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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
83/115

3-2


***


 姉は生きて無事にいるのだろうか。

 行軍の休憩中、ひとりで食事を取りながらマリウスはまたついヴィオラのことを考えていた。

 こうしてひとりで干した肉を食んでいると、どうしてもヴィオラと最後に会った日のことを思い出してしまう。

 革命軍に寝返ったとの噂もあれば、あるいはもうすでに戦死していて敵がこちらを動揺させる情報を好きに振りまいているのではという見方もある。

(動揺するな。なすべき事をするのみだ)

 今、自分は主君から将軍の地位を与えられ軍を率いることを任されている。責任を果たさねばと思う一方で、将となって思っていた以上に姉に頼っていた部分が大きいことに気づかされていた。

 社交的で少々眉を顰めるほどに騒がしいところがある姉と違い、自分は人と接するのはあまり得意ではない。だから姉のように部下を気づかいながら統率するということも、不得手だった。

 指揮を取ることはある程度はできているとは思う。だがやはりヴィオラが将を務めていた時とは、まとまり方が違うと部隊全体の雰囲気でなんとなしに感じる。

 こういう小さな休憩の合間にすら、姉は大事な話がある時以外は積極的に部下達の輪に入って行っていた。

 自分はといえばひとりで黙々と休息を取るだけである。

 ひとりで静かに休みたい者もいるだろう。だがそうでない者もいる。しかし、姉がしているように威圧感を与えず部下に声をかけるということは、できなかった。

 ただ寡黙に命令を下すだけでは上手くはいかない。それを今まで姉がやってきているのを見ていたのに、何ひとつ学べていない。

(……戦うことができたなら)

 マリウスは失った左腕に視線を落とす。ローブの袖には膨らみがまったくなく、そこに腕はもうないと分かっていても指先を動かす感覚がある。

 も片腕がない生活にも慣れ剣を扱うこともできるとはいえ、腕を失う前と同じというわけにはいかない。

 足りない部分は部隊の指揮で補うしかないというのに、力不足を感じる。

 自分自身への苛立ちと焦り、常に側にいた姉がいないことの想像以上の喪失感にマリウスは日々精神が疲弊していくばかりだった、

(姉上がなさりたいこととは、なんだったのだろう)

 戦の終わった後にでヴィオラはやりたいことがあると言っていた。姉はよく喋る人だけれど、そんな話を今まで聞いた覚えはなかった。

(戦のない世……昔は望んでいた気がする)

 幼い頃は魔術という力そのものを恐れていた。力などなければいいと拒んだことや、戦が終われば魔術を使う必要もなく、父はもっと穏やかで優しくなってくれるのではないか。

 そんなことを考えていたことも、この頃ぼんやりと思い出す。

 だからといって他に何がしたいということもなかった。魔術を使うこともなく静かで穏やかな漠然とした日々を思い描いていたはずだ。

 今の自分はそんな穏やかな中でどうやって生きていけばいいかわからない。ましてや何かを得ることなど、考えられるはずもなかった。

(だから、皇主様についていく)

 忠誠はいらないと主君が言っていたが、忠誠心はある。ただそれ以外に戦うこと以外に、生きる術を見いだせないことも主君についていく理由でもあった。

 マリウスは冬空の下で寒さに体を震わせている部下達を見やりながら、重い腰を上げる。そろそろ出発の時間だ。日暮れまでには目的地の目前まで到達しなければならない。

「総員、出立」

 命を下してマリウスは行軍を再開する。今からは林道を通ることになるので、陽射しの恩恵が少なくますます寒くなるだろう。

 あまり急ぎすぎても兵が疲労しきって敵を誘い出すはずが、追いつかれてしまう。

 マリウスは白い息を吐いて、うつむきがちな顔を前に向ける。

 気候や途中山に入って行かなければならないことなど、不安要素はあったもののその後は順調に進んだ。

 野営地につくと真っ先に烽火をあげる。遠く離れたバルド達の元へ所定の位置についたという合図であると同時に、敵にこちらが動いていることをしらせるためでもある。

 こちらにむけて敵勢が進行してくる側は道幅が狭く一斉には攻めてはこれない。

 マリウスの率いる部隊も五千に満たないが、バルドの部隊と合流するまで小競り合いをしながら誘い出し堪え忍ぶしかない。

(父上……)

 だが、敵の本隊が狙うのは皇都である。そこで誰が寝返ろうが、父は武人として生き抜く。

 母も近年に身罷りもういない。姉の消息は知れず父も遠からず先立つだろう。

 家族はすでに散り散りになって生きて顔を合せられるかも不確かで、今の自分はひとりきりだ。

 マリウスはちらちらと燃え盛る赤い炎に、またヴィオラを思い出して沈痛な面持ちでうつむいた。


***


 烽火が上がった翌朝には、リリー達もすぐさま進軍することになった。夜更けにばたばたと慌ただしく準備を整え、夜明けと共に隊列を組んで出撃も目前だった。

「んー、こんなものかしらね。前、見やすいでしょ。後ろもちょっとだけ整えておいたから」

 リリーはほんの少し空いた時間でバルドの伸びた髪を整えていた。ちょうど昨日の夕刻頃にふとバルドの前髪がずいぶん伸びてきたことが気になって切ろうとしたのだが、鋏を探している内に烽火が上がった報告が来てしまった。

「邪魔にならなくていい」

「もう、邪魔だって思ってるならもっと早く言えばいいのに。あたしも気づかなかったのは悪いけど」

 リリーは少しローブについてしまった髪を払い、改めて出来を確認する。

「リーは、切らない?」

 バルドがリリーの高く結った金茶の髪の毛先に指でじゃれながら訊ねる。

「この先髪をいじってる余裕はなさそうだから、ばっさり切っちゃうものもいいわね。バルドはどっちがいい?」

 切るならいっそ肩口まで短くしてしまう方が楽かもしれないと、リリーは手で肩を示す。

「……短すぎる。ここまで」

 バルドが背中の半ばまでを示したことに、リリーは少し驚く。

「どっちでもいいって言うかと思った」

「リーの髪、撫でるのは好き。短すぎるともの足らない」

「じゃあ、切らない。あたしもバルドに髪撫でてもらうの好きだもの……でも、いまは駄目よ」

 そのままバルドが抱き寄せて髪を撫でようとしてくるので、リリーは制止する。ふたりの話し声は届かない距離とはいえ、周囲には多くの魔道士がいるのだ。さすがにここでじゃれあうは躊躇われる。

 バルドが結婚式の準備をしているのを見かけた者達は、ふたりで勝手に式を挙げたことにはうっすらと気づいているもののそのことをはっきりとは訊ねてきはしない。

 一度だけ、バルドに自分の扱いは補佐官ということだけでいいのかと確認されたということだが、彼も公にするつもりはなく、周囲も正式な手続きはしていないので、下手に騒ぎ立てるよりは見て見ぬふりらしい。

(ごちゃごちゃ言われないのは助かるわ)

 皇妃問題はこの戦況ではもう誰も気にしないということだ。次に繋ぐものはなく、ここで皇家は終わるだけなのだから。

「皇主様、南側の敵本隊が動き始めました」

 そしてそろそろ出立という頃になって、火急の報せが届いた。

 どうやらはやった皇家側の一軍が先に仕掛けてこれをきっかけに先に敵本隊との戦が始まってしまったらしい。

「先に動いたの……どうするの?」

 敵が間近に迫っていつまでも動かず焦らされて我慢がきかなくなる気持ちはよくわかるのだが、とリリーはバルドを見る。

「……策に変更はなし。このまま予定通り進軍。皇都の動きに引き続き注意」

 バルドの早い決定の元、予定通りマリウスの率いる部隊と合流するために出立することとなった。

 空の狭い森から出ると、頭上には雲ひとつなくどこまでも薄青の空が続いているのが視界いっぱいに確認できる。

 天候は快晴。しかし吹く風は厳しさを増し容赦なく肌を冷気でいたぶっていく。

「寒いわね」

 言いながらも、戦を目前にしてリリーは自分の内側が熱く滾るのを感じていた。

 戦いを前にした高揚感は以前と同じようで少し違う。この燃える感情が行き場を見つけられない怖れが胸にちらつく。

 戦いたい。ただ戦うのではなく、最高の勝利を手にしたい。

 その期待ははたしてかなうのか、裏切られるのか。

 今までにない緊張を胸にリリーは冷えた空気をめいっぱい吸い込み、戦場へと赴くのだった。

 

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