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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
53/115

1-1

 モルドラ砦より南に下がった森の中に建つルベランス城に、ハイゼンベルクの軍は逃げ込んだ。

 手勢の多くが寝返ったとはいえ、脱した兵は一万を越える。ルベランス城には二千の増援を待機させていたので、合わせて一万五千近くとなる兵は、モルドラ砦よりも二回りほど狭いルベランス城内にはおさまりきらず、夜には城の庭や周囲に天幕がいくつも張られていた。

 城内の大広間では将であるバルドを中心にして、炎将のヴィオラ、その補佐官のマリウスと水将補佐官のカイ、他に雷軍炎軍の統率官など上位の仕官が集まり紛糾していた。

「ゼランシア砦を取り戻す前に、モルドラ砦が取られるとは!」

「いや、しかし数合わせに兵をかき集めたのだ。こうなる可能性は出兵の前から予測はしていた」

「まず、フォーベック統率官を連れてくるべきではなかったのでは」

 血の気の多い者達が不平を口にするのを、バルドは止めなかった。他も疲労困憊して口を挟む気にもならない者や、先に吐き出させるだけ吐き出させておけと静観する者で止める者はいない。

「アクス補佐官はいったい何をしていたのだ。やすやすとクラウスに捕虜にされるなど」

「悪知恵が働くあの男と、まだ子供のアクス補佐官ではしかたあるまい。向こうがどう利用してくるか」

「まだ生きているのか。首だけで返されるか。それとも、公開処刑も……」

 話題がリリーのことへ移って、バルドが眉を顰める。

「……補佐官、処刑なし。クラウス、させない」

 クラウスの目的はリリー自身だ。敵勢の中にいても、彼女に傷ひとつ負わせないだけの自信があるはずだ。

 バルドが声を出したことで騒々しかった場に、気まずい沈黙が落ちた。

「……アクス補佐官の件はひとまずおいておきましょう。皇主様は一度皇都に退かれては」

 統率官の中で最も年配の者がやんわりと言うのに、バルドは首を横に振った。

「将、逃げれば士気下がる。引き続きゼランシア砦攻略に尽力すべき」

 ここで逃げたところで、ディックハウトの兵は後から後から士気の落ちた軍を踏みつぶしながら迫ってくる。

 敵に背を向け追い詰められるよりは、こちらから攻め込んだ方がましだ。

「そうですわね。ここで皇主様が退かれれば、向こうの士気が上がるだけですわね。わたくしも今夜はもう疲れましたわ。明日に備えて、休みませんこと?」

 ヴィオラが大仰にため息をついて、疲れた面々の顔を見渡す。

「続き、早朝」

 バルドもこれ以上の軍議は無為と見て、解散を促す。そうしてやっと落ち着けることに安堵する者、先の見通しが立たないことに不満を持つ者それぞれが席を立つ。

「……皇主様、例の件ですが」

 人が少なくなってから、カイが近寄ってきてバルドの側で声を潜める。

 神器のひとつ、『玉』の紛失の件がエレンにより漏れた。神器がリリーの心臓に埋め込まれている真実を知るブラント伯爵家と対処について相談していた返事を、ブラント家の次男である水将の補佐官であるカイは持ってきたのだ。

「それも後」

 バルドは他人と話をする気が起きず、カイも下がらせる。

 これ以上、冷静にリリーのことを考えられそうになかった。

 手が届く場所にいたのに、取り戻せなかった。狭い地下通路で剣も振りまわせず、ローブを身につけていないリリーを傷つけずにクラウスに魔術を当てることも難しく何もできなかった。

 そうしている内に、リリーは手の届かない場所へと連れていかれてしまった。

 バルドは城主が急いで用意した部屋へと入り、長机の上に置かれた双剣とローブの元へ歩み寄る。混乱の最中、兵のひとりが捨て置くのを躊躇いこの城まで持っていてくれた。

 リリーにとって大事な物だ。これが側にある限り、彼女は帰ってくると少しは慰めになる。

「リーに、必要な物」

 しかし、その一方で不安もあった。

 クラウスはリリーにとって戦場よりもよい場所があると言った。きっとそこでは剣もローブも必要がないのだ。

 もし、リリーがクラウスの示す場所に心惹かれたなら、帰ってこないかもしれない。

 ずっと側にいて欲しいという自分の我が儘のためだけに、戻って来てくれるのか。

 いや、リリーならそのためだけでも、帰って来てはくれるとバルドは目元に影を落とす。

(リーの全部、俺のもの)

 無理を言って困らせて、傷つけてたこともたくさんあったのに、それでもリリーは自らの全てをくれると言ったのだ。

 リリーの全部が欲しい。自分だけのものであってほしい。

 だけれどリリーの幸せごと全部奪い取っていいのか、躊躇う気持ちがあった。

(だから、動けなかった)

 剣が使えない、魔術も使えないという理由の他に、クラウスが連れて行く先の方がいいのではと迷いリリーを取り戻す気力が一瞬失せた。

 だけれどいざリリーが側にいないことになって、耐えられない自分がいる。

 リリーと離れたくないから、兄に頼み込んで補佐官にした時と同じだ。結局いつも、自分自身のわがままを優先させてしまっている。

 バルドはリリーのいない広い寝台に上がる気にはなれず、側の長椅子に横たわる。

(進軍は妥当)

 ゼランシア砦を攻めるという方針を変えなかったのは、果たしてなんのためなのだろう。

 もっともらしく撤退しない理由を考え判断を下したものの、本心はリリーを取り戻したいだけかもしれない。

 疲れにふっとバルドの思考が止まって、感情が露わになる。

 足りない。苦しい。寒々しい。

 真夏だというのに、冬の押し潰されそうな曇天の真下にいるような鬱々とした気分だ。

 こんな気分を抱え続けるぐらいなら、明日の朝にでもひとり出陣して戦を終わらせたい。

(疲れた……)

 戦闘にのめり込んでいない時以外は、ひたすらに陰鬱な思いを抱えて生きていることが嫌になる。

 早く、戦場の高揚感の只中で終わりたい。

 近いはずの終わりが、待ちきれないほどにバルドは疲れ切っていた。


***


 軍議の場で疲れたと口にしたヴィオラは、休む気はなかった。

「皇主様、落ち着かれているように見えましたけれど、どうかしら」

 城の小部屋へと連れ込んだカイと、自分の補佐官である弟のマリウスにヴィオラは質問を投げる。

「……皇主様は普段とお変わりなく見えましたが」

「変わりないっつーか、皇主様が何考えてるかなんて、嬢ちゃんじゃねえとわからないだろ」

 マリウスが自信なさげに言って、カイが両腕を組んで渋面になる。

「そうですわねえ。リリーちゃんがいないことには、わたくし達も皇主様のお考えが分りませんし、困りましたわねえ。ゼランシア砦をこのまま攻めるのはよいのですけれど、リリーちゃんを利用されたら、勝てる戦も勝てなくなるかもしれませんわ」

 正直なところ、この戦は厳しい。勝ったところで多くの兵を失い、次の戦を持ち堪えられるほどの兵力と士気が果たして残っているか。

 ただでさえその状況で、将たるバルドがモルドラ砦でリリーが連れ去られると知った途端、取り乱して単独で追い駆けたのと同じことが起これば負けが確定しまう。

 バルドに撤退を促した者も、皇主の身の安全の他に冷静に戦ができるかという懸念もあったはずだ。

「フォーベック補佐官はやはり、皇主様の気を乱すためにアクス補佐官を人質に取ったのでしょうか」

 マリウスが硬い表情で不快げに言う。

「クラウスの野郎は、本気で嬢ちゃんに惚れてるって話だけどなあ。あいつはあいつで本心が見えねえ」

「アクス補佐官ひとり手に入れるために、あんな大がかりな反逆を企てたとは、とても考えられません」

 マリウスが断固として言うのに、ヴィオラはカイと顔を見合わせる。

「……まあ、本気で惚れた女のためならなんでもやってやるって思う奴もいることはいるんだぞ」

「お前はもう少し他の経験も積ませてあげたかったけれど、無理な話ではありますわねえ」

 この生真面目すぎる弟が忠誠と戦しか知らないのも寂しく思いつつも、平和な世であれ変わらないかもしれないと苦笑する。

「クラウスが嬢ちゃんを下手にディックハウトに売り渡さなとしても、どこまで向こうで権限を持ってるかによるな」

「そうですわね。命の危険がないと皇主様もみているようですけれど、いざとなったらどうなるか想像がつきませんわね」

 モルドラ砦での取り乱した姿はやはり大きな不安だった。敵方にもバルドの動揺を誘うのにリリーを使うことがいかに効果的かと、知らしめてしまっている。

「……アクス補佐官がこのまま敵方に懐柔され裏切るという心配もあります」

 年長者の言葉に反論することなくうつむいて考え込んでいたマリウスが、ふと顔を上げる。

「リリーちゃんも強情な子だから、そう簡単に心変わりなんてしないと思うわ。……間接的にとはいえこれでは痴情のもつれでの大戦ですわねえ」

 ヴィオラは呆れながら、しかし戦に真に大義などありはしないのだと冷めた思いでいた。

 それぞれの独善と欲望が戦場には渦巻いている。それは自分も同じだ。

 忠誠心も先祖に対する敬服も自己満足に過ぎない。そう分っていても戦場に立ち続けることに躊躇いはなかった。

「嬢ちゃんに傾国は似合わねえな……」

 カイのぼやきにマリウスが小声で傾国、と繰り返して首を捻る。

「似合いませわねえ。もうひとつ心配もあるのですけれど、ベッカー補佐官、神器の件でいらしたのでしょう」

 ヴィオラが不意を突く形で訊ねると、カイが一瞬思案顔になる。

「それはこっちについてから言った通り、皇主様とお話ししてからだ」

 カイは軍議の前に皇都からの報告が、バルドにあると告げていた。神器紛失の件について知っている者達には、皇主様の言葉を待てとも言った。

 軍議の場に神器の件を知らない者もいたので、話題は昇らなかったが気にならないはずがなかった。

「そうなのだけれど、皇主様が全てお話ししてくれるとも限りませんわ」

「姉上……」

 主君に対して非礼とも思える言葉に、忠義心の強いマリウスが批難の声を上げる。

「先に教えなさいというわけでもありませんわ。ただ、クラウスが神器のことをどこまで、知っているかどうかだけでもお答えいただけませんこと?」

 もうひとつの心配は皇家の正統の証である神器を、ハイゼンベルクが皇位を得たとき『剣』しか持っていなかったことを敵方に知られることだ。

 今は、ハイゼンベルク方が発見し保管しているとしていても、正統を主張するのに分が悪い。

「はっきりしたことは知らねえ。だが、知ったところでクラウスはその情報を利用はできないかもしれない。今、俺が言えるのはそこまでだ。後は皇主様のお言葉を待て」

 カイが渋々と答えた内容は、あまり参考にはならなかった。むしろさらに訳が分からなくなったかにも思える。

「後は皇主様のご判断に委ねるしかありませんけれど……」

 皇主を支える将のひとりという立場にありながら、あまりに与えられる情報が薄いのは困ったものだとヴィオラはため息をつく。

(灰色の魔道士もきにかかるけれど、全ては皇主様がわたくしたちを全面的に信頼していただけるかですわね)

 一部の臣下はバルドが元より人に懐かないのを理解し、一朝一夕で信頼関係がきずけるはずがないとじっと耐えているが、そういう悠長な者ばかりではない。

 たったひとり、バルドが信頼を置くリリーもおらず、ただでさえわかりづらい主君の心が、まったく見えなくなってハイゼンベルクの結束も危うい。

「聞きたいことはきけましたし、マリウス、もう休みましょう。ベッカー補佐官も、長く引き止めてしまって申し訳ありませんわ。ゆっくりおやすみになって」

 ヴィオラは問題の多さに気鬱になりかけている自分に気づき、思考を止める。

 先は暗くとも進まなければならない。

 だが、隣にいるマリウスの失われた片腕に思わず足を止めそうになる自分がいた。

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