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挟み撃ちにされたリリー達は、思った以上に苦戦していた。
谷を抜ける急勾配の坂の上からの攻撃を防ぎながら、上へと向かうのに想像以上に体力を削られて思うように進めない。
先頭を行くリリーは隊列がだらりと間延びしていることに気づいて、眉根を寄せる。
敵も急揃えで崖の両脇に回る余裕はないらしく、四方から攻められることなく幸いだがいかんせんこのままでは魔力を消耗しすぎる。
(上の部隊もたいして魔力は残ってないわね……)
道を塞ぐ役目を果たした部隊は後続の援護をしているが、まともな威力をもった魔術は放てていない。
後続はバルドが蹴散らしているが、彼の魔力もいつまでもつかわからない。
「こういうの、一番つまんなくて大っ嫌い」
さして敵が強いわけでもなく無駄に体力を消耗するだけで、まるきり戦う楽しさがない。
肩で息をついてリリーは苛立ちながら風の魔術を両の剣から放つ。
向こうもこちらが魔力と体力を使い切るのを待っているのはわかってはいても、動かなければ結局やられてしまう。
少ない手数でできるだけ多くの敵を倒しつつ、リリーは背後の様子も気にかけながら谷の上を目指す。
数が減ってくればまとまりのない敵部隊の動きは次第に乱れて、こちらの攻撃も仕掛けやすくなってくる。
リリーを囮にして後続の魔道士達も少しずつ大きくなっていく敵の隙を狙って痛手を与え、徐々に挽回していっていた。
「後、少し」
やっと敵が坂の頂上より後退し始めて、リリーはもう一踏ん張りだと敵の雷撃を躱して敵軍へと踏み込もうとする。
だが、背後で大きな魔力を感じて振り返る。
坂の真下では真っ赤な炎の花が咲いていた。それはすぐさまバルドの雷の矢で散らされたが、一瞬でも誰の攻撃かはわかった。
「炎将、生きてたのね」
マリウスではなく、姉のヴィオラの方だ。
魔術が散った衝撃でフードか外れ、よく目立つ桃色がかった金髪が靡いているのがリリーのいる場所からもはっきりと見て取れた。
(どうりで突破されるのが早かったわけだわ)
おそらく相当前からヴィオラは敵部隊の中にいて、バルドの魔力が減っていくのを待っていたのだろう。
「下は気にしないで、先に上を取るわよ!」
しかしバルドがそう簡単に負けるわけがないので、リリーは後ろを気にせずに前へ突き進む。
動揺していた魔道士達も、リリーや他の上官に促されて残りの距離を一気に駆け上がっていく。
真っ先に谷から抜けたリリーは、あっという間に敵に囲まれるがいとも容易く刃も炎も雷撃も全ての攻撃をいなしていった。
多少躱しきれずとも、ほんの掠り傷である。
刃が喉元近くを通っても怯むどころか嬉々として向かってくるリリーの異様さに、敵勢の方が一歩後退る。
そしてリリーの後に続いた魔道士達も次々と谷を抜け、寄せ集めの奇襲部隊は指揮系統が乱れてちらほらと勝手に撤退していく者の姿も見えた。やがて分が悪くなったとみた敵勢は退いていった。
(後は、バルド達ね……)
谷底ではバルドとヴィオラの一騎打ちになっていた。
互いに一分の隙もない剣戟を繰り広げているのを、上に辿りついた魔道士達は固唾を飲んで見守る。だが、バルドの太刀筋や癖を知り尽くしていて、ヴィオラとも何度か剣を合わせたことのあるリリーだけは訝しげな顔をしていた。
(どっちも、本気じゃないわね)
真剣に刃を打ち合わせてはいるものの、実戦のそれではなく演習をしているかのように見える。
炎と雷がぶつかり合うのも、お互い魔力を温存しているわけでもなく見せかけだ。
(向こうについたんじゃないのかしら……?)
しかし、それにしてもヴィオラの意図が読めない。
ヴィオラとバルドが戦っている周囲では、巻き添えを恐れてどちらも動かずに睨み合ってるだけで今は援護の必要もなさそうだ。
(何かしら)
気のせいだろうか。一瞬、バルドと間近で剣を合わせていたヴィオラのが自分のことを見た気がした。
「あ……」
バルドの大剣にまともにぶつかったヴィオラのレイピアが大きくたわんで今にも折れそうになる。
だが、寸前のところでヴィオラが退いた。その隙を狙ってバルドが巨大な雷の柱を打ち立てる。
「まだ十分魔力あるじゃない」
リリーはこれだけ離れていても肌がちりちりと痛むほどの威力を持った魔術に感嘆する。
しかしながら、敵側に損傷はみられずこの攻撃は牽制らしい。効果は十分で敵勢は足が竦んでしまっている。
さらに、敵勢の頭上に新たに青い炎の雨が降り注ぐ。
(……無事だったの)
新たに攻撃を加えたのは、谷の上部にいた部隊に加わったマリウスだった。少ないながらも他にも何人か増えている。
それを見やって、ヴィオラが撤退を促す。部隊にもうひとり指揮官がいるらしく、その人物が不満を唱えているが、バルドがさらに剣を構えて下にいる革命軍も退いていった。
前後への警戒はおこたらずに、部隊は谷の上で合流してやっと全員がこの場を切り抜けたことに安堵する。
「リー、負傷なし?」
「掠り傷程度で問題ないわ。あんまり楽しくはなかったけど……」
ヴィオラとのあの戦闘はなんだったのかと訊こうとしたリリーは、後の方がいいかと駆け寄ってくるマリウスが見えて言葉を止めた。
「……皇主様、遅れて申し訳ありません」
マリウスがバルドに跪いて深々と頭を下げる。
「いい。状況、報告」
バルドが義務的に訊ねて、マリウスの部隊のほとんどが寝返ったことが知らされる。そして寝返りを先導したのがヴィオラだということも。
(バルドに訊かないと、炎将がどういうつもりかわからなそうね)
やはりヴィオラの意図はまったく読めない。
戦闘中に視線を向けられたことがやけに引っかかるリリーは、バルドの顔を窺うもののやはり彼からも何も読み取れなかった。
そして日暮れも近いということで夜営することになった。幸い近くの湖の側で待機していた設営部隊は奇襲にはあっておらず、そこにシェルも逃げ込んでいた。
「みなさん、ご無事でなによりです」
「まだ魔力回復しないの? いい加減離れた方がいいわよ」
すっかり一兵士として馴染んでいるシェルに、リリーは呆れる。
「えっと、いや、もう少しあちら側に近づいてからの方がいいので、後少しだけお世話になります」
「そうしたいならすればいいけど、身の安全の保証はないわよ」
「重々、承知の上ですのでおかまいなく。あ、では食事の仕度の手伝いに行ってきますね」
そう言って逃げるようにシェルが炊き出しの手伝いに行って、リリーは首を傾げる。
どうにも挙動不審である。
「ねえ、バルド、シェルなんかおかしくない?」
「……シェル、いつもおかしい。それより、進路」
バルドがさしたる興味も示さずに、この先に皇都に向かうかどうかの話し合いをマリウスも含めた数人の指揮官と共にすることとなった。
皇都からの報告は相変わらず入ってこず、反乱軍への寝返りが多い周辺の状況からも正確で素早い情報の伝達は不可能と判断してあらかじめ決めていたみっつの道程から、ここからまず南側の山道へ迂回して、それから北へと向かうこととなった。
(シェルはその途中で置いていけばいいわね)
祖父の屋敷がある山の近くも通る。そこまでいけばシェルも逃げやすいだろう。
そして南側の山道を抜けた後は、皇都の状況に応じて東寄りか西寄りかの道を進むことになる。
どの道を進もうが、皇都を攻める軍勢との戦闘は極力避けるのだ
そして島の最北で万全の体勢を整えて、革命軍と決着をつける。負け戦だけれども、戦い続けられる限り、ひたすら戦うことが自分達にとって重要だ。
納得のいく、満足のいく最期の戦。
だが自分がそんな戦ができるという自信が、今し方の戦闘でますますなくなっていっていた。
(楽しいのに、楽しくない)
リリーは地図をぼんやりと見ながら、戦の余韻を思い返しても胸の奥にぽっかりあいた穴に確かに味わったはずの高揚も快感も吸い込まれて蘇ってこない。
「以上。休息」
そうしている間に、軍議は終わってしまった。ヴィオラについても一切言及がなかった。
「バルド、さっき、炎将本気じゃなかったわよね」
ふたりきりになってやっと、リリーはバルドに問うことができた。
「……縁切りの義理立て。つまらない」
寝返ることに対する詫びとして、陽動部隊を退かせたということらしいがいまひとつ納得のいく答ではなかった。
「炎将が、あたしのこと見た気がするの。気のせいだったのかしら?」
確かに、ヴィオラの目は自分に向いていたはずだと、リリーはもやもやしながら眉根を寄せる。
「偶然、見えた? リー、食事と休息。俺も疲れた」
たまたま視界に入ったのではとバルドも首を傾げつつ、空腹と疲労をうったえる。早く休みたいのはリリーも同じだったので、今夜の所はもう体を休めることにした。
***
小さな天幕の中で寒い中、リリーはバルドと身を寄せ合って暖を取りながら目を閉じる。
しかしやはりヴィオラのことも、シェルの態度も、それにここ最近のバルドの様子もなにもかもが違和感だらけで気になる。
疲れ切った体が休もうとする眠気と、胸のわだかまりがぶつかり合って体が先にうごかなくなっても意識はなかなか眠りにつけない。
だけれど、最後には眠気が勝って意識が途絶える瞬間、深い穴に引きずり込まれるようなどうしようもない不安と恐怖に胸を掴み取られる。
だが目覚めることもなくそのままリリーは眠りにつくしかなかった。
夜明けに起きたときには眠る瞬間の記憶は消えて、朝日に奇妙な安堵感を覚えるだけだった。
「……バルド、朝」
かといって安心しきれず、心細くてリリーは傍らのバルドを起こす。
「出立の、準備。リー?」
寝惚け眼でバルドの顔をまじまじと見ていると、彼が不思議そうに首を傾げた。
「うん、なんだろう。嫌な夢でも見てたのかしら。今朝も、寒いわね」
まとまらない頭でリリーはぼやく。
「寒い」
バルドがうなずいて、抱き寄せてくる。
リリーはバルドにもう少し甘えたくなってもう一度だけ寒いとつぶやいた――。




