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最初こそ慎重に歩いていたリリーだったが、あまりにも誰とも出くわさないのでいくらか拍子抜けしていた。
相変わらず砦の外や遠い場所では戦闘の騒がしい音が聞こえるのに、自分が歩く薄暗い廊下はしんと静まりかえっている。
「みんな安全な場所に移動したのかしら。そもそも、どこなのよ、ここ」
音がする方へ歩いているとはいえ、砦内の構造はまったく知らない。何度も曲がり角や下へ向かう階段を通ったので、捕らえられた部屋がどこだったかすら分からなくなっている有様だ。
「おい、そこの下女、何やってる! 早く避難しろ!」
そして不意に上から大きな声がかかって、リリーはびくりと肩をすくめる。見上げると、少し離れた場所の階段の踊り場と思しき場所から、魔道士がこちらに向かって声をかけていた。
「……すみません。新参者で道がよくわからくて」
お互い、顔がはっきり見えるほどの距離ではなかった。向こうは逃げ遅れた下働きと思っているらしい。
「左に進んで、右手側の階段を下りろ! そのあたりに他の使用人も避難している」
「わかりました! ありがとうございます!」
リリーはいつ気づかれるかもしれないとはらはらしながら、小走りで男の言う通りに進む。だが使用人の中では自分の顔を知る者がいる上に、そこはおそらく戦闘に巻き込まれにくい場所で用はない。
「どうしようかしら……」
魔道士から姿が見えないところまできて、リリーは一度立ち止まる。示された道の反対側の方が騒々しいので、敵は向こうの方に固まっているだろうが。
「いつまでもこそこそしたって仕方ないわね。あたしが逃げたのばれるのも時間の問題だし」
リリーはよしとうなずいて、早足で再び歩き出す。時々大きく砦が揺れて足を止められることもありながらも、確実に人気の多い所へと向かっていた。
曲がり角で足音が聞こえて、一旦止まる。足音はこちらへ向かってきていて逃げ場はなさそうだった。
リリーは上掛けの下で双剣の片方だけの柄を握る手に力を込める。
正体がばれればすぐさま抜くつもりだった。
そして角を曲がって顔を見たとき、リリーも相手も驚きしばし固まった。
「……どうやって逃げ出したのですか」
先に声を出したのは、ローブは羽織らず杖だけ持ったエレンだった。
「ちょっと、ね。通してくれるとありがたいんですけど」
思ったよりもよく顔を知る人物だったことに動揺したリリーだったが、剣を抜く体勢は取ったままだ。
「死にたいのですか? この先には多くの魔道士が詰めています。あなたが行っても何にもなりません」
「あいにく、丸腰じゃないのよ」
リリーはそのまま剣を抜く。上掛けもローブももう片方の剣も床に落ちたが、今は一本あればどうとでもなる。
「それは、あなたの剣とローブ……灰色の魔道士ですか。来たのですか」
エレンが気づいたらしく、リリーに確認する。
「これだけが届きました。本人はきてないと思います。それで、その杖じゃ戦えませんよね」
リリーはエレンの持っている小ぶりな銀の杖に視線を向ける。水将補佐のカイのように棒術でもって近接戦をこなせる杖の魔道士もいるが、彼女はどう見ても違う。
「ええ。杖の魔道士としても並ですから、あなたの攻撃を受けて防ぎきるのも無理でしょう。しかし、武器を持ったところで、先に進んでも殺されるだけですよ」
「だけど、何もしないでじっとしてるだけましでしょ」
剣があって体が動かせるのに、戦う以外の選択肢があるはずがなかった。
「あなたは、バルド殿下の元に帰るつもりではなく戦いたいだけですか」
呆れた顔でため息をついた後、エレンが小首を傾げる。
「帰れるなら帰ります。バルド、近くにいるんだから、戦ってたら会えるはずでしょう」
時々、バルドが魔術を使っているのを肌で感じている。例え一瞬だろうと、同じ戦場に居続けるなら彼とまた会える気はしていた。
「……ここから右手側に進めば、モルドラ砦側の門に近いはずです」
エレンが目を伏せて何か考えた後に、右手で道を示した。
彼女の言葉を信じるだけの根拠は何もないが、他に道を知る手段がないリリーは落とした剣とローブを拾い上げながら耳を澄ます。
大勢の人間が動く雑多な音がすることだけは違いない。
「じゃあ、行かせてもらいます。……このままディックハウトにつくんですか?」
リリーはさらにローブを羽織り、なんの警戒も見せていないエレンに問う。
エレンは死にたがっているようにも見えず、かといってそれほど生に執着しているようには見えなかった。
生死の境界線上でぼうっと佇んでいる。そんな風にも思えた。
「私は皇太子殿下に生きよと命じられたので、そのためにここにいるだけです」
ラインハルトがそんな命令をエレンに出していたことに、驚いた。自分が知っている皇太子は冷たく利己的な人間だった。
利用され続けたバルドはラインハルト亡き今も、彼の影を引きずり縛られている。
そんなラインハルトが自分が死んだ後、侍女の身の上を案じるようなことを言うのは意外だった。
(でも、この人は生きていたくなかった……)
ラインハルトがそんな命令を下したのも、エレンが殉死も厭わなかったからだろう。
だからきっと生と死の狭間に立っているかに見えるのだ。
(もし、あたしがバルドに置いてかれたらどうなるんだろう)
そうしてエレンの姿にリリーは、先に起こりえるかもしれないひとつの可能性をうっすらと見た気がした。
「いかないのですか?」
エレンが怪訝そうに小首を傾げて、リリーは我に返る。
「行きます」
そんなことよりも今は戦のことだと気を取り直してリリーは目深にローブを被り、振り返ることなく示された道を真っ直ぐに走り出す。
「今は、あたしの方が先に死にそうだけどね……」
人の気配が濃密になるのを感じながら、ひっそりとつぶやいて唇を舐める。
死ぬ気はないけれど、目の前に待ち受ける戦闘に理性的にはなれそうはなかった。
ぽつりと白い人影が見えると同時に、リリーはふたつの白刃を露わにする。
「な……、なぜこんな所に敵兵が!?」
そして人影が振り返り剣を抜いて攻撃してくるのを、リリーは一撃で倒す。
「敵襲! 敵襲だ!!」
そうしてさらに襲撃に気づいた魔道士が叫んで、廊下の奥からぞろぞろと白の魔道士が溢れ出してくる。
幸い廊下の横幅は小ぶりな双剣を振り回せるぐらいはあった。
敵兵も固まっては身動きがとれないと『杖』と『剣』の少人数ずつ襲いかかってくるが、リリーは一振り二振り程度で叩き伏せる。
そうして廊下に動けなくなった白い魔道士を敷き詰めながら、リリーはひたすらに前へと突き進む。
みっつの廊下と繋がっているらしい広間に出ると、待ち構えていた数十人の敵が一斉に攻撃を仕掛けてくる。
まだまだ魔力に余力があるリリーは、ローブで魔術を躱しつつ、片方の剣から風をもう一歩からは炎を出して灼熱の竜巻を敵の塊にぶち込む。
そしてさらに敵が迫ってくる方の廊下の天井向けて、重たい水の塊をぶつけて廊下を塞いだ。
「外、どっちかしら……」
そしてすっかり全ての魔道士を戦闘不能に陥らせたリリーは、音を聞きながら首を捻る。
その時ちょうど右手側でバルドが魔術を放つのを感じた。
「こっち、ね」
まだ誰もやってきていない廊下にリリーは目を向けて、塞いでしまったほうでなくてよかったとほっとする。
「っと……」
そして廊下へと出た時、砦全体が立っているのもやっとなほど激しく揺れ動いた。
どこかが大きく崩れたのだろう。戦況はまるで見えないが、ハイゼンベルクが圧倒的に押されているというわけでもなさそうだ。
揺れが収まると、リリーは再び歩き始める。廊下の奥から風が流れ込んできていので、近くのどこかが崩れて穴が開いているのかもしれない。
多少危険はあるだろうが、少しでも外の様子が知りたいとリリーはそちらへむかうことにした。
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フリーダ達は東側の四階層から援護攻撃を仕掛けていた。
ハイゼンベルク側はこちらの攻撃の届きにくい距離に陣を構えているので上手く戦力を削れていない。ここから下は兵を並べる露台はすでになく足下が不安定なのでこれ以上下からの援護攻撃はできなかった。
下ではゲオルギー将軍がバルドを食い止めているものの、他の兵も攻撃の巻き添えになり砦への攻撃に対処しきれていないようだた。
「この程度の数と思ったが、苦戦させられるな」
フリーダはハイゼンベルク軍に雷を落とし、隣のクラウスに声をかける。
「何度か仕掛けてどこが弱いかは分かってやってるだろうからな……」
あいもかわらず無茶苦茶な炎の魔術を敵陣の眼前に打ち込み、爆破させ土煙で視界を塞いでいるクラウスは攻撃の手を一度止める。
「バルド殿下が最前列にいて危機となれば前に出ざるをえないだろうが、あの調子では臣下の出番もない。ゲオルギー将軍がどれだけ持ち堪えてくれるか……。まだ増員の必要があるな。夫殿もじきにそうするだろう」
敵は少数と多少侮ってしまっていたが、ここまでくると物量で押し潰すしかない。
「くるな……総員後ろへ下がれ!!」
無数の小さな火球がハイゼンベルク軍の上に浮かび、来る衝撃に備えフリーダは兵を後ろへ下がらせる。
攻撃は西側へ向かい、杖では防ぎ切れなかったらしく今日一番の衝撃が砦を襲った。
揺れが収まって攻撃を受けた側を見れば、もうもうと煙があがって破損の具合は見えない。
ただ西側一帯を隠すほどの煙で威力のすさまじさだけは分かる。
「ヴィオラさんかな」
「あれだけのを撃てるのは、炎将かマリウスぐらいだろうな。……存外、マリウスかもしれんか」
片腕なくとも魔術は放てる。魔力の大きさだけでいえばマリウスの方がヴィオラよりも上だ。
「奥方様! 捕虜のリリー・アクスが脱走し、内部で攻撃を! 武器とローブを所持しているらしいので、何者かが脱走の手引きをしたものと思われます」
そこへ報告に飛び込んで来た魔道士は何者かと言いつつ、クラウスへ疑惑の目を向けていた。
「リリーの剣もローブもモルドラ砦に置いてきたはずだ。移送の魔道士は何やってったんだ!」
珍しくクラウスが声を荒げ、本気で焦燥しているらしくフリーダは眉根を潜める。
移送に動いた魔道士はひとりで、リリーを監禁していた部屋で意識を失い閉じ込められていたという。その際、武器は奪われておらずどこから調達したものかは不明らしい。
「リリー・アクスは双剣を使っているのか。誰かの物なら血を塗って簡易に紐付けしたとしても、魔力を使いにくいはずだが……」
この砦に誰の魔道士も使っていない武器はほとんどないはずだ。剣は特に刃を打つ時に魔道士の血を混ぜるので、そう簡単に用意できる物ではなくまた他人が勝手に柄や刃に血を塗りつけて扱おうとしても、魔術を使うことが難しくなる。
「すでに数十人やったとなると、リリー本人のしか考えられない、けど」
そう言って心当たりが見つかったのか、クラウスが言葉を止めて歯噛みする。
「俺が行ってリリーを止めてくる」
「君に止められるのか? リリーは剣を持っていて、近くにバルド殿下もいる。死にたいなら行けばいい、といいたいところだが、戦う気がない君に彼女と一戦交える機会を譲るのは惜しいな」
どうせクラウスはリリーと争う気がなく、本気で勝ちに行かない限りリリーに討ち負かされるのが関の山だ。
自分なら命懸けでリリーと戦える。
立ち止まったクラウスが、無言でこちらを見てくる。
「……ふたりがかりなら止められるんじゃないか?」
「そうだな。その手もあるか」
自分ひとりだけでリリーと戦いたかったフリーダは渋面を作りながらも、ここまでくればクラウスも退かないだろうと諦める。
他の魔道士もクラウスにまだ疑いの目を向けているが、フリーダはかまわずその場にいるひとりにその場の指揮を任せてクラウスと共にリリーを追うことにする。
「彼女はどうやって、剣を手に入れたんだろうな」
答は知っていても返さないだろうと知りながら、フリーダは問うてみる。
「……さあな。これ以上暴れさせるのをやめないとならないだろう」
「だが、こちらの損害を考えれば、捕らえたところでただではすまないぞ。どうするつもりだ?」
逃亡の上、砦内での戦闘行為。すでにディックハウトの兵の相当数がリリーに討たれている。生け捕りにしても処刑は免れない。
「その時になったら、考える」
クラウスも後がない状況に苛立っているらしく、先程から口調が固く粗い。
(さて、どうやってクラウス抜きで戦うか)
クラウスと共闘する気はさらさらないフリーダは、邪魔者をいかに排除するかを考えながらゆるみそうな口元を引き結ぶ。
(君は、どこにいても、どんなときも変わらない)
一番会いたかったリリーに会える。
そんな期待感にフリーダは胸を膨らませてふたりきりの戦場に思いを馳せるのだった。




