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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
49/115

5-3

***


 結局、ふたりでゆっくり落ち着ける時間は寝台の上となった。

 他の者達にシェルに関しては敵意や害意はなし。ディックハウト側でないことは確かだと告げて処遇は保留となった。

「誰も納得しないわね……」

 あまりにも情報がぼやけすぎて、また隠し事かと落胆する重臣らの顔を思い浮かべ、寝台の上で膝を抱えるリリーもため息をつく。

「大陸からの来訪者。混乱」

 バルドも対応には困っているらしい。大陸からの来訪者は八百年ぶりということになる。しかも魔道士はいないはずとなっているのだ。

 神器の件を隠している以上、下手に真実に触れることを口にするわけにもいかない。そうしてひたすら嘘を重ねる度に、嘘は見え透いたものになってしまう。

 やっと固まり始めた重臣達との信頼関係も、これでまた元通りになってきていた。

「正直、あたしも大陸から来たって言われても、よくわからないわ。でも、信じるしかないのかしら……」

 リリーは寝台の上に広げたシェルの覚え書きを眺める。

 神聖文字と、見たこともない文字。これが自分の知らない世界の一端であることに違いない。

「ねえ、魔術がなくなるってバルドはどう思う?」

「……戦うのに、不足なし。剣があればいい」

「あたしも、剣を握れる限り戦うわ。だけど、バルドよりずっと弱くなるかもしれないわね」

 今、体格も腕力の差も大きいバルドと対等に戦えるのは、魔術でもって差を埋められているからだ。剣技をどれほど磨いても、男と女ではやはり差がありすぎる。

 ましてやバルドは男の中でも長身で体格もいい。剣の腕も立つ。

「リー、弱くなっても、戦うことを求めるなら、変わらない」

 どうやらバルドにとって大切なのは強さよりも、自分と同じほど戦闘を心から楽しめるかどうからしかった。

「それなら変わらないわね。あたしが一番好きなのは戦うことだもの。ねえ、魔術がなくなったらこの戦って、本当にどうなるの? なし崩しで終わって平和になるわけないわよね」

 一度振り上げた拳を下ろすのは簡単ではない。五十年も続いた戦なのだから、尚更だ。だが、魔術がなくなってしまえば皇家の正統性を争うという戦の根本があやふやになってしまう。

「魔術喪失は、失望と怒りがおそらく皇家へ向かう。ハイゼンベルク側、ディックハウト側、表立って覇権争い」

「皇家を滅ぼして、こんどは誰がこの国の新しい皇主様になるかで揉めるのね。戦は、終わらないってこと。あたしが死んで、魔術が消えても同じ。戦は続くんだわ」

 新たな王が誕生するまで争い続ける。今度はグリザドのように魔術という明確な他者との違いがない以上、戦は何度も繰り返されるかもしれない。

「戦、魔道士のみならず。島民全て、戦をせざるを得ない」

「そうよね。魔術なしに戦うんだったら、誰でもできるもの。……魔術があってもなくても、戦う場はあるのね」

 戦い続けられるなら魔術はそう必要でもないかもしれない。

 だが、魔術なしの戦うなら自分の死期は早まるかもしれない。バルドよりもずっと早くに、戦場で尽きることも十分にあり得る。

「グリザドの魔術解く?」

「まだ、解けるかはわからないでしょ。あたしにどういう魔術がかかってるのかはっきりはさせるわ」

 バルドの側にできるだけ長くいるためなら、終わりまでこの心臓が皇祖のもののままでいい。

 リリーはそう考えながら、広げたシェルの覚え書きを片付け始める。

「……この国は終わるのね」

 そしてふと心に湧いた言葉を零す。

「終わる。皇国は無意味。皇家に尊厳もなにもなし」

 バルドが坦々と告げてリリーを抱き寄せる。

「皇祖はただの頭のおかしい魔道士で、島の人間も自分の子供もただの道具だったのよね……」

 この戦はなんの意味のないものだったのだ。

 じわりとその真実が胸に染み込んできて、なんとも言いがたい脱力感に全身から力が抜け落ちていく。

 皇家の正統性などどうだってかまわない。最初からそうだった。戦場で戦うことそのものだけが、自分にとって意味があるものだ。

 だが、血統のしがらみに煩わしい思いもしてきた。これまで振り回されてきたのはなんだったのかと、馬鹿馬鹿しく思えてくる。

(一番振り回されてるのはバルドだわ)

 今まで皇主らしく、皇家の威厳を保つとバルドは重荷を背負ってきた。これからも死ぬまで彼が重圧を受け続ける必要などあるのだろうか。

「バルド、もう皇家とか、皇主のあるべき姿とかそういうの、考えなくてもいいんじゃない? バルドの好きに戦を楽しんだらいいんだわ」

 虚脱感から抜けると、怒りと悔しさに感情が急に高ぶってきてリリーは声を震わせる。

「……そう、できたらいい」

 バルドが抱きしめる力を強める。

「できないの?」

「……できない」

 どうして、と問い返しかけてバルドの顔を仰ぎ見た、リリーは唇を引き結ぶ。

 悲しげで、苦痛を耐えているかにも見えるバルドの瞳の揺れで、彼が投げ出せない理由に気づいた。

 彼が背負っているのは皇家ではなく、ラインハルトだ。

「そっか。できないのね」

 リリーは素っ気なく言って言葉を止める。

「……寝る」

 バルドがリリーを抱きかかえたまま横になった。

 ふたりともかといってそれですぐに眠れるはずもなかった。先行きに不安や怖れがあったわけではない。

 元より戦って死ぬつもりだ。

 先のことよりも過去のことへの方が大きかった。自分達を煩わせ、窮屈な思いをさせてきたものたちへの様々な感情が複雑に混ざり合って、心が波立った。

 自分の中で虫の羽音がしているような、落ち着かない心地のままふたりがやっと眠りにつけたのは考えることに疲れ切った明け方だった。


***


 炎天下の下、リリーはあくびを噛み殺してぐったりと日陰に座り込む部下達を見やる。

 ここ数日で一番暑い日となった今日の午前は演習だったが、予定は大幅に繰り上げることになりそうだ。

 ディックハウトがいつ出てくるかも分からない状態で、あまり体力を削りすぎるわけにもいかない。午後は全員、雑務をこなしつつ待機となるだろう。

 さすがのリリーも暑さに堪えて、休息の指示を出した後に木陰へと移動する。

 バルドは少し残っている政務を片付けているところで、近くにはいない。シェルにいろいろ問い詰めるのも、午後からになりそうだ。

 早く全部知りたい焦りはあまりないものの、やはりグリザドにかけられた魔術のことを考えるとそわそわしてしまう。

「暑い……」

 することもなく話し相手もないリリーは、木にもたれて立っているだけで汗が滲んでくる熱気に思わず零す。

「リリー」

 どのとき、不意に木の後ろから声をかけられて振り返ると、カップをふたつ持ったクラウスがいた。

「ん、何、ちゃんと草むしりしたの?」

「俺がちゃんとしてると思うか?」

 今日こそ草引きに回されていたクラウスが聞き返してくるのに、リリーは苦笑する。

「しないわね。どうせまだ終わってないのに勝手に抜け出したんでしょ」

「監視されてるのに、それは無理だな。暑くて死にそうだからちょっと休ませてくれとは言ってる。ほら、あれ。ちょっと話したいこともあるから、監視かわってくれないか?」

 クラウスが示す先に、魔道士がひとりこちらを向いて立っていた。

「まあ、いいけど、……話って何?」

 リリーは監視役に交代を言ったあと、クラウスに訊ねる。

「向こうに座れそうな日陰があるから、そこがいい。ゆっくり、話したい」

 断る理由もないのでリリーはクラウスが案内する杏の木の側にある、長椅子代わりに置かれた長方形の石の上に腰掛ける。

「……あの灰色の魔道士、リリーと関わりあるのか?」

「それ、探りに来たの。あんたの役に立つことは何もないわよ」

 シェルのことをクラウスが知ったところで、離叛に有益になるものは何ひとつない。

 例えあったとしても、話す気にはならないが。

「そうか。気になるから、出て行く前にきければよかったんだけどな」

 クラウスがいつもより静かな口調で話すのに、リリーは自分の爪先に目を落とす。

「もう、行くの?」

 頃合と言えば頃合なのかもしれない。そろそろ大きく戦を動かそうと駆け引きしている最中だ。ハイゼンベルク、ディックハウトのどちらかが動いた時にでも出て行くのだろうか。

「いつまでも、いられないからな。だから求婚の返事、聞かせて欲しい」

 返事といっても、最初に答えた時から気持ちはなにひとつ変わっていなかった。

「できないわ。クラウスとは結婚しない」

 はっきりそう告げると、しばし沈黙があってリリーは視線だけクラウスへ向ける。

 彼は何かを考え込む顔をして、うつむいていた。

「……バルドと、一緒に死ぬんだな。それで、リリーは幸せだって思ってる」

 会話というよりも独り言のような口調でクラウスがつぶやく。

「あたしは、バルドの側で戦い続けられればいいわ」

 他に望むものなどなにもない。

「俺はもっとリリーに他に楽しいこと、知ってもらいたいよ。……悪い、渡そうと思ってたのに、緊張してたな」

 クラウスがやっと表情を崩して、手に持ったカップをリリーに渡す。

 中は果実水らしく、甘酸っぱい香りが仄かに漂っている。

「ありがとう。戦は楽しいわ。今すぐにでもこっちから攻め込んでいきたいぐらいだもの」

 カップには口をつけずに、リリーは水面を鏡代わりにして笑顔を作る。

 戦うことがたまらなく好きだ。それをクラウスはまるで理解はしない。かといってしてほしいとも思わない。

 自分にとって一番大事なことは、自分自身が知っていれば十分だ。

「単独はやめておけよ。……ぬるくなるから、冷えてる内に飲んだほうが美味しいぞ」

 クラウスがカップに口をつけて、リリーも倣う。暑さだけでなく妙に緊張してしまって喉が渇ききっていた。

 酸味が少し強い気がしたが、渇いた喉にはちょうどよい加減だった。

「……これ、なん、の」

 半分ほど飲んだところで舌がもつれたかと思うと、強烈な眠気が襲いかかってきてリリーは手からカップを落とす。

 それだけでなく、まともに座っていることすらままならなかった。

「本当は、一緒に行くって言ってほしかったんだけどな……」

 倒れかけたリリーの体を、クラウスが抱きとめる。

(何か、入ってた……)

 もはや目を開けていることすら難しく、瞼が下がっていく。体は眠りについているのに、意識はまだ半分ほどはっきりしているので、指一本動かせないのがなおさら腹立たしい。

「リリーはここにいない方が、ずっと幸せになれる。俺はそう信じてる」

 剣帯が解かれ、ローブも脱がされてクラウスにリリーは抱き上げられる。

 薄れいく意識の中で、リリーはなぜこうもクラウスに隙をつかれやすいのか悟る。

 彼には敵意や悪意がないのだ。そして自分は他人の好意や善意に不慣れで鈍感すぎた。

 地鳴りに似た大きな音が、近くで響く。

 リリーは音の正体を知る前に、深い眠りに落ちていった。 


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