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モルドラ砦に侵入した不審者が捕縛されたことに、問題がひとつ片付いたとほっとする反面、侵入者の正体について軍議では揉めた。
バルドが尋問はリリーとふたりですると宣言したことで、上位官らからの不満や不審は募るばかりだ。しかしそれでも彼は聞きだした情報は伝えると主張して他の意見は一切とりあわなかった。
「こうするしかないのは分かるんだけど、大丈夫?」
軍議の後にシェルを捕らえてある牢へ行く途中、リリーはバルドがひとりで批判を引き受けることを案じる。
結局自分に関することは、バルドが前に出て煩わしい思いをしなければならなくなってしまう。
「リーの問題、俺の問題」
神器についてバルドがまったく無関係というわけもないのはわかっている。だらかといって彼ひとりに押しつけるのも違う気がするのだ。
「……うん。ごめん。ありがとう」
かといって他にどうしたらいいのかは思いつかず、甘えているばかりでもやもやする。
「もう、起きてるかしら。本気で眠りこけるなんて、図太いわ……お疲れ様、尋問は将軍とあたしでやるから、防音の魔術お願い」
気を取り直して、リリーは格子の填まった覗き窓がついている木の扉の前に立つふたりの見張りのうち、『杖』に魔術をかけてもらい牢に入る。
天井近くの高い所に小さな明かり取りの格子窓がみっつ並んだ牢の中は薄暗い。部屋に寝台は当然無く、ボロ布の上にシェルは拘束されたまま横になっている。
「話、訊きにきたわよ。起きて」
「……ん、ああ、おはようございます」
リリーが声をかけるとシェルが目を開ける。どうやら本当にこの状態で安眠していたらしい。
「よく眠れるわね、あんた」
リリーは呆れ果ててため息をつく。
「夕べは大事な記録帳がなくて眠れなかったのです。お持ちですか?」
「持ってるわ。これでしょ」
リリーは手に持っていた書類の束の中からシェルの荷物の中にあった紙束をよりわけて渡す。
「それです。よかった。これがなければここまでやってきた意味がなくなりますので……私は帰してもらえるのでしょうか?」
シェルがほっとしたのも束の間、自分の状況に気づいて不安そうにリリーとバルドを見上げた。
「事情による。大陸出自、事実? 大陸に魔道士はいないと聞いた」
「そういえば、大陸には魔道士はいないと、この島の人間には教えられていましたね……ところで、話しにくいので拘束を解くか、せめて体をおこさせていただけないでしょうか。媒体がなければ魔術が使えないのはあなた方と同じなので……」
シェルの言葉はまるで彼とリリー達は違うという意味に聞こえた。
「拘束は念のために解かないわ……大陸の人間がこの国の人間にどうしてそんな嘘をつくの」
バルドがシェルの体を起こしている合間も、リリーは質問をする。
「さて、どこから話していいものか。話すべきなのか……観測対象と接点を持たない方がよかったんですが」
「今更、話さないなんてなしよ。無事に帰りたかったら、全部あらいざらい話しなさい」
リリーが剣の柄を握り、バルドが無言で睨むとシェルがびくりと肩を振るわせる。
「……なんて野蛮な。ええ。もうこうなったらお話しましょう。まず、私の目的ですが、ある魔道士の足跡を追ってここまできたのです。この千年、彼以上の魔道士は産まれなかった。希代の天才魔道士、ザイード・グリム。この島で彼はグリザドと名乗り王となった。そう、あなた達のご先祖です」
もったいぶった口調で告げられたことにリリーとバルドは息を呑む。
この島では神とも崇められ、自分達の祖先である上にまだ心臓だけ生きている皇祖グリザドの正体。
彼がどこから現れ、一体何のためにこの島に魔術をもたらしたのか。誰も知らなかったはずのことを、シェルは知っているのだ。
「……グリザド、大陸の魔道士。ただの人間?」
「ええ。人間です。それどころかは元は奴隷だった。しかし、彼は魔術の才能で地位と名声を得ました」
「いちいち仰々しいわね。魔術の才能って、ものすごく強い軍人だったってこと? けど、どうやって他の人間に魔術を与えたの?」
自分とバルドの祖先が強い軍人であったと言われれば納得できる。しかしながらこの島の人間に魔術を使えるようにしたこととは上手く繋がらない。
リリーが首を傾げていると、シェルがふむとうなずく。
「本来の魔術というものをあなた方は知りませんでしたね。そうですね、そこに魔術文字があるでしょう」
リリーはシェルが顎で示す紙束を床に置いて、話はまだ長くなりそうだとバルドと一緒に腰を下ろす。
「魔術文字、神聖文字?」
バルドが神聖文字が書かれている紙を示す。
「そうです。魔術を扱うのに必要な基礎中の基礎です。幾種類もの魔術文字を組み合わせて、魔術を作るのです」
「魔術を作るって何?」
いまひとつ言葉を呑みきれずにリリーは首を傾げる
「この魔術文字ひとひとつに意味があり、組み合わせることで蝋燭に火をつけることも、物を宙に浮かせることができるのです。例えば長距離を移動をするような、大がかりな魔術ほど組み合わせが複雑になります。そうですね、魔術はよく織物に例えられます。魔力という糸で、魔術文字を織っていくのです。そして織られた魔術は媒体を通して実行される」
「なんとなくは分かったけど、あたし達の知ってる魔術じゃないわ」
魔術を使うのに、そんな複雑な過程は踏まない。炎を出すにしても、水を出すにしても、それぞれをどういう形で媒体から放出するか考えるだけだ。
「それがザイード・グリム……グリザドの魔術なのです。彼は魔術でもって、魔術の鋳型を作って人に与えたのです。あなた方はあらかじめ用意された鋳型に魔力を流し込んでいるにすぎない。疑問に感じたことはありませんか? あなた方の魔術は軍事利用に限定されていることを」
考えたことなど、なかった。
『剣』で戦い、『杖』で護る。唯一『玉』は癒しの力を持っているが、病を癒やすにしても少し熱を下げる程度、後は外傷の治療を早めることで戦場で使用されることがほとんどだ。
魔術とはそういうものだということしか、自分達は知らない。
リリーは神聖文字に目を落としてみるが、これが魔術の基礎と言われても理解しがたかった。
「皇祖、戦を望んだ?」
バルドが問いかけに、シェルは首を横に振った。
「望んだのは、人為的に魔道士を作り出すことです。そのために彼は禁忌を犯したのです」
神は人へと紐解かれ、途方もない夢を追い駆けたひとりの男の半生が物語られる。
***
ザイードは娼婦の息子だった。父親は誰ともしらない。娼館で産まれた男児はある程度育つと、奴隷として売られる。
ザイードも例に漏れず、五つの時にひとりの老爺に買われた。
老爺は魔道士だった。世界の魔道士を教育し管理する『学院』の教授である彼は、ザイードに魔術の才を見出し、彼を養子に迎えた。
ザイードは老爺、グリム教授の元で魔術にのめり込んだ。
彼の幼い好奇心は魔術に全て注がれた。妄想し空想したものを魔術文字で描き、魔力でもって実現できる。
積み木を組み立てるように、ザイードは一日中魔術文字を組み立てあらゆる魔術を産み出していった。
あまりに複雑で膨大な魔力を要するため、彼にしか扱うことのできない魔術も多くあった。その反面、過去に編み出された魔術を略式化し、少ない魔力でも操れるように改良をして多くの魔道士がその恩恵を受けた。
そうして若き天才、千年に一度の傑物。『学院』においてザイードはあらゆる名声を得た。多くの国も彼の才能を欲し、『学院』への出資を惜しまなかった。
だが、ザイードは名誉にも財にも目をくれなかった。
彼は探求心のままに数々の魔術を産み出していくことさえできればよかったのだ。
そしてザイードは魔道士をつくることに長年関心を寄せていた。
かつて魔道士を作るための術式は数多く考案されてきた。だが誰も理論を実証できたものはいない。
『学院』は倫理に反するとして人体実験を固く禁じていた。それだけでなく、魔道士を作るには膨大な魔力が必要だった。
ザイードは魔道士の作成を成せるだけの魔力を保っていた。そしてついに彼は知的欲求を満たすために動いた。
とある国の王が強い軍事力を求めていたのに目をつけ、仕えることにした。
ザイードにとって重要なのは、魔術を使える人間を作ること。どんな魔術を使うかはさほどこだわりもなく、王に求められるまま軍事利用できる魔術を使える魔道士を作ることに決めた。
『学院』で魔術研究は目につく。魔術の媒体を揃えるにも費用と人手がいる。それらを全て王は秘密裏に提供してくれた。
やがてザイードはひとつの島にたどりつく。
世界の主たるみっつの大陸から遠く離れた海上にぽつりと浮かぶ、魔道士が存在しない島。
島の人間はいずれも微弱な魔力しか持っていなかった。
島民の魔力を増幅し単純な魔術を扱わせる魔術実験のため、ザイードはグリザドと名乗り王となる。
魔道士を作ることに成功した後に、彼は次に島民にかけた魔術の維持に取りかかる。
島民に魔術を与えること自体が、すでに人体実験であり禁忌の領域だ。
しかし、ザイードは魔術の維持のためにさらに倫理の壁を打ち壊す。
生きた魔術媒体の作成。
それはすなわち、自らの血を分けた子供を使った交配実験だった。




