3-1
最初に動きがあったのは、姉のヴィオラの代わりに新たに炎将となったマリウスが中心となって陣を構える『剣』の社だった。
ヴィオラが消息を絶った北部側で斥候と思しき革命軍の魔道士目撃の噂が立ったが、確たる情報という材料が足らず攪乱か否かでまごついていた。
そうしている内に先々より警戒していた『剣』の社南西部デルン平野方面から革命軍が進軍を始めたという噂も出た。
「社が攪乱。デルンが本命。だが、要点は炎将足止め」
軍議にてバルドが即座に判断を下して、議場にいる者達も同意見らしく難しい顔でうなずく。
(とうとう、南側の敵が動いて皇都に攻め込むってことね)
リリーはバルドから聞いていた敵の動きの予想を思い出す。革命軍の目的は戦力の分断である。先に囮となる軍を動かして『剣』の社周辺の兵を足止めし、南の本隊を皇都へ動かす。
「このまま、策に乗りますか」
「予定通り、炎将を動かす。敵勢はゴシュム渓谷へ誘導。南の敵が動き始めたら、こちらも動く」
バルドが卓の上の地図を指で示して、これまで立ててきた策の再確認をする。
島の中央部付近から北東にある渓谷向けて敵を誘導しながら、南側の皇都を攻めると思われる本隊の様子を見つつマリウスと合流するというのが当初の予定だ。
そして渓谷で敵を足止めして、皇都の救援。あるいは北へ撤退。後は戦況によるといったところだ。
策に大きな変更はなく、そのままそれぞれ出陣への準備をするために軍議は終了となった。
「やっと出陣ね。体も大丈夫そうでよかったわ」
堅苦しい軍議が終わってリリーは伸びをしながら、負傷して動けないうちになまっていた体が元通りといえる状態であることにほっとする。
だが、ゼランシア砦でフリーダと一騎打ちした後の、空虚感はいまだに埋まらずにぽっかりと風穴を開けて戦への気持ちが高まりきらない。
剣を振るうことは楽しい。相手がバルドなら、なおさらだ。
しかし実戦と演習は違う。フリーダとの戦闘で限界まで膨らんだ高揚感は、終わった後に弾けてしまった。
戦うことで最も楽しいのは勝利の瞬間だ。フリーダに勝った時以上の喜びを得られることがもうないかもしれないと思うと、気分が盛り上がりきれない。
「リー、あまり楽しそうでない」
バルドに心の内を読み取られてリリーは愛刀の柄をぐっと握る。
「こればっかりは、実際戦場に出なきゃわかんないわよ。あたしだって、久しぶりに出るんだから思いっきり楽しみたいのに……。これはあたしが自分でどうにかしなきゃいけないことだから、気にしないで」
バルドには自分のこの気持ちは分からないらしい。だから話しても噛合わないことばかりだ。
「……分かった。シェルも連れて行く」
「うん。そっちはあたしらが責任持って面倒見るしかないわね」
結局、シェルの魔力の回復は間に合いそうになく戦に同行させることになった。いざとなったら自力で安全な場所に避難することぐらいはできるらしいので、足手まといにはならないはずだ。
「あたしとバルドで皇祖様の魔術を解く方法も、わかりそうにないわね。皇都にあるかもしれない記録を探すのは無理そう、よね」
皇都に自分達が戻ることはもうないだろう。
シェルなら魔力が十分に回復すれば行けるとしても、それまで皇都が保つとは考えにくければ自分とバルドが生きているともかぎらない。
「地将の動きが不穏。風将も続く可能性あり。他にも分裂」
皇都も元よりディックハウトに寝返る心づもりの者が多かった。そのまま皇家廃絶に同調する者がいてもなんら不思議もなく、いよいよ動き始めているといったところらしい。
「あんまり皇都に近づきすぎても不利、か」
バルドはまだここで終わるつもりはなく、最後の最後まで抗い戦い続けるつもりだ。まだ北への退路が残されてるのなら、引き下がり軍勢を整えて退路のない場所で最後の戦をする。
「不利。……リー」
執務室に入って扉を閉めると同時に、バルドが抱き寄せてくる。
「なに?」
バルドに体を預けながら、リリーは急に甘えてどうしたのかと首を傾げる。
「出陣まで数日、静かに過ごせる」
「うん。そうね。だいたいは整えてあるし、そんなにいっぱいやることもないわ」
軍務も政も何も考えずにふたりで一緒にゆっくりと過ごせる時間が、もう少しだけもてそうだった。
バルドが身を屈めて軽く唇をついばんでくるのに、リリーはくすぐったくて笑い声をもらす。
こうしていると、何も知らなかった士官学校の時にじゃれあっていたことを思い出す。
思うままに、望むままに触れ合って心を満たしていた頃。
だけれど、あの時ととは違う。
「……書類片付けてから、ね」
自分からバルドに口づけて、リリーはふわりと微笑んだ。
あの日から何度か体を重ねるごとに、お互いのことはよくわかっていたつもりなのにまだこんなにも知らなかったことが多かったのかとしみじみと思う。
やはり自分とバルドは違うのだと噛みしめるごとに、お互いの体が馴染んでいくのは不思議なことのようでいて、だからこそだとも思える。
(子供、か……)
欲しいとはやはり思わないけれど、ふたりで寄り添い合ってその果てに形として残るものが新しい命なら受け入れられる気はする。
面倒な仕事をさっさと片付けてふたりで寝台に潜り込んだ後、リリーはバルドの胸に頭を預け彼の鼓動を聞きながらぼんやりと考える。
しかし、ふたりで穏やかに過ごせる時間があるだけで十分幸せだ。
「リー、入浴」
「…………一緒に入りたいの?」
バルドが髪を撫でながら、そんなことを言ってリリーは彼の表情を覗き込む。浴槽も狭い上に、慣れてきたとはいえ寝台の上以外で肌を晒すのも躊躇いがあった。
「無理なら、いい」
明らかに落胆した顔で言われると断りづらい。
リリーは仕方ないとうなずいて一緒に入浴することにした。そしてふたりで湯船に浸かると緊張も解れて思ったよりも落ち着くことに気づく。
「これ、落ち着きすぎると寝ちゃいそうね……」
安心感が勝ってくると疲れもあって一気に瞼が重くなってくる。
「ねえ、バルド、あたし寝ちゃったら体拭いて髪乾かして、服着せて寝かせてくれる?」
冗談交じりに背もたれになっているバルドに問いかけると、彼は難題をつきつけられた顔をした。
「…………要、努力。髪、難しい」
昔から髪を複雑に編み込んだり、梳って手入れしているのをよく見ていたせいか、バルドにとって自分の髪は取り扱いに気を使う物だという認識らしかった。
「冗談よ。ねえ、なんで一緒に入りたかったの?」
リリーは笑いながら、バルドの真意を問う。
「できるだけ一緒にいたい」
「もう十分一緒じゃない。でも、これも悪くないわね。ふたりで入った方がお湯たさなくていいし。でも、本当にあたし寝そうだからそろそろ出ない?」
少々恥ずかしいが、悪いことはなにもないとリリーはもうあまり回っていない頭で納得する。
そして風呂を出ると、手早く水気を拭って寝衣をまとい寝台に上がる。先に眠ったのはリリーだった。
ぐっすりと眠るリリーはほんの少しの間バルドが側を離れてシェルの元へ行ったことには気づかなかった。
***
陽動に誘われマリウスの率いる部隊が動いたとの報告が届く頃、クラウスも自分の執務室で出陣準備を始めていた。
皇都侵略の指揮の一端を担うことになっているのだ。
「俺、こういうのあんまり向いてないんだけどな……」
六人いる指揮官の最下位ではあるが、宰相家、つまりは生家の制圧も任されている。試されていると言ってもいいかもしれない。
「向いていない、嫌だのと言いながらしっかり上にたっておりますわね」
そう呆れた声をかけてきたのは、ヴィオラだった。
「自分で動くよりも他人を動かすのが得手なら、向いているのでは」
淡々と返してくるのはエレンである。
クラウスは自分の執務室の長椅子の両端にそれぞれ座っている彼女らを、半眼で見返す。
「誰がなんと言おうと俺はこういうのは好きじゃない。だいたい、わざわざふたり揃ってこなくてもいいだろ」
エレンとヴィオラを部屋に呼んだつもりはない。ふたりとも用があるらしいが、彼女らはあまり相容れないらしくどちらも本題を切り出そうとしない。
「示し合わせてきたわけではありませんので。皇都の進軍には予定通り同行しますが、途中父の元に寄ってもよろしいでしょうか」
最初に話を切り出したのはクラウスの指揮下に入っているエレンだった。
「下手な邪魔しなきゃなんだっていい。エレンの所は皇家に味方するつもりはないんだろう」
「ええ。ただし革命軍にもです。当家の魔道士の数はさしたるものではなく、加勢を強く要望されることもないでしょう。ただ、父ともう一度ゆっくり話したいだけです」
「まあ、魔道士は十分足りてるからな。足しになるならありがたいけど。で、ヴィオラさんも実家の話か? 侯爵はともかく、マリウスの方は俺も関われない」
自分はあくまで宰相家の陥落でしか権限をふるえない。ヴィオラの父のジルベール侯爵と相対するかも定かではなかった。
「マリウスの方はわたくしでなんとかしますわ。お父様に伝言だけ頼んでおきたいの。それは後で出立前にしますわ」
父親の命乞いではないらしかった。ヴィオラは先の戦の交渉の末、革命軍側に下った。自分も彼女との交渉内容に多少は進言したとはいえ、自分の指揮下にヴィオラがいない以上は動けない。
「じゃあ、ふたりとも用は後でいいな」
「いいですけれど、個人的にあのお人形姫をどうするのか気になりますわあ。ねえ、あなたも思いませんこと?」
ヴィオラがエレンに話題を振る。
「私は特には。途中ベーケ伯爵家に立ち寄ることにはなっているので、どうぞ身辺にはご注意をとしか」
エレンが言う通り、進軍途中でベーケ伯爵の城に一旦駐留することになっている。アンネリーゼに会わねばならないかもしれないと考えると面倒で仕方ない。
「……なあ、俺のこと嫌いだよな、ふたりとも」
用事ついでに出陣までの暇つぶしに人をいじめにきたのだろうかと、クラウスはふたりを睨む。
「まあ。自分が女になら誰でも好かれると思っているのかしら」
ヴィオラの大仰な驚きにクラウスは渋面になる。
「あなたを好く理由は見当たりません」
エレンはエレンですげない返しである。
ふたりに好かれたいとも思わなければ、むしろ嫌われ者の自覚はあるものの、こうも扱いが悪いのはいい心地はしない。
クラウスは派手にため息をつきながら、ふたりから表情の見えない所で唇を引き結ぶ。
(リリー、まだ死ぬなよ)
これから戦が始まれば、リリーも戦場に間違いなく立つ。バルドが生きている限り意地でも彼女は死にはしないだろうが、それでも不安は大きい。
しかし、戦わねば戦は終わらない。
クラウスはもはや立ち止まることのできない奔流の中で、失うわけにはいかないものを掴み取る決意を再度して故郷へと向かうのだった。




