小噺40 どうしようもないもの
部屋から出ると廊下の寒さに驚いた。スリッパの中の素足が冷たくなるのを私は寝室に戻りながら感じている。1階の部屋でようやく眠りに就いた義母を起こさないように私は静かに階段を上る。
自分の家なのに自由に階段を上ることすらできない苛立ちは、私の中にはもう無い。血の繋がらない義母を介護する理不尽さも、何も手伝わない夫への憤りも、自由を失ったことへの悲しみも、私の心にはきっと残っていない。いや、すべて私自身が心から追い出したのだ。
病院から退院する義母を家で迎えると言い出したのは夫だった。『長男が母親の面倒をみるのは当然だ』と理由にすらなっていない言葉を私に投げつけて。
1階の和室が義母の新たな住処として変わっていくのを見て、私は恐怖した。自分の力では止められない何かが自分の身体を蝕んでいく気持ちだった。
言葉には出さなかったが、当時の私はあの部屋をなるべく見ないように努めていたものだ。夫は私が何も言わなくなったことを『義母を受け入れる心の準備が出来た』と信じていたようだ。
和室にベッド、白い機械、酸素ボンベ、コールボタン(それは手元のボタンを押すと私たちの寝室にブザーの音が鳴り響くものだった!!)が次々と運ばれていく。すべての準備が整った時に夫はただ満足していた。その部屋で暮らす主がこの部屋を気に入ると信じて。
義母が部屋に入る前、一度だけ私は部屋の中を覗いた。白いベッド、白い機械、深い緑色をした酸素ボンベ…。違う家の部屋を覗き見している気分だった。そして、もうこの場所は私の知っている場所でないと受け入れた。
夫も最初は介護に積極的だった。男の人は死ぬまで子供なのだ、と思ったのは介護する夫を見たときだ。新しい玩具に夢中になる子供、玩具を独り占めしたい子供、母親に褒められたい子供。その場にいた男性は私の夫でなく、義母の-よく教育された-子供だった。
子供がだいたいそうであるように、それは突然やってくる。玩具に飽き始めた子供は次第にあの部屋に行かなくなった。玩具で遊び疲れた子供は、母親が褒めてくれないことに癇癪を起こすことが多くなった。
あの部屋がそうであるように、いま目の前にいる男性も私の知っている夫でなくなった。癇癪持ちで口ばっかりの-何時間もテレビの前でゲームを続けているような-どこにでもいるつまらない子供だった。
義母は温厚な女性だった、と記憶している。結婚式の時も帰省で会った時もいつも笑顔で私に接してくれた。愚痴もこぼさず、かといって母親のように尊大に振る舞わず、一人の人間として私に接してくれた。
実際、義母はその通りだった。いつも笑顔で私と接した。言葉こそ発することが少なくなったが、その代わりに皺だらけの顔をもっと皺くちゃにして笑顔でこちらに応えた。
だが、あの頃の義母はもういなくなった。いま、あの部屋には自分のことすら忘れてしまった一人の女が横たわっているだけだ。義母の病気は私が思っていたより悪化した。もう、私を見ても義母は何も反応しない。いや、私という存在そのものがきっと義母の目には入っていないのだ。義母の開いている目は私も、白い機械も、義母の実の子供も、何も見ていない。ずっと遠くの過去を見ている。それすら長続きせず、忘れては思い出し、また忘れては思い出している。
いまでは何を思いだそうかすら忘れているみたいだ。口は空きっぱなしで涎が垂れている。糞便も不快と感じなくなったのか、私が気づかなければ何も反応しない。食事も食べなくなった。
寝室に戻り、ベッドで横になる。隣には身体だけが大きな子供がいびきをかいて熟睡している。階下には見知らぬ部屋があり、見知らぬ老婆が鼻に刺しこまれたチューブから酸素を吸って眠っている。
この家で私の知っているものはどんどんと減っていく。部屋も夫も義母も、もうない。この寝室も、この家そのものも、そう遠くない日に見知らぬものになるのだろう。知らない家、知らない男、知らない老婆…。
暗闇でぼんやりとしか見えない天井が目に入った。が、別に天井を見ているわけでない。この男の人に出会った時のこと、結婚式のこと、この家へ住み始めたこと、喜んだこと、悲しんだこと、感情的になったこと…。思い出しては別のことを思い出して、また別のことを…。まるであの老婆のようだと感じた時には、もう思い出すこともなくなっていた。
また明日も、その次の日も、その先も。きっと私は何も感じない。何かを想ってもすぐに忘れる。知らない世界にずっと、ずっと暮らし続ける。でも、それはどうしようもないのだ。
自分の力では止められない何かが自分の身体を蝕んでいく。それは止められない。私が私を忘れる日まで。