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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
71/115

5-2


***


 戦が終わって一晩が過ぎ、ゼランシア砦の城下町にはディックハウトの炎将が入っていた。

 砦の半壊によりハイゼンベルク側への侵攻は不可能となったが、雷将が戦死したために代わりに敗戦処理のため一番近くに待機していた炎将がやってきたのだ。

「……もう少し、近くにいたらな」

 無事だったゼランシア砦の一室の窓から、屈強そうな炎将の入城を見た後にそうつぶやくのはクラウスだった。

 ディックハウトの炎将が控えていたのはここから馬で半日と少しの場所だった。救援要請をすぐに出したとしても僅差で間に合わなかっただろう。

「来たとしても、リリー・アクスが砦内で戦闘をしたことに代わりはないでしょう。むしろ、こなかったからこそ彼女は生還できたのではありませんか?」

 部屋を訪ねてきているエレンが、椅子に座ったまま静かな口調で指摘する。

「……それもそうだな。魔術が使えるってことは無事でいいんだよな」

 クラウスは躊躇いなく瓦礫の山へと飛び降りたリリーの姿を思い出して、歯噛みする。

 リリーの負傷は見るからに酷かった。報告では意識のない彼女をハイゼンベルク軍が運んだと聞かされているだけで、生死不明のままだ。

 だが、グリザドの心臓を持つリリーが死ねば、島から魔術が消え去るという話が本当なら生きているはずだ。

「フリーダさんも、なんであんなにリリーに執着してたんだか」

 自分にかかっていたリリー脱走の手引きをしたという嫌疑は、フリーダの予想だにしなかった行動によりうやむやになった。

 フリーダがリリーと戦いたいがために、どこかに隠しもっていた双剣とローブを与えたのでは噂が立っている。

 かといってクラウスの嫌疑が完全に晴れたわけではなく、監視の目は置かれていて軟禁状態だ。

 これではハイゼンベルクのモルドラ砦のいた時と変わらないと、クラウスは自嘲する。

「あなたはこれからどうするつもりですか? まだ、ディックハウト側にはあなたの利用価値はあるでしょうが……」

「ディックハウト側が俺をどう扱うか決めてからだな。バルドが勝ったことにディックハウトも慎重になってるだろうから、ここで焦って無駄な損失を出すよりは確実に勝つ手段を取るはずだ。ハイゼンベルクの重要な情報を握ってる俺のことは雑には扱わない」

 実質的にハイゼンベルクの実権を握っていたフォーベック家の跡取りとなった自分が、何も知らないわけがないと向こうも踏んでいるはずだ。

 だが、いつまでも悠長なことは言っていられない。

 相変わらず自分の立場は半端で、信頼もない。忠義心はどこにもないというのを公言し貫いている以上は、確たる信用を得られないのは当然だと覚悟している。

(ディックハウトの内情ももっと知っとかないとな……)

 宰相が全てを取り仕切っているというのに、皇主を神格化しているディックハウトにもハイゼンベルクと同じく歪みは必ずある。

 ディックハウトを内偵していたときいくらかの情報は得ているものの、まだまだ足りない。

「まだ、リリー・アクスのことは諦めてはいないのですか」

「諦めない。この程度で引き下がったりはしない」

 そう言いながらも、迷いなく砦から身を投げたリリーを思い返すと気が滅入る。

 あそこでリリーが逃げ出さなければ、彼女は今頃ゼランシア砦陥落の報復として、見せしめに処刑されていたかもしれない。

 そもそもが自分でリリーの移送を行わなかったせいなのだ。

(俺ならリリーが隠れてたなら、もっと警戒していた)

 移送に携わった魔道士はたったひとりで、リリーのことを知らなすぎた。だからああもあっさり逃げられたのだ。

「……そうですか」

 何か物言いたげに間を置いて、エレンは目を伏せた。彼女も当分、自分と一緒に行動するつもりらしかった。

「これから葬儀みたいだな」

 城の門前には幾つもの布にくるまれた遺体が担ぎ込まれいる様子が見えた。モルドラ砦側で死んだゲオルギー将軍をはじめ、死者達の骸はもう帰ってくることはない。

 今から焼かれるのは砦の中で死んだ者のみだ。

 ほとんどの遺骸が地面にそのままに寝かされる中、幾つか棺もあった。おそらくは高位の貴族かマールベックの古参の臣下といったところだろう。

 簡易のものと思しき白木の棺が並ぶ中、ひとつだけ色合いの違う棺があって花が添えられていた。

「フリーダさん、だな……」

 穏やかな死に顔が脳裏にちらつく。

 誰も手出しできないように、わざわざ足場を脆くしてひとりリリーに挑んだフリーダはよい死に場所を得たらしい。

 フリーダの死を思い出すと胸の奥が重たくなるのは、昔なじみが死んだことへの哀悼でなくリリーが選んだ先を見た気がするからだ。

 彼女にあんな風に傷だらけで満足げに死んでいって欲しくはない。

(お前はさ、本当にいいのか?)

 今、リリーの側にいるはずのバルドへ、クラウスは問いかける。

 綺麗なドレスを着て、ごくごくありきたりな少女のように笑うことができるリリーが、破れたローブを纏い自分のとも他人ともつかない血で汚れ、傷まみれで死んでいくのが本当に正しいことなのか、バルドは考えもしないのだろうか。

(思ってたって、あいつは結局見ないふりするか)

 リリーの意志だと甘えて、自分の都合のいい所しか見ない。

「……葬儀が始まるようです」

 全ての骸が並べ終えられると、ディックハウトの炎将が姿を見せて剣を振るう。

 遺体をくるむ油の染みた布が一瞬で蒼白い炎に包まれ、次々と炎の花が咲いていく。骸が焼ける匂いは一瞬だ。

 次々に灰になって散る。

 風の魔術を使う物も周囲に置かれて、灰は一箇所に集まる。

 最後に燃やされたのはフリーダの棺で、燃え終わるのも当然最後だった。

 彼女の灰も風に浚われて全ての骸が、ひとつの灰の山になる。

 そうしてクラウスからは見えない位置にいたフランツが前に出て、小箱に灰の一部を収めた。

 そして次々と死者の身内や友人らが集まって灰を小箱や壷に収めていく。

「立派な棺に入っても、最後は皆平等だな」

 戦中に死んで個別に埋葬してもらえることは多くはない。酷いときは敵味方一緒に燃やされるくらいだ。

 死ねば魂というのはあまねく全てひとつとなるという。

 だから幾人の灰が混じろうと、自分の知人や身内であるのは変わりないと誰もが自分自身に言い聞かせて大切に連れて帰る。

「フォーベック殿、炎将がお呼びですのでいらっしゃって下さい」

 そして、葬儀が終わって少し後、ぼんやりと灰の山がなくなるのを見ていたクラウスはディックハウト炎将に呼び出された。


***


 戦が終わって三日。リリーはモルドラ砦陥落後にハイゼンベルクが退避していたルベランス城で療養にあたっていた。まだ戦の処理も終わらないので、数日はバルドもここで過ごすということだ。

 幸い傷が悪化することもなく、松葉杖を使えば自力で歩けるのでバルドの補佐は続けている。そして、バルドの補佐代理についていた水将補佐官のカイが皇都に報告に帰った。

「いたた……」

 リリーは執務室の長椅子に腰をおろして、腹の痛みに顔を歪める。

 足の裏は自分で思っていた以上に深く大きかったものの、堪えられないほどでもない。だが、脇腹の傷はふとした瞬間に激しく痛む。

「リー、横になる?」

「ん、そうさせてもらうわ。次の戦までには治ってほしいわ……」

 リリーはバルドの言葉に甘えてゆっくりと長椅子に体を横たえる。我慢できるが、大丈夫とは言えない体はいつもより疲れやすい。

 バルドも辛いならしばらく軍務もしなくていいと言われたが、何もしないで横になっているよりは退屈な軍務の方が気晴らしになる。

(早く、次の戦に行きたい……でも、シュトルム統率官とのより楽しいのかしら)

 戦に行きたいと思っていても、フリーダとの戦闘を思い出して途端にやる気が萎えるの繰り返しだ。

 ずっともぞもぞとした妙な心地悪さがくっついて離れてくれない。

 戦いたい。心の底から楽しめる勝負がしたい。

 そうしたらこの心地悪い感覚はどこかへ行ってくれるのか、それともまた同じように次の戦が本当に楽しいものなのか考えながら過ごすのか。

(どっちにしろ、そんなに戦の機会もないだろうけど)

 ハイゼンベルクは多くの兵をディックハウトに奪われ、砦もなくした。敗戦の時は近い。

 もしかしたら残る戦は物足りなさを溜め込むだけになるかもしれないと考えてしまう自分がいる。

 最良の瞬間を味わってしまったからこそ、大好きな戦をこの後心の底から楽しめなくなるというのは想定外だ。

「リー、部屋で休む?」

 思わずため息をつくと、バルドが側に寄ってきて心配そうにする。

「どこで寝たって一緒よ。だったら、バルドがいる方がいいわ。……バルドは、ゲオルギー将軍とまた戦いたくない?」

 おそらくこれまでで最も強敵だったはずの相手と戦ったバルドはどうなのだろう。

「……ない。一度勝った。十分。リーは、満足していない」

「満足しちゃったから、もう一回戦いたいんだと思うんだけど……」

「他とは戦いたくない? 戦、飽きた?」

「飽きたんじゃないわ。早く怪我を治して、剣も握りたいわよ。終わった後が、嫌なのかもしれないわね」

 戦い終わった後の空虚感を思い返しながら、リリーは首を傾げる。

 自分でもよくわからない感情を、言葉にするのはとても難しかった。自分と同じ戦狂いのバルドにさえ、上手く伝わらない。

(同じ、じゃないから伝わないのかしら……)

 バルドも同じことを考えているのか、瞳が不安に揺れている。

「あたしにも、やっぱりよくわからないの。案外、また戦に出たらこんな変な気持ち、なくなるかもしれないわ」

 バルドを安心させるように、リリーは微笑む。あいかわらず彼は理解し合えないことに怯えている。

(あたしは、ちゃんと剣を受け取って、帰って来たのに)

 何がってもバルドの元へ帰ってきたのだ。それなのに一体何を不安に思うことがあるのだろうか。

 傷が痛んで抱きしめることができない代わりに、リリーはバルドの頭を撫でる。

「すみません、シェルです。中に入っても、よろしいでしょうか?」

 その時、扉を叩く音とそんな声がして、バルドが面倒くさげな顔をして入口へ向かった。

「あ、具合がよくないようでしたら、後にしますけど……」

 そして長椅子に横たわっているリリーを見ると、シェルは怖々と眉間の皺が深いバルドに訊ねる。

「別にいいわよ。あたしは横になってればいいだけなんだから」

 リリーが承諾すると、遠慮がちにシェルが彼女の手首を取った。

 シェルには引き続きグリザドの魔術の解明にあたってもらっている。何やら仕掛けられている魔術の術式が膨大かつ複雑だそうで、まずはそれを書き写す作業から入っているらしい。

「後どれぐらいで終わるの、それ」

「昨日までで五分の一、といったところだと思います……はあ、本物の天才の術式というのはこういうことを言うんですね」

 時々紙に術式を写しながら、シェルが感嘆する。

「バルド、見てないでいいから、今のうちに仕事終わらせて」

 何をしているか分かっていてもリリーに触られるのが面白くないバルドが、促されてすごすごと執務机に戻る。

(戦が終わるのと、全部わかるのどっちが先かしら)

 何を書いているかさっぱり分からないシェルの覚え書きを眺めながら、リリーは目を閉じる。

 自分で思っている以上に疲れていたらしく、そのままぐっすりと日暮れまで眠ってしまったのだった。


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