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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
84/115

3-3

 

***


 石を積み上げて築かれたごつごつとした印象の大きな城、ベーケ伯爵家に到着したクラウスはすでに交戦が始まっていることを真っ先に伝え聞いた。

「……俺らがつく前に決着つくんじゃないか?」

 クラウスは傍らにいるエレンに冗談半分で耳打ちする。

「そこまで脆くはないでしょう。それにここに集まった指揮官がやらなければ、色々と不都合ですから」

「そうだな、皇都奪還の大役を果たした人間が、しばらく統治していくんだからな」

 真面目に返してくるエレンにクラウスは誰も彼も冗談が通じず息が詰まると、伯爵家の広間へ向かう者らの背に目を向ける。

 この指揮官達が後の政府の要職を担うことになっている。これに老齢や負傷で戦場に出られないかわりに、現状の革命軍領側の統治に携わる者達も加わり新たな政権の柱となるのだ。

(俺、どの辺りに立たされるんだろうな)

 新しい国の元首となる人間がまだ定まらず、派閥は築かずに単身でいる自分が中立的かつ若き革命の立役者として民衆の支持も得られるのではという意見に徐々に賛同が増えている。

 現在の扱いは末席だが、面倒ごとを全部おしつけられそうな嫌な予感がひしひしとする。

(それより、リリーがどっちに向かうかが知りたい)

 皇主の軍に動きありとの報告はあったものの、マリウスの援護なのか戦況を聞いて皇都へ向かったのかはまだ不明だ。

 予測では先に陽動を片付けて加勢に加わるとの見方が強い。バルド達が来る前に決着をつけられるかは、皇都の内部で寝返りそうな者達の数によるといったところだろう。

 あともうひとつ押さえておくべき場所は、王宮と宰相家の屋敷にある隠し通路の出口だ。

 バルド達が全壊にしたモルドラ砦と同じく、緊急時の脱出用に丘の上から真下まで繋がる通路と身を潜める部屋がある。

 もし前の皇主や父が逃げ出すとしたらそこだ。知っている者は宰相家の人間と、皇家の者ぐらいである。

 エレンすら隠し通路の話は聞いたことはあってもはっきりとした場所は知らない。それでもラインハルトは王宮にもし何かあった時に逃げ込む位置は言われていたらしい。

 そのことを聞いた時は、少々驚いた。

(あれ、皇后ぐらいしか教えられないんだけよな)

 皇家の直接の血縁でない側室達にも教えられるものではなく、皇太子を産んだ皇后だけが知ることができる。

(父上は逃げるんだろうか)

 失策によってハイゼンベルクを傾け、挙げ句の果てに大事にしていた嫡男は殺害され残った跡取りとなる次男の自分はこれだ。

 あの父が自分に日和ってくることはまったく想像できない。

(あー、子供らは義姉上達と一緒に家に戻すのかな)

 軍議の席につきながら、クラウスは自分に甥と姪がいることをふと思い出す。

 兄にはアンネリーゼの他にふたりの妻がいて、それぞれ男児と女児をもうけている。甥はまだふたつで、兄が身罷ってから産まれた姪も乳飲み子である。

 大事な嫡男の忘れ形見はいざとなれば父が生家に戻すだろう。みすみす道連れにはしないはずだ。

(俺は隠し通路の場所は教えてもらえなかったな……)

 軍議で先鋒に早めに脱出路付近に配置する話を取り纏めている中、クラウスは自嘲する。

 屋敷の中に隠し扉があるのはわかっていたので、自分で幾つか隠し部屋や通路を突き止めたうちのひとつがそうだったのだ。

 父がどういう意図で隠していたのかは知らない。

(別に、いいんだけどな。今更父上のことなんて)

 そのはずなのに、皇都での戦が近づくにつれて頭の中で子供の頃の記憶や父のことが膨らんでいく。

 何ひとついい思い出はない。歳の離れた兄の鬱憤晴らしに付き合わされ、父からはなおざりにされてただ鬱屈とした毎日を過ごしていた。

 父とあの家で直接対峙することになる。どんな顔で、どんな言葉をかけてくるのか。

(俺は何を期待してるんだろうな)

 クラウスはただの再確認に過ぎない退屈な軍議を聞き流しながら、内心でため息をつく。

 父に認められたいと思ったことは幼い頃ならいざしらず、今は露ほども思っていないはずである。

「フォーベック殿」

 軍議が終わって席を立った時、真っ先に声をかけてきたのはベーケ伯爵家の現当主であるアンネリーゼの長兄だった。

 歳は確か三十前後。目鼻立ちが整っている点はアンネリーゼと同じだが、顔の作りはさほど似ていない。

「どうも。ご無沙汰しています」

 兄とアンネリーゼの結婚式以来であるはずだ。

「ええ。兄君の件はまことに申し訳ない。妹は甘やかされた上にあまりにも嫁いだ歳が幼すぎた。取り返しのつかない過ちを二度も犯しておいて、言い訳がましいのですが……」

「いいえ。そちらも父君のことで何かと大変だったでしょう」

 なんとも白々しい会話だと、クラウスは自分で言いながら呆れかえる。

 アンネリーゼが兄を殺したのは衝動的だったが、この長兄は家督を得るために妹を利用して父親を殺すよう仕向けた。

 兄を嫌っていた自分はもとより、この男も多少の罪悪感はあったとしてもとうに割り切っていることだろう。

「色々とありましたが、ええ。その……妹にひと目会ってやってはくれないでしょうか。書簡ではもう会うおつもりはないご意志がおありのようでしたが、妹はどうしてもあなたに会いたいようで」

 躊躇う素振りを見せながら、ベーケ伯爵が本題を切り出す。

「そうですか。……また、後ででもいいですか? 少し、休ませていただければありがたいのですが」

 ここで断ることは無理そうだと、クラウスは時間をもらうことにする。

「それはもちろん。長旅の後に無理をお願いして申し訳ない。では、また後ほど」

 ひたすら腰を低くしてベーケ伯爵はそう言い離れていく。

「やっぱり会わないことにはならないよなあ」

 クラウスは他に話し相手もいないのでエレンの所へ行ってため息をつく。

「身から出た錆でしょう。あなたの扱いが思いの外よいので、できればアンネリーゼ様を引き取ってもらって縁故を深めたい思惑もありそうですね」

「やっぱり、そういうことだよなあ」

 一度手紙で問い合わせておいて返事をした後に、また話を持ってくるというのはそういうことだろうとは勘づいてはいるものの面倒だ。

「私は、あの方に斬られるのはご遠慮したいので、この城では極力あなたと一緒に行動しないようにいたします」

「さすがにもう、刃物は持たせてないだろうけどな……」

 エレンと一緒にいるのは避けた方が賢明なのは確かなので、クラウスは少しの間ひとりで休息をとってからアンネリーゼと対面することにする。

 案内された部屋は上位の客を迎えるためと一目でわかる広さと調度品の豪勢さで、待遇のよさに気が重くなるばかりだ。

 クラウスは卓の上に用意されいるまだ湯気の立つポットに入っている紅茶を、杯に注いで手持ちの銀の匙でかきまぜ、色味と匂いを確かめて一口分だけ舌で転がす。

 令嬢を唆し前の伯爵を死に追いやったことになっている自分をよく思っていない使用人も少なくないはずだ。

 特に妙な物は入っていないらしいと確認してから、クラウスはいっぱいだけ飲み干す。

 暖かい紅茶で幾分か疲れがほぐれて、ほんの一時の休息をとれた。


***


 彼はいったいいつ会いに来てくれるのだろう。

 結婚して家を出た時から七年何も変わっていない、白と桜色のフリルを基調にした自室でアンネリーゼはクラウスの訪れを待っていた。

 あいにく自分の部屋の窓から見えるのは裏庭の景色だけで、クラウスの姿を見ることすら叶っていない。

 長兄に命じられた侍女達が部屋からは出してくれずただ待つばかりである。

 あんなにも帰りたかった生家は今となっては、婚家と変わらず窮屈なものでしかない。

 昔と変わらず居心地がいいようにと古参の侍女達が部屋を整え、小さな頃気に入りだったウサギのぬいぐるみも綺麗にして置いてくれている。

 この城が自分にとっての世界の全てだった頃、何もかもが自分にとって優しいものだった。

(お父様はわたくしを利用しただけだわ)

 皇都の婚家で顔を合せた父は真っ先に自分を責めた。

 代々引き継いできた自分の忠誠心を蔑ろにしたのだと、初めて激しく罵られた。夫のこれまでのひどい振る舞いを訴えもした。

 だが結婚というのは夫に従順になるものであり、不平不満を言うことが間違っている。むしろ嫡男をあげられないながらも、第一夫人の座に置いてくれていることに感謝せねばならない。

 その上義理の弟に懸想するなど、こんなふしだらな娘になるとはと嘆くのだ。

 嫁ぐ前までの父はとても優しい父親だった。その頃の大好きな父親はいったいどこに行ってしまったのかと混乱した。

 だけれど十二の自分を夫の元に嫁がせたのも父だ。

 あの時には自分の幸せなどこれっぽちも考えてくれていなかったのだ。父は父自身の自己満足で自分を宰相家に嫁がせただけだった。

 お前のことは私がしかるべき責任をとらねばならない。

 そう、父が言ったとき二番目の兄に耳打ちされたことが事実だと確信した。

(お父様がわたくしを殺そうとしていた)

 最初に二番目の兄にそう教えられたとき、あの優しい父がそんなことをするはずがないと信じなかった。だから、短刀を手渡された時も最初は必要ないと断ったのだ。

 だが持つだけ持っておきなさいと諭されて、ドレスの袖口に忍ばせることになった。

 兄には感謝しなければならない。そうでなければ、クラウスともう二度と会えなくなる所だった。

 どれだけ家に帰りたいと思いながらも、婚家で耐えていたのは全てクラウスのためだ。

「お嬢様、よろしいですか」

 部屋へ古参の侍女が入ってきて、クラウスが会いに来たのかとアンネリーゼは期待に胸を膨らませる。

「クラウスと会えるのかしら」

 訊ねると物心ついたときから仕えている侍女が、まだと首を横に振る。

「今は少しおやすみになっておられて、後でまたいらっしゃるそうです。……お嬢様、あの方のことは諦めた方がよろしいのでは」

 突然のことにアンネリーゼは目を瞬かせる。

「どうしたの。急にそんなことを言って」

「お嬢様には内密にしていましたが、若様が以前お手紙を出した時、あの方はお目にかからないとはっきり断られたそうです。女性に関してあまりよい噂を聞かないお方ですし、お嬢様がこれ以上お辛い思いをなされるのは私も耐えられません」

 涙を滲ませながらそう訴えかけてくる侍女に、アンネリーゼは首を横に振る。

「そんなことはないわ。他の方々とわたくしはちがうもの。誰よりもクラウスにわたくしは尽くしてきたわ。きっと、手紙の時はお兄様が何か失礼なことをしたのでしょう。今日は会って下さるのだし、顔を合せて話せばクラウスも何か約束をしてくれるわ」

 自分は今までクラウスに近づいて来た他の誰とも違う。特別なのだ。

 アンネリーゼは自分に言い聞かせるように、侍女に話しかける。

「お嬢様……時にどれだけ尽くしても思いが叶わないことはたくさんあります。お話しになるなら、そのこともよく覚えていて下さいませ」

 侍女が諦めた顔で静々と下がっていった。

「……大丈夫よ。きっと叶うわ」

 アンネリーゼは自分を慰めながらも、クラウスの顔を思い出してた。

 自分ではなく他の少女に向けられた、心の底から楽しそうな彼の特別な表情。

 だけれど彼女は遠くにいる。いずれ戦で死んでしまうはずだ。

 アンネリーゼは口を固く引き結んで、今までクラウスに会えることに浮き立っていた気持ちが沈み込んでいくのを留める。

 だが侍女の言葉が重石になって、一度沈んだ気持ちが浮き上がらないままクラウスとの対面の時を迎えることとなった。



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