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結婚式はバルドが捕まえた山鳥に雑穀を詰め蒸し焼きにした料理を、無言で食べることから始まった。本来はもっと大きな鳥を使い、花嫁花婿が食した後に両親も食べるらしい。
(結婚式って、どんなことするんだろ)
食事を済ませた後、清めのための入浴ということで陶器の湯船にひとり浸かりながらリリーは考える。
思えば結婚式を見たこともなければ、どんなものなのかすら知らなかった。
「なんにも知らないなあ。あたし」
先に清めを済ませたバルドが今、部屋で準備を進めている。
どこからこの時期にそれだけかき集めてきたのかと驚くほどの大量の花を、部屋に持ち込んでいるのはちらりと見たが何をしているかまったく想像がつかなかった。
バルドは自分が全て準備するから知らなくても、問題ないと言っていた。自分もすぐに分かることだと聞き返さなかったものの、直前になって気になってきた。
そわそわと落ち着かない気分のまま、リリーはふと真顔になる。
(…………結婚式ってことは、最後までするのかしら)
唐突に以前クラウスに借りた女子のための教本の内容を思い出して、頭が茹だる。結婚した最初の夜から、子を成すことを始めると書いてあったのだ。
(うん、でも、この結婚式ははそれとちょっと違うわよね。でも、結婚式にそれも含んでるのかしら。身を清めるっていうのも、うん、そのためなんだろうし)
リリーはぐるぐると考えながら顔半分まで湯船につかる。
何も今、気づかなくてもいいではないだろうかと、自分で自分に悪態をつきながら顔を上げる。
「……全部バルドに任せておけばいいわよね」
少し恐いけれども、バルドに全て委ねておけば大丈夫だとも思えた。
リリーはこれ以上はのぼせてしまうと湯船から出て、素早く浴布で体を拭いて服を纏う。それから湿った髪を丁寧に拭いて、結うかそのままにするか少し迷った。
そして鏡の前に立って、緩く編みこむことに決めた。
こうして髪を丁寧にいじるのも久しぶりだった。最近はひとつに結わえて、結び目の位置を上か下かにするぐらいの変化しかつけてしていなかった。
編み込んでいく内に、気持ちがふわふわしていく。
結婚なんて面倒でしかないと思っていたけれど、身分だとか政だとか体面だとか、そんなややこしいものを取り払うとこんなにも幸せな心地になるのだ。
誰かのためでなく、自分達のためにふたりだけでつくる特別な日。
リリーは自分の髪の仕上がりを確認して小さくうなずき、真新しいローブを羽織る。
そして緊張と期待を胸にバルドの部屋の扉を叩いた。
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部屋の扉を開けた瞬間、花の香りが溢れ出した。
「……いっぱい集めたわね」
リリーは暖炉前の花の円陣に目を丸くする。ちょうどふたりでゆったりと座れるぐらいの広さがある円座を、青と白を中心にした花が綺麗に取り囲んでいた。
円の中心には小さな卓があり、火の点いていない太い蝋燭を真ん中にして両脇に火の点いた細い蝋燭が二本と、合わせて三つの燭台が置かれている。
「散策で目星」
どうやら日課になっていた森の散策で、バルドは花の蕾などを探しては記憶していたらしい。
そんなにも前から結婚式をすることを考えていたのかと驚くリリーに、バルドが両手に持っていた十数本の遅咲きの秋桜をおもむろに彼女の髪に挿し始める。
編み込みに沿って飾られた秋桜は花冠のようだった。
リリーは真剣な顔つきで花を飾るバルドに、くすくすと小さな笑い声をもらす。
花を差すだけだというのに大げさなほど慎重になっているのがおかしく、自分のためにこんなにも懸命になってくれていることが嬉しくもあった。
「ベールの代わり。城の中で探せなかった」
最後の一本を飾り終えて本来とは飾る物が違うことを、バルドが残念そうに告げる。
「いいわよ。これ、きっとすごく綺麗だもの」
鏡はなくともだいたいの仕上がりは想像できる。バルドが代わりになる物を考えしてくれただけでも十分だ。
「……今までバルドにいっぱい花、もらったわね。どれだけもらったんだろ」
「覚えていない……」
「そうよね。全部覚えていたくても、無理だもの。でも、今日のは絶対に忘れないわ」
後一年先まで生きていることはなさそうだが、もし仮にこれから何十回も秋を迎えたなら秋桜を見る度に今日のことを鮮明に思い出せるだろう。それが例え十年先でも、五十年先でも。
そう思いながら見上げたバルドは、嬉しそうにわずかに目を細めていた。
「……ねえ、次はどうするの?」
微笑み返しながら、リリーはこれからどうするのか訊く。
「輪に一緒に入る」
バルドが手を伸ばしてきて、リリーは彼と手を繋いで花の円陣の中に言われるままに一緒に入る。
「誓いの言葉の後、火をふたりでつける」
「誓いの言葉?」
リリーは何を言えばいいのかと首を傾げる。
「立会人が輪の外にいる。ふたりの家の家長が務め、誓いの内容を述べる。が、いないので省略」
「なんだか面倒くさそうだからそこは省略でいいわ」
よくはわからないが家で一番偉い人間の話というのはつまらないものだろうと、リリーは勝手に解釈してうなずく。
そしてバルドが燭台をひとつ手にとって、今まで一番優しい眼差しで見つめてくる。
「……俺は、リーを生涯の妻とすることを誓う」
言葉ひとつひとつを大事にして告げる声と視線に、心臓が幸福感に押し潰されそうなほど締め付けられる。
「あたしも、バルドを生涯の夫として誓うわ」
リリーも燭台をひとつ取って、ふたりで同時に一番の大きな蝋燭へと火をつける。
目の前で赤々と燃える暖炉の炎よりも、ふたりでつけた燭台の光の方がもっと眩く見えた。
バルドがそのまま小さなふたつの蝋燭の火を消す。
「結婚式は、終わり?」
残った大きな蝋燭の炎をリリーは不思議な気分で見つめる。
たったこれだけのことで、こんなにも胸が幸せいっぱいになってもっとバルドが好きにるだなんて思いもしなかった。
「……あと、ひとつ」
バルドが火の点いた燭台を手に取り、部屋の奥の寝台を示す。
「…………あと、もうひとつあるんだ」
わかってはいても緊張に一気に体が強張る。
「リー、もうひとつは嫌?」
返事に詰まっているとバルドが難しい顔で瞳を覗き込んできて、リリーは首を横に振る。
「嫌じゃない。嫌じゃなくてすごく緊張するだけ」
「ならば俺と同じ」
バルドはバルドで同じ気持ちだということに、リリーは少しだけ肩の力を抜いた。
それからふたりで花輪を出て寝台へと無言で上がる。
(この時のためなんだ……)
寝台の脇の卓に置かれた誓いを立てた蝋燭を見ながら、リリーはこれからのことをあまり考えすぎないように気を紛らわす。
「バルド、あたしなんにもしなくていいの……?」
教本にはこれから何をするのかは書いていたが、とにかく夫に身を任せていればいいだけで自分は何もしなくていいとあった。
「おそらく。嫌なことがあれば、教えてくれると助かる」
寝台の上で座ったままのふたりは未知の領域に踏み込むのを前に、どちらも視線が泳いでいた。
「……あ、待って。ぬ、脱ぐのは自分でした方が恥ずかしくない、と思うの。そう、花も外さないとぐちゃぐちゃになるし、その間バルドは花、抜いて」
羽織っていたローブに手をかけられてリリーは真っ赤になりながら、早口でまくしたてる。
「了承」
シャツの留め具をひとつふたつバルドに外され、肌に触れられたことは何度かあるもののいざ全部となるとやはり恥じらいがあった。
(どっちがましだったかしら……)
しかしいざ自分でしてみても、指が強張ってみっつの子供よりも不器用になってしまう。
「まって、まだ見ないで」
花を慎重に抜くバルドの視線が少し下がっているの気づいて、リリーはシャツの胸元をかき合わせる。
「……すまない」
そう言って視線をあげたバルドも動揺のためか、花を抜くのに時間がかかっていた。
留め具を外し終えたのは、彼が花を外し終えるよりも少し先だった。リリーはすばやくシャツの袖から腕を抜いてすぐに、腕で胸元を隠す。
(し、下どうしよう。後で? 今?)
そのままの体勢で動けずに、リリーは混乱する。上半身は何も身につけていないのに、寒さを全く感じないほどに体が熱い。
「リー、いい?」
バルドが視線のやり場に困りながらローブだけ脱いで問いかけてくる。
(後は、バルドに任せればいいわよね)
これ以上自分はどうにもできそうにないと、リリーは諦めてこくりとうなずく。そうすると、最初に啄むだけの軽い口づけをバルドがして、彼も上だけを脱ぐ。
二度目はもっと深い口づけだった。
胸元を隠している手をそっと握られ、口づけが深まるにつれて腕の力が抜けていく。そっと寝台に横たえられて、リリーはバルドと見つめ合ってもう一度うなずく。
そして自分を隠していた腕を彼の首に回し、全てを委ねた。
***
お互い手探りで戸惑いながらことを終えるまでずいぶん長い時間がかかった気がするけれども、視線の先の蝋燭はまだそれほど減っていないないように見えた。
リリーはちらちらと揺れる炎を視界に入れながら、せめて上着は羽織っておかなければと思いつつ指一本動かす気になれなかった。
「……リー、大丈夫?」
湯で湿らした布で体を清めてくれていたバルドが、そっと背中を撫でて疲れ切った様子に心配そうにする。
「うん。すごく疲れたし、思ってたより痛かったけど……大丈夫。でも、動けないから、上着取って……」
リリーはバルドの手を借りてやっと上着を羽織る。一度全部見られたからといって羞恥心がなくなったわけもなく、むしろ余計気恥ずかしくできるだけ急いで前を止めた。
そしてバルドが毛布をたぐり寄せてふたりで一緒にくるまって横になる。
抱き寄せられるとなおさら暖かく、疲労もあってすぐに眠ってしまいそうだったが、今日という特別な日がもう終わってしまうのがもったいなくて眠りたくなかった。
「花、どうしよっか」
リリーはせめて秋桜を一輪ぐらいは押し花にでもして残しておこうかとも考える。しかし何も残さなくても十分な気もする。
「本来は、来賓に配る。いないので、明日の朝、暖炉にふたりでくべる」
「明日の朝は、早かったかしら」
だったらもう寝ておかないとまともに動けそうにない。
「何もなければ遅くともいい。……結婚式、できてよかった」
バルドがほっとした声音でつぶやく。
「うん。あたしも、そう思う。今日はいっぱいありがとう……」
眠気に勝てず呂律が回らなってきたリリーは、そのままずるずると意識を失った。
次に気がつけば朝だった。
まだ夢見心地で昨夜のことも全部夢だったのではないかという気分だったが、卓の上の蝋燭や秋桜、暖炉の前の花達が現実にあった。
寝台の上でバルドが持ってきた暖かいスープを飲んで、疲れた体をゆっくりと休めてからふたりで花をのんびりとくべる。
特別な結婚式の日はこれで本当におしまいだ。
しかし、寂しさや名残惜しさは感じなかった。自分達の心の中にずっと残り続ける大切ものを得られたのだという、実感の方が強かった。
そして軍議が始まるまでの間、リリーとバルドは暖炉の前で寄り添い合って束の間の穏やかで幸福な時間を過ごした。




