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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
77/115

1-3


***


 革命軍との膠着状態が続く中、リリーはバルドと一緒に日課の散歩に出ていた。

 腹部の痛みも和らぎ、しばらく松葉杖をついていたせいで萎えた片足を元に戻すためだ。それと、バルドの息抜きのためにこの頃はふたりでルベランス城を囲む森を散策している。

「風が気持ちよくなってきたわね」

 まだ夏の暑さの名残が残る中を泳ぐ、緑と土の匂いをたっぷりと含んだそよ風は清々しい。

「……じき、寒くなる」

 手を繋いで隣を歩くバルドが、重苦しくつぶやく。

「それを言わないでよ。あたしは冬のことは考えたくないわ」

 ふたり揃って冬は苦手だった。寒くなると少しでも暖を取ろうといつも以上にくっついていた。特に冷える日はお互いぎゅっと手を握りしめ合って指先まで暖めていた。

 今、手を繋いでいるのは寒いわけではなく、まだ足取りがおぼつかなかったリリーを支えるための名残だ。

 ひとりで歩くことはもう大丈夫だが、なんとなしにふたりとも手を繋いだままだった。

「春」

「うん。春が一番いいわね」

 寒い、寒い冬へと向かって行く今頃よりも、冬が終わってひと息つく春の方が好きだ。

 だけれど、次の春に自分達はどうなっているのだろうか。冬を越すことはもうないのかもしれない。

 同じ事を考えているのか、バルドも話を続けなかった。

(今年の春はどうしてたっけ)

 花が咲き始めるとバルドが王宮の庭先や道端でよく花を摘んできてくれた。あの頃はまだ何も知らなかった。

 ふたりで気の向くままにじゃれあって、無邪気に寄り添いあっていた。クラウスはただの仕事嫌いで、バルドの兄のラインハルトも生きていて、敗戦間近の諦観を重石にして深く暗い水底に沈んでいるかのように皇都は静かだった。

 何もかもが大きく変わり始めたのは、春の終わり。

 バルドの婚約話が持ち上がって、自分とバルドの関係は一変した。その時はまだ、それほど悪い方へではなかった。

(神器が持ち出されて、それで、あたしが誰なのか皇太子殿下が本気で突き止め始めた)

 ディックハウト信奉者をあぶり出すのに表に出された神器の『玉』の贋作を、自分は本物ではないと見抜いた。それを契機に全ては転がりだした。

 自分の出生からやがては、皇祖グリザドへの真実へ。

 そして千年の皇国は今、終焉を迎えようとしている。

(あたしとバルドはこれで落ち着けたかな)

 何度も繋いだ手を放しかけては、お互い指先を伸ばしてもがいて握り直してきた。その度に自分は、バルドの側にいるのだと決意を固めるのだけれど、バルドの方はどうなのだろう。

 リリーは繋いだ手に視線を向けて、バルドの横顔を見上げる。

 手を離しかける度に、バルドは不安定になっていった。不安そうな顔をしては、ぴったりと体を寄せてくる。

(でも、今回は違ったわよね)

 ゼランシア砦へとクラウスに連れ攫われた時、もしかしたらもう二度と会えないかと思った。それでも必死になって戻ってすぐには、バルドはやはりいつまた離れ離れになるのかと怯えていた。

 しかし、それはほんの短い間のことでこの頃は時々何か考え込んでいる素振りは見せても、不安や焦燥の影は見当たらなかった。

「リー」

 バルドが近くに咲いている山萩の花を手折って、リリーの髪の結び目にさす。赤紫の小ぶりな花は、金茶の彼女の髪によく映えた。

「うん。ありがとう」

 やっと、バルドは安心したのだろうか。残り短い先はずっと一緒にいられると信じてくれているならいい。

 そう思うのに、今度は自分の心がざわざわと落ち着かない。

 つい握った手に力を込めそうになりながら、リリーはバルドと湖の方へ足を向ける。そこにはひとりの魔道士の後ろ姿があった。

 皇祖グリザドの真実を知っていた大陸の魔道士、シェル・ティセリウスだ。

 長らく着ていたローブの色で灰色の魔道士と呼ばれていたシェルは、今はハイゼンベルクの色である黒いローブを纏っている。

「調子、どう?」

 リリーは手元に紙束を持っているシェルを覗き込む。

「おや、どうも。まずまずですね。やはり、希代の天才魔道士の魔術とあってなかなか複雑で……。まだほんわずかしか解析しきれていません」

 手元に目を落としたまま、シェルが唸る。

 学術的な好奇心から大陸からこの島へと渡ってきた彼は今、グリザドがリリーにかけた魔術を解析している。

「ちょっとはわかったの?」

「ええ。やはり、リリーさんには心臓の受け継ぎの魔術の構文がありません。心臓を引き継ぐ魔術は、この島にかけられた魔術の要でもあります。長い間に自然に魔術構文が変容するということは希にありますが、意図的なものにも見受けられます」

「皇祖は自分の心臓を止める気だってこと?」

 今、自分の胸で動いているのは皇祖グリザドの心臓だ。この心臓が動いている限り、島にかけられた島民に魔力を与えるという魔術は維持され続けるという。

 そして、心臓は代々兄弟同士の近親婚で繋がれてきた。しかし、リリーは他に兄弟がいない。

 その代わりに、ひとりごになった場合は皇都にいる同じグリザドの血を引く者と引き合わせろという言い伝えに従った祖父と父によって、リリーは赤子の時に皇都にひとり置き去りにされたのだ。

「リリーさんのご両親の段階で魔術が変容していた可能性もおおいにあるのですが、お亡くなりになっていますからね……。いずれにせよ、彼は自分の魔術を解く気だった」

「せっかくこんな大がかりなことやって、なんでかしら」

「さあ。そこがまず大きな鍵でしょう。他も解析してみれば、はっきりしたことはわかりませんね」

 ということはろくに何もわかっていないということらしい。

「……リーは、普通の子を産める?」

 不意に、バルドがそんなことを問うてリリーは目を瞬かせる。

「普通の子、というのはリリーさんの心臓を引き継がなくても、生きていられる子供ということですよね。どうでしょうか。何世代にも渡ってひとつの心臓を引き継いできたリリーさん自身が、普通とはいえません。繁殖が魔術によって制御されていたのですから、子供を産むのはおそらく無理でしょう」

 そして、シェルの返答にリリーは一瞬だけ頭が真っ白になった。

「無理、なの」

「繁殖に関する魔術は禁忌ですが、過去に何人もの魔道士が鼠を用いて実験していてその場合でも、何代かか魔術で繁殖を制御されていた子孫は魔術を解いても繁殖はできませんでした。ザイード・グリム……グリザドもその仮説を立てていましたね。現在バルドさんしか残っていない皇家も確証はありませんが、繁殖能力が衰えているかと思われます。だから、おふたりの間にとなると、より不可能に近い……ああ、すいません。こういうことは女性には繊細で大事な話でしたのに……」

 リリーに向き直ったシェルは、彼女の表情に気づいて頭を下げる。

「え、ああ。別にあたしは子供が欲しいわけじゃないし、いいわよ」

 そう、子供が欲しいと思ったことなど一度もない。なのに、いざ無理だと言われるとなぜだか落胆してしまっていた。

「いえ、まあ、私も気遣いというのが不得手なもので……」

「だから、いいんだって。ねえ、魔力の回復はどうなの?」

 気まずい雰囲気に、リリーは話題を他へ逸らす。

 シェルは移動の魔術が使えるものの、今は魔力が枯渇していて大陸まではもちろん島内の移動すらままならないらしい。

 今、この島で安全と呼べるのはリリーの祖父が住む、グリザドの魔術によって秘された山中の屋敷ぐらいだ。そこに行ける程の魔力が回復したなら、シェルには避難してもらうつもりだった。

「まだ、もう少しかかりそうです。それまではお世話になります」

「そう。じゃあ、邪魔したわね……。バルド、そろそろ戻ろうか」

 そしてリリーはバルドと城へ引き返すことにした。帰りの道筋はほんの少し行きよりふたりの空気はぎこちなかった。

「……バルド、どうして子供のこと、訊いたの?」

 我慢できず、リリーは自分の足下を見ながらバルドに問いただす。

「気になった。それだけ」

「どうして気になったのよ。……子供、今更になって欲しくなったってわけじゃないでしょ」

 後はもう、死ぬだけだ。なにひとつ先に残す物はない。

「俺は、いらない」

「あたしだって、いらないわよ」

 リリーはなんとなくバルドが勝手に自分だけ子供を欲しがっているみたいに言うのが面白くなくて、唇を尖らせる。

 バルドは何を考えているのだろう。

 リリーは心許なくなってしがみつくように、バルドの手を強く握り直す。

(やっぱり、今はあたしの方が落ち着いてないわ)

 いつまでたっても相変わらず、自分達はゆらゆらと揺れてばかりだ。本当に最後の最後の瞬間になるまで、こうなのかもしれない。

 リリーは足を止め、きょとんとしたバルドを見上げて彼の頬に手を伸ばして、口づけをせがむ。

 バルドが屈んで、そっと唇を重ねてくれる。

 不安なときほど触れ合っていると落ち着く。寒くなるのは悪くないかもしれない。

 寂しいだとか、不安だとか、ごちゃごちゃと余計なことを考えずに、単純に寒いという

だけでくっついていられる。

 そうして、事が大きく動いたのはそれからわずか十日ほどの後のこと。

 冷たい雨が降りしきる日に、『剣』の社付近で戦が始まった。


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