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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
96/115

1-1

 皇都に到着したのは出立より三日の後だった。

 外は見えないものの今まで地面の上を走っていた馬車の揺れが変わるのがわかった。不安定な場所から石畳に変わり、揺れが規則的になっていく。

 どこまで連れて行かれるのか、長いことかかってやっと止まった場所は王宮の真裏だった。

「まだ、リリーちゃんのことは、決まり切っていないから少しの間だけここにいてもらうことになっていますわ」

 ヴィオラとマリウススに付き添われて、リリーは王宮へと入る。しばらく廊下を歩いていると、焦げたり傷がついたりしている壁や床など戦の爪痕が至る所に見えた。

(爺様がいた所からしら)

 以前、祖父が皇都に連れて来られた時に滞在していた場所の辺りではないだろうかと、リリーは曖昧な記憶を辿る。

「いろいろなことが決まるまでは、あまり自由に部屋から出歩けないけれど、クラウスがすぐに自由にさせてくれますわよ。ひとり、監視とお世話を兼ねた子がついているそうですわ。困ったことがあったり、必要なことがあればその子に頼んで、ということでしたわね」

 ヴィオラがつらつらと説明することを聞き流しながら、やっぱり祖父がいたところだと部屋の前まで来たリリーは思い出す。少なくとも牢獄ではないらしい。

「リリーちゃん、また気が向いたら話し相手になってくれると、嬉しいですわ。では、ご機嫌よう」

「……失礼、する」

 ジルベール姉弟がそれぞれ気遣わしげな顔をリリーに向けて、静かに立ち去った。ひとり残されたリリーは、他に行く宛もなく部屋の扉を空けた。

「あ……」

 そしてヴィオラが言っていた監視役兼世話役だという人物に出迎えられて、目を丸くした。

「久しぶり、リリー」

 戸惑い気味にに微笑む赤毛の少女は、以前バルドの婚約者候補となっていたカルラだった。彼女は敵方であったディックハウト信奉者であり、それを知っているラインハルトの策略に利用されて最終的に投獄された。

 やはりラインハルトの策略によりカルラの世話役を任された時、リリーは彼女とは少しだけ親しくなれた。はじめての同性で同い年の友達になれたかもしれなかったカルラとの再会は、驚いたものの悪い気はしなかった。

「うん、久しぶり。そっか、もうハイゼンベルクもディックハウトもないんだものね。元気だったっていうのは、変か」

 半年以上の獄中生活の名残はカルラの姿の至るところに見られた。身を包む慎ましいドレスの袖口からのぞく手首はやせ細っていて、頬も丸みがなくやつれている。綺麗だった赤毛もくすんで痛んでいるのが見られる。

 皇都が陥落して間もないので、本当に牢から出てまだ数日といったところなのだろう。

「ええ。王宮が落ちてすぐに解放されたのだけれど、ディックハウトの皇主様が贋物だっただとか、皇家を滅ぼして新しい国を作るだとかまだ、よくわからなくて混乱してるわ」

「そう。いきなりこんな状況だとびっくりするわね。あたしの監視、言いつけたのはクラウスよね」

 カルラと親しくなりかけていたのをクラウスは知っている。気遣い半分、足止め半分といったところなのかもしれない。

「牢から出された後に、クラウス様にリリーの話し相手になって欲しいって頼まれたのだけど、私もあまり状況がよくわかってなくて」

 カルラが骨張った指を絡めて、何を訊いていいのか訊かないでいいのかと困った顔でリリーを見る。

「あたしも、まだなんだかよくわからない。バルドは一緒に死なせてくれないってことだけだわ」

 そう返して、リリーは返答に詰まっているカルラに余計に困らせてしまったと苦笑する。そして部屋の中を見渡して見覚えのある化粧台に目を留める。

「これ、あたしの部屋にあったやつよね」

 小ぶりで必要最低限の収納の引き出しぐらいしかない化粧台は、見間違いでもなく自分のものだ。

「確か、リリーの私室にあったものはここに移させたたって言っていたわ」

 リリーは何気なく引き出しを開けて、真っ先に目についた髪飾りに目を細める。皇都を出る前にバルドからもらったものだ。

 見ていると胸がざわついて落ち着かないので、リリーは一番奥へと髪飾りを仕舞い込んで上に他の髪留めを重ねておく。

「衣装棚も一緒ね。寝台まで運んでこなくてもいいのに」

 真っ白い部屋の中の調度品は、自分の私室にあったものが運び込まれていた。自分の部屋にはなかった長椅子と机は新しく用意されたもののようだが、他の調度品の中で浮かないよう質素なものだ。

「少しでも、リリーが安らげるようにってことじゃないかしら」

「寝台で寝られるならなんでもいいけど……こっちは増えてるわ。ん、でもないものもあるわね」

 衣装棚を開けて見ると、部屋着用の質素なドレスが数着増えていた。その代わりいつもローブの下に来ているシャツと下衣は見当たらなかった。

 リリーは衣装棚を閉めると同時に、ここは皇都なのだと改めて思い知らされて思わずため息がこぼれた。今になって疲れが体中にのしかかってきて、棚を閉めた体勢のまま少しの間動けなくなる。

「大丈夫? 少し休んだ方がいいわ。お茶にする? もう、眠る?」

「お茶にする。眠れそうにはないわ」

 今、ひとりになってしまうのは恐かった。

 ここでじっとひとりでいると、整理がつかない感情がわけのわからないまま溢れ出して暴れそうな気がした。

「カルラ、足……」

 リリーは続きの間へ繋がる扉に向かうカルラが右足を少し引きずっているのに気づいて、呼び止める。

「ああ。大丈夫よ。投獄される時にちょっと、傷めたのだけど、もう痛くはないから」

 折れたか捻ったかしてまともに治療されなかったのだろう。カルラは反逆者として囚われたのだ。よくあることではある。

「悪いわね、面倒かけるわ」

「いいの。急に釈放されて戸惑っていたところだから」

 リリーは一緒に備え置きの食料が置かれたカルラと茶の仕度を始める。先に水瓶の水を鉄瓶に入れて部屋の暖炉の上に置き、その間に茶葉やカップを用意して堅焼きビスケットと、それにつける杏のジャムを机の上に置く。

 湯が沸くまでの間、ジャムをのせてしっとりさせたビスケットを囓る。

 蜂蜜で煮込まれた杏の甘酸っぱさが、心を落ち着かせてくれた。

「……カルラ、家には帰ってないの?」

 カルラは貴族の庶子である。父親はカルラが投獄されるときに娘ではないと親子関係を否定したが、市井で暮らす母親はまだいるはずだ。

「父とはもう絶縁になっているから、母とも元々あまりうまく行っていなかったし……。仕事はお針子を少ししていたからまたどこかで住み込みで雇ってもらえる所を探してみるつもり」

「カルラはもう、自分が何をするかは決めてるのね」

「決めているだけ。国が変わってしまってどう動いたらいいかわからないもの。投獄されていた私を雇ってくれる所があるかもわからないし……お湯が沸いたわ」

「あたしがとってくるわよ」

 カルラが鉄瓶が湯気を吹き上げているのを見て、立ちあがろうとするのを止めてリリーは鉄瓶を取ってくる。

 用意していた茶葉を入れたポットへ湯を注ぐと、花の香りがふわりと立ち上った。

「カルラが投獄された理由なんて、皇家がなくなったら誰も気にしないわよ。あたしは自分がこれからどうしていいのか全然わかんない。剣を持たないで生きてくなんて、考えられないもの」

 なぜ自分はここにいるのだろうという現実を拒絶する考えがまだ頭の片隅にあって、今、カルラとこうして会話していることはほんの一時の現実味を帯びた夢のような感覚すらする。

 目覚めたらバルドが側にいて、夢でカルラと久しぶりに会ってお茶をしたのだと話す。

 だけれどそんなことが起こらないともわかっている。

「……ねえ、リリー、レースでリボンを、編んでみない? あ、一緒にお針子しようとかじゃなくて、何か集中してやることがあったら気が紛れるんじゃないかしら」

 しばらく返答に窮していたカルラがあわあわと提案してくるのに、リリーは首を縦に振る。

「教えて。何もしてないよりもずっとましだと思う。ありがとう」

 今、自分がしなければならないのは、この状況をどう呑み込むかだ。だけれどひとりで何もせずに考え込むばかりではどうにもならなそうだった。

 ここでカルラに会えてよかったと、リリーは心の底から安堵する。

 そうして飲み頃になった茶を注いで、今日の所はお互いややこしい事柄は話さずにぽつぽつとレース編みについて夕餉の頃まで話すことにした。

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