表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
79/115

2-2

***


 炎将率いる軍勢は、戦の鎮圧に予想外に苦戦させられていた。

 地の利が圧倒的に不利だったのだ。戦場は小さな盆地である。周囲を山に囲まれたそこへ赴くのに時間を費やされたことが響いていた。

「姉上、引き返して北側から回るか、迂回して山を突き進むかどちらかしかなさそうです」

 やっと戦地を目前として倒木や岩で塞がれた道にマリウスは、将である姉へ判断を問いながら焦りを募らされていた。

 行軍に手間取っている内に最短の道筋が敵に塞がれてしまった。何かが崩れる大きな音と振動でこうなっていることは予想済みだったとはいえ、魔術で道を空けるのも難しいほどの酷い状態を実際に目の当たりにしするとやりきれない。

「引き返すのにも時間がかかりますし、進むなら迂回して山の中を進むしかありませんわね。ですけれど、道を塞がれたことを考えるともうずいぶんとこちら側は分が悪くなっているかもしれませんわ」

 ヴィオラがまったく情勢の見えない道先を厳しい顔で見据える。

「ならば、なおさら急ぐべきでは」

「急いでたどりついたとしても、退路は困難となると無駄に兵を損ないますわ。先に偵察を出して、それから策を立て直しましょう」

 しかし、そうしている間にも自分の知らないうちにこの戦は敗北し終わってしまうかもしれない。

 そうは思っても、姉の判断が正しいのは分かってるマリウスは言葉を呑み込んで、偵察部隊を編成し直す。

 そしてしばし付近で軍は待機となった。例え後がなくとも今すぐにでも戦地に飛び込み、戦いたいという者らは苛立ちを隠し切れずにいる。だが山道の行軍と朝晩の冷え込みに、疲れ切っている者や体調を崩しかけている者も多く、戦に突入したところで全力でとはいかなそうだった。

「もう少し食べておきなさい」

 強い意思はあれどやはり疲れが出ていて食事を口に運ぶ手が止まるマリウスに、ヴィオラが優しく窘める。

「はい……」

 うなずいたものの兵糧は干した芋や肉に、固く焼きしめたパンと顎が疲れるものばかりでなかなか進まない。

「状況によっては撤退もやむなしですわね……」

 声を潜めてヴィオラがつぶやいて、マリウスは眉根を寄せる。

「すでに勝敗は決しているでしょうか」

「皇主様のご命令は戦の鎮圧。もう取られていたなら強襲は不要でしたわね」

 どことなく、姉はこれ以上の戦を拒んでいるかに思えた。

「……ですが、ここで引き下がるのは時期尚早ではないでしょうか」

「このまま兵を減らすこと自体が無駄ですわ。わたくしたちがなすべきことは皇主様をお護りすること。負け戦と分かって無為に兵の命を散らすわけにはいけないことはわかるでしょう」

 負け戦というのなら、この皇家と革命軍の戦そのものが負け戦だ。討死するのが早いか遅いかの差でしかない。

(ここを死に場所とするのか)

 そうするにはまだ早過ぎる。自分はまだ主君の役に立ちたいと思う。だがここで何もせずに引き下がるのは悔しい。

 相対する理性と自尊心をかみ砕き、咀嚼するようにマリウスは固い猪肉を食べる。

 時間は黙々と過ぎていく。日が短くなったせいか、夜になるのも早い。

「遅いですわね……」

 夜営の準備を始める頃になっても、偵察隊は戻って来なかった。日が傾いてくると山間のこの場所は急速に冷えてくる。

 皆、ローブの前をかき合わせて、冷える夜に憂鬱そうな顔をしている。

 がさりと道を外れた場所から物音がして、全員が気を引き締めるが、戻って来たのが偵察部隊と分かり別の緊張が走る。

 六名が行った内、戻って来たのはわずかふたりだった。

 一度全員敵方に落ち、交渉のためにふたりだけが解放されたらしかった。

「すでに領地の三分の二が取られて、籠城戦に入っていますのね……相手方の要求は」

 状況を聞いた後、ヴィオラが本題に入る。

 敵の要求は停戦のために炎将が籠城する残りを説得することだった。降伏すれば全員の身の安全を保証し解放する。革命軍に加わるなら戦が終わった後の身の振り方も悪いようにはしないということだった。

 ただし、一両日中に求めに応じなければ城に総攻撃をかけるということだ。

「わたくしひとりの一存では決めかねますわ。と言っても、皇主様にお伺いを立てるには時間はないのね……」

「姉……将軍、このような見え透いた誘いに乗る必要はありません」

 弟としてではなく補佐官としてマリウスは交渉に応じることを考えているヴィオラを制止する。

 あからさまに炎将を誘い出す罠だ。兵を無駄死にさせるなとさっき言ったその口で、上官は死地に赴こうとしている。

「だけれど、見捨てるわけにもいかないでしょう。よろしいですわ。わたくしは籠城する者達の説得に向かうから、マリウスは残りの軍勢を率いて撤退と、皇主様へのご報告をなさい」

 ヴィオラが意を決したことに、マリウスは首を横に振る。

「なりません、姉上。姉上が、将軍が行くというのなら、私もお供いたします……!」

「駄目よ。上官と補佐といっても、お前とわたくしは身内同士。ふたり揃っていなくなれば兵に動揺を与えるわ。……必ず戻るわ。大丈夫、わたくしはマリウスをひとりにはしない」

 幼い日にいつも寄り添っていてくれていた笑顔に、マリウスは何も言えなくなる。

「マリウス、自分が何を失うかではなく、何を得られるかを考えることを忘れないでいなさい」

 最後にそう耳元で囁いて、ヴィオラが暗い森へと向き直る。

 偵察役も帰りも同伴することとなっていて、三人が闇の中へと消え去っていく。

「姉上……」

 マリウスは姉の後ろ姿が見えなくなっても、少しの間呆然と立っていた。

 何を得られるかを考えろと言われたが、今はたったひとりの姉を失いかけていることしか考えられなかった。

「補佐官殿」

 気遣わしげな部下の呼びかけに、マリウスはどうにか気を取り直し今夜はこのまま夜営し朝早くに出立することを決める。

 翌朝も何か報告がないかと少しだけ待ったが、ヴィオラが帰って来る気配はなかった。

 そしてこの日を境にヴィオラの行方は分からなくなった。


***


 ヴィオラが交渉に向かって十三日。

 籠城していた者達がどうなったかは全員寝返っただのあるいは処刑されただのと情報が錯綜し、ヴィオラに関しては異様なほど何も音沙汰がなかった。

 その中で、将軍の代理を務めるマリウスを正式に次の炎将に任命することにバルドが決めた。

「炎将、生きてるのかしら……」

 軍議の後、広間にバルドとふたりきりで残っているリリーは、静かな部屋でぽつりともらす。

 すでに籠城戦となっているはずの場所へ偵察は送っていたが、城の兵どころか民の姿までなく、戦の発端となったはずの領地はがらんどうだった。

「生死限らず、戻ってはこない」

 見切りをつけるには早過ぎるという声もありながら、マリウスを炎将とすることを決めたバルドのヴィオラの帰還はないという考えに変わりはないらしい。

「バルドはあの人が裏切ると思う?」

 ヴィオラのことは苦手な部類の人間でよくは知らないが、少なくとも片腕をなくした弟を見捨てて寝返るとは到底思えなかった。

「……不明」

 バルドは本気で分からないらしく、眉間に皺が寄っている。

「どっちにしろ、戦力が減ったことに代わりはないわね……。そろそろ動くかしら」

 裏切らないと信じられ、指揮官としても軍人としても心強かった炎将が消息不明とあって兵達も動揺している。かろうじて忠義心の厚いマリウスが残り統率を取っていてなんとか保たれているが、いかんせん将をひとり欠いてまったくの無傷というわけにもいかない。

 敵の侵攻が予測されているデルン方面と、島南部への警戒は強めているものの、今は不気味なほど静まりかえっている。

「すでに動いている。浮き足だったら負け」

「十分そわそわして落ち着きないと思うけど……ほとんど籠城戦ね、こっちも」

 皇家側が緊張で疲弊しきった頃か、あるいは痺れをきらして動き始めた時が向こうの攻め時といったところらしい。

「相手方。慎重」

 うんざりした様子でそう言うバルドも、この睨み合いにはもう飽き飽きしているらしかった。

「どうせ兵数では上回ってるんだからが多いんだから一気に攻め込んじゃえばいいのに」

「戦に勝った後が問題。流血は最小」

「できるだけ味方の数を増やしてからってこと?」

 政に疎いリリーには相手方の動きはまどろっこしく鬱陶しいだけにしか思えなかった。

「統治に遺恨が多いのは厄介」

 それに付き合っているバルドの考えていることもよくはわからない。政というのはやはりまったく理解できないと、リリーは席を立つ。

「バルド、勝負しよう」

 そして自分に分かるのは剣での勝敗だけだと、バルドを稽古に誘ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ