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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
90/115

4-4


***


 バルド達が谷間での戦闘を終えて三日の後、革命軍はついに皇都を包囲していた。

 すでに革命軍側に寝返った者達によって皇都の入口の門は開け放たれて、最後の通告がなされていた。

 皇家軍はすみやかに降伏し、前皇主の首を差し出すこと。さもなくば武力をもって、皇都を奪取すると。

 民衆らは家の扉や窓を固く閉ざして、戦火が及ばないことをひたすら祈るすらなく下層部は静まりかえっている。

 そうして、上層部では王宮と宰相家に皇家軍が集まり、反旗を翻した者達は軍舎の方で蜂起の時を待っている。

 圧倒的に皇家軍は不利な状況だった。それでも腹を決めた者達は戦うことを決めていた。

「降伏するつもりはないか。思ったより皇家側も多いな」

 クラウスは慣れ親しんだ巻き貝にも似た皇都の螺旋を描く坂道の先を見上げて目を細める。

 ここまで追い込まれても与しない者がまだ数千いるというのは、まったく理解出来ない。足取りが掴み切れていないバルドの側についている魔道士も、いまだ一万は超すという見込みだ。

「一度手に入れた力は捨てきれない、あるいは変化を受け入れられない。そういう人間はいくらでもいるということでしょう」

 隣を行くエレンが静かに返す。

「どっちも俺には理解できないな……。今は、魔術が使えることは必要だけど」

 魔術が使えるということが、唯一リリーが生きていることを確認する手段だ。

 どうしても迅速に情報が手に入らない以上、リリーが無事であるかどうかずっと心配し続けている。

 本当に彼女の死と島の魔術の死が同時になるかはわからないが、今はそれを拠り所にするより他はない。

「上まで、戦闘はなさそうか」

 平民が暮らす下層区を抜けても、皇家軍が控えている様子はなかった。上へと行くに連れて屋敷の規模も大きくなっていく。普通は数人いる門前の私兵の姿も見受けられない。

 使用人や戦闘に出ない妻子がいるはずだというのに、物音ひとつなかった。家が粗末なこともあってか、まだ下層の方が物音がわずかながらでもあった気がする。

 人がいるはずなのに、まるで廃墟のようだ。

 しかし最上層が見えてくると様相は一変する。

 真っ先に目に入るのは軍区に立ち並ぶ白いローブを纏う魔道士達だ。真白い街に黒のローブの魔道士がいるのが普通だった光景を見慣れたクラウスとエレンには、違和感ばかりが先だった。

 例え、自分が白のローブを着て迷いがなかろうと、見慣れた景色が変わるというのはしっくりこないものだとクラウスは魔道士達の姿を眺める。

 そして皇都の革命軍派と合流すると、改めて布陣が整えられることとなった。

 皇家軍の本隊は当然、王宮に布陣している。宰相家にいるのは革命軍の横腹をつくためと、退路の確保のためだろう。

 しかしこの数の差では策など無意味に近い。戦らしい戦をしたいという体面だ。

(生き延びてバルドに付き従うつもりの奴もいるか)

 王宮と宰相家の裏手から北側へ下りていけば、以前クラウスが水将と戦闘となった時にあちこち崩れて防壁も脆くなっている場所がある。そちらにももちろん兵は配備しているが、そこを突破されれば逃げられる。

 宰相家と王宮からの隠し通路は、おそらく使われることはない。前の皇主も宰相も逃げるつもりはなさそうだということだ。

 クラウスは予定通り、宰相家の制圧の指揮を任されることになった。

(自分の家を攻めに行くのも、変な感じだよなあ)

 軍区から家までの道程は、あまえりにも馴染みすぎていてますます頭の中が奇妙な感覚だった。

 必要な物がある、どうしても父や兄と会わねばならないという時しか家には帰らなかった。

 家が嫌いだった。そこで大きな顔をしている父も、兄も、大嫌いだった。

 帰りたくないと思いながら嫌々辿っていた道を、今はその大嫌いだったものを壊すために歩いている。

 第二の王宮と呼ばれる宰相家の巨大な屋敷が次第に迫ってくる。すでに、視界に入る景色全てが、フォーベック家のものである。

「攻撃、開始」

 門前にずらりと皇家軍が並んでいる様を見やりながら、クラウスは躊躇いなく開戦の合図を送る。

 魔術同士がぶつかり合い、周囲に衝撃の余波が押し寄せても屋敷は微動だにしない。

「父上か……」

 屋敷の周囲に張られた透明な魔術の防壁に気づいたクラウスは、剣を抜いて前へ出る。

 思えば、父と真っ向にぶつかるのははじめてかもしれない。

 いつも、自分は斜めを向いて真正面から父を見返すことはなかった。父もまた、自分を見ることがなかった。

 クラウスは道を開けさせ、手に握った剣に魔力を流し込む。

 そしてすうっとひとつ息を吸い込んで、一気に魔術を解き放った。

 糸状の炎は真っ直ぐに屋敷に向かっていきながら縺れて糸玉になったかと思えば、今度はぐじゃぐじゃと蠢いて防壁に到達すると炸裂した。

 手加減のきかない暴走気味の魔術に防壁が絶えきれなくなる。

 しかし完全に押し切られる前に、魔術は爆風を包み込む形に変化して周囲への損害は最小限で留まった。

 とはいえ、門前にいた魔道士達は吹き飛ばされ、屋敷の扉までに敷かれた石畳は割れて粉々になっていた。

「一気に制圧するぞ」

 クラウスらはそのまま屋敷内部めがけて突撃する。

 門前の皇家軍を数の差で押し潰し、最初家の内部へと革命軍は乗り込む。広い屋敷の内部にも魔道士達はいた。

 クラウスは黒いローブを身に纏った『杖』の魔道士ひとり、ひとりを見ていくが父の姿はなかった。

 だが、いる場所は分かっている。

 クラウスはもはや指揮の必要のないほどの物量差で圧倒している自軍をおいて、屋敷の奥へと進んでいく。

 宰相は見捨てられたのか、奥の方には魔道士も使用人も見当たらない。

 自分から向かったことは一度もなかった父の書斎。

 長い廊下を歩く時は、呼び出された時だけだった。廊下の脇におかれたつるりとした陶器の壷に映った、自分の嫌そうな顔をよく覚えている。

 その壷は攻撃の衝撃で床に落ちて割れてしまっていて、今の自分がどんな顔をしているかは見えなかった。

 クラウスは重たい扉の前に立って、声もかけずに中へと入る。

「……お久しぶりです、父上」

 父、フォーベック家当主のアウグストは、ひとりで杖を持って悠然と椅子に腰掛けていた。だが先程の魔術のぶつかりあいのために、指先からは血が滴っていた。

「まさか、お前がここまで来るとはな」

 これといって感情をこめずに、ぼそりと父がつぶやく。

「どうしますか。降伏する者は殺さない、というのが革命軍の信条です。生き延びて俺を足がかりにして、好き勝手はさせるつもりはないですが殺す理由は俺にはない」

 一体、自分は父にどうしてほしいのだろうと今更ながらにクラウスは思う。

 殺したいと思ったことはない。今更認めて欲しいとも思わない。

 惨めに降伏すると命乞いをする父が見たいわけでもない。

 何もなかった。あれほど嫌悪していたはずの父を目の前にして、父から奪いたいと思うものがなにもなかった。

「生きる理由はない。私が築いたものはなくなる。ヘルムートが死んだ時に、それは決まっていた」

 始めからお前には期待していなかったと、言われていると思うのは気のせいではないだろう。

 兄のヘルムートばかりに父は熱心に跡取りとしての教育を施していた。

「もっと前でしょう。兄上がああまで、傲慢でなければ義姉上もあんなことはしなかった」

 父の厳しい教えと期待に抑圧されながらも、宰相家の嫡男であるという尊厳で大きな顔をしていた兄の振るまいを父も咎めなかった。

「いいや、足らなかったのだ。あれは少々臆病なところがあった。小娘ひとり大人しく従わせるだけの、強さが足らなかったまでのことだ」

「……死ぬまで父上のことは理解できそうにないですね」

 まったくもって、嫌な男だとクラウスはつくづく父への嫌悪を噛みしめる。

「お前にはわからんさ。私が、私の父が、祖父が築いて引き継いできたものの重みなど、お前のような誇りを持たない者にわかるものか」

 冷ややかなアウグストの視線は、ヘルムートとよく似ていた。

「わかりたくもないですね。そんな誇りなんていりません」

 そうだ、欲しいはずがなかった。この父からは欲しいものがあるはずがないのだ。

 そして、自分はずっと昔から本当に欲しいものや執着するものを持てない人間だということを思い出した。

 クラウスは父を見下ろして、彼に会うこと自体なんの意味もなかったのだと剣を抜く。

(俺がこんなことやってんのは、リリーが欲しいから以外の理由はなかったな)

 この家も、父も、どうだっていい。

 自分にとって大事なのは、リリーだけなのだ。

「……この命、お前にはやらん」

 アウグストが隠しもっていた刃を、自らの胸に突き立てる。

 苦悶に顔を歪めながも、ももがき苦しむこともなく小さな呻き声もらしただけでアウグストはあっけなく逝った。

「それもいりませんよ、父上」

 クラウスは事切れた父を一瞥して身を翻す。屋敷の入口に戻れば、すでに戦闘は終わっていた。

 そしてこれをもって、長らくハイゼンベルクの実権を握っていたフォーベック家は終わりを迎えたのだった。

 

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