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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
80/115

2-3

***


 翌日、吹き荒ぶ冷たい風に肩をすくめながら、リリーは湖の畔にひとりで訪れた。

「寒くない?」

 いつも通りシェルがそこに座って考え事をしていた。さすがに寒いらしくかたかたと体が震えている。

「今日は冷えますね……。少しでも魔力を効率よく補充しようと思ったのですが、風邪をひいてしまいそうなので屋内に戻ります。……おひとりですか?」

 城に戻ろうと立ちあがったシェルがあたりを見渡してバルドの姿を探す。

「仕事中。政の話らしいから、あたしは立ち合わないの」

 皇都で何か動きがあったらしいが、政としての意味合いが強いのであくまで軍務の補佐官である自分は外された。相変わらず、バルドはなるだけ自分を政と引き離そうとしている。

「戦争というのは残虐な政治手段のひとつ、と思うのですがね。今の情勢であれば戦争と政治は同義語でしょうに、なんとも複雑な」

「あんたの言ってることが、一番意味不明だわ。貴族同士の立場とか利権っていうの? そういう腹の探り合いなんてあたしにはぜんぜんわからないもの」

 魔道士は基本的には貴族が主であり軍内は貴族ばかりだが、必要最低限の名前と顔を覚えているぐらいで、爵位まで覚えていない。当然家同士の繋がりや関係などわかるはずもなかった。

 貴族同士の面倒な関係に興味もない。そんな貴族達がやる政にも関心がなかった。そもそも戦うこと以外に頭を使うのが好きではないし不得手だ。

「リリーさんの場合、理解できないのではなく理解する気がないように思いますが」

 城に引き返す道すがら、シェルが考えを見透かしたように苦笑する。

「……だって、つまんなくて面倒なだけでしょ。それで、皇都に動きがあったからたぶん、戦が始まるわ。魔力はどう?」

「それがここから南に飛ぶにはまだ不安で。進軍に同行させていただくことになりそうです」

 シェルの魔力がこの場所からリリーの祖父の元へ移動するのに足るほどにならなければ、南側近くで戦になるときに一緒に行くことになっている。

「ねえ、大陸まで帰れるの?」

 ここまで魔力回復に時間がかかっているのを見ていると、シェルが島から出て家に戻れるか気になった。

「……帰れるはずです。帰れないと困ります。さすがに両親と兄姉に申し訳ない」

「家族、いるの」

「ええ。両親も健在で兄も姉もいます。普通よりも少しばかり裕福で、七つ上の兄と五つ上の姉にもそれなりに甘やかされて育ちました」

「そこまでは聞いてないわ」

 余計なことまでぺらぺらと喋るシェルにリリーは呆れる。

「ああ、すいません。この頃故郷と家族が恋しく思うのです。そういう時はいつも手紙を送るのですが……」

 シェルが憂い顔でため息をつく。家族のいないリリーには彼の気持ちはよくわからず、どんな声をかければいいか戸惑う。

「いや、辛気くさいですね。そうです、リリーさんにかけられた魔術ですが、やはり同じ血統と同調するという術式がありました」

 シェルの方から話題を変え、リリーは安堵しながら首を傾げる。

「それってあたしとバルドがすぐに気が合うようにする魔術……?」

 口にしてから心臓がきゅっと縮まる感覚がした。

 自分がバルドに惹かれたのは、グリザドの意志であって自分で選び取ったものではないかもしれない。バルドの側にいたいというのは、自分ではなく自分の中にいる他人の意志なのか。

 その疑惑は今でも胸の片隅でしこりになっている。

 それでもバルドの望むことは叶えたいという自分の意志に従って、彼の側にいる。

「気が合う、というのも少し違うかもしれませんね。ほら、初めて見たはずの景色なのに、見覚えがあるということ、ありませんか」

「……あるわね。じゃあ、それだけで何年も一緒にいるように仕向けたりしてるわけじゃないの?」

 自分の気持ちを操られているわけではないということなのだろうか。

「魔術で人の感情や選択肢を直接的に変えることはできないんです。例えば、生まれつき蛙が苦手な人間いるとしましょう。この人が分かれ道を右か左か迷っていたとします。そうしたとき、右側に蛙を一匹置いたとすればその人は左を選ぶでしょう。魔術ができるのは蛙を置くことであって、その人に直接的に左側に行くことを指示できるわけではないのです。わかりますか?」

「なんとなく。それ、魔術でなくってもできることよね」

「そうです。こういうのは詐欺師が得意でしょうね。政治家や軍略家も同じです。相手のことを知っていれば、選択肢を誘導することはできるはずです」

 言われながらぱっとリリーが思いついたのはラインハルトやクラウスのことだった。ふたりともよく周囲を見ていて、その時々の情勢や人間関係をよく把握している。

「でも、あたしのことは皇祖様は知らないわよね。バルドのことだって知るはずもないわ」

 千年も後に産まれる自分の末裔のことを予測するのは、いくら天才魔道士でも不可能に思えた。

「そうです。同調するというのはあくまでお互いの存在を認識するきっかけにしかならないのです。その後にふたりがどうなるかは、まったく予測がつかない。そもそも異性同士で出会うかすら分からないのです。だから、この魔術は表の末裔と、裏の末裔が知り合うきっかけでしかなく、血を残すためではないのです!」

 シェルが拳を握りしめて力説することに気圧されながらも、なんだと拍子抜けする。

「……あたしがバルドとずっと一緒にいたいって思うのは、この心臓のせいじゃないの」

 安心しただとか嬉しいだとかという感情はなく、ずっと背中にのしかかっていたものが急になくなって呆気にとられたような顔でリリーはつぶやく。

「恋に落ちるきっかけなんてものは、人それぞれですし、同調がきっかけということはもちろんあるでしょう。ですが、えっと、七年でしったけ? それだけ長く続いた関係というのは、おふたりが築いたもので違いないのではないでしょうか。……いいですね。私は研究と自分どっちが大事なんだと言われて、迷いなく研究を選んだらふられてもうそれから六年ほど独り身です」

 どうでもいい情報まで一緒につぶやいて、シェルがまた嘆息した。

「そっか。そうなんだ。でも、それなら血を繋ぐ気がないんだったら、なんのために引き合わせたの? 心臓なしで島の魔術を解かずにいるなんてできたりするの?」

 全ては心臓を引き継ぐためという根底は全て覆された。血が途絶えたときに、グリザドの心臓は止まりこの島の魔術も消え去るということを回避する別の手段があるのだろうか。

「術者の心臓が動いていなければ魔術を存続させることは不可能です。それだけは絶対にあえりえません。しかし、終わりに際して何かを成そうとしているのは確かです。以前も話した通り、魔術というのは必ず解けるものなので、解除に必要なものかもしれませんね。これだけの入り組んだ魔術なら、解き方にも拘りがあるはずです」

「あたしとバルドが、島の魔術を解けるっていうこと? あたし達そんな複雑な魔術なんて使えないわよ」

 大陸の魔道士が必ず知っている魔術文字すらこの島の誰もが知らないというのに、皇祖の魔術を解けるとは思わなかった。

「複雑なことはありません。どんなに複雑に見える結び目でも糸の端を引っ張ればするりと解ける結び方があるでしょう。有能な魔道士ほど、糸の端を上手く隠してとても難解な結び目に見せかけることができるのです。くしゃみひとつで解けるという魔術を作った魔道士もいますよ。髪の色を変えるという小さな魔術ですが」

「大陸の魔道士って変わり者しかいないの?」

 リリーはまじまじとシェルを見ながら訊く。

「魔道士といえば変わり者の代名詞であることは否定しませんね……。魔術を解く定番は合い言葉というのがありますから、何か手がかりなるものが裏か表、あるいは両方に残されているかもしれません」

「爺様の所と皇都、両方調べたらわかるかもしれないのね」

 しかしもうそのことはどうでもよい気もする。他人の心臓が自分の中にある違和感はあるものの、意志まで操られているわけでなければいい。

「そうですね、まずお爺様の元へ行くのでその時に調べましょう……あ、終わったようですね。では、私は自分の部屋に戻ります」

 城に入ってすぐに、バルドを廊下の奥に見つけたシェルが彼の視線に怯えてそそくさと逃げた。

 バルドは少々不機嫌であるものの、怒っているわけでもない。

「早かったわね」

「時間の無駄。宰相は据え置き」

「宰相変えるって話だったの?」

 何が議論されていたかまったくしらなかったリリーは、驚きに目を丸くする。

「クラウス離叛。ベーケ伯爵家との関係維持の失敗。問題多い」

 言われてみれば実質の嫡男となったクラウスが率先して皇家を裏切り、政略結婚でベーケ伯爵家と縁戚になっていたにも関わらず離叛されて確かに立つ瀬がない。それ以前にバルドが即位した時点で、政の中心という権力もなくしかけていた。

「でも、今更でしょ」

 この戦も終わりかけに宰相を降ろしてどうにかなることは何もない。

「最後だからこそ、忠臣を宰相に据えるべきとの声。複数候補者あり。面倒」

「政って本当、わけがわからないわ」

 不忠義者を自分より上の地位に置きたくないという心情があるのだろうが、やはり今頃になってそんなことで揉めることは理解しがたい。

「理解する必要なし。……リーは?」

「あたしにかけられた魔術がちょっと分かったの。あたしがね、バルドのこと好きなの、この心臓のせいじゃなんだって」

 リリーはシェルから聞いた話を、自分の理解できたぶんだけかいつまんでバルドに説明する。

「ただの、きっかけ」

「そう。きっかけ。今の、この気持ちはあたしとバルドのふたりだけで作ったものなんだって」

 そう伝えるリリーの口元には自然と微笑みが浮かんでいた。

 出会いから今日までの様々なことが蘇ってくる。

 初めて剣を合わせたあの日、お互いに気になったのは皇祖の仕組んだことだとしても、その後は全部、自分とバルドだけのものなのだ。

 他人と触れ合い、一緒にいることに慣れないふたりで、少しずつ手探りでお互いのことを知って、知らなすぎて勘違いしもした。

 身分の違いからいつか離れなければならないかもしれないと不安になったり、皇祖の真実に気持ちが揺れ動くこともあった。

 それでもずっと、ここまで一緒にきた全部がふたりだけのものなのだ。

「リー」

 バルドが頬を撫で来て、リリーは物言いたげな彼の瞳に視線だけで何、と問い返す。

「…………結婚式、する」

 そしてバルドの返答にきょとんとした。

「誰が?」

「俺が、リーと」

 思いもよらなかったことに、リリーはしばらくぽかんとしていた。

「リー、嫌?」

「え、待って、急でちょっとわかんない。何、宰相の話以外にそういうのあったの?」

 頭の中は混乱でこんがらっていて、今何を自分が思っているかすら分からないほどだった。

「違う。少し前から考えていた。ふたりだけで結婚式、する」

 どうやら政治的なこととは全くの無縁のことらしかった。しかし、それはそれでなぜバルドがそんなことを言い出すのかと疑問になる。

 だけれど、嫌ではなかった。遅れてゆっくりと嬉しい気持ちも心の奥から滲み出てくる。

「……うん。ふたりだけっていいわね」

 誰かに認めてもらうためでもなく、ふたりだけでもう一度約束をするのは悪くないと思った。

「いつ、どこでするの?」

「明日の晩。部屋で。……ドレスないのは、いい?」

 とても不安そうに難しい顔でバルドが訊ねるので、リリーは吹きだした。

「いいわよ。そんな全然かまわない。ねえ、どうせだからローブ着てしない? そっちのほうがたぶん、あたしとバルドらしいと思うの」

 綺麗なドレスはもちろん魅力的だけれども、軍装でもなんでもかまわない。

「花だけは、俺が用意する」

 バルドが眉間の皺を緩めてうなずいた。

「楽しみにしてるわ。……バルド、大好きよ」

 言ってみると思いの外照れくさくなって、リリーはバルドの胸に顔をうずめて赤らんだ頬を隠す。

「俺も、リーが好き」

 とんとんと、背を撫でられてほっとする。

 これでやっとゆらゆらと揺れ動いていたものが落ち着いて、安心できた気がした。

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