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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
91/115

4-5

 

***


 宰相自決の報せが届いた時、王宮も陥落寸前だった。

 中庭の草花は踏み荒らされ、白亜の王宮は血で赤黒く汚されてしまっていた。残った皇家軍は、皇族の居住区の方へと追い込まれていた。

「宰相も逝ったか。この辺りが潮時だな」

 カイは前皇主の私室にに繋がる回廊で額から滴ってくる血を拭う。

「でしょうねー。できるだけ多くを皇主様の元に残らせなければならないし、ここまでだね」

 ラルスがいつもと変わらないのんびりした口調で言う。

 全員、ここで終わらせるつもりはなかった。まだバルドが生きている可能性があるならば、できうるかぎりの兵を合流させる手はずになっている。

 そのために王宮の裏手にすでに数百の魔道士達が退路を取り始めていた。

 自分達は、敵勢を引き受けて時間稼ぎをするのが役目だ。

「将軍……! ジルベール侯爵、お討死、なさいました……」

 血塗れになり足を引きずりながら、青年魔道士がヴィオラとマリウスの父親の戦死を告げに来る。

 最期は前線で死にたいと、言っていた侯爵は望みを叶えたらしい。

「そっか。君も、お疲れ様。もう、休んでいいよ」

 ラルスが報告に来た青年に声をかけると、彼は弱々しくうなずいてその場に崩れ落ちる。まだ二十歳そこそこといった歳の彼は、もう立ちあがることはないだろう。

 青年の側に膝をついたカイは、ゆっくりと呼吸が弱まっていくのを確認して目を伏せる。

「……ラルス、お前も行け。後は俺がやっておく」

 バルドと合流する兵を率いるのはラルスの役目だ。そして、自分はこのまま時間稼ぎを続ける。

「そうですね。行かないと」

 言いながらも、ラルスが動く気配は見られなかった。

「なんだ、ここで終わるつもりじゃねえよな」

「もちろんです。……でも、何かカイに一言言っておいた方がいいかなーって思うんですけど、何言ったらいいんでしょうね」

 にこにことした顔をしながらも、ラルスは少し寂しそうに見えた。

「いらねえよ。お前は、生きたいように生きて死ぬんだろ」

 出会った頃から、ラルスはよく分からない子供だった。彼の魔術を崇拝し皇家を尊ぶ信条や考えはまったくもって理解はできないが、己が道を真っ直ぐ突き進んでいるのだけはわかった。

 だから皇家に尽くすのをやめて生きろとは言えない。

 理解出来ないからこそ引き止める言葉も見つからなかった。

「カイは、これでいんですか?」

 今更なことを訊いてくるラルスに、カイは苦笑してその頭をくしゃりと撫でる。

「俺は、ガキ共がひとり立ちするのを見届けたら、それでいいつってんだろ。ほら、だからお前ももう、いいかげんひとり立ちだ」

 甥は生きる道を選んで、ラルスもまた自分の進む道を決めている。

 ひとり立ちできていないのは、むしろ自分の方かもしれない。だが、もう十分ふたりの成長を見届けた。

「僕はもうとっくに、大人ですよ……。カイ、うん。行ってきます」

 ラルスが何かを噛みしめるように深くうなずいて、珍しく真面目な顔を見せた。

「おう、行ってこい。後悔だけは、するなよ」

 カイもうなずいて、その背を強く叩いて送り出す。

 ラルスは後は躊躇いなど微塵もない背を向けて、足早にその場を離れていった。

 残されたカイは、両手で握った杖の先で床を打ち付けてありったけの魔力で各回廊に石の防壁を築く。

 視界に入らないが、攻撃を受ける度に杖を持った指先から衝撃を感じる。

 無理矢理魔術を破られていく反動で、指先が裂けて血が吹く。それでも杖を固く握りしめて、敵の歩みを遅らせることに腐心する。

 爪が割れ、指が裂け、血と痛みで杖から手が離れそうになっても絶え続けた。

 やがて、最後の壁が打ち破られる。

 多くの足音が雪崩れ込んでくるのが聞こえてくるのに、腕の皮膚までもあちこち裂けたカイは粗い息を整えて身構えた。

 前皇主の首を狙い、大勢の革命軍が攻め込んでくるのに、魔力の尽きたカイは棒術で応戦する。

 もう腕の感覚はほとんどなかった。

 数十人を前にして反撃もまともにできなかった。

 だが、カイは意識が途絶える寸前まで杖を振るい続けた。

(遅い、とは言わねえだろうなあ。でも、早過ぎもしねえだろ)

 霞がかった脳裏に最期に浮かんだ戦死した妻の姿に、わずかに口角を上げたカイの手から杖が滑り落ちた――。


***


 前皇主のいる部屋にはたったひとりの魔道士も護衛についていなかった。

 魔術で護っていた扉が開かれたときでも、長椅子の上に座った前皇主は動揺もせずに踏み込んでくる者達を一瞥する。

「ちょうどよいところにきた。余も生きるのに飽いていたところでな、誰ぞ、この命、持っていってくれぬか」

 幼少の頃より宰相家の傀儡でしかなかった男は、悠然とかまえて死を受け入れていた。

 攻め入った魔道士達は、前皇主を前にして指揮官であり革命軍で最も中枢にいる初老の男に視線を向ける。

「……自決をお選びになっても結構。どうなさる」

 指揮官が討死か自決かの選択を、前皇主に迫る。

「自決できるものならとうにしておる。余は、自分で自分を殺す方法など知らぬ。だからそなたらを待っていたのだ。あまり苦しみ痛むことのない方がよい。痛いのは嫌いだ」

 まるで着替えを手伝わせるかのような口調で、前皇主は指揮官へ命じる。

 この状況下でただのお飾りであっても、最後まで千年続いた皇国を打ち立てた皇祖の末裔として尊大に振る舞う姿に虚勢はなかった。

 まともに政ができさえすれば、ハイゼンベルクの道は変わっていただろうにと指揮官は前皇主を見下ろしながら剣を抜く。

「では、首を前によろしいか」

 前皇主はこともなさげに後ろ首がよく見えるように、頭を軽く下げた。

 刃が振り下ろされて、王宮から主が失われる。

 こうして、皇国の都は終わりを迎えたのだった。そしてこれが新たな国への礎が築かれた瞬間でもあった。


***


「呆気ないものですね……」

 エレンはたった一日で陥落してしまった皇都の王宮を軍舎から見上げて、目を細める。

 宰相自決、前皇主斬首と共にここに新政府を立ち上げると、革命軍は宣言した。

「そうだな。後片付けするのが王宮と俺の家ぐらいですんでよかったな。飲むか?」

 エレンは湯気が昇るティーカップをクラウスに渡されて受け取る。日暮れが差し迫った今は冷え込んできて、かじかむ指先に暖かい器は心地よかった。

「どちらも被害はたいしたことはないでしょう」

 下層部での戦闘が回避されたことで、けっして無血ではないが被害は最小限にとどまって民衆から革命軍への印象が悪化することもなさそうだ。

 自分は宰相家の戦闘に加わっていたので、王宮がどうなっているかはわからない。だが宰相家と同じく庭が踏み荒らされ、建物は傷が入って血で汚れてしまっているに違いない。

 ラインハルトがお気に入りだった、書庫の中庭が見渡せる硝子の壁は全部割れてしまっているかもしれない。

 彼が人生の大半を過ごした私室は、奥まった場所にあるので綺麗なままだろうか。

 エレンは思い出が本当に記憶の中だけのものになってしまっていくことに、寂しさをおぼえる。

「明日明後日ぐらいで片付くんじゃないか? 後は、バルドだけだな。水将に逃げられたのも、大した痛手でもないだろう」

 水将を筆頭とした皇家軍は皇都の外へと脱出した。海沿いの崖淵の細い道へと逃げ込み、途中で道を崩していったのでそこで追跡は終わった。

 革命軍も残党狩りよりも皇都を新政府設立に力を尽くしたいということもあって、深追いはせずに周辺の警備を強化するにとどまることとなった。

「バルド殿下の消息は、まだ不明ですか」

 後はバルドを討ち取るだけであるが、革命軍としては皇都を占領したことでもう戦に勝ったも同然だ。そう焦って動かずとも、もっともらしい舞台を仕上げてから大々的に首を上げても遅くはない。

 もはや、戦に勝つことよりもどれだけ島中に広く新政府の正統性を広め、派手な建国の演出ができるかが重要になってきている。

 魔術が失われれば貴族の意義も価値も変わり、力に屈していた魔力をもたない民衆の心境もおおいに変わるだろう。

 力尽く以外の方法で人心をまとめあげるには、少々の装飾や誇張も必要となる。

「まあ、行くとしたら北しかないだろう。そのうちすぐに見つかるさ。俺はリリーが無事ならそれでいい」

 父親が自決するのを目の前で見ていたというクラウスは、皇都に攻め込む前とまるで変わらない。

 変わらず目的はリリーだけらしいと、エレンは茶を啜って王宮が茜色から次第に暗闇にのまれていくのを見やる。

 夜が明けてもこの光景は変わらなくとも、王宮は王宮でなくなり新たな時代の幕がいよいよ上がっていく。

(私も、これから道を見つけなくてはいけない)

 生きて、自分はこれから何をするのか。そのために生家に戻ることなくエレンはまだ皇都にとどまるつもりだった。

 思い出が思い出でしかなくなる時になってやっと、答を見つけられる気がした。

(あとひとつだけ、残っているものがある)

 ラインハルトが自らの手足とするために、様々な知識や思考を与えたバルドがまだ生きている。

 新たな夜明けまでは、まだ後少しだけ遠そうだった。



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