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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
55/115

1-3

***


「それで、教えてくれる気になったか?」

 小さな客室に通されたクラウスは、窓辺の椅子に腰かけるエレンが立ち上がることなく視線だけよこしてくるのに声をかける。

 昨日はあれからエレンと会ったものの、リリーの出自については少し考えさせて欲しいと言われたのだ。ディックハウト側に伝われば、まずリリーの命はないとの忠告つきでだ。

「あなたも万一の時は、ディックハウトからもリリー・アクスを護らねばならない覚悟はありますか?」

「そんなの、リリーを連れて行くことを決めてから覚悟してる。エレンはリリーがどうなろうが、どうだっていいだろう」

 むしろエレンはリリーを嫌っていた方だ。それでもディックハウト側にすら情報を渡していないとは、よっぽどの切り札に違いない。

「ええ。ですが、私はディックハウト側というわけでもありませんので、あまり戦局を変えることはしたくないのです」

 あくまで、エレンが忠誠を誓うのは亡き皇太子ラインハルトだという。けしてディックハウトに膝を折る気もないらしい。

「ベーケ伯爵家の使者になった時点で、十分戦局を変えることになったんじゃないか」

「私がやらずとも、あなたは他の使者を立てたでしょう。私はディックハウト側から戦の成り行きを見ることが、第一の目的です」

 昔からよく分からない女だと思ったが、ますます分らなくなったとクラウスは密やかに呆れる。

 忠義か恋情かははっきりしないものの、ラインハルトを失ってエレンは静かに狂ってしまったのかもしれないとも思う。

「とにかく、教えてくれるならなんでもいい。リリーは何者だ」

 声を低めて問うと、エレンが小ぶりな銀の杖を取り出し音を遮断する魔術を張る。

 そして彼女の口から語られたことは、予想の範疇を超えていた。。

「リリーの心臓が神器って、なんなんだよそれ……」

 エレンがでたらめを言っているわけではないというのは分かっても、あまりにも内容が突飛すぎた。

 しかし理解できないから真実でないわけがなく、クラウスはただただ唖然とするばかりだった。

「皇家の純血、その心臓は神器。皇家の血統の正統性を争うハイゼンベルク、ディックハウト両者にとって、リリー・アクスの存在は都合が悪いものです。しかし、彼女の心臓を取り出し神器だけにすれば問題ありません。ハイゼンベルクではバルド第二皇子が絶対的な庇護者となり得ましたが、あなたにそれだけの力はないでしょう」

「……ないな。だけど、ばれなきゃいい話だ。ハイゼンベルク側で知ってる人間は絶対に口を割らない。残るはエレンさえ、口を噤んでいてくれれば済む話だな」

 クラウスは腰に下げた剣の柄に指先をかける。

 万全を期すなら、ここでエレンを斬り捨てておくべきだ。理由は適当にでっちあげればいい。

「……私も命は惜しいので、余計なことは言いません。ひとつだけ知りたいことがあります。神器とはそもそも一体何であるか、知っているという灰色の魔道士を捕らえたのでしょう。尋問がすんだのなら、リリー・アクスも全てを知っているはずです」

 エレンが言うには、灰色の魔道士がリリー達より先にリリーの祖父の住む隠れ家にたどりついていたという。そして灰色の魔道士自身が、皇祖グリザドのことを誰よりも知っていると告げたらしい。

「それを知って、どうするんだ?」

「ただ、知りたいのです。皇太子殿下が、最後に希望を託したものが本当はなんだったのか。私は、全てを見て、知っておきたい。そのためだけに、生きているのです」

 静かに告げるエレンの瞳は正気で、嘘偽りは見られなかった。

「……リリーが、話してくれたらな」

 クラウスは剣の柄から手を離してため息をひとつ吐く。

 リリーが情報を渡してくれるかどうかが問題だが、心臓のことをこちらが知っているとなれば話すしかないかもしれない。

(リリーがバルドを選んだのは、神器のせいなのか……)

 真実の衝撃が落ち着いて、最初に心に引っかかったのはそのことだった。

 血に定められただけならいいのだが、リリーがバルドを想っているのはそんな単純なものには見えなかった。

 リリーの自由は奪えても、心までは自分のものにできない。

 バルドが彼女を得ることができたのは、その身に流れる皇家の血があっただけならどれだけいいだろう。

(……もう、俺の所にリリーはいる。そのうち、バルドのことは諦める)

 ここから逃げ出すなど不可能に近いというのに、リリーがバルドの元へ行ってしまうことに不安がつきまう。

(そろそろ起きてるてる頃合だから、灰色の魔道士のことも神器のことも訊かないとな)

 彼女の意志を無視して無理矢理連れ去って、まだ一度も会話ができていない。

 罵倒を浴びせられる覚悟は当然あるものの、リリーが帰りたいと懇願するのはあまり聞きたくなかった。

「じゃあ、俺は軍議に出ることになってるから行ってくる。リリーのことはまた、後で」

 まずやらねばならないのは、リリーを軍略につかうとしてもできるだけ危険のないようにすることだ。

 そしてディックハウトの中で確実に地位を築いていかねば、リリーのことを護りきれない。

 リリーは手元にいる。大事なのはこれからだ。

 クラウスは先にあるのは最良の結末だと信じて、前へと進み始める。しかし不安の影は無意識に引きずってしまっていた。


***


 フランツは妻のフリーダの変化に、戸惑い動揺していた。

 寝返ったハイゼンベルクの多くの魔道士をこのゼランシア砦に迎え入れてから、フリーダは嬉しそうに浮き足立った様子でいながら時々苛立っている。

 かつての同僚であり自分の後任であるクラウスに、彼女は自分から進んで声をかけリリーを気にかけている様子だった。

 嫁ぐ前に幾人か関係を持った相手もいるものの、想い人はいないとフリーダは言っていたが真実かは定かではない。

 今の彼女はかつての恋人に再会し喜びながらも、すでに他に新たな相手がいることへ嫉妬を覚えているというのは少々うがちすぎだろうか。

「フランツ殿」

 無意識の内に深刻な顔つきになっていたフランツは、ディックハウトの雷将であるゲオルギー将軍に声をかけられて眉間の皺を緩める。

 この後軍議が執り行われる広間には、まだフランツとゲオルギー将軍しかいない。

 あらかじめふたりで段取りを話し合っている最中で、フランツは物思いにふけってしまっていたのだ。

「申しわけありません。……ことが順調に進みすぎているので、少し気が緩んでいました」

「気が緩んでいたという顔ではなかったが、確かに上手く行きすぎているな。すでに勝ったつもりでいる者もいるようだが、ハイゼンベルクの獣を討つまでは終わりでないと気を引き締めるべきだ」

 モルドラ砦の陥落、敵宰相の跡取りの離叛。さらにハイゼンベルク皇主の最大の弱みとなる、捕虜まで手に入った。

 ゼランシア砦内の緊張は一夜でずいぶん緩んでしまっている。

「はい。軍議の場でもそちらの件はよく言い含めてしかし、少女ひとりにあの雷獣が取り乱したあげく、フォーベック殿が横恋慕して寝返ったとは。リリー・アクスが雷獣の愛妾であることは間違いないでしょうが、フォーベック殿は本気で娶るつもりなのでしょうか」

 クラウスの気持ちを疑うというより、フリーダにとってそれがいいことなのかどうなのか気になった。

 まだフリーダに想い人がいて、それがクラウスだというのはただの妄想にすぎないというのに。

 戦以外のことを考えてしまうのは、自分も気が緩んでいるやもしれないとフランツは自身を不甲斐なく思う。

「本気だと、俺は思う。リリー・アクスにその気がなくとも、拒否できる立場にはない。位の高い者に望まれれば、嫁する以外に選択肢はないものだ。貴族の婚姻で互いに望んでというのは希なものだ……申し訳ない」

 ふとフランツもまた望まぬ婚姻だったことを思い出したゲオルギー将軍が謝罪する。

「まだ、早かったようですね」

 そこへフリーダが見計らったようにやってきて、返事をしかけていたフランツは口を噤む。

「……フリーダ、リリー・アクスは起きていたか」

 そして妻の表情を気にしながらフランツは捕虜の様子を問う。

「ええ。自分の置かれた状況も理解して、無駄に暴れることはなさそうです。しかし、逃げ出すことは考えているでしょう」

 しかし淡々と報告するフリーダの感情は読み取れなかった。

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