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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
54/115

1-2

***



 目を開けた瞬間、リリーは自分が本当に瞼を持ち上げたのか疑いたくなるような暗闇にいた。

「……あたし、クラウスに……」

 モルドラ砦の庭先でクラウスに求婚の返事を聞きたいと言われ、彼とふたりきりになった。その後に渡された飲み物を飲んで、強烈な眠気に襲われた。覚えているのはそこまでだ。

「いっ、た……」

 意識を失う瞬間のことをおぼろげに思い出しながら、半身を起こしてがんがんと痛む頭を押さえる。

 一度だけなったことのある二日酔いに似た感覚だ。

「あれ、お酒ってわけじゃなかったわよね」

 クラウスからもらった飲み物は、酸味が強かっただけで酒臭さはなかった。しかしながらあれが、自分が昏倒する原因になったのには間違いない。

 リリーは無意識の内に腰にあるはずの剣の柄に手を伸ばして、堅く拳を握る。

 剣どころか、ローブさえなかった。長靴も脱がされているが、着ている服は触った感触ではローブの下に来ていたシャツと膝上までの下衣のままだと思われた。

「とにかく、ここがどこかわからないと」

 リリーは頭痛に顔を顰めながらも、そろりと体を動かす。柔らかい感触と軋む音で寝台の上に寝かされていることは分かった。

 手探りで思ったより広い寝台の端を見つけて、リリーはゆっくりと足を下ろす。予想した石の冷たさは足裏にはなく、分厚い絨毯の感触があった。

 寝台の広さといい、床に絨毯が敷かれていることといい牢というわけではないようだ。

「砦に、こんな部屋あったかしら……」

 リリーはつぶやきながらあたりを見回し、暗闇になれてきた目で窓を探す。

 自分達ハイゼンベルクの拠点としているモルドラ砦で過ごして、早ふた月近くになるが全ての部屋を知っているわけではない。

「あたしがいなくなったら、バルドが探すわよね」

 しかしながら自分の姿が見えなくなってバルドが探さないはずがない。彼は砦の隠された通路や部屋まで把握しているのだ。見つからないはずがなかった。

「モルドラ砦じゃないの……?」

 リリーは急速に焦燥を覚えて部屋を見渡す、そして髪よりも細い光の筋が見えてそこに駆け寄る。

 光は鎧戸の隙間らしかった。

 どうにか手探りで鎧戸を開けると、光が差し込んできて目映さに反射的に目を閉じる。リリーは手を額に持っていって影を作りながら、そろそろと瞼を持ち上げた。

 最初に目に飛び込んで来たのは黒ずんだ鉄格子だった。そしてそのはるか下方に緑の牧草地帯が広がり、青空の下には大きな砦が佇んでいるのが見えた。

「あれ、モルドラ砦よね。じゃあ、ここゼランシア砦……?」

 半ば信じられない思いでリリーは呆然とつぶやく。

 ゼランシア砦はハイゼンベルクからディックハウトへ寝返ったマールベック伯の居城。これまで外側から攻めていた敵拠点まで、クラウスが自分をどうやって運び込んだというのだろう。

「バルドの所に、帰らないと」

 最後まで一緒にいると約束したのだから、こんな所にはいられない。

 リリーは振り返って部屋を見渡す。

 寝台と簡素な机と椅子が床にしっかり縄と杭で固定された部屋は、余分なものがない分広い。部屋の一番隅に衝立で囲われた場所は手洗いだった。

 絨毯も敷かれた部屋は牢というには小綺麗すぎる。

 リリーは入口の扉を開けようとしたが、やはり鍵がかかっていて出られそうになかった。

 しかし、部屋から出たからといってこの砦から出るのは無理だ。

「あたし、今、戦えないんだわ」

 リリーはつぶやいてぺたんと扉の前で座り込む。

 そしてもう二度とバルドに会えないかもしれないと考えて、頭の中が真っ白になる。

「いやよ。そんなの、絶対に嫌」

 ふるりと頭を振って現実を拒否するが、今はできることは何もなかった。

「……そうだわ。戦の最中よ。ここにハイゼンベルクが攻め込んできたときなら」

 今は砦を落としている真っ最中だ。自分が捕虜になったからといって、停戦などないはずだ。

 戦闘中ならば逃げ出す隙ができるかもしれない。

 そう考えて気を取り戻していると、目の前の扉の向こうで足音が聞こえてリリーは身を堅くする。

 隠れる場所も武器もない。ならば動かずにじっとしていた方が得策か。

 足音が止まってリリーは息を呑み、扉が開かれるのを待つ。

「……起きていたか。ようこそ、我が家へとでも言うべきかな。具合はどうだい?」

 軽口を叩きながら部屋に入ってきたのはフリーダだった。

「最悪です」

 まるで話が分らない相手ではないことに安堵しつつ、リリーは仏頂面で返す。

「だろうね。しかし、捕虜としては上等な扱いだろう。上等の寝台に、広い部屋。手足を拘束もされていない。クラウスも贅沢な要求をしてくれた」

 近づいて来るフリーダから間合いを取っていたリリーは、クラウスの名前に足を止める。

「あの駄眼鏡、どこにいるんですか。あたしはクラウスと先に話つけたいんですけど」

 やっと現状に対する混乱が落ち着いてくると、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 勝手なことをしてくれたクラウスも、迂闊だった自分も腹立たしい。

「クラウスなら、エレン嬢と一緒だ。そのうち、クラウスは必ず君に会いに来るだろう」

「エレンって、皇太子殿下の侍女だった……?」

 予想外の名前にリリーは目を瞬かせる。

 エレンが不審な動きをしているのは聞いていたが、まさかゼランシア砦にいるなど思いもしなかった。

「そうだ。クラウスが来るまで私で暇を潰さないか? どうせ君は、何もすることがないだろう」

「あたし、尋問されても役に立つ情報なんてなんにも持ってませんよ」

 宰相家の次男であるクラウスと亡き皇太子ラインハルトの側近でもあったエレン。

 このふたりが裏切ったというなら、ハイゼンベルクの情報は筒抜けになっているだろう。

 それに対して自分は皇主の補佐官とはいえ、政治的な事柄には疎い。フリーダの方が内情をよく知ってるはずである。

「ああ、そういうつもりはないよ。クラウスが昼までには君が目覚めると言っていたから、様子を見に来ただけだ。元気そうでよかった。……椅子は少々堅いか」

 床に固定された木の椅子に腰をおろしたフリーダは呑気なものだった。

 あげくに部屋の扉は開きっぱなしだ。

 リリーは今すぐにでもこの部屋から飛び出して、バルドのいるモルドラ砦へと帰りたい衝動を抑えて寝台へ腰掛ける。

「逃げないのか」

「この部屋から出られても、砦からは出られないでしょう。あたし、そこまで馬鹿じゃないわ」

「そうだね。モルドラ砦も落ちたことだ。万一君がここから出られてもハイゼンベルクへ戻るのも、苦労するだろうね……そういえば、君は知らなかったか」

 窓の外に目をやっていたフリーダが、驚き言葉を失っているリリーに顔を向け直して薄く笑う。

「嘘。モルドラ砦が落ちたって、いったい何日経ってるの」

 いくらあちこちがたがきていたモルドラ砦とはいえ、バルドとヴィオラのふたりの将と一万を越える軍勢がいてそう簡単に陥落するなど信じられない。

「君がここへ運ばれて来てたった一日だ。半日足らずでモルドラ砦は落ちた。反乱が砦で起こったんだよ。クラウスが砦に集められていた一部の兵が企てていた反乱計画の指揮権をとったんだ。……混乱に乗じて反旗を翻した者も数千、ハイゼンベルクの皇主は砦を捨てて南に下った」

 意識を失う前に聞いた轟音は、反乱の始まりだったのだ。

 リリーはみすみす戦える機会を逃してしまったことに悔しさを感じる。

「クラウスはずっと監視されて……ただの目眩ましだったのね、あの噂」

 背信の疑いがあると警戒されていたクラウスにできるはずがないと否定しかけて、全員の注意が彼に偏り過ぎていたのを思い出す。バルドも他に目が行き届いていないのではと危惧していた。

「そういうことだ。作戦が整ったら、背信の噂を振りまいてクラウスに注目がいっているうちに共謀者達が実行に向けて動いていたということだな。ベーケ伯爵家もこちらに動くだろうな。伯爵家当主はハイゼンベルクに味方していても、嫡男は違うらしい。代替わりは近いだろうね」

 リリーは新たな離叛の情報に息を呑む。

 ベーケ伯爵家はここゼランシア砦のマールベック家と対となる南の要だ。マールベック家がディックハウトへ寝返った今、南までもが離れればハイゼンベルクの敗北が一気に近づく。

「……クラウスが裏で手を回してるってことですか」

 ベーケ伯爵の娘のアンネリーゼは、クラウスの兄嫁だが夫の首を落とした。クラウスのためにだ。

 だからこそアンネリーゼとクラウスにできるだけ接点を持たさないために、クラウスはこの遠征に参加させられたのだ。

 だがクラウスが皇都に残っても残らなくても、結果は変わらなかったらしい。

「元より、あちらの嫡男も裏切る腹づもりはあったらしいが、背中を押したのがクラウスといったところか。人望はないが人の利用の仕方はよく知っている。しかし、協力の代償に求めてきたのが、君の身柄の決定権とはな。君が今、ここで無事に過ごせているのはクラウスのおかげということだ」

「……変な物飲まされてなかったら、あたしはこんな所にはいないんですけど」

 反乱が起きたとき、戦えていたなら自分は捕虜になどなっていない。そうさせないためにクラウスは薬を使って自分を眠らせたのだろうが、勝手すぎる。

「それもそうだ。しかし、君の身の安全を保障した上で、戦には利用させてもらう」

 フリーダが足を組み直してさらりと言う。

 利用と聞かされて真っ先にリリーの頭に浮かんだのは、バルドのことだった。

 クラウスが以前、自分がバルドにとっての最大の弱みとなると聞かされていた。事実はどうであれバルドを誘い出すには、自分を使うのが有効だと敵は考えているのだろう。

「そんなに簡単に、バルドは策略に引っかかりませんよ」

 見え透いた罠に、バルドが自ら飛び込むなどあまり考えたくなかった。彼の足を自分が引っ張ることにだけは、なりたくない。

「すぐにかかるさ。バルド殿下は君がクラウスに連れ去れそうになっているとわかって、指揮を投げ出し単身で追い駆けたらしい。あげくに地下通路で君に怪我を負わせるのを恐れて、クラウスを止められなかったそうだよ」

 信じられないとは思わなかった。

 今、バルドは置いていかれることをひどく恐れている。彼は魔道士としては強いけれど、心はそう強くない。

 ひとりになる恐怖に、我を忘れたとしてもおかしくはなかった。

「でも、ちゃんと、撤退したんでしょ」

 リリーの視線は自然と扉へと向かう。

 バルドが追い駆けてきたこと知って、彼の所に帰らなければという思いが一気に膨らんで、自分の中で押さえきれなくなりそうになっていた。

(下手に動くと、本当に帰れなくなるわ)

 寝台の敷布をきつく握って、リリーは自分を律する。それでも脳裏にちらつくバルドの寂しげな瞳は払いきれない。

「ベッカー補佐官が迎えに来たそうだ。クラウスは水将に応援要請を出したことは知らないと言っていたが……君も知らないか」

 水将補佐のカイがモルドラ砦に来ていたことを今知ったリリーは、純粋に驚いてすぐに理由に気づいたが表情を崩さないように気をつける。

 おそらく、神器の件だ。どうやらエレンは神器の件は敵方に明かしていないらしい。

「あたしを利用しなくたって、バルドはこの砦を攻め落としにくるわ」

 今更皇都までバルドが戻るとは思えない。ここで逃げ出したところでどうにもならないのは、リリーにも分かった。

「そうだな。これからの軍議で君をどうするかは決める。さて、私も行かねばな。この部屋のある区画には伯爵家の人間と使用人しか許可なく入れないから、くつろいでいるといい。食事も出すが、湯浴みだけは諦めてくれ。代わりに湯を張った盥と体を拭く布や、着替えは用意する。他に必要な物があれば、食事を持ってくる使用人に言ってくれれば、考える」

 フリーダがそこまで一息で言って立ち上がる。

「ああ、君が逃げないのは分っているが鍵は閉めさせてもらう。じゃあ、またそのうち来るよ」

 そしてフリーダは本当に出て行ってしまった。

 鍵がかけられる音に、リリーはやっと手を敷布から離し息をひとつ吐いて、そのまま寝台に体を投げ出す。今の自分にできるのは、大人しく様子を見ることだけだ。

「……ベーケ伯爵のことは、もう手遅れってことかしら」

 南の要が崩れることをフリーダが明かしたのは、自分が逃げ出せないからか、もう手の打ちようがない所まで来ているからか。

(戦は、もうすぐ終わる」

 なんにせよベーケ伯爵家が離叛すれば、ハイゼンベルクは一年と保たない。

 終わりが間近であることに、怖れも焦りもありはしない。ただこのままでは終わる瞬間バルドと共にいられなくなると考えると、今すぐここを飛び出したくなる。

「バルドのところに絶対、帰るんだから、そのために今は我慢よ」

 リリーは自分自身に言い聞かせて、ひたすらに自分の感情を鎮めることに専念するのだった。


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