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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
60/115

3-1


 進軍を決めた翌日、バルドは戦支度に忙殺されていた。

 戦のことを考えることは苦痛ではなかったが、多くの臣下と言葉を交わすことに堪えていた。意思疎通が苦手な上に人間嫌いという自分には、大勢の人間に囲まれるのはやはり疲れる。

(リーは、いない)

 そしてふっと視線を斜め下へ落としてリリーを探してしまう自分自身に嫌気がさす。

 午後になって、少し体が空いたバルドは城外に出た。森の中に建つルベランス城の周りは城内に収まりきらなかった兵の寝床となる天幕が無数に立ち並び、多くの兵がうろついている。

 近くを通ると姿勢を正す兵には一瞥もくれず、バルドは森の中へ入って行く。夏の陽射しを和らげる木々は騒々しい。蝉の声や鳥の声があちらこちらから降り注いで、静寂からはほど遠い。

 しかし人の声よりはよほどましだ。

 少し進むと、小さな湖があって黒いローブを纏ったシェルが水辺で一心に木を削っていた。

 シェルを戦に同行させる話はついていて、すでに彼は囚われの身ではない。ローブは一晩で完成して、魔力の回復に適した場所で杖を完成させたいということだった。

 どうやら人工物の中よりも、古木と水のある場所の方が魔力を回復させやすいらしい。

「進展」

 ひとりで三人分は話すシェルと会話をするのも気は進まないが、状況確認はしておきたかった。

「この通りです。ずいぶんいい木を分けていただいたので、それなりに使える物ができそうです」

 シェルが杖らしい形に整えた杖に、螺旋状に魔術文字を刻み込みながら答える。彼の指先が血で汚れているのは、誤って切ったのではなく、魔術文字に血を染み込ませるためのようだ。

「行軍は、俺の横。馬には乗れる?」

 編成を告げると、シェルは手を止めずに首を横に振った。

「魔道士といっても、馬に優雅に乗る身分ではありませんからね。乗馬は貴族の娯楽です」

「娯楽……大陸の魔道士、移動に馬は必要なし」

「そんなやたらむやみに魔術で移動なんてしませんよ。辻馬車や鉄道なら魔力切れの心配がない」

 馬車は分かるが鉄道とはとバルドは疑問に思うものの、戦にも魔術にも関係がなさそうなので問わなかった。

「……これで下準備は完了です」

 シェルが作業を終えて汗をぬぐい、くるくると杖を回して出来を確認してからやっとバルドに目をやる。正確に言えば、彼の視線は背負われいる神器に向けられていた。

「少しだけ、見せていただけませんか?」

 好奇心しか感じられないシェルの様子に眉を顰めながらも、バルドは神器を下ろして黒銀の刀身を見せる。

 柄は自分で持ったままだが、シェルは文句は言わずにじっと刀身を眺め始める。

「……グリザドの右腕、事実?」

 伝承では神器の『剣』は皇祖グリザドの右腕が変じた物とされている。しかしながらただの人間の腕がそんな変化をするとは信じがたい。

「右腕が剣に、左腕は杖にでしたね……。人体そのものを魔術の媒体にすることはできません。普通の剣と杖をあらかじめ用意していたのでしょう。俗説として、交配実験で失敗作となった孫の血と心臓を使ったのではとういうのもありますが」

 あまりにおぞましい話にバルドは眉を顰め柄から指を離してしまいそうになる。

 グリザドは自分の心臓を引き継がせるために、実子同士を婚姻させてより血の濃い血族を産み出そうとしたという。その過程で何組かの子らを近親婚させ、唯一成功したのがリリーの祖の双子だった。

「紐付け不要、そのため?」

 本来なら、魔道士と媒体は血で紐付けする必要がある。だが、自分は神器と血で紐付けをしなかった。

 それでも扱えるというのは、剣に宿る血の濃さのせいだろうか。

「紐付けをしてないんですか? 血族同士でも媒体の共用というのは滅多にできないものです。ましてや他の血と混血してきた末というのは前例がありません。あなたが最後の表の末裔となるからでしょうか」

 瞳を輝かせるシェルに興味を持たれたバルドは心持ち身を退く。

「……ディックハウトにも末裔がいる」

 グリザドの末裔はハイゼンベルク家とディックハウト家へ二分した。戦で不利であり先に産まれた自分の方が、今十歳であるディックハウトの皇主よりも先に逝くので最後と言われるのには違和感があった。

「ええ、それは知っていて神器の『杖』もそちらにあると聞いて見に行きました。しかし、ザイード・グリムの末裔らしき子供は見つけられませんでした。あなたやリリーさんと、他の魔道士では、明らかに身に宿る魔力のなんというのでしょうか、風合いといえばいいのでしょうか。そういうのが違うんです」

「違う……?」

 自分自身ではまるで違いを感じたことはない。リリーと他の魔道士との違いもだ。

「この島の魔道士は、ザイード・グリムによって魔術を扱えるようにされたとお話ししましたよね。魔力を湛えるための器を大きくし、魔力を魔術として放つための鋳型のふたつが基本です。しかしザイード・グリムの末裔には、魔術を湛える器自体は必要ありません。この島の先住民と違って、元より魔術を湛える器自体は大きいのです。だからかけられている魔術の構造が少し違うので、見れば分かります」

 シェルの説明をぼんやりとしか理解出来なかったが、とにかく皇家の人間と他の魔道士は大陸の魔道士が見れば一目で違いが分かるらしい。

「見つけられなかった」

「はい。杖のあった建物の中に、自分が皇主だと名乗る子供はいたのですが、どう見てもザイード・グリムの末裔ではありませんでした」

 神器のある建物は社だ。そんな所に皇家の者以外に入れるだろうか。影武者をたてているとしても、神聖な場所にわざわざ皇主以外を入れる必要性が見いだせない。

 バルドはどういうことかと思案しながら、ひとつの可能性にまさかと思う。

(今の皇主は、先代皇主の子ではない……)

 先代のハイゼンベルクの皇主である父が複数の妻を持ちながら、すでに身罷った兄のラインハルトと自分以外の子に恵まれなかったのと同じく、ディックハウトも世継ぎになかなか恵まれなかった。

 ディックハウト先代皇主の長子である皇女がななつで急な病に倒れ、今の皇主が産まれたのはそれより二十年も後のことだ。すでに先代皇主は五十を超えていて、それまでやはり何人もの妻を迎えていた。

 先代皇主に兄弟はなく、このまま世継ぎが産まれなければなし崩しにハイゼンベルクが勝利できるやもしれないという状況下で、宰相の妹が世継ぎを産んだ。

「おや、もしかしてごくごくたまにある不貞の子というものでしょうか……?」

 バルドがいつも以上に表情を硬くして考え込んでいると、シェルも気づいたらしく目を瞬かせる。

「……不明」

 もし、ディックハウトの皇主が不義の子だとしたら、戦は終わりだ。しかし、証明する術はなく仮に証明できたとしても、ディックハウトの兵が大人しく従うかといえばそう上手くいかないだろう。

 魔術がこの先に失われても、ディックハウトの皇主が贋物であったとしても未曾有の混乱が起こるに違いない。

「大陸で、王族、同じ事あった?」

 バルドはシェルが大陸で似た事例を知っていうようだと、訊ねてみる。

「有名な話は数件あります。しかしこの島ほど血筋を重んじているわけではないので……。確証もないので知らない振りをしたり、あるいは親族から取り立てたり。他は有力な家臣が蜂起して簒奪ということもありますが」

 似てはいるものの、この皇国に起きていることは特殊な状況らしかった。

(……血統の証明、困難)

 どの道、ディックハウトの皇主が本物か否か突き止める前にハイゼンベルクは敗退するだろう。そうしていつかリリーが死んだ時に、この千年の皇国は終焉を迎える。

(偽りばかり)

 この国も、戦もなにひとつ真実などありはしない。

「これは魔術史学でも特異な事例となりますね……。無事帰って論文を書くためには、リリーさんの協力も不可欠なのでこれを完成させないと」

 シェルがそう言いながら、杖の作成を再開させるのを見て用の済んだバルドはその場を離れる。

 城には真っ直ぐに帰らず、森を歩いていると地面に名を知らない白や紫の花がいくつも咲いているのが目についた。木の枝にも赤や橙の花が綻んでいるのが目につく。

(リーが、喜ぶ)

 髪に花を飾るのが好きなリリーが見たら、きっと笑顔を浮かべるだろう。

 バルドは苔生した巨木の根元で足を止め、剣を下ろして座り込む。影が濃く幾分か他より涼しい。

 ふっと眼裏に始めてリリーと出会った時のことが浮かんで、ゆるやかに心が思い出に満たされていく。

 一番多く覚えているのは、笑っている顔だ。

 戦闘の高揚に浮かべる笑みの鮮烈、花や菓子やドレスに向ける柔らかな顔、それから自分だけを見て口元を緩める表情。

(全て、皇祖の意図の元)

 神器の刀身を露わにして、バルドは目を細める。

 自分とリリーが、本当に皇家の最後の末裔として意図的に巡りあわせられたとしても自分はかまわない。国も、皇家も、戦も嘘ばかりでもいい。

 戦うことが自分の全てである真実は揺るがない。

 リリーと出会って共に過ごした時間は、なにものにもかえがたいものであることに違いない。

 むしろ王になるためではなく彼女と出会うために産まれてきたのなら、自分としてはその方がいい。

 リリーは今、何を思っているだろう。

 戦に餓えて剣を求めていることには違いないだろうが、自分に会いたい思ってくれているだろうか。

 どのみち、もうすぐだ。戦も、リリーに会える日もすぐにやってくる。

「皇主様、どちらにいらっしゃいますか、皇主様」

 臣下の探す声にバルド今は皇主の務めに専念するしかないと、真実は胸の奥に押し込んは重たい腰を上げた。 


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