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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
63/115

3-4


***

 

 広い私室の片隅でフリーダは、愛刀と呼ぶにはまだ付き合いの浅い双剣を台の燭灯の下抜いていた。戦闘がすんでからすぐに手入れはすんでいるものの、なんとなしに刃を見たくなったのだ。

 傾けると血の滴のように光が刀身を伝い、どんな宝飾品よりも妖しく美しく見える。

 この妖艶な剣をリリーのいない戦場に連れて行くのは、もったいない気がする。

「フリーダ、入るぞ」

 刀身に魅入っていたフリーダは、当然の夫の来訪に水を差された気分で眉を顰めて剣を収める。

「何をしている」

 部屋に入ってきたフランツは、フリーダが剣を握っている剣を見て怪訝そうな顔をした。

「戦に備えて手入れをしているだけです。よからぬことを考えているわけではありませんよ。それで、夫殿の用件は」

「今後の話をしたい」

 返事をする前にフランツが側にある長椅子に腰を下ろす。

「戦の話ですか、それとも私の身の振り方についてですか」

 おそらく後者の方だろうと、フリーダは双剣を寝台に置いてフランツの正面に座る。

「貴女はどうしたい。離縁したいのか、このままでいるのかどちらか好きな方をえらんでもらっていい。離縁するならばするならばするで、身を預ける先も考える。このままであるなら、歩み寄りたい」

 真っ直ぐに自分の目を見て問うてくる夫は、今夜はいつもと様相が違った。

「……戦死できれば一番よいのですが」

 はぐらかしたり無為に夫を苛立たせるつもりはない。ただそれ以外の答が見つからなかった。

 フランツが怒りを鎮めるためか深呼吸をして間を置く。

「生き続けることは貴女にとってそれほどまでに苦痛か」

 苦痛なのだろうか。自分でもよくは分からないが、この先ぼんやり生きてそのうち死ぬよりは、戦場で戦って死んだ方がましだというぐらいである。

 そんな思いを伝えると、夫は悲しげに眉を下げた。

「嫁ぐまでに貴女には戦場に立つ志があったのではないのか。主家のため、家のため。私との婚姻で志を踏みにじられたのでは」

 あいかわらずフランツの考えは的外れだった。まっとうに家のため国のためにとなにひとつ疑わず、生真面目に生きてきた彼とは根本的に噛合わない。

「そんなものはありません。父の命に従ってきたまで。……これまで、私は自分の意志というものを持ったことはありません」

 物心ついた時には厳格な父の目に怯えていた。父が望むままに従い続け、いつしかそんな毎日に嫌気がさして父の望まないことをしてもみた。

 だが結局、ただ父に反抗するためのことで本当にそれが自分自身のやりたいことかと問われれば、否だった。

 自分というものがまったくわからない。

 伯爵家令嬢という肩書きが産まれながらについてきて、それに伴って周囲がこうあるべきだと型を作った。そして型に嵌められ窮屈で、違和を感じていても自分自身の本来の形が見えなかった。

「だからといって死を選ぶのはよくはない」

 戸惑った顔でフランツが言う。

「選ぶのではなく、逃げるのでしょう。だから、夫殿がお決め下さい」

 いつも通り、激昂するかと思ったフランツは沈黙して気難しい顔をしていた。

「私も、分からないのだ。貴女をどうすべきか」

「離縁されたいのでは?」

 途方に暮れた顔の夫に、フリーダは首を傾げた。

 自分とこのまま婚姻関係を続ける意味など、もはやフランツにはないはずだ。離縁するのが最もよい選択である。

「積極的に離縁は望んではいない。縁組みをした以上、婚姻関係を続けられるならそうすべきだが、私ひとりの意見でどうこうなる問題でもない」

 これではいつまで経っても堂々巡りだ。

 ぐるぐると同じ会話が繰り返されることに、フリーダとフランツがため息を零したのは同時だった。

「……次の戦でお互い生き延びたのならもう一度話し合いましょう」

 フリーダがそう提案すると、フランツが緩慢に首を縦に二度振って席を立つ。そして夫が出て行った後、フリーダは寝台の上に置かれた双剣へ目を向ける。

 次の戦場に出てもリリーはいない。

(私の、意志)

 考えてみればリリーへの関心は自分だけの意志やもしれない。

 誰に何を言われたわけでもなく、彼女のことが気になった。誰かが象った自分ならばきっと、血筋や家柄の持つ優位性を半ば自覚しながら傲慢な慈悲をリリーに与えていたはずだ。

 上官ではあるが皇子の寵愛から地位を与えられただけの、身分も年も下であるリリーに親切に接し心を砕く心優しく真面目な令嬢。

 だけれど、自分はそうしなかった。

 必要なことはきちんと教えた。しかしそれ以外の会話はろくにしなかった。

(きっと、上っ面だけの仲になりたくなかったんだ)

 誰かが形を決めた自分ではリリーと親しくなることもなかっただろう。

 本来の自分というものでリリーとはいい関係を築きたかったのだ。だが本当の自分というのがわからないままだった。

 今からでもできないことはないはずなのに、なぜか今更気づいたところで遅いと思う自分がいた。

(今の彼女は自由ではないから)

 理由を探してもいまひとつしっくりこない。

 フリーダは寝台の上の双剣を手に取って、考え込む。しかし自分が欲しているものはわからないままだった。


***

 

 夕刻のルベランス城は静まりかえっていた。城に残る一部の者をのぞいて明日の早朝の奇襲に備えて早い眠りについている。

 動き出すのは夜更けだ。

 戦の直前はいつも気が昂ぶっているバルドも、ひとまずは眠っておこうと狭くて暗い空間に潜り込む。遠征の時には用意された居室の中で見つけるか、寝台や長椅子を壁際に動かして寝床を作るのが習慣だった。

 リリーさえいれば広い寝台でも眠れるものの、戦前となるとふたり揃って目が冴えて仕方ないかもしれない。

 そんなことを考えながらついた眠りは浅かった。起きたのは起床予定の刻限より早かった。

 二度寝はできそうにないバルドはバルコニーに出て、夜風に当たる。森の木々が風に揺れると闇が蠢いて得体のしれない生き物に囲まれている気がする。

 視線を下げると、篝火に照らされた庭でうろうろしている人影が見えた。シェルだろうとバルドには分かった。

 隙だらけで軍人らしさが欠片も見当たらないのだ。

 杖は夕刻前に完成して、その途端気絶するように眠っていたはずなのにどういうことだろうと気になってバルドは下に降りることにした。

 その時、炎将のヴィオラの部屋に灯がついているのを見た。

 他にも従軍予定の仕官の部屋もいくつか灯がついている。眠れないのか、自分と同じく早くに目覚めてしまったのかは分からない。

 戦で足を引っ張らなければいいかと、バルドは他人の心境はあまり深く考えずに外に出る。

 土と緑の匂いが濃い庭先では、シェルが杖を片手に、ぐるぐると一所を歩いていた。

「何をしている」

「初めての戦争参加で緊張してるんですよ。あとは気休め程度ですが、魔力の回復も。ここはいい場所ですね。島の中でも魔力を回復しやすい」

 魔力とは大地からわき上がるものだという。そしてこの島の大地は大陸よりもずっと魔力が少ないらしい。

「なぜ、この島が特殊」

「さあ。かつてこの島は大きな魔力を産んでいたが枯れてしまった説と、いずれ新しい魔力源となる島という説がありますが、後者はなさそうですね。そう言われてもう千年以上ですから。前者の説の方が有力だったからこそ、世界中の魔道士の注目を集めた島でもあります。大陸の魔力もいずれ枯渇するという予測がされて千五百年ほど経つのですが、実際大陸の魔力自体も減り、魔道士の数も減ってきています」

「大陸も、いずれ魔道士がいなくなる」

 この島ほどすぐにではないだろうが、シェルの言う仮説が真実ならば魔術というのはいずれ死に絶えるものなのかもしれない。

「そうですね。だからこそ、今この伝説となっている島とグリザドは大陸で再注目されているのです。魔術が絶えた後に、魔道士達はどうなるのか、少量の魔力供給で何ができるのか。しかし、この島にたどりつくことは困難です。魔術が衰退していく一方で発展している科学者達の方が、先にこの島にたどりつきそうですね。彼らは魔術なしで空をも飛ぼうとしている」

 空を飛ぶ魔術すら知らないバルドには、まるで理解できない話だった。

「……いずれ、大陸の人間が島に来る」

「まだまだ先でしょうがね。この島には魔道士だけでなく、ありとあらゆる学者がこぞってきたがるでしょう。私がその先駆けというわけです」

 なにひとつ想像がつかない話に、バルドは小さいと思う。

 自分が知っている世界はあまりに小さく、狭い。かといって全てを知りたいと思うほどの好奇心は持ち合わせていなかった。

 この小さな世界で、自分が生きて死んでいくことになんの抵抗も疑念もない。

「私は無事に帰れるんでしょうか……。心配だ」

「死ななければいい」

 急に気鬱になるシェルに、バルドはすげなく返す。

「あなたの考えることは単純で難しいですね……。なにはともあれ、杖を取り戻すことが第一目標です。やはり、寝ておきましょう。では、おやすみなさい」

 シェルは二度寝を決め込んだらしく、そそくさと城の中へ戻って行く。

 そして一刻ほど経った後、ぞろぞろと兵達が起き出して隊列を組み作戦の最終確認を始める。

 居並ぶ兵の数は少ない。改めて味方の少なさに心許なくなる者もいれば、なにがなんでも生き残るという者もいる。

 一番多いのはただでは死なないといった者かもしれない。

 バルドは勝つ心構えだった。

 いつだって戦うときに欲するの勝利だ。

 求めるものはただそれだけだ。しかしとバルドは自分の後ろに騎乗するシェルに目を向ける。彼が背負っている荷の中には自分の杖だけでなく、リリーのローブと双剣もある。

「……出陣」

 全ての準備が済み、バルドは号令をかける。

 後は進むだけだ。この先に戦場とリリーが待っているはずである。

 真夜中を過ぎ、ハイゼンベルクは闇の中をひたすら行軍する。夜に呑み込まれないように、密集して歩調を整えて歩きながら徐々に緊張を高めていく。

 やがて篝火の橙色がぽつぽつ見え始めて、おぼろげなながら巨大な砦が輪郭をおぼろげにして姿を現わす。

 ここを越えなければ朝陽は拝めない。

 バルドが剣を振り上げる。

「攻撃開始」

 落雷の音と共に、兵達が一気に駆け出した。

 

 

 

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