表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
61/115

3-2

***


 うつらうつらとしていたロスヴィータは、指先を握られる感触にはっと目覚める。

「アウレール……」

 ディックハウト皇主である息子が急な高熱に倒れ、もう幾日経っただろう。回復に向かうどころか一日に目覚めるのが一度か、二度と日に日に悪化していっている。

 食事もほとんど受け入れられずに、衰弱していくばかりだ。

 そしてアウレールに唯一魔術でもって生気を与えられるロスヴィータも、魔術の使いすぎで疲弊しきっていた。

「ロスヴィータ、ハイゼンベルク方のモルドラ砦が落ちた。雷獣の愛妾も捕らえたということだ。勝利は近いぞ」

 皇主の寝所に挨拶もなく入り込んできたのは、兄である宰相だった。

「……今は戦などどうでもよいでしょう。ええ、そうだわ。そのせいでこの子はよくならないのだわ。皇祖様がお怒りなのよ。全てを明らかにして、こちらの負けを認めれば、わたくしの可愛いアウレールはきっと元気になりますわ」

「明かしてどうなる。そうすればアウレールもお前も殺される。……影を立てる。水泡が酷いので顔を隠しているということにする。お前も横につけ」

 兄の粗雑な言い様に、ロスヴィータは拳を硬く握る。

 たったひとりの息子をすげ替えのきく人形として言っているかに聞こえ、怒りが湧いてくる。どこまでこの兄は身勝手なのだろうか。

「そんなもの、すぐに贋物だと露見いたしましょう。わたくしのアウレールに代わりなどありません。……あの方の元へ嫁いでいればこんなことにはならなかったのです。兄様が欲をかいて婚約を破談にさえしなければ。わたくしも、この子も」

 ロスヴィータには幼い頃から家同士で決まった縁談があったのだ。相手は当時の皇主ではなかった。

 家同士が決めたこととはいえ、相手との関係は良好だった。まだ愛も恋もよくわからない年の頃から、そのうち一緒になるのだとふたりとも固く信じて将来を疑わなかった。

 やがて友情にほのかのな恋心と愛情が育まれ始める頃に、突然の破談となった。

 兄が何番目かの皇妃として自分を皇主に薦めたのだ。

 宰相家から皇妃を出すのは周囲の目もあって父は避けていたが、跡を継いだ兄はそうではなかった。

 皇家との縁組みはあっという間に進み、婚約者であった幼馴染みとの将来を突然絶たれた気持ちの整理すらつかなかった。

 お互い、未練がありすぎた。そして若く幼い故に、向う見ずだった。

 そうして兄はそんな自分達の浅はかさを利用したのだ。自分達の秘め事はとうにに知られているのも知らずに、兄の望むままの結果になった。

「今になって何を言っている。後戻りなどもうできない。水将と炎将も近く動かす。……ディックハウト家は絶えない。絶えさせない」

 兄が息も絶え絶えのアウレールへ目を向けるのを見て、ロスヴィータは悟る。

 兄はアウレールを見限って用意している影を皇主として据えるつもりだ。ハイゼンベルクの皇主が死ねば、誰もが嘘を呑み込まざるを得なくなるとでも考えているのか。

(わたくしのアウレールを捨て駒にはさせないわ)

 ロスヴィータはアウレールの頬をそっと撫でる。

 この子を護るのはもはや自分だけだ。誰もが息子はただの道具でしかないと思っている。

(あなたは、この選択を正しいと思っているの、リーヌス)

 遠く離れたゼランシア砦に雷将としているかつての婚約者でに問を投げかけても、無為なことだと分かっていた。

 逃げるよりも嘘を貫く決意をした彼は、ハイゼンベルクの皇主を命に替えてでも討ち取る気だ。

「……今日は、影の側に控えずともいい。看病疲れで休んでいることにする」

 アウレールの側を離れる気配のないロスヴィータに、宰相が嘆息して部屋を出る。

 これ以上兄の思い通りにさせるものか。

 そう胸に固く誓うロスヴィータはアウレールの小さな手を握り、かすかに笑みを浮かべるのだった。


***


「俺さ、リリーとふたりっきりにしてもらえないのか?」

 昼過ぎ、リリーの部屋を訪ねているクラウスは、横に付き添っているフリーダに重々しくため息を吐く。

 どうにかリリーとふたりきりになれるかと思えば、フリーダの監視つきとなってしまったのだ。

「あたしはあんたと話すことなんてないんだから、こなくていいわよ」

 寝台の上で所在なさげに膝を抱えているリリーの反応も相変わらず、不機嫌なままだ。これは自己責任で仕方ないとはいえ神器の件を含めた込み入った話ができないのは、困ったものである。

「ということらしい。君はこれ以上彼女の機嫌を損ねる前に退散した方がいい」

 フリーダが面白がっている顔で、部屋の入口を顎で示す。

「……あたし、シュトルム統率官とも話はないんですけど」

「それは残念だ。どうやら私とクラウスは邪魔らしい。また夕餉の頃にくるよ」

 来たばかりで早々に追い出されることになったクラウスは、未練がましくリリーを見ながらも目すら合わせてくれない様子に諦めて部屋を出ることにした。

「で、どういうつもりだよ。俺の監視もしてるのか?」

 フリーダが自分とリリーをふたりきりにさせないつもりなのは分かるが、その真意が全く見えなかった。特に命じられてという様子でもない。

「君が彼女に下手に手出ししないか心配なだけだよ……ああ、何か用らしい。では、引き続きディックハウトの勝利のために骨を折ってくれ」

 そして折良く侍女がフリーダを呼びに来て逃げられてしまった。

「……こうも邪魔してくるとはな」

 マールベック家の居住区から出てひとりになったクラウスは、予想外の障害に頭が痛いとうなだれる。

「だいたいなんで、下働きの服なんか着せるんだか……」

 着替えたリリーの格好にも思わず眉を顰めてしまった。砦の使用人達と同じ格好をしていると、何かあったときに見つけにくいだろうに。

 囚人には囚人と分かりやすい服があるはずだ。

 用意したのはフリーダだろうが、彼女の意図がどこにあるかが見えないことが不安だった。

「フォーベック殿」

 頭を悩ませながら歩いていると、フリーダの夫のフランツに呼び止められてクラウスは愛想笑いを浮かべる。

「……どうも」

 いかにも生真面目で潔癖そうなフランツは初対面の時から苦手だ。

「リリー・アクスとの面会に妻が同行しているようだが、フォーベック殿の邪魔になっていないだろうか」

「邪魔というか、監視されているみたいでいい気分ではないですね」

「……こちらとしてはフォーベック殿と彼女の面会を監視するつもりはない。いずれ娶るつもりならなおさら、話をする時間が必要だろう」

 どうやらフランツはさっさと自分とリリーの関係を纏めてしまいたいらしい。フリーダと自分の関係を勘繰っているので、妻が心変わりしないか冷や冷やしているのかもしれない。

(フリーダさんの方はまったく俺に興味ないだろうな)

 結婚自体に不服そうなフリーダは夫の事すら眼中になさそうだ。しいていうなら、今はリリーの方に執心している気もする。

「まだ、先は長いからゆっくりやるつもりです」

「……今夜、家の者に通すように言いつけておく。好きに会いにいかれるがよい。では」

 短く言ってフランツがするりと横を通り過ぎた後、クラウスは顎に手を当てる。

「さっさと手をつけとけってことだな、これ」

 そうは言われてもこれ以上リリーに無理強いする気はなかった。とはいえ、フリーダ抜きで話ができる機会がもてることはありがたいと、クラウスはフランツの計らいをありがたく利用させて貰うことにする。

 まだ他にもやることが山積しているので、昼よりも夜の方が時間が取りやすい。

 自分の離叛はすでに皇都にいる父に伝わり、義姉のアンネリーゼもそれに関して詰問を受けているはずだ。

 早く父の慌てふためいた顔が見てみたいと思うが、まだそれは後回しだ。

 今、注力するべきは退くより攻めることを選択するだろうハイゼンベルクに勝利することだ。

「失礼します」

 クラウスは扉が開放されている大広間へと立ち入る。そこにはゲオルギー将軍がひとりで布陣図を見直していた。

「何か問題でもありますか?」

 早急に取り決めたのでまだ穴があるのやもしれないと、クラウスは地図を覗き込む。多くの兵はこのゼランシア砦に配備してある。先日落としたモルドラ砦には手薄になりすぎない程度の兵を置いていた。

「いや、もう少し前に俺はでるべきかと考えている。ハイゼンベルクの当主が出るなら、この砦を落とす余力はできるだけ削いでおきたい」

「一気に落としにかかるか、それとも片方ずつ潰していくつもりかによりますよね」

「貴殿は砦ふたつを同時に落とすつもりである可能性が高いと考えていたな」

「手勢が少ないですし、追い詰められたらゼランシア砦そのものを潰すつもりでしたから、おそらくは。水将がいるかどうかがまだ分からないですね」

 ハイゼンベルク方は兵の数を大きく減らし傷兵も多い。だがバルドが戦術を考えているなら、力押しで突き進んでくるはずだ。

 向こうが援軍をどれだけ整えてくるかもまだ読み切れないが、自分が動いた以上南を警戒して皇都から多くの兵は動かせないだろう。

「ここでハイゼンベルク当主を討ち取れるのならよいのだが、な」

 自分とて早々に戦は終わらせたい。

 バルドが死ねばリリーに帰る場所などなくなる。戦がなくならなければ、彼女は戦う以外の生き方もあるのだときっと気づかない。

 ただ、灰色の魔道士とリリーの心臓にある神器のこともある。

「そう簡単に討たれてはくれないでしょうね」

 獰猛で理性などない獣と揶揄されるバルドだが、強い獣ほど賢く勘がいいものだ。

 物心ついた時から一緒にいるからこそ、バルドがどれだけ強いかよく知っている。統率力に欠ける面もあるが、いざ戦となれば誰もがついて行かざるを得なくなる。それを統率力に優れたヴィオラが上手く取り纏める。

 寡兵になればなるほど、バルドの本領が発揮されるだろう。

「フォーベック殿が戦に勝って欲しいものは、本当にあの補佐官だけなのか」

 ふと顔を上げてゲオルギー将軍が問いかけてきて、クラウスも顔を上げる。

「それなりにいい地位も欲しいですよ。リリーにはできるだけいろんなものを見せたいですから、そのためにはそれなりの立場が欲しいです」

 名誉はいらないが何をするにも一定以上の地位があれば融通が利くというものだ。リリーに何かを与えるなら、自分が与えられるだけのものを持っていなければならない。

「……そうか」

 何かを噛みしめるようにゲオルギー将軍がうなずいて、また布陣に目を落とす。

「モルドラ砦の布陣について、また後で相談することがあれば訊ねる。よろしく頼んだ」

 暗にひとりでもう少し考えさせてくれということらしいと、クラウスは広間を出て一旦自室に戻ることにする。

(ここで本当に戦が終わればな)

 近いようで遠い終戦の日を思いながら、クラウスはひとり長い廊下を歩んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ