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三日以内に出陣し砦をふたつ一気に落とすというバルドの強攻策に、議場の臣下達は頭を抱えていた。
策に難を示したのは炎将のヴィオラを筆頭に議場の半数以上となった。しかしこれ以上は退かず突き進むべきと言う者も、けして少なくはない。
マリウスも賛成するひとりで、姉であり上官であるヴィオラとは違う立場を取ることになった。
「無傷の砦を落とすというわけではないのです。モルドラ砦は先日の反乱ですでに半壊しており、老朽化もあります。ゼランシア砦もすでに二度の侵攻によって脆くなっています。モルドラ砦全壊、ゼランシア砦を半壊は不可能ではないはずです」
マリウスは渋る姉にそう訴える。
主君の策は性急ではあるが、無茶苦茶だとは思わなかった。敵が離叛した者を加えた軍の体勢を整える前に、攻めきった方が勝算があるはずだ。
「せめて、五日は欲しいわ。万全の体制であれば、砦ふたつ落とすことに異論はありませんことよ。だけれど、こちらは傷兵も含んで一万五千足らずの軍勢、向こうはおそらくこちらより手勢は多いでしょう」
姉の視線が自分の左腕に向いて、前線で戦えないマリウスは口を引き結ぶ。
「せめて、兵をもう少し集められれば」
「皇主様の身の安全だけは確実でなければ」
「アクス補佐官を盾にされたら、どうなさるおつもりなのか」
マリウスが黙った途端に、慎重派が次々と不安要素をあげていく。バルドがいたときに遠回しにしていた言葉も、今は遠慮がない。
「かき集められるだけの兵を集めて、モルドラ砦は落ちたのだ。兵の精査をしている間はない」
「同じ轍を踏むわけにはいかない。皇主様のお力があれば、砦ふたつも容易いこと。我々が皇主様をお護りする」
「退けど進めど分が悪いのは同じならば、進むべきだ!」
かと思えば賛成派が反論に出て、意見が纏まる気配が一向になかった。
「……まだ話、ついてねえか」
退出したバルドについて行っていたカイが戻って来て全員の注目が彼に集まり、バルドが何か言っていなかったかと口々に急かす
「……神器の件についてだ」
そして、カイがそう言って神器の紛失を知る者も、今始めて聞かされる者も怪訝な顔をする。
(筋は、通っている。しかし、お隠しになるようなことでは……)
神器紛失と発見までの経緯にマリウスは引っかかりをを覚えて、ヴィオラと視線を交わす。
偶発的に見つかったということで、このまま見つからないかもしれなかったたことはあまり明かしたくはないことだ。皇家への信頼にも関わる。
だが、違和感が残る。
議場にいる者達の表情を見れば、納得しきれていない者もいくらかいるのが分かる。とはいえ、すでに発見され皇主によって厳重に管理されているのならよいではないのかという意見に同調している。
これ以上内輪揉めをしたくないのは、誰もが一緒だった。
「皇主様のご出陣の意志は固い。反対するならするで、夕刻までに説得する案を考える必要がある。賛成なら、今すぐ準備に取りかかる。時間がねえぞ。俺の意見は出陣する方向だ。皇主様はアクス補佐官は戦になれば自力で戦う術を見つけ出すだろうと仰った。俺は進軍に賛成で意見は変わってない」
最初から賛成派であるカイが神器から目の前の問題に話題を戻した。
「戦う術を見つけるというのは、アクス補佐官の救出は試みないということかしら」
ヴィオラが首を傾げると、カイが首を縦に振り肯定する。
リリーのことは見捨てることにしたとも言える判断に、小さなどよめきが起こる。つい先日、全てを放り出して後を追ったというのに急に諦めるなど、誰もが半信半疑でいた。
「皇主様も苦渋の決断やもしれん。ここは皇主様のお覚悟に沿うべきでは」
賛成派のひとりがここぞとばかりに、進軍することを促す。
「クラウスが横恋慕していたのが事実ならば、アクス補佐官の命の保証だけはあるだろう。アクス補佐官が後々寝返ったとしても、そう脅威にはならん」
リリーを救出しないということには、全員意見は一致しているらしかった。
孤児でありながら皇主の愛妾ともされるリリーがいなくなってくれる方がいい者は多い。この先本気で皇妃として迎えるとなれば、また話はややこしくなるが今は表向きは補佐官だ。
バルドさえリリーを諦めてくれれば、後は人脈も後ろ盾もないただの小娘がどうなろうがかまわない。
多少意思の疎通が困難になるとはいえ、今もかろうじてバルドは指揮を取れているので問題ないだろう。
(……これで、よいのだろうが)
マリウスもリリーを救出しない選択は正しいと思っている。
リリーのことを軽んじているわけでも、特別疎んじているわけではない。主君の足手まといになるなら、自決も厭わないのが忠臣としての在り方だと考えているからだ。
だが、ゼランシア砦で敵将と相対し、片腕を失いながらも今自分がここでこうして生きていられるのは、リリーの助力があったからこそだと思うと罪悪感が胸に残る。
「……炎将、どうなさいますか。進軍、すべきでは」
マリウスは苦いものを抱えながらも姉へ決断を求める。
バルドがリリーをただの補佐官以上の存在としていることは、いくら疎い自分にも分かる。
先に賛成派が述べた通り、主君が何をしてでも戦に勝ちに行くというなら応えるべきだ。
慎重派もバルドが弱みとなるリリーを切り捨てる機会を逃すのも惜しいと、ヴィオラに最終的な決断を委ねる。
「……わかりましたわ。すぐに皇主様に進軍のご指示を仰ぎましょう」
ヴィオラが、ため息と共に進軍を決める。
そうして慌ただしく進軍の準備が整えられることとなった。
***
夕暮れ前、クラウスの部屋を訪ねたフリーダは部屋から感じる魔術の気配に眉を顰めながら扉を叩く。
(……密談中か)
二度叩いても一向に返事がないのは、防音の魔術の中にいるからだろう。鍵のかかった扉の取っ手をうごかしてやっと、魔術が解かれて誰何の声がかかる。
「私だ。リリーのことで少し話がある」
応えると、すぐに部屋に招き入れられた。案の条、クラウスと一緒にいる杖の魔道士であるエレンだった。
ふたりは応接用の円卓で向かい合っていた
「リリーがどうかしたのか?」
「食事を拒否している。夕食はいらないと、昼食を拒んだついでに言っているらしい。その前に、ディックハウトは君らを絶対的に信頼しているわけではない。あまりこそこそとしていると、ろくなことにはならないよ」
「俺らも、情報を渡したら用無しは困るから、そういう相談だ。それで、リリーはささやかな反抗ってところか」
クラウスが困り顔で唸る。
「毒を盛るつもりはないんだが、聞く耳を持たない」
念のためリリーの元へ自ら赴き、食事の安全も保証すると告げても彼女はいらないと言うばかりだった。
「……あなたに一服盛られたことを根に持っているのでは」
エレンのが指摘して、クラウスはますます渋面になった。
「そうかもな。後で夕餉はリリーの所に行って、一緒に食べるからふたり分をひとつの皿に盛ってくれないか」
自ら毒味役を買って出るクラウスに、フリーダは肩をすくめて空いている席に勝手に座る。
「君の彼女への執心ぶりには驚かされるよ……、ああ、エレン、君はここにいてくれないか。夫殿が私とクラウスのことを勘繰っているから、ふたりきりになるのは避けたい」
自分にもう用はないだろうと無言で席を立とうとするエレンを、フリーダは呼び止めた。
「また、なんでそういう話になってるんだ?」
「直接聞かれた訳ではないが、君のことをいろいろ聞きながら、昔の私との関係を探ってきた」
フランツは軍議が終わってから後は、クラウスが信頼できるかどうか知るためにともっともらしい理由をつけてあれこれ訊ねてきたのだ。
離縁する口実でも欲しいのだろうか。
「……どう答えた?」
「訊かれたことにしか答えていないさ。君との関係を直接問いただされたら正直に答えるつもりだが、どうだい?」
意地悪く微笑み返すと、クラウスが実に嫌そうな顔をした。
「好きにしてくれ。何年も前に一回や二回ぐらい寝たぐらいで、うるさく言いそうな旦那に見えけど、自分が面倒だろ?」
「面倒だな。しかし隠しても怪しくなる。なあ」
フリーダは言われた通り黙って座っているエレンに同意を求める。
表情ひとつ変えない彼女は、静かにうなずいただけだった。
(クラウスについてきたというわけでもなさそうだな……)
皇太子に元も信頼されていた側近というエレンの方が、クラウスよりも不可解だった。ふたりがなんらかの共謀関係にありそうなものの、男女の仲という雰囲気はまるでない。
そもそも片田舎の男爵家令嬢が皇太子からの信頼を得ていたことも不思議だ。
やたらむやみに愛想を振りまかれるよりは信用できるだろうが、いささか可愛げが足りなさすぎるとフリーダはエレンの横顔を一瞥して、クラウスに視線を戻す。
「俺、一応婚約者連れてるんだけどな」
クラウスが深々とため息をついて、フリーダは眉を上げる。
「君の節操なしは有名だからな。婚約者がいても、他の女と仲良くすると思われるさ」
同時に何人もと交際していたクラウスの女癖の悪さは、貴族なら誰でも知っている。
「別に同時に何人とも寝てたわけでもないって。俺は後腐れのなさそうな相手としかしてない。はっきり交際してると言いたがる女の子なんか、厄介だろう」
「そんな君が自分から婚約したと言い出したのかと思うと、本当に驚きだな」
「……それより、こんな無駄話をするためにいるわけじゃないだろ。何が知りたいんだ?」
クラウスがとりとめない会話に不審を覚えたらしく、単刀直入に訊いてきた。
「何、君がリリーと本気で結婚するつもりなのか気になっただけだよ」
実の所はクラウスとエレンの密談がリリーに関することではないかと、一瞬思ったからだった。
ふたりでリリーと会ったりもしているのだ。婚約者というのは目眩ましで、他の目的があるのではないかと疑う気持ちは多少ある。
ただ、クラウスのリリーに対する態度はやはり本気ととれるものばかりでしかない。
「本当に誰も信用してくれないな。リリーのこと早く全部、俺の物にしたいんだけどな……戦うことと、バルドのことしか考えてなさそうだ」
「今は下手な手出しはしない方が賢明だな。孕んで誰の子かわからない事態になったら厄介だ」
「ん、ああ。その心配はない。バルド、まだリリーを抱いてない」
断言するクラウスに、フリーダは怪訝な顔つきになる。
「……まさか、皇妃にするまではと殊勝なことを言ってるわけじゃないだろう」
他の離叛者の話ではバルドがこの頃毎日リリーを寝所に侍らせているという話だ。そうでなくとも、ふたりの関係はずっと昔から噂されている。
「バルドもリリーをどうしたいかはっきり分かってなかったみたいだからな。無意識に自省してるのもあっただろうが、リリーにいたってはほんのちょっと前まで、子供の作り方も男女のことも全然知らなかった」
いくらなんでも結婚して子供を産んでいていてもおかしくない歳のリリーの無知さに、フリーダは目を丸くする。
「十七だろう。戦でも捕虜になった時に……そうだな。具体的なことは言わないな」
戦場でのことは誰もはっきりしたことは口にしない。まったく知識がないのなら、分からないのも当然だろうが。
「だから、自分の足や腕を折られる心配しかしてないだろうな」
「戦うことしか考えてない、ということか。彼女らしい」
わけもなく嬉しくなって、フリーダは微笑む。
「いやに、リリーのこと気にしてるな。そんなに仲良かったか?」
クラウスの瞳に警戒と疑心が浮かんで、フリーダは肩をすくめる。
「まったく懐かれなかった。もう少し、彼女と親しくなりたかったのかもしれないな、私は。よし。夕餉は私が毒味をさせてもらおうか。君の自制心もいつまで保つか知れないからな」
口に出して、フリーダは自分でも少々以外に思う。
自分は本当はリリーともっと親しい関係になりたかったのだろうか。懐かれていなくとも、彼女と接するのを楽しんでいたけれど、それで満ち足りていなかったのか。
「……リリーの不機嫌の元凶は俺だから、任せられるなら任せた方がいいか」
クラウスが迷いながらも同意して、フリーダはふっと自分の心が浮き立つのを感じる。
リリーとの戦闘を前にした時ほどではないが、こんなにも夕餉を楽しみにすることは、今までなかったと思うほど自分は喜んでいた。




