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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
87/115

4-1



 各地で戦が勃発し革命軍が目前に迫る中、皇都はいまだに静かだった。しかし静寂は平穏ではない。誰もが物音を立てずに動いているだけのことだ。

 水将補佐官のカイは密やかに王宮を出る前皇主の五人の妃達の護衛にあたっていた。侍女の質素な衣装を身に纏い、うつむいて静々と歩く彼女らの表情は一様に固い。

 王宮の裏手から親族や後見人に引き取られて行く際、誰も王宮を振り返ることはなかった。

 妃達を王宮から出すことは前の皇主が革命軍が蜂起した際に提案していた。

 だが人質であり忠誠の証でもある妃を王宮から出すことを、大臣や官吏らは渋ってすぐにはなされなかった。皇都が戦場になる目前に前の皇主が再度命じてやっとのこと妃達は外に出ることとなった。

「静かすぎるな……」

 つぶやくカイに答える者はいない。上官である水将のラルスはまだ王宮で典儀長官を務める彼の父と話している。おそらく宰相家の没した嫡男の妻達と子供らが明日、屋敷から出ることについてだろう。

 宰相は息子のクラウスが革命軍にいるものの、孫達については彼に便宜を図ってもらってはいないという。

 そうやって皇都で革命軍と戦うか、それとも従うかの決断を誰もがしている最中だ。

 自分もまた、兄の忘れ形見である甥と決別することとなった。

 庶子であった自分はベッカー家の家督を継ぐ気もなければ、わずかばかりの財を分けてもらうつもりはなかった。

 だが、ひとつだけ戦死した兄への義理立てに死ぬことは譲ってもらうことにした。

 甥は妻と子だけは妻の実家に預け、父親と同じように忠誠を尽くして戦うことを望んだ。しかし妻子に後ろ髪を引かれていることも知っていた。

 少しでも未練があるならば、生き残ってほしい。

 そう願って、甥は静かに首を縦に振った。

(俺も、お前がいたらそうしただろうな)

 昔も今も皇家への忠誠心というものはないのだ。もし妻がまだ生きていて子供でもいたなら自分も生きる選択をしたはずだ。

「お待たせしました」

 妃達が去るのを見届けて少し経ってから、ラルスがやってきた。

「おう。長かったな」

「うん、ジルベール侯爵も一緒だったからね。彼と僕で皇都の軍を取り纏めるしかなさそうですねー」

「地将と風将は軍議にも顔出さなくなっちまったからな。今すぐ皇都で戦が始められねえとはいえ、堂々と戦支度か」

 すでに皇都の軍議はまともに機能していなかった。皇家に最後まで仕える者とそうでない者が二分され、戦支度をしていてもお互いに切っ先を向け合うためだ。

 そんな状態で水将の水軍、地将の地軍などという軍の編成も成り立っておらず、皇家側と革命軍側で部隊を越えて結束を固めていっている状態だ。

 皇家側の指揮の中枢は水将のラルスと、ヴィオラとマリウスの父であるジルベール侯爵で以前から固まりつつあったので今更の決定ではある。

「おそらく戦まで後二日もなさそうですしねー。向こうの指揮官の中にクラウスがいるっていう話も間違いなさそうです。宰相殿はどうするやら」

 敵増援の中にクラウスがいるらしいという情報が入ってはいたものの、まだ正確ではなかった。

 革命軍側で中枢にいるのなら出てきてもおかしくないとはいえ、この大局で指揮官とはずいぶんと出世したものだとカイは他人事のように感心していた。

「……クラウスの奴はまだわかるけどよ、炎将はいるのか」

 消息不明のヴィオラの姿が目撃された件も報告が上がって以降、なんの情報も入っていない。

「皇主様が出陣してからは何も報告がないですからねー。マリウスと皇主様の方に炎将がいってるとまずいかなあ」

 マリウスが敵の陽動を引きつけることを始め、バルドも出陣した後は動向が皇都からはわからなくなった。バルド達の進行方向では小規模の衝突が起きていて、伝達がもたついているのだ。

「炎将がマリウスと戦すると思うか? 弟が一番大事だっただろ」

「マリウスを寝返らせたいなら、無理矢理でも捕虜にするしかなさそうですけどね。マリウスが皇主様に忠誠を尽くしたいなら、口出しするのはいらない世話って僕は思うよ」

 魔術という力を幼い頃から崇拝しているラルスがぼやく。

「てめえはそうだろうな」

「忠誠心もない魔術にもこだわりがないカイには全然わかりませんよねー」

「わかんねえよ。だが、てめえのお守りだけは責任持ってさせてもらうからな」

 甥は十分独り立ちして、あと世話がやけるのはこの九つ年下の上官だけだ。自分がこちら側に残る理由は幼少期から守役をさせられたラルスぐらいしかない。

「もう子供じゃないんですけどね-。できれば皇主様の元で最期まで戦いたいなあ」

 ラルスがぽつりと本音を漏らして、そうさせてやりたいところだがもはや三日先に生きていられるかすら怪しい。

「……寒いな。とっとと帰るぞ」

 吹き込む風に、肩をすくめてカイ達は軍舎へと戻る。

 そのわずか半日後、ヴィオラとマリウスの部隊が衝突しマリウスの部隊が壊滅したとの報せが届いたのだった。


***


 ヴィオラの襲撃が部隊を殲滅するためでないということに、マリウスが気づいたのが遅すぎた。

 戦力差と背後に控えるバルド達の増援を考慮してぶつかることより、退くことを選択したが進行方向が大きくずれた。

 これによってバルドの部隊と分断されたと悟ったときには、自分達を追う敵勢の数は大きく減っていた。おそらく自分達の動きから本来の進路を読んだ大多数がバルドの部隊へと向かったのだ。

「革命軍は生きたいと望む者の願いを叶えるわ。これ以上走ることも戦うこともしたくない者は投降しなさい」

 森の中で追い詰められたマリウスの部隊の魔道士達は傷だらけで、これ以上動くのは限界という状態の者も少なくなかった。

「姉上、私は降伏などいたしません」

 一番前で部下達を背に庇いながら、マリウスはヴィオラを見据える。

「ここでわたくしと戦って死ぬというの? お前には無理よ。その状態なら、生け捕りにできるわ」

「姉上、私は決めたのです。皇主様に最期までお仕えすると」

 ヴィオラが自分を生かそうとしているのはわかる。だが、自分にはその選択肢を選ぶことができない。

「皇主様がお望みなのは、皇国のと魔術の滅亡よ。死ぬことよりも生きることが恐いのよ、お前は。わたくしたち、しらないんですもの。戦がない日常なんて。今まで生きてきた全部が無駄になる、力を失った後に何が自分に残るか」

 ヴィオラの語りかける言葉はマリウスだけに向けられたものではなかった。むしろ彼の背後にいる魔道士達に強く訴えかけていた。

「それは、生きてみないとわからないことよ。皇家が滅んで魔術がなくなるこの島がこれからよくなるのか、悪くなるのかもわかりませんわ。自分にとっていいことか、悪いことかも。見えない先は恐いわ。だけれど先を恐れて死ぬぐらいなら、わたくしと共にきなさい」

 肉体も精神も疲労した者達にとって、ヴィオラの声は生存本能に強く響いた。

 敵の甘言に動じるなとマリウスは言えなかった。生きたいと望む者を死地に引きずり込むことができるはずがない。

「……投降したい者はしてもいい。ここまで、よくやってくれた」

 自分は行かないと強い意思を見せながら、マリウスは部下達を振り返る。

 戸惑い躊躇いを表情に浮かべる者が大多数だった。迷うということは生きたいということだ。

「マリウス……」

 ヴィオラが悲しげに目を細める。

 このままお互い剣を向け合うこともできなければ、並んで歩くこともできない。

 姉弟で視線を交えながら先にヴィオラが剣をしまった。

「投降する気がない者は向こうから行きなさい。間に合うかどうかはわかりませんけれど、皇主様のお近くには行けるはずよ」

 ヴィオラが示す道はバルドとの合流地点への遠回りな道程だった。最大の譲歩にマリウスも剣をしまい頭を下げる。

 ヴィオラは何も言わなかった。薄暗い森の中で姉の目に涙が滲んでいることは見ないふりをした。

 マリウスについてきた者達はわずか八名。実質的に部隊は壊滅状態となってしまった。

(姉上の仰ることは正しい。それでも……)

 自分の将来が見えないことを恐れている。だがそれでも確かに忠誠心もあるのだ。

(どうか、ご無事で)

 ヴィオラがいないならバルドは十分に耐えられるはずだ。補佐官のリリーもいる。あのふたりがいれば早々に負けはしない。

 マリウスは急ぎながら耳を澄ませ中空に目を凝らす。雷鳴はまだ聞こえなかった。

 そしてマリウスが急ぐ一方で、ヴィオラも動けない者達を部下に任せてバルド達を追った部隊に追いつこうと急ぐ。

「やっぱり、あの子の考えを変えられるのだけは皇主様だけね」

 ヴィオラは自分の声が少しでも弟に届いていればと、捨てきれない希望を抱いてひた走った。



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