囁き
初 投 稿 で す
四月の日差しはじりじりとうなじに焼け付き、風は足先を冷たくする。
つい先週までの美しい桜色が咲き誇っていた。しかし今やそれらは新緑に取って代わられ、当の花弁はグロテスクな印象の茶色となって地面にその身を横たえている。
自然の理一つ不愉快に感じる。彼女が抱える焦燥がそうさせていたのかもしれない。
ベンチに座ったままゆっくりと目を閉じては溜息を一つ、空に溶かした。
「あたしは何をしているんだ……?」
美濃澄は田舎のーー少しばかり裕福な家に生まれた。
特にこれと言った事は無く、少し内気な、普通の女の子として育った。尤も、将来の夢はお嫁さんやら看護婦さんやら……それら全て、大人に向けての出任せであったが。
頭は良かったし勘も冴えた。だが興味の無い事には全くその頭脳は冴えない。学業の成績はそう奮わなかった。
緩慢に時は流れ、近くの高校に入学した澄の人生はこの時点でも一切の起伏が無かった。弱小の運動部に入っては何を目指すでも無し、恋慕を抱く事も無く、喋る相手は居たが親友でも無い。この頃から彼女の焦燥感は募っていった。
高校二年ともなると身内や教員達は口々に言う。
「将来何をしたい」
これに対する澄の答えは
「ねーよそんなもん」
とは口に出す勇気も無い。正直な答えは心に抑え、言い淀むばかりであった。
自分にはこの先があるのだろうか。自分を知れば自ずと答えは出て来るかもしれない。しかし無表情に生きてきた自分を知ってしまうのは怖かった。
齢十七の未熟者が気にするような事では無いのだが、彼女は冷静では無かった。結局、周囲に流され二流と三流の間辺りの大学に入学し、選択の猶予を得た彼女は焦りからは解放された。彼女自身は何も変わって居ない。
自由である大学ーー澄が崩れるのは早かった。別に何をしたくて入った訳でもない大学。早々に馬鹿らしくなり、講義に出席しなくなった。
これを知った両親にはこっぴどく叱られた。とりあえず学校には行く事にした。
そして現在、大学二年目の春。結局講義をサボっていた。
(自分は生かして貰ってる身。大学の学費も高い。頭では分かってるんだけど。また怒られるよなあ……あたしの事を想って。なーんで分かってるのに応えないんだろ)
内気だが、心の中は案外フランクな性格をしている。
艶のある長い黒髪で口数は少ない澄は大人しく粛々とした性格にも見られるが、頭の中は至ってふわふわとしたものだった。
大人しいのは元気がないだけだ。
(というか分からない。なんで世の人達はそんなに気力に溢れているんだろう。笑顔を届けたいだの、夢を与えたいだの。人の為にとか言って、何の為に人の為に尽くすんだ?
……いや、何の話だっけ?)
そんな彼女はおおよそ自分というものを、未だ見つけられていない。
「蟻にでも生まれた方がよっぽど気負わずに済みそう」
別に、語学を除いては学業も労働も嫌いなわけではない。
ならいっそ選択肢も感情もなく、せっせと砂糖にたかる蟻にでもなれたらと。
だが蟻になってしまうのは親が悲しむ。値の張る授業をすっぽかした今この状況で何をと言われる所だが、無表情に鎮座するこの女は今、冷静ではない。
◇◇◇
(他の手段があるとすれば?例えば別の世界に行っちゃうとか)
澄は困惑した。
何せ、考えてもいないはずの思考が自分の中にあるのだから。
(どうもどうも。君の脳みそ半分借りてお話しに来たよ)
(……は?)
緊張が走り背中が熱くなる。そして異常に気づいた。ベンチに座って目を閉じたまま体が動かないのだ。当の本人はパニックになり呼吸だけが荒くなる。
◇◇◇
おうおう落ち着け、どうどうどうどう。
だ、誰…ですか?
これから君には別の世界に飛んでもらう。
話聞けや。
冗談冗談、マルセル・ジョーダン……なんつって。まあ、名乗る義理も無いから名乗らぬよ。ふっふっふ。
なんて腹の立つ喋りだ……
ゆーて君の脳みそ借りてる以上はこれ君のボキャブラリーなんだけどね。じゃあ話進めるよん。
……。
これから君には別の世界に飛んでもらう。
うん、さっき聞いたね。
なんと!そこには魔法も龍も居ます!
そ、そうですか……。
反応薄いな、シナプス切るぞ。
許してください……。
許すついでにいいものあげよう。まずは向こうの言語!言葉分かんなきゃアレだしね。
あ、それは助かります……。
次に特別な魔法とその制御!
特別な魔法?
名付けて空魔法!一点物よ!
なにそれ……。
そのうち分かる!細かいこと気にしない!
あのー、もうあたし向こう行く体で話進んでるけど……また何でいきなり……。
シェフの気まぐれ。
シェフなの?
違うけど。とりあえず決定事項ね。
まあ、良いよ。別の世界に行った所で物事がうまく行くとは限らないけど、今はここから離れたい。
ふーん、けどまあ、君次第だよ。いろいろ。
……この世界から離れる前にもう一度、舞茸ごはん食べたかったな。
ん?ああ、アレは良いものだな。向こうにも用意してあげるよ。じゃ、いってらっしゃい。
◇◇◇
そこで澄の意識は暗転した。
残された人はどうなるだろうか……どう思うだろうか……ミノーは直前にそんな事を考えた。
そして魔法の力が空を超え、彼女は目覚める。