
無力化できれば殺しは無し。そうは言ったものの、ベンソンの前で一瞬で屋敷を制圧して見せればどうなるやら。やはりミノーは想像もつかないからこそ慎重だった。
(このおぢさん、こう見えて結構な辣腕で通ってるんだよね。割と今更かも知れないけどさ、そんな事をしでかして後に面倒ごとに徴用されるのも嫌だし。空魔法でできる事……特になんでもできるって部分は出来るだけ隠しておきたいんだよね)
実際、ベンソンはミノーの魔法の事を大層特殊な風魔法という程度にしか思っていない。空魔法で服を着替えている辺りに突っ込みが入りそうなものだったが、それは魔法書(手帳)の力という設定にして誤魔化していた。
(ま、これも空魔法で気体を紙質に固めて色付けただけの品なんだけどさ。
けど、魔法書か……これ使えるかも)
「じゃ、戦闘準備としましょう」
そう言ってミノーは手帳から幾つかのページを切り取り始めた。
◇◇◇
「では、その冒険者の口は封じたと?」
「ええ、間違い無く。不用心な事よねえ、夜道を一人歩きだなんて。自分が狙われた訳じゃ無いからってタダで済むと思ってたのかしら」
「だが冒険者が死んだとなればギルドマスターが黙っては居るまい。我々が真っ先に疑われるであろうな。……それもこれも、貴様が標的をあの場で始末していたならそれで済んだ話だ」
「言いたい事は分かるけれど、それこそ泣きたいのはこっちの方よ。態々メイドごっこまでしたのに、あの間抜けな女の所為で全てパーよ。矢が止まるなんて、あんなの誰がやっても同じよ」
その魔法についての報告は受けていた。矢を防ぐ、それ自体は結界魔法による障壁なりとやり様はある。だがその魔法は矢を弾いたのではない。まるで水に向けて射ったかのように矢が止まったという。
未知の魔法。この地上に新たに魔が降りた事の証左。
謎の魔法にも、それを操ったという人物にも興味はあったが、既にこの世のものではない。
今更考えても無駄な事。男は思考を謀略へと戻した。
しかしその瞬間、爆音と激震が迸った。
◇◇◇
「派手にやるじゃねえか」
「どっかで聞いたセリフですね。てか投げたのマスターですよ?」
物陰から覗く二人の視線の先には吹き飛ばされた屋敷の扉があった。
誰も居ないはずの屋敷の中が騒がしくなるのを感じながら、ベンソンはミノーが手に持つ小さな書物を見やる。
「して、使ったページは元に戻るか。今投げた球……【ヒンデンブルク号の悲劇】とやらの威力と言い、相当な代物だぞそれは」
吹き飛んだ扉の惨状はミノーの手帳の1ページによるものだった。
あたかも最初からあったかのように見せかけて即席で作られたそのページは、破り取られると野球のボール程度の大きさのガラス玉の姿をとった。
使い方は簡単。破壊したいものに投げつける。それだけである。
手帳の10メートル以内では炸裂しないという一応のセーフティを備え付けられたそれは、衝撃により空魔法の解除と共に引火、爆発する。
空魔法。なんでもありだった。
「絶対にあげませんよ。これが無いとあたしすっぽんぽんですからね。見たくても取らないでくださいね」
一応は手榴弾も衣服も手帳もとい魔法書の力という事にしてある。本当のところは手帳そのものにそんな力は無い。
それでも、一月かけて集めた、空魔法で形作るあらゆるものの諸元がそこには詰まっているのだ。無いと困るのは本当だ。
「そいつの取り扱いは今後注意した方が良かろう」
とりあえずベンソンの目は誤魔化せた様だ。……スルーすんなや。これでもサラシの下は無駄に育ってんだぞ。
「行くぞ。先ず以って目先の仕事を片付けねばなるまい」
いよいよだ。
ベンソンは腰の双剣を抜き、ミノーは頭の中でおさらいをする。
ベンソンの前で使える空魔法は、これは風魔法であると後で誤魔化せるもののみ。それ意外は駄目だ。手帳の力で済むものにしなければならない。
やり過ぎはできない。突然人が倒れたり、突然爆発が起こったりは空魔法の……ミノーの所為にはできない。
ベンソンはどこからどう見てもおかしいミノーをギルドに置いてくれた。ミノーも恩義というものを感じてはいたが、だからと言って秘密とは別問題だ。
空魔法ですらおかしい。この世界の魔法とは一線を画する……いや、魔法であるのかすら本当は分からない。
(けど、その魔法の本当の力が知れたら?)
物理も化学も、世界の法則を超えてしまうこの魔法は、ミノーにはとても危険なものに思えた。
(マスターは、この世でのあたしの恩人の一人。この隠し事はその人の信頼を裏切ってるのかな。マスターがあたしの力を悪用すると思っている訳じゃ無いけど……無いんだけどさ)
どの道誰にも言えない事だと、ミノーは切り捨てる。
だからこそ隠し通してしまおうと、そう決めたのだ。
◇◇◇
ベンソンを前にし、二人が吹き飛んだ扉から屋敷に立ち入る。一応はベンソンが矢面に立ってくれる様だ。見た目少女のミノーを先に出す様な事は流石にしないらしい。
屋敷に入るや否や、二人は大量の矢に出迎えられる。
が、全く想定内だった。
「まあそう来るよね」
二人に差し迫る矢は途端に速度を落とし、空中を沈んだ。今やお気に入りとなった大気を水質化させる魔法だ。同時に動揺の声が所々にざわめく。
「うむ、全く捻りの無い事だ。これでは不意打ちとも言えんな」
片やベンソンにもこれは予想通り……どころか拍子抜けと言った様子だ。ミノーが防がずともベンソンはこの矢に対処できたのだろうか。双剣以外にこれといった装備らしい装備は胸当てしか無いのだが。
ベンソンの武勇伝はアネットから聞かされていた。一人で盗賊団を潰滅させただとか、魔獣を撃退した部隊の功労者だとか。どこにでもありそうな大仰な話ばかりだったが、どうやら嘘でも無いらしい。
事実、超級冒険者という存在には大抵嘘の様な信じがたい話が付いて来るのだ。
事ここに至り、本当なら自分の出る幕など無いのではと、ミノーは気付いた。
「ほれ、掛って来んか屑共」
だが、もう始まってしまった。
屋敷の中で弓を構えていた集団が、物陰から通路から出てきた連中が二人を取り囲む。
今更悠長に作戦を練り直して居ては死んでしまいかねない。
(良くもまあ、中心街に程近いこの場所にこれだけの悪そうなお兄さん達が居たものだ)
ミノーは手帳を開く。とりあえず、いのちだいじに、と。
◇◇◇
それからものの数分、状況は一方的だった。
たったの二人を相手に、屋敷に詰めていた戦力はことごとく、すべからく無力化されていった。
ミノーは水質化の魔法で敵の動きを阻害し、時折手帳のページを黒い球に破り変えては投げつけた。
投げられた球がどこかに当たれば、分かり易いよう着色された煙がそこから広がる。
煙を吸った人間は忽ち気絶した。
「うわー凄い威力」
無責任な事に、やった本人もどん引きである。
この煙、分かり易い様に着色されているが、ただ単なるクロロホルムである。手帳のページが破られると大気成分からCHCI3を精製し、黒い球型に固まる。これは先の爆弾の様な射程のセーフティは無いが、同様に衝撃を受けると煙が噴き出すように広がる。
やはり空魔法、気体ならなんでも有りだった。
人が煙を吸い込めばそこに転がる連中の様に、いろいろアウトな絵面で気絶する事になる。
(垂れ流しとか……今度からは出来るだけこの魔法使わない様にしよ)
「煙を吸うな!距離を取れ!」
しかし、やがて手の内も割れて来た様だ。
近づいて攻撃しようにもまるで水中の様に身動きが取れなくなり、その隙に何故か抵抗を受けない黒い球が煙を飛んで来て煙を噴き出し、もがく者達を気絶させて行く。
近接して討つのは無理と見た連中は距離を取る。だが相手には弓も効かない事は最初で分かっている。
「むっ、ホンモノ?」
五人。出てきた二人は短杖、二人は長杖、一人は分厚い本。
身に付けるそれは黒いローブ……というミノーの先入観を裏切る多様な格好だったが、それぞれが手に持つ武器(本は武器なのかしら)から、連中が魔法使いである事が分かる。
今までの突っ込んでは無力化される近接系とも、早々に諦めて大太刀周りのベンソンに対応している弓士とも違う。魔法使いとは何が飛び出すか分からない。
戦闘型の魔法使いは絶対数が圧倒的に少ないながらも、兵としての脅威度は非常に高い。貴重な戦力だ。
……五人も居れば大部隊という程には。
その事実を最近になって知覚しているミノーは内心焦った。
(敵の戦力が大きすぎる)
この先の戦いについても、窺い知れる相手組織の大きさについてもだ。
ミノーは面倒に過ぎる事に巻き込まれた自らの不運を溜息に乗せ、手帳からページを破り取った。




