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駈け出したハイゼンベルク軍の先頭は半壊しているモルドラ砦南西側の平原に陣取った。まだ距離はあるが、眠っている敵兵を叩き起こし一箇所に集めるための小規模な攻撃は続けている。
「ここからなら可能」
「いけるかと、思……いいっ!?」
バルドは返事も聞かぬうちに背後のシェルを馬から半ば投げるように落として、背後に控える補佐官代理となったカイに任せる。
「……まったく、乱暴な。仕方ないですね、私の記録帳と杖のためですから」
ぶちぶちと文句を言いながらも私物が大事なシェルは平原にひょろりと立つ木の陰へ、カイに付き添われて移動する。
夜で味方の兵もシェルが何をしているか分かりづらいだろうが、目立たないに越したことはない。とはいえ身元不明の従軍者にハイゼンベルクの兵達の視線はどうしても集まる。
「敵に集中」
バルドが低く告げると、兵達は背後を気にかけながらも前を向く。
次第にモルドラ砦に灯る灯が増え、防御の魔術が張られるのがわかる。前衛の騎乗している部隊の後を行く歩兵部隊は砦から少し距離を取って、闇の中息を潜める。
ディックハウト側からハイゼンベルクの軍の正確な数と位置は、把握出来ていないはずである。
部隊は騎兵部隊と歩兵部隊のふたつに別れているかに見えて、南西から南東部まで蛇腹のような形状のひと繋ぎの陣形となっている。
バルドは西寄りの騎兵の頭に立ち、中央にはヴィオラとマリウスの炎軍の頭ふたりが控えていた。
「南東、攻撃」
バルドは自分の側に兵が集まったのを確認し、最後尾へと指示を送る。
わずかに時間を置いて、南東で攻撃が起こり敵の防衛がふたつに別れていく。敵にこちらが兵を二分したと見せかける策だった。
狙いは手薄となる南側。
そこから一気にヴィオラ達が砦を崩すこととなっている。
(……まだ)
バルドはシェルがいる木陰にちらりと目をやる。モルドラ砦を落とすのに、そう時間はかけられない。
シェルによれば、モルドラ砦の中にしまわれたままなら取り戻せるとは言っていたが、あれがいつまでも置いておかれるとも限らない。
すでにディックハウト側も防衛の二分化ができつつある。
中央に攻撃の指令を出さねばならない。
「炎将、攻撃開始」
バルドは砦の様子を窺いながら中央のヴィオラへと指令を飛ばす。指令が届くまではわずかだった。
「確保できました!」
シェルが本来の自分の杖や記録帳を抱えて木陰から出てくる。
隊列のすでに巨大な火球が早過ぎる日の出のように宙に浮かび上がっていた。そして一気に半壊したモルドラ砦の南側に叩きつけられる。
隊列は蛇腹を畳み、バルドがさらに一撃雷を落とせば脆くなった砦はまたたくまに南側がひしゃげていく。
それを見届けることもなく隊列は固まって西側から北側へと回り込みながら、次々と攻撃を加えていく。
「……こうやって瓦礫になっていくのですね」
もうもうと立ち上る粉塵に口元を押さえながら、カイの馬に乗せられたシェルが暗闇と煙の中で八百年の歴史を持つ砦が一瞬で崩れていくのに唖然とつぶやく。
ここまで半刻とかからなかった。
ただ、最初からモルドラ砦自体はそう手間取らないとは踏んでいた。予定通りに策が進んだからといって気を緩めるわけにもいかない。
背後の残党は後回しにして、最大の目標はゼランシア砦である。
陣を張り夜明け前には攻撃を始める予定だ。
(リー……)
リリーの手に戦うために必要な物を渡せるのも、もうすぐのはずだ。
バルドは眼前に迫るゼランシア砦を見やり再びリリーが戦場に戻る瞬間を心待ちにする。
***
最初に寝台が揺れ動いて、リリーはすわ攻撃かと飛び起きた。だが予想していたほどの衝撃は襲ってこなかった。
だが低い地鳴りが長々と続き、リリーは暗がりの中注意を払って窓辺に寄る。開けたままの窓の向こうはまだ夜が深く何も見えない。
よくよく目を凝らせばモルドラ砦があるはずの位置で、煙があがっているのが月明かりの中でうっすら見えた。
「奇襲に出たんだわ。崩したのかしら」
戦況はまったくわからないものの、この地鳴りの大きさと振動は砦が崩壊したからと考えるべきだろう。
もはや半分崩れたモルドラ砦は敵兵ごと一掃してしまうというのは、バルドらしいやり方だ。
まだこの暗がりなら、そのままこちらにも攻め込んでくる算段かもしれない。
リリーは床に耳をつけて、砦内の音を聞く。すでに起き出した兵達とおぼしき慌ただしい足音の震動が伝わってくる。まだディックハウト側も状況を把握しきれていないだろうが、クラウスとフリーダ、それにエレンもいる。
ハイゼンベルク、というよりもバルドの動きを予測するのに、この三人がいれば事足りる。
「バルドが来る……戦が始まる」
リリーは顔を上げて沸き立ってくる感情に身を震わす。
バルドに会えるという喜びと、この場が戦場になるという興奮に口元には自然と笑みが浮かんでいた。
だが、自分には剣がない。砦内のどこに自分がいるかもはっきりしない。かろうじてわかっているのはハイゼンベルク領側の側面のどこかにいることぐらいだ。
本格的に戦が始まるのは夜明け頃。
「……向こうの策にのってやればここからは出られるかしら」
リリーはこの部屋で唯一動かせて鈍器として利用できる、フリーダが持ち込んだ椅子の背に手を当てながら思案する。
刃物があれば魔術を一撃放つことは容易い。
この部屋の外に出れば食事用のナイフの一本や二本は手に入れられるはずだ。着ているのも今日も下働きのお仕着せで、戦が始まれば混乱に乗じて紛れ込みやすい。
リリーは慌てず焦らず、ディックハウト側が動くのを待つことにして椅子に座る。しかしさすがにじっと待てるほど気長ではなく、またすぐに窓辺へと移動した。
黒い闇に紛れてハイゼンベルク軍が近づいて来ているのだと、モルドラ砦からこのゼランシア砦まで移動する道程を目を凝らして見る。
だが月明かりも星明かりも、地面の暗闇までは照らしてはくれない。
リリーはゼランシア砦が騒がしくなっていく音を聞きながら、祭の前の子供のように頬を紅潮させ瞳を輝かせながらこの場が戦場となることを期待していた。
***
クラウスもまた、モルドラ砦崩落の音と揺れに目覚めて、すでに腰に長剣を下げて動き始めていた。
「思ったより早いな……」
まだモルドラ砦を奪取して五日足らずである。性急すぎるとみるか、迅速とするか判断に迷うところだ。
「ああ。クラウス、モルドラ砦は完全に破壊されていそうだな」
最初に会ったのはフリーダだった。
「まだはっきり様子は見えないけど、バルドだったらそうするだろうな。崩れかけのおんぼろ砦だ。全壊させるのは難しくない」
前と後ろで挟み撃ちを避けるためにモルドラ砦を文字通り潰してしまうのは予測していた。だからこそ兵は最低限しか置かなかった。
後は、どれだけの数でこちらに迫って来ているかだ。
早朝にもかかわらず、すでにマールベック伯爵とゲオルギー将軍を中心に士官達は広間に集まって戦支度を始めている。
「エレンも出るのか?」
そこにあくまでベーケ伯爵の使者として砦に滞在しているエレンもいた。
「……念のために軍議の場にはいて欲しいということなので」
エレンがゲオルギー将軍をちらりと見て言う。
「そうか。まだこの暗さじゃ状況は分からないな……」
まだ日が昇っていない状況では、モルドラ砦がどうなったかも明確なことは分からない。
「敵から見える灯は消せ、我々も闇に紛れて布陣する。フォーベック殿、こちらへ」
指示を出すゲオルギー将軍に呼ばれ、クラウスも前に出る。しかしすぐに何か命を下されるわけでもなく、助言を求められることもなかった。
ゲオルギー将軍の命令により、前日までの軍議で話し合われていた防衛策にのっとって配置につくため各部隊長らが慌ただしく出て行く。
「将軍、日が昇るまでは、防衛に徹するんですね」
「ああ。下手に前に出ては攻撃を受ける。後四半刻もすればハイゼンベルクもこの砦に攻撃できる位置につく。フランツ殿はここで予定通り護りを固めていてくれ。日が昇れば俺は攻撃に出る。ハイゼンベルクも、手勢は少ないはずだ」
ゲオルギー将軍に確認をとられてクラウスはうなずく。
とはいえすでに二度の攻撃を受けているゼランシア砦のハイゼンベルク側は脆くなっている。少数でも攻撃で突き崩そうと思えばできる。
護りに徹しながらも、兵は砦から出して砦そのものへの攻撃を食い止めるしかない。
「ただ、少ない分、機動力はあるので他の兵が数で勝てると気を抜くとまずい。モルドラ砦も攻撃開始からすぐに落としたはずです。こっちも統率を乱されないように、注意を払わないとならないですね」
「統率を一番乱した君がそれを言うのも、おかしいな」
フリーダが茶化すように言う。
「逆に言うと、俺みたいな結束を乱す奴がいない分向こうの団結も固いってことだよ」
「そうだね。……リリー・アクスはどうします? 彼女がいれば将軍が早々に前に出られる必要もないのでは」
フリーダがリリーのことを口に出して、クラウスは眉を顰めた。
「下手に戦場に出すと、リリーは何しでかすかわからないって言っただろ。戦況見てから、リリーは俺が使う」
そういう約定だったはずだと、クラウスはゲオルギー将軍に確認をとる。
「向こうに逃げ帰られることもある。奥方、彼女のことはフォーベック殿に任せておくといい」
「はい。いらぬことを言いました。申し訳ありません」
フリーダが素直に引き下がるが、クラウスは彼女の様子に違和感を拭いきれなかった。
「……さっきの、どういうつもりだよ」
配置につく途中、クラウスはフリーダに小声で詰問する。
「何、少し思いつきを口にしてみただけさ。さて、ここでバルド殿下が討ち取られれば君の望むものは全部、手に入るのかな」
フリーダがはぐらかしながら、含みを持たせた言い方で問いかけてくる。
「全部、バルドがいなくならなきゃ、何も始まらないからな。ゲオルギー将軍が勝ってくれるのがいい」
「君は、自分でバルド殿下の首を取りにはいかないのか」
「俺がバルドに勝てるわけないだろ。そういや、殺したいとは思ったことないな……」
バルドは嫌いだが、そこまで憎んでいるかといえば違う。力の差がありすぎて考えられなかったということもあるが。
砦の二階層の広間に行くと、多くの白いローブを纏った魔道士達が緊迫した様子で息を潜めていた。
そうしてクラウスとフリーダも窓辺に寄って、暗闇の中で感覚を研ぎ澄ませて動きがあるのを待つ。
それからしばらくして、窓の向こうが仄白くなり雷が砦を襲う。
肌を刺す感覚に間違いなく、バルドの攻撃だと分かる。
「怯むな。敵は少ない。いずれ夜明けになれば、敵の姿が見える。今度こそハイゼンベルクの雷獣を討ち滅ぼすぞ」
フリーダが鼓舞して、周囲の士気が高まる。
(あいかわらず、こういうのは上手いな)
クラウスは冷めた思いで昔と変わらないフリーダを一瞥して、視線を落とす。
今、一番気になることは、リリーがどんな思いであの雷を見ているかだった。




