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棺の皇国  作者: 天海りく
逮夜の花燭
76/115

1-2

***


 自室に戻ってやっとひとりになれたクラウスは、椅子に深くもたれて長いため息をつく。

 真面目に働くのが嫌いな自分に、このひと月の忙しさは一生分働いたと思うほどの慌ただしさだった。

 ディックハウトの幼い皇主アウレールの死去の触れの後、その生母であり宰相の妹であったロスヴィータは我が子と共に海に身を投げたという。

 混乱の最中、ロスヴィータはアウレールの遺骸を抱いて姿を眩まし、その後に探しに出ていた侍女のひとりが断崖から身を投げる所を見たと証言した。ふたりの亡骸は見つかってはいないが、アウレールは前の皇主の子ではないと宰相自らが認めたため、捜索は行われなかった。

「皇家の血筋は、バルドと前の皇主だけ……」

 リリーとその祖父については革命軍側では自分とエレンしか知らない。なんとしてでもリリーの身柄の確保はしなければならない。

「それより最初に義姉上か」

 アンネリーゼが父親を殺したことは、まったく想定していなかったわけではないものの、伯爵家嫡男と次男がこうもあっさり妹に父親を殺させるとは思わなかった。

 現在ベーケ伯爵家でアンネリーゼは軟禁中らしい。家中でも前の当主に付き従っていた古参の家臣らは、妹を唆して当主の座を奪った今の伯爵に不服がある者も多くいるそうだ。

 それでも布陣は整えられ南部に展開されているので、そう問題ではない。

 ただ、アンネリーゼの処遇については自分に意見を聞きたいと、ベーケ伯爵家から書状が来ていた。

 引き取る気があるのか、それとも家内で内々に決めていいのか。

 クラウスはもう休みたいと思いながら、重たい腕でペンを取る。

 長年にわたる兄のアンネリーゼへの非礼を改めて詫び、生家で安静にしていた方がいいだろうとくどくどと文面を認めた。

 面倒なので関わりたくないというのが本音だ。

 大事に育てられたようで身内にとっては手駒のひとつでしかなかったアンネリーゼに同情はする。

 自分も彼女を利用したことに代わりはないはないが、かといって責任を感じるほどまっとうな精神は持ち合わせていない。

「後はみんな勝手に動いてくれるだろうから、好きにしてくれよな……」

 皇家廃絶に動き出して、まとまりもできている。後は前に立って人を動かすのが得意な者がやればいい。

 だというのに、まだ皆自分に仕事をあれこれと押しつけてくる。

 誰よりも皇家に近いところにいたという理由でだ。

「リリー、どうしてるかな」

 怪我は深かったもののもうずいぶん回復しているという話は聞いている。今頃バルドの補佐で忙しいかもしれない。

「会いたいなあ……」

 もうこのひと月でこんなことをつぶやくのは、一体何度目だろうか。無事と聞いていても姿を見るまではどうにも落ち着かない。

 クラウスはふわりとあくびをして、そのまま椅子の上で眠ってしまわないうちに寝台へと移動する。

 一眠りしてから他にやるべき雑事をかたづけようと思ったものの、結局朝までぐっすりと眠ってしまった。


***


「おいこら、歩きながら船漕ぐな」

 水将補佐官のカイは半分目が潰れている上官のラルスの頭を鷲掴みにする。

「だって、まだ夜明けがきてすぐじゃないですかー。夕べだって遅くまで軍議だったっていうのに、もう全然眠れてないんですよー」

「てめえ、昨日思いっきり昼寝してたじゃねえかよ。午後はちょっとは間があるから、その時にしとけ」

「昼寝と、夜の睡眠は別物ですよー。夜眠れないんじゃ、朝はつらいん……で……す」

「言いながら、寝るな。こら!」

 そのままふらりとその場に倒れて寝てしまいそうなラルスの頭を、カイはなおさら強い力で掴む。

 痛い痛いと抗議の声があがって、まるで平穏な日常が始まりそうだとぼんやり思う。

 実際はそんな安穏としていられる状況ではない。革命軍が蜂起してひと月、皇都は混乱の真っ直中にある。

 情報統制が間に合わず、皇都にすぐさま大軍が押し寄せ戦場になると民衆が混乱し一時騒然となった。前皇主、皇都に残る三将軍が表に出て防衛は強固であると鎮めたとはいえ、現皇主であるバルドがいつまでも戻らないことに不安半分安心半分といったところだ。

 しかしながら不安は民衆だけではない。魔道士達もどうすべきか迷っている。

 戦となれば革命軍に寝返るべきかここで討死すべきか。軍内でも誰が裏切るのか残るのか、疑心暗鬼に苛まれていていた。

 革命軍が攻め込んできたと情報がたどりついた時に、このままでは皇都は内から崩壊する。

 かといって対策もまとまらず、連日重臣や軍司令部で延々と話し合いばかりだ。

「地将は微妙ですよねー。風将はまだ残ってくれそうですけどー」

 あくびまじりにまったくもって安心できない状況で呑気にラルスが言う。

「将軍すら信用できねえとはな。くそ、信用できる人間が誰かもわからねえじゃあ、どうにもなんねえだろ」

 軍議に座っている重臣らすら、信頼できるという確証が得られない。

 誰も彼もが腹の探り合いをしながらの軍議でまとまるはずもないのだ。ラルスの手前絶対に口にはしないが、膠着状態の軍議ではうたた寝をしたいとすら思う。

「まー、僕はカイのことだけしか信頼してないからねー。王宮警護も警護になってるのかな」

「……てめえも裏切らなさそうだな。嬢ちゃんのことはまだ向こうが何も言い出さないってことは、クラウスの奴は隠しておく気か」

 皇家が断絶すれば島から魔術が確実に消えるのと言い出したのはおそらくクラウスだろう。リリーが囚われている時にクラウスに話したという報告は受けていた。

「クラウスも諦め悪いですねー。アクス補佐官はもう動けるんでしたっけ。今やれることは向こうが攻めてくる前に、残る気がある魔道士を見極めることぐらいですねー」

「それがどれだけ間に合うかだな。……皇主様は、自分と戦好きを犠牲にして全部終わらせるつもりか。みんな、獣だのなんだの言ってるが、あの歳で色々考えてるな」

 バルドの触れを最初に聞いたとき、カイはすぐに戦をここで畳むつもりだと察した。

 皇都内でバルドの風評はよくはない。正直なところ、自分も近く接する機会がなければ民衆と意見はそう違わなかった。

 何を考えているかは相変わらず分からないが、少なくとも本能だけで動いているわけではない。

 若干二十一の皇主は、内乱前から続いていた宰相が奪っていた政の権限を取り戻した。

 だが評価されないのは、彼の無愛想さと口べたさのせいだけではないだろう。

(本当は、みんな皇主はいらねえんだ)

 権力を得たい者達は、意のままにならないバルドを快く思っていない。

 結局、重臣らの内心は革命軍と変わらない。

「もう少し愛想があればよかったんですけどねー。僕として命を賭けるに値する皇主様でありがたいです。そうしたくなくても逃げるに逃げられない人達は、さっさと余計なしがらみは解いて上げた方がいいね」

 いつもの緊張感のない笑顔で自分を見上げてくるラルスに、カイは口を引き結ぶ。

「……そうだな」

 自分はここで死んでもいい。だが、死なせたくない者はいる。

 カイはしばらく顔を見ていない甥一家の元へ、早い内に会いに行こうと決めた。


***


 人気のない露台で皇都から届いた父のジルベール侯爵からの書簡を読んでいた、炎将ヴィオラは頬杖をついて目を細める。

 あいかわらず皇都は混乱したままで、父は前皇主を死守すべく邁進する。アッド子爵邸で駐留している自分と弟にも命懸けで戦うようにと鼓舞する内容だった。

「姉上、父上から手紙が届いているそうですが、何か進展は?」

 ひとり見廻りをしていた補佐官である弟のマリウスがやってきて、ヴィオラは手紙を渡す。

「何もありませんわ。向こうが動き出すまではここで警戒して、兵の受け入れもすすめてね」

 ヴィオラは先の戦で上腕部の途中からなくなっている弟の左腕をに視線を向ける。

「向こうの間諜であるか否かの見極めが難しいですね。……姉上?」

 視線に気づかれたヴィオラは、そよぐ風に靡く桜色がかった金髪をかきあげながら苦笑する。

「腕はもう、痛まない?」

「まだ、少しだけ。ないはずの左腕の感覚があるのは奇妙ですね……。ですが、魔術を使うのに不足はありません」

 マリウスは日々鍛錬を欠かさず以前の剣を片手で扱えるほどになっている。

「そう。……皇主様は忠誠心はお求めになっていないわ。マリウスは、忠誠心以外に戦う理由はあるのかしら?」

 マリウスは魔術という力に信奉心が強く、そして皇家への深い忠誠心がある。だからこそ片腕を失って尚、戦場に立とうとしているのだ。

「力を失ったあとのことを考えられません。姉上は、まさかここを離れるおつもりではありませんよね」

 表情を強張らせるマリウスの瞳は、昔の臆病な子供のままだった。

「お前を置いていったりしないわ。わたくしは、お前に行くところに行くのよ」

 そう、剣を握ったのも士官学校に入ったのも臆病で真面目すぎる弟のためだ。剣術自体は嫌いではないが、戦がなくなるならそれでいい。

「……姉上は、力を失うことに怖れはないのですか」

「戦がなくなる世界は面白そうだわ。やりたいことがないこともないけれど……。お前も失うことではなくて、得る物のことも考えてみればいいわ。ねえ、マリウス、今日はいいお天気で風が気持ちいいとおもわない? これからあっという間に秋が来るわね」

 夏の暑さが和らいだ青空の下で流れる空気は心地いい。

 ヴィオラは戸惑うマリウスからの手から手紙を奪い取って、自分のローブの胸元に仕舞い込んだ。


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