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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
93/115

5-2

***


 皇都陥落の報を受けて行った弔いは、簡素なものだった。

 全員で黙祷して一杯の白湯をを飲み干し、空になった杯に今度はスープを注ぎ、最後にまた空になった杯に酒を注いで半分だけ飲み干してもう半分は食事を終えるまで残しておく。

 誰ひとりとして口を開かずに黙々と、食事をすませて最後に酒を飲む。

 リリーはこの弔いの儀をするのは、初めてだった。

 遠方で身内や親しい者が死んだ時にする、仮の葬儀のようなものらしい。普通はごく親しい者の間柄でしかやらないそうだ。

 だが、今回は死者が誰かはっきりしないことと何より前の皇主が崩御したのだ。

 リリーはバルドの表情を見やるが、特に深く悲しんでいる様子はなかった。

 父親、といってもまともに会話をしたこともなく、式典などで顔を合せる程度ですぐに会える距離にいながらもとても遠い距離感があった親子。

 リリーにはバルドの父親への感情はまったく想像できなかった。

(ジルベール侯爵も、生きてそうにないのかしら)

 真正面にいるマリウスは、暗く沈んだ顔をしている。普段はあまり表情を変えず感情を顔に出さないので、よっぽどなのだろう。

 そして自分の視線に気づいたのか、一瞬目があったもののすぐにそらされた。

 ヴィオラが自分を見た一瞬と、重なって見えた。

 あまりに似ていないようでも、やはり姉弟だからだろうかと胸のわだかまりが再び鎌首をもたげる。

 そしてひとりだけこれといって見送る相手もおらず、ただ座っているだけになっているリリーは最後の酒を口にする。

 雪の様子を見て問題なさそうであれば、明日の朝には出立ということで食事の後は各々休むことになった。

 屋敷は広く寝台のないところであってもなんとか全員が屋敷内で眠れそうだった。隙間風は多少あっても、外で眠るよりは体は休まる。リリーはいつも通りバルドと同じ部屋だった。

 まったく使われていないので、手入れが行き届いておらず申し訳ないと言われたが清潔なシーツと毛布があるだけでも十分だった。暖炉にも火が入っていて、仄かに明るく暖かい。

「雪、やむかしら」

 リリーは窓辺から外を見るが、牡丹雪がまだ降り続けているのがぼんやりと見える。

「行軍に支障」

「雪が積もってるか、ぬかるんでるかのどっちかだものね」

 水気の多い雪は積もりにくいが地面がぬかるんで動きづらいことに変わりない。リリーは寝台にあがって、バルドと一緒に毛布にくるまる。

 皇都のことはお互い口にしなかった。バルドも何か話したい様子でもなかったので、リリーは何も言わなかった。

 故郷といえば故郷ではあるものの、皇都という場所そのものに特に深い思い入れがあるわけでもない。バルドと一緒に過ごした思い出は多いとはいえ、帰りたいという郷愁もわかなかった。

 自分の帰る場所はバルドの側以外に考えられなかった。

「……リー、クルトに会っていく?」

 眠りかけた時、バルドがふと祖父のことを訊いてきた。

「いいわ水将と早く合流しないといけないでしょ。シェルに言付け頼むわ。話したいってことも特にないんだけど」

 時間があれば顔だけでもみていこうかとは考えもしたが、会えないなら会えないで後悔はない。数ヶ月前に知ったばかりの祖父に対しても、まだ肉親という実感はなかった。

 しかし、今こんなことをバルドが訊いてくるのは、彼は彼で父親に何かかけたい言葉でもあったのだろうか。

「バルド、急にどうしたの?」

「何もない。ただ、近くを通る。だから思い出した」

「そう。今、なんか変な気持ちじゃない? 悲しくない?」

 自分もバルドも自分の感情に疎いところがある。特にバルドはそうだ。まだ気づいていない小さな傷がどこかにあるのかもしれないと、リリーはバルドの手を包みこむようして握る。

「……問題ない。父上が死んだことは、何も感じない。兄上の時と違う」

「そっか……」

 それでもバルドの瞳の奥にまだ何かある気がして、リリーは彼の顔を覗き込む。

 バルドはふっと目を細めて、そっと額に唇を寄せてくる。

 額から、瞼、鼻先、そして最後に唇へ。

「俺は、問題ない」

 ほんの一瞬の口づけの後に、バルドが囁いてリリーの体を抱き込む、

 心配しているつもりが、いつの間にかなぜか自分の方が慰められていることを理不尽に思いながらリリーは目を閉じて、この日は仕方なくそのまま眠りについた。


***


 翌朝は快晴だった。屋敷の主からわずかながらも食料を譲ってもらい、十分に礼を言ってバルド達一行は予定通り出立した。

 ただ空気は痛いほど冷え切っていて、半分解けた雪で冷たい水たまりやぬかるみができて行軍は楽ではなかった。

 それでもゆっくり休めたおかげで、魔道士達の足取りは前日までよりは軽い。昼過ぎには、目標地点である山の麓に到達して少し休息をとることになった。

「ちょっとだけあったかくなってきたわね」

 動いたことと陽が高くなってきたことで、寒さはだいぶやわらいだとリリーはバルドに笑いかける。

「だが、まだ寒い」

 寒がりのバルドがリリーの冷たい頬に手を当ててつぶやく。

「これから北に向かうんだから、しょうがないわよ」

 冬はこれからだ。そして自分達は春に背を向けて北上している。本当に厳しい寒さが行き着く先で待ち受けているのだ。

「……リー、シェル、離脱」

 そして、バルドが声を潜めてリリーにそう告げた。

 ここはリリーの祖父の住む屋敷がある山のちょうど真向かいになった北側の山の麓である。もう少し南に向かって、あちらの麓まで行けばシェルも問題なく魔術で移動できるらしい。

「そうね。でも、あたしもついていくって必要?」

 リリーは偵察という名目でシェルを途中まで送ることになっていた。

 だがシェルひとりで行かせるのは多少危険があるとはいえ、彼は自分達より様々な魔術を扱える。自分が同行するほどのことでもないのではないかと、リリーは首を傾げる。

「行った方がいい。念のため」

「まあ、すぐそこだからいいんだけど……」

 かすかな違和感を覚えながら、リリーは渋々うなずく。

 それからシェルを呼び、ふたりでひっそりと軍を離れていくことになった。

「いやあ、何から何までお手数をおかけして申し訳ありません」

 リリーの半歩後ろを行くシェルが後ろ頭をかきながら、へらへらと笑う。

「あたしのこの心臓のこと、すっきりさせてくれたのは感謝してるわよ」

 皇祖のことも、自分自身のこともわけのわからないまま終わらずに済んだことはいいことだ。

「そうですか……山の方はまだ積もっていそうですね」

 シェルが雪化粧が施された稜線を見上げて目を細める。

「どうせ魔術ですぐに行けるんだからいいんじゃないの。……爺様にも、色々教えておいてあげて。それと……」

 肉親へ告げる最後の言葉とはどういうものなのか、まったく見当がつかない。伝えたい言葉というのもみつからなかった。

 さようなら、は少し違う気もする。あまりにも過ごした時間は短く、頭で祖父だと認識していてもやはり心では赤の他人といった感覚だ。

「やっぱりいいわ。皇祖のことと、あたしはバルドと一緒に行くことだけ伝えておいて」

「はい……」

 シェルの返答の歯切れは悪かったが、話題のせいだろうとリリーは気にしなかった。しばらくふたりで無言で雪と泥が混じった上に、大きな石や木切れが落ちる足下に気をつけながら目的地へと足を進める。

 近くに滝があるのか水が落ちる音が聞こえるだけの道程は、戦が起こっていることがまるで遠い昔のことのように思えるほどに、穏やかな静けさだった。

 しかし、妙に胸騒ぎがしてリリーは足を止めて振り返る。

「あの、どうしました?」

 振り返った先でシェルが狼狽えた顔をして、リリーは眉根を寄せる。彼が怯えすぎていると感じた。

「何か気になるのよ。……誰かいるわ」

 人の気配を感じて、リリーは双剣の柄を握る。

「驚かせてすまない」

 警戒していると道の脇の林からマリウスが姿を現わした。

「どうしたんですか?」

 なぜ彼がここにいるのか、リリーは剣の柄から手を離さないまま問いかける。敵意は感じられないが、マリウスの思い詰めた顔に嫌な予感がした。

「皇主様のご命令に従い、アクス補佐官の護衛を」

「護衛なんていりません。だいたい、なんでそんなこそこそついてきたんですか」

 すぐに追いついてきたということは、あらかじめバルドが命じていたに違いない。

「……リリーさん、す、すいません。本当に、よくしてもらっていただいたのに。落ち着いたらまた、会いましょう!」

 そしてリリーがマリウスに気をとられている内に、なぜかシェルが林の方へと走り出した。

「ちょっと、何、なんなの!?」

 意味がわからないと混乱しながらも、よくないことが起こっているというのはわかった。

「皇主様からのご命令です。アクス補佐官を、フォーベック統率官の元に無事、送り届けろと」

 絞り出すようにマリウスがそう言って、リリーは呆然としながらも首を横に振る。

「行かないわ。バルドのところに戻ります」

 いまさら、いまさらどうして置いていくなんてことを考えるのか。

 だけれど、うっすらとわかっていた。今日までの違和感は全部、これだったのだ。たぶん、ずっと前からバルドはひとりで終わることを決めていた。

 シェルの魔力が回復していないというのも、おそらく嘘だったのだ。

(結婚式……)

 ふたりだけで結婚式をしたいとバルドがひとりで思いついたのは、別れることを考えていたからだ。

(なんで、あたし、戻って来たのに。バルドの所に帰って来たのに)

 囚われて、バルドに会いたい一心で帰り着いた時にバルドは本当は帰って来てほしくないと思っていたのか。

「アクス補佐官」

 道を引き返そうとするリリーを、マリウスが制止する。

「どいてください。あたしは、バルドに聞かないと、言わないと……」

 なぜ、こんなことを勝手に決めたのか、理由を聞いて怒らないと。

 このままでは何ひとつ、納得がいかない。いくはずがない。

「マリウス!」

 リリーが無理矢理マリウスを押しのけてでも、バルドの元へ戻ろうと考えた時ヴィオラと数名の魔道士が現れた。

 リリーは唇をわななかせて、剣の柄から手を離す。

 もう、追いつけない。

 たったひとつだけわかるバルドの望みが、自分が生きることである以上ヴィオラとマリウスを相手にして戦うことすら選択できなかった。

「いきましょう」

 リリーから戦意が消えたことに気づいたヴィオラが、気遣わしげに呼ぶ。

 リリーは返事もしなければうなずきもしなかった。だが道を引き返すこともなく、とぼとぼとヴィオラの元へと歩み寄った。

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