怒りの向かう先へ
「本当にもうね、なんて娘を連れて来ちゃったのよ。今朝も酷かったのよ?あ、もーらいっ」
「アネゴ、それあたしが育てたお肉……」
この世にも焼肉屋があった。どこで食べようかと徘徊していた四人は、焼肉の香りに釣られたアネットの希望でそこに収まった。
食事の席はアネットの独壇場になっていた。ライはアネットのマシンガントークに相槌で手一杯。ルヨはアネットに緊張した上でマシンガン攻撃で硬直。
これはもうルヨが友達になる所の話ではない。むしろトラウマになるのではないかと、ミノーは心配になってくる。
そういうミノーはトング係だ。うっかり昼を食べ忘れたにも関わらず、この夕食もアネットにほとんど取られている。
(明日の朝……覚悟しとけよアネゴ)
「ほら、二人も遠慮なく食べなさいよ。お肉を食べると大きくなれるわよ、少年」
「アネゴはちょっと遠慮した方が良いかな。てかあたしも食べたい」
しかしルヨは緊張してなかなか食が進まない。どう見てもアネットを怖がっている。
ミノーの時は初対面から耳たぶをこねたりベアハッグを仕掛けたりと遠慮無しだったのだが、何故かアネットには最初からから人見知りをしていたところ、更にグイグイ来るものだからペースも何も無いらしい。
二人を引き合わせたミノーは幾分申し訳なさを感じ、フォローに回る。
「(アネゴ、ルヨちゃんまだ一五歳なんだから優しくしてあげてよ)」
ミノーが耳打ちすると、四人のテーブルが沈黙する。アネットの口が止まっただけなのだが。
アネットはじっと黙ってルヨを見る。
(いや、だから怖がってるでしょうが)
「あなた」
「……」
「一五歳なの?」
「……ぅん」
そこから先は早かった。アネットもどうやらルヨを年上のお姉さんと思っていたようで、年下と分かるとコロッと気さくな態度に変えた。
いや、今までも気さくは気さくだったのだが、年下の娘に対する配慮というものは無かったように思える。
ともあれ、ルヨもすっかりアネットとは打ち解けたようだ。終いには「お姉ちゃんって呼んで良い?」である。
それに対するアネットの答えは……。
「……親しみを込めてアネットと呼んでちょうだい」
ルヨの胸元を見ながらそう言った。
ミノーの目測だが、アネットはBだった。推定Eオーバーに「お姉ちゃん」呼ばわりされるのは厳しいのかもしれない。
「許してあげて。あたしのことはお姉ちゃんて呼んで良いから」
「ミノーちゃんはミノーちゃんだよ」
(なんでだ。あたしが一番お姉ちゃんじゃないか。身長か?身長が足りないのか?いや、それとも耳か?あたしもアネゴみたいな猫耳でも付けてみるかな)
夕食の席は和気藹々と進んだ。
首が熱い。
首とは対照的に熱を失う手足を感じながら、彼女は石畳道に横たわっていた。
心臓が脈を刻む度に、二つの温度差は広がって行く。
夜の闇ではよく見えない。だがそこに光があるなら、目の前に広がる光景は鮮やかな赤だろう。
ただでさえ氷のような手足と燃えるような首の熱は悍ましい感覚なのだ。ここに光が乏しくて良かったと彼女は思う。
色の判別が付かないまでも、僅かな三日月の光は人の影を彼女の目に落としていた。
目だけで上を見やるが、影は影だ。その人がどんな表情でこちらを見ているのか、彼女は気になった。
やがて視界が白い闇に霞み始める。
白と黒は矛盾しないものなのだと、彼女は無表情に張り付いた口を歪める。
そして彼女は眠りについた。
ギュイッギッギギゴギィイィイィィ……
なんとも酷い不協和音でアネットは目を覚ました。
起きてみるとベッドの側にミノーが居た。見た事の無い弦楽器を左手に持ち、首で押さえている。右手にはこれまた見た事の無い細長い弓を持っている。
「……朝からゴブリンの断末魔とはね」
「ち、違うのアネゴ、バイオリンってなんか難しくて……」
アネットはジト目でミノーを見やる。仮にも楽器があんな酷い音を出すものだろうか。尤も、爽やかにとは行かなかったが、お陰で目も覚めたというものだが。
「まあ、良いわ。おはよう、ご飯食べに行きましょ」
下の階に降りると、いつものようにベンソンがテーブルに三人前の朝食を並べていた。
「おうアネット……何ぞゴブリンの断末魔の様な音が聞こえて来たが大丈夫か?」
この時、ミノーは二度とバイオリンを手にしないと誓うのだった。
「あ、そうだマスター。あたし今日お休みします」
朝食の席でミノーは突然そう切り出した。
「なに?アネット、行けるか?」
「えっと、はい、この子が来る前はコノンさんと二人でも回ってましたし……って、マスター、こっちじゃなくてそっちですよ。貴女、何か用事でもあるの?」
ギルドマスターとしてはギルドが最優先。そこでアネットの方を気にかけるのは間違ってはいないのだが、ミノーからの事情の説明が何も無いのである。
「あるの」
「何よ……ッ!?」
そこでアネットは息を呑んだ。
無表情。
髪色と同じ黒い眉も、桜色の唇も、額から口角の表情筋に至るまで、その顔に張り付くパーツ全てが意味を持って居なかった。
ただ、鋭い一重まぶたの下から覗く黒い瞳だけが光を湛え、アネットを射ていた。
「カチコミ」
ただ、声からは静かな怒りが感じ取れた。
◇◇◇
今日もまた早朝のギルドは盛況を期していた。依頼票の下には冒険者立ちが押し寄せ、受付は依頼票を勝ち取った冒険者達が二列を作っていた。
受付嬢アネットと、同じく受付嬢コノンの前に二列だけだ。昨日の様な三列ではない。
その横では料理人がせかせかと昼の仕込みをしていた。今日は調理場も人が足りないのだ。
だが、ギルドの人間が二人居ない、ただそれだけ。
今日もまた冒険者達は依頼に繰り出す。
そこにあるのは至って普通の日常だった。
◇◇◇
「ところで何だ?その格好」
「クノイチ衣装です」
道を行くのはミノーとベンソンだった。ミノーはと言えば黒い短浴衣に籠手やら頭巾やら、個人の偏見全開のくノ一の衣装だった。
「まあそのなんだ、怪しいから着替えた方が良いのではないか?」
歩きながら、ミノーは無言のままに服をパーカーとジーンズに作り変える。
「……冗談ですよ」
耳を少し赤くしたミノーはベンソンの方を見ない。自分で巫山戯ておきながら恥ずかしかったようだ。
「あ!てかマスター!昨日短パンで依頼行ったら下着で何してんだ的な事言われたんですけど!?」
「ああ?まあ奴らはその辺煩いからな。そういう事もあるだろうて」
「いや本当に勘弁してくださいよ。あたし下着に見紛うような格好で街中ウロウロしてたんですよ?教えてくれても良いじゃないですか。もうおムコに行けませんよ」
「最初から婿には行けんだろうに」
益体も無い話をしながら二人の歩は進む。だがベンソンはやがてその表情を真剣なものへと変える。これからやる事を考えれば、あまり馬鹿ばかり駄弁っている訳にもいかないのだ。
「本当に、一人で良かったんですよ?」
ベンソンから漂う雰囲気を察したミノーが先に口を開く。今回は一人で来るつもりだった。ベンソンはそこに無理矢理付いてきたのだ。
一人では無理だろう。普通なら、だが。この娘は自分に何かを隠している。
「ギルドの面子に関わるからな。儂が動いて然るべきだ」
ベンソンも嘘は言っていない。だがそれは理由の半分だ。
この娘……ミノーが言っている事は何から何までおかしい。昨日の夕方になって冒険者を巻き込んだ暗殺未遂事件に遭遇したという報告は記憶に新しい。
何と言ってもつい昨日の事なのだから当然だ。それがどうした事か。一晩跨いだ今朝には暗殺者の本拠を突き止めたから捕まえに行くなどと言うでは無いか。
(意味が分からん)
ただ一人で敵の本拠に乗り込んで犯人を締め上げる事ができるという謎の自信も、その本拠を突き止めた方法も、ミノーは答えなかった。
思えばこの娘には謎が多すぎる。黒目黒髪というその容姿も服装も常識も何も、合致する種族や地域がベンソンには思い当たらない。
極めつけはミノーが操る魔法だ。詠唱も魔法陣も完全に不要な魔法など存在しない。
しかも使っている本人ですらその事実を知らなかったのだ。
(思い返せば不審な点ばかりではないか)
だがその人となりは巫山戯ているように見えて職務に忠実。勘も悪くない。慎重な一面も見えないではない。
それがミノーを一月見てのベンソンの感想だった。
(だが、今朝に見た奴の威容は……)
詮索する様な事もしてこなかったが、ベンソンはまだ分かり兼ねていた。この娘がギルドにとってどの様な人物足るかを。
焦る必要は無い。だが場合によっては答えを急ぐ必要がありそうだ。
もしもこの娘の隠し事がギルドに不利益を齎すなら?この娘の存在それ自体に何かがあるなら?
「見極めねばなるまい。儂はギルドマスターなのだから」
その意味はミノーにも通じた様だ。
ベンソンの覚悟に満ちた眼光と、黒く鋭い光が交差した。




