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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
62/115

3-3


***


 日が落ちて暑さに耐えかねたリリーは暗がりの中、手探りで窓辺までいって鎧戸を開く。夕立の名残の湿った風は冷えていて涼しい。

 外の篝火でほんの少しだけ視界が明るくなるが、やはり部屋は真っ暗で足下もよく見えなかった。

「さすがにもう寝飽きたわ」

 真っ暗闇の中で何をすることもなく夜が明けるのを待つしかない日が、あとどれだけ続くのだろう。

 今日の夕餉のフリーダがいくらかこの砦から兵がいなくなって静かになったと話していた。この窓からも兵がモルドラ砦へ向かって行っているのも確認していて、帰って来た気配がないのでまずはハイゼンベルクをモルドラ砦で迎え討つつもりかもしれない。

「……バルドが動くとしたら朝駆けか夜討ち」

 少数の兵で大軍相手にするならば奇襲をまず考える。ハイゼンベルクの黒いローブも闇に紛れるのに適していることもあって、夜中か明け方前に動くことが多い。

 モルドラ砦ならば元々の拠点なので、地の利はある。ディックハウト側もそれを見越して準備をしているのだろうが。

「モルドラ砦を早朝に奇襲、その間に別働隊をここへ……部隊は二手に分けるのは厳しいかしら」

 あまり動かせる兵はいないだろうから、分散させる余裕はないかもしれない。

 リリーが窓の向こうを見ながらつらつらと戦略を考えていると、部屋の鍵が開けられる音がした。

(こんな時間に誰かしら)

 リリーは手探りで机を見つけ、その影に隠れて息を潜める。

「リリー、起きてるか?」

 入ってきたのはクラウスだった。灯は持っていないらしく、慎重に床を踏む音が聞こえる。

「こんな時間に何の用?」

 リリーは体を隠したままクラウスに声をかける。

「話をしにきただけ……あいたっ。灯持ってくればよかったな」

 椅子か寝台にでもぶつかったクラウスがぼやいて、目が慣れてきたリリーはそっと様子を窺う。

「話はないって昼間言ったはずよ。だいたいなんであんたひとりでいるのよ」

 フリーダはひとまずクラウスとふたきりにさせないと言っていたはずだが。気が変わったのだろうか。

(……最悪のことは、考えたくないんだけど、これってそういう状況なのかしら)

 以前クラウスに抑え込まれた感覚を思い出してリリーは、背筋が冷えると同時に身ひとつの自分の無力さに歯噛みする。

「フリーダさんは知らないよ。旦那の方が気を利かせてくれたんだ。何もしないからもうちょっと近くに来てくれないか」

「話だけならそこでできるでしょ。この暗さじゃ顔なんて見えないんだし」

 自分は目さえ慣れればある程度の距離で表情は分かるが、視力の悪いクラウスは夜目もそれほど利かなかったはずだ。

「それもそうだな。昔の話、しないか? 先の話はする気ないだろ」

「ないわ。無駄話するだけなら、出て行きなさいよ」

 警戒心を緩めずにリリーが返すと、クラウスが苦笑する。

「せっかくの好意を無駄にするわけにもいかないから。今、フリーダさんとの仲、勘繰られてて俺も困ってるんだ」

「なにがどうしてそういうややこしいことになってるかは知らないけど、たぶんあんたが悪いんでしょ。昔っから女癖悪いんだから」

「それを言われると反論できないな。……リリーは俺と最初に何話したか覚えてるか?」

 なぜか昔話を始めることになってしまったことに不服を覚えながらも、リリーは記憶をたどってみる。

「……覚えてないわ」

 気がついたら仕官学校の他の学徒達よりも会話をしていることが多くなっていた。始まりは記憶になかった。

「俺も覚えてないんだよなあ。五つも年下の十歳の子供は相手にしないから、たぶんバルドのことで何か訊いたとかか。リリーから話しかけてくるっていうのはまずないだろうし」

「そんなところじゃない? ああ、なんか思い出した。あんたに焼き菓子貰ったことあるわ、あたし」

 幾つの時か覚えていないが、甘い物は好きかと訊かれて菓子をもらったことがあった。

「そんなことあったっけ? んー、そうだ。ちょっと餌付けできないか試したことあったな」

「餌付けって、何企んでたのよ」

 不穏な言葉にリリーは当時のことを必死に思い出そうとしてみるが、菓子を貰った以外何も出てこない。

「皇太子殿下にバルドとリリーを引き離してみろって言われてたんだよ。ああ、あった。あった。たぶん子供なら菓子で釣って丸めるんじゃないかって試してみたんだ。その後何話たっけ?」

「あたしも覚えてないわよ。あの人、そんな手回しまでしてたのね」

 バルドの亡き兄のラインハルトは自分とバルドが仲良くなったのをよく思っていなかった。貴族の子弟と交流を持たせようと士官学校に入れたはずが、孤児の自分と親しくなってしまったので当然のことだ。

「俺の目論見は失敗して、餌だけ食われて逃げられたのは間違いない」

 クラウスが自嘲して、リリーは唇を尖らせる。

「いくらあたしでもそこまで単純じゃないわよ。あんただってどうせ適当だったんでしょ」

 クラウスがラインハルトの命令を真面目に聞いていたとも思えなかった。

「ん、そこまで適当じゃなかったとと思う。俺、バルドが執着できる物、見つけたのが気に入らなかったからなあ。本当に執着心があるのかも気になったし」

「気に入らなかったの?」

「そう。俺はバルドが子供の頃から嫌いだった、というか今でもあいつのことは嫌いだな」

 初めて知るクラウスのバルドに対する感情に、リリーは目を瞬かせる。

 仲がいいというほどでもないが、クラウスがそんなに昔からバルドに敵意を向けていたことがあっただろうか。

 そもそもバルドは他人から怖がられていても、嫌われるというほど他人に関わっていないはずだ。

(あたしと一緒、というわけでもないわよね)

 無関心はかえって敵意を招くとフリーダに言われたものの、クラウスがそんなことを気にするとも思えなかった

「なんで嫌いなの」

「俺と似てたのに、俺とは違ったから。なんにも執着も持てないし、誰にもまともにかまってもらえなかった。俺はそういうのに苛々してたのに、バルドは自分が見たくないものは見ないふりして、聞きたくないものは聞かないふりして逃げてたのが本当に気に入らなかった」

 クラウスがこんなにも自分自身ををさらけ出すのは、この暗闇の中だからだろうかと思いながら、リリーは膝を抱えて目を伏せる。

 バルドは力は強いからこそ、力で打ち壊せないものに対しては脆弱だ。逃げることしかできないのだろう。

「でも、似てるならバルドの気に入った物は俺も執着が持てるかもって、横から取ったりしてた。結局、俺にとってもバルドにとっても全部どうでもいい物だったけどな」

「なんでそんなに執着持ちたいの? あんたはそういうの一番面倒くさがりそうなのに」

「自分が誰にもまともにかまってもらえないのは、自分がなんにも執着心もてないからっぽの人間だと思ってたから」

 クラウスは他人と深く関わるのを嫌う質だと思っていたので、意外な答だった。

「今も、そう思ってるの」

「今はというか、とっくの昔に誰かにかまわれたいっていうのはなくなってたかな。でも、なんか執着持てるものが欲しいっていうのは、残ってた。だから、バルドが気に入ったリリーには昔から興味はあった。けど、士官学校の時ってよく覚えてないな。色々話した気はしても、何話したか覚えてない」

 入軍してからよりも士官学校にいた時間が長いけれど、リリーもその頃のクラウスとの記憶は薄かった。

「卒業する前にあんたに迷惑かけられたことはあったわね。他は本当にほとんど覚えてないわ。士官学校の頃は、売られた喧嘩買ったか、バルドと一緒にいたこと以外は思い出せないわ……」

 そういえば、バルドともどんな言葉を交わしただろうか。クラウスとの記憶よりは鮮明であるけれど、忘れていることもたくさんあった。

 お互い言葉を交わすよりもじゃれあったり、寄り添ったり、剣を合わせたりしていることが多かった。それでも色々話したことがあるはずなのに、ほんの一欠片しか記憶に残っていない。

(全部覚えておきたかったな……)

 大事な物をなくしてしまった喪失感に、リリーは遠くにいるバルドに無性に会いたくなる。

「ずっとバルドと一緒だったよな。そうじゃなかったら、リリーとも話すこともないどころか、興味ももたなかったんだろうな、俺。でもさ、いつの間にかリリーのこと、バルド抜きで気になってたんだ」

 クラウスがため息を吐いて、笑った。

「もっと早く気づいてたら、何か違ってたかな」

「違わないんじゃない。あたしは変わらないもの」

 バルドの側にずっといる。

 理由も感情も変化しながらも自分の居るべきところはいつもバルドの側だ。そのことが変わることはないだろう。

「変わらない、か。……リリー、ここで寝ていいか?」

 クラウスが重々しく吐き出してから、いつもの軽い口調に戻った。

「よくないわよ。用が済んだら出て行って」

「できれば朝までいた方が体面的にいいんだけど、仕方ないな。あとちょっと話したら出て行く」

 リリーは無理矢理追い出すのは諦めて、大人しくクラウスの話を聞くことになった。

 士官学校の廊下。人気のない書庫の片隅。空き教室。おぼろげな記憶に、まったく覚えていなかったこと。

 暗闇のせいで鮮明に頭に浮んでくる景色の中にいつもバルドがいる。

 入軍してからになるとなおさら彼の姿は色濃くなっていく。たった三月程度離れているだけの皇都が、遙か遠くの思い出の中にしか存在しないような気さえしてくる。

 あそこにバルドとふたり帰る日はいったいいつになるのだろうか。

 リリーは過去に思いを馳せながら、先のことを憂えるのだった。

 夜明けはまだまだ遠い。

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