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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
46/115

4-4

***


「……来てたわね」

 午前の軍議を終えて真っ先にバルドの寝室にバルドと共に戻ってきたリリーは、壁際のタペストリーのすぐ側に落ちている黒い糸屑を拾い上げる。

 夜の内に隠し扉の間に挟んでいたものだ。朝に部屋を出る時にはなかったので、軍議の間に来たのだろう。

「動かした形跡なし」

 寝台や長椅子に長卓、広い部屋を見回していたバルドが首を傾げる。

「捜し物をしたってかんじはないわね。部屋に入ってすぐ諦めたのかしら」

 リリーは前日と同じく他の書類と一緒にした、灰色の魔道士の紙束を見る。寝るときは枕の下で、軍議の時も持ち歩いているのでこの部屋を探しても見つからないことがわかったのか。

 いずれにせよ不自然である。

「移動に隠し通路使用。……移動の魔術は未使用?」

「そうね。ここにきて魔術を使わないなんてどういうことかしら」

 バルドがこの砦で最初に灰色の魔道士の気配を感じた時、魔術を用いて逃げたと思われる。近くに隠し通路の出入り口があるわけでもなく、忽然と姿を消したからこそ実際に見ていなくても灰色の魔道士だと思ったのだ。

 隠し部屋にあった真新しい灰色のローブや、神聖文字を含んだ謎の文字を書き付けた紙束の持ち主が灰色の魔道士以外の持ち物であるとは考えがたい。

「俺達が魔術、使わない理由」

「ん、あたしらが魔術使わない時って、魔力を温存したいか魔力切れで使いたくても使えない時よね。魔力切れって一日かそこらで回復するものだし、温存かしら」

 魔力を空になるまで消耗したとしても、全快するのに三日とかからないはずだ。

「やはり第一目標は杖」

 昨夜も杖さえ破壊すれば魔術は使えないはず、と見つけたら真っ先に杖を破壊する算段を整えていた。

「そうね。どんな魔術を使う気でも、杖さえなんとかすれば大丈夫よね。ねえ、待ってるのも疲れるからいっそ、追い駆けてみる?」

 リリーはタペストリーをめくってバルドを見上げる。

「……待機、より先制」

「そっちの方があたしららしいわよね」

 じっと我慢していることが苦手なリリーとバルドは、待ち伏せする策を放棄して隠し扉を開いた。中は入ってすぐに階段があって、下の方は真っ暗で何も見えない。

「灯、いるのよね……バルド、見える?」

 できれば手を塞ぎたくないので、リリーは扉を閉じて夜目が利くバルドに問う。

「…………見える。リー、気配だけで十分?」

 暗がりにじっと目を凝らしていたバルドが、こくりと頷く。

「うん。あたしもしばらくしたら目が慣れてくると思うわ。気配があったら攻撃もできるし。あ、でもバルド、ここで剣、振れる?」

 リリーも慣れれば暗闇でも人の輪郭程度は認識できて、人の気配にも敏感なので灯なしでも戦える。

 それよりもリリーが両手をいっぱい広げてぎりぎり指先が触れない程の、狭い通路でバルドが大剣を扱えるかが問題だ。

「抜ける。振るう……狭い。魔術を撃つに不足なし」

 バルドが狭い中でも器用に背の大剣を抜いて構える。

 振り回すのは無理でも魔術を撃つのが難しくなければ大丈夫だろう。

「じゃあ、バルド先歩いてね」

 リリーはバルドに道案内を頼んで壁に手をつきゆっくりと階段を下りていく。灯があった昨日と違ってほとんど何も見えないぐらいに暗い。だが、目の前を歩いているのがバルドだというだけで安心感があった。

 やがて地下通路に降りる頃には、リリーの目も慣れて道が二手に別れているのが分かった。

「片方が外に繋がっててもう片方は隠し部屋と他の通路に繋がってるんだっけ?」

 朝の軍議の場で隠し扉の場所や通路などについては、神器の手紙を受け取った忠誠心の強固な者にだけ知らされていた。唯一手紙を受け取っていないリリーも、バルドの裁量で皆と一緒に聞いた。

「外か、部屋か」

 バルドが外に向かう右手側と砦内の別の隠し扉と隠し部屋にたどりつける左手側を示す。

「まだ中に用があるんだったら出て行かないわよね……あの灰色の魔道士、全部の出入り口知ってるのかしら」

「おそらく。俺の部屋に来たのは偶然と思えず」

「これの在処はすでに突き止めてるってことだものね……あたしはまだ中だと思うんだけど」

 紙束をに触れながらリリーが左を示すと、バルドもうなずいて先に砦の内側を調べることにした。途中、バルドが足を止めて隠し扉を開くがそこに誰かがいた気配はなかった。

「出口」

 やがて昇り階段が見えて、バルドとリリーは顔を見合わせる。引き戻すかどうか考えた末、一度砦の内側へと出てから隠し通路は使わずに外の出口に向かうことにした。

「ここ、一階の西側よね」

 扉を開けると老朽化が激しく使われていない小部屋に出る。調度品のひとつもなく石櫃のような部屋は、先日の大雨で浸水もしていたせいかまだどこか黴臭い。

「……いる」

 そして部屋を扉を開ける前に、バルドが何かに気づいたらしく小さくそう言う。リリーもすぐに外で足音がしているのに気づいた。

 距離は少し遠い。

 いきなり出て行くより、気づかれないようにそっと近づいた方がいいだろう。

 リリーとバルドは視線だけでお互い同じ考えだと確認して、ゆっくりと扉を開く。出た廊下は広く真っ直ぐで、杖を持った黒いローブの魔道士の背が二十歩ほど先に見えた。

 見廻りの自軍の魔道士かと、拍子抜けしそうになったがすぐに違うとふたりは気づく。

 魔道士がひとりで見廻りはしない。『杖』と『剣』、必ずふたり以上の混成で動くものだ。

 リリーとバルドはうなずきあい、ゆっくりとした動作で目の前の魔道士の後をついていく。

「見張り、ご苦労様」

 そして、リリーは目の前にいる魔道士に声をかける。

 魔道士はびくりと肩を跳ね上げながらも逃げる素振りは見せずに、立ち止まってそろりと振り返った。

「これは、皇主様と補佐官様、おふたりも見廻りでしょうか」

 ローブを目深に被った頭を下げる魔道士の顔は見えない。しかしながら、砦内の魔道士の顔を全員把握しているわけはなく、顔が分からないことはそれほど困ることではなかった。

 声色からしてまだ若い男のようだ。

「見廻りよ。本当は『杖』がひとりぐらいついてなきゃいけないんだけど、ちょうどいいわ。今、ひとり?」

 何気ない様相を取り繕いながら、距離を詰めていく。

「はい。ひとりです。いや、こんな広い中、ひとりで見廻りも心細いので、皇主様と補佐官様がご一緒してくださるなら、私の方も助かります」

「そう。ひとりなのね……っ!」

 リリーはすかさず双剣を抜く。狙うのは男の杖だ。

「そんな、ばれないと思ったのに!」

 男が杖でリリーの剣を受け止めながら、杖から炎を放ってリリーは予測外のことに目を見張って後ろに飛び退る。

 攻撃魔術を放てるのは『剣』だけだ。

 灰色の魔道士が知らない魔術を使うとはいえ、『杖』が攻撃魔術を使うというのは日常的にありえないことで面食らってしまった。

「いや、ちょっと、待ってください、私はけしてそちらに危害を……っ!!」

 バルドが雷撃を放って、男が透明な壁を築き上げる。

「かなり、魔力が強いわね」

 加減をしているとはいえ、バルドの攻撃を真正面から受け止められるのは相当な手練だ。

「大人しく投降しないと、腕が吹き飛ぶわよ!」

 リリーは剣を構えたまま、男に警告を投げつける。

「投降します! 投降するので剣を収めてください!」

 男が情けない声で懇願して、バルドが攻撃を止める。

 その瞬間、男は杖を振り上げて床に叩きつけようとするものの、リリーが先にその懐に飛び込んで、首元に刃を当てた。

「杖を離しなさい。そうじゃないと斬るわよ」

 低い声で脅すと、男は青ざめた顔で杖をから手を離す。

 石床に堅く高い音が響かせた杖を、リリーはバルドの方へ蹴り飛ばした。そうしてバルドがさらに杖を遠くへ置いてから、男を後ろ手にする。

「やっと捕まえたわ。何者なの」

 リリーは自分の髪紐を解いて、男の両手の親指同士を縛り拘束してから男のフードを外す。

 思っていた以上に若い。まだ二十そこそこだろう。柔和でひ弱そうな容貌で、褐色の髪と目もよくある色だ。これで黒いローブを羽織っていれば、お互いの顔を知らない者が多いこの砦では気づかれにくい。

「た、ただの観光客です。けして、敵の間者などではありません」

 拘束され逃げられないと悟った男は、動かせない体の代わりにめいっぱい首を横に振る。

「観光? 戦場を見に来る魔道士なんて、敵か味方のどっちかよ。名前と、出身」

「名前はシェル・ティセリウス……大陸から来ました」

 シェルと名乗った男は、一瞬迷って仕方なくといった体で吐き出す。

「大陸……」

 リリーは息を呑んで、見知らぬ遠くの場所を声に出す。

 この国の内乱を知らないらしいという情報から、島の外から来た可能性もバルドが示していた。しかし、ひとつ辻褄があわない点があった。大陸には魔道士はいないらしい。

 交流が絶えてもう八百年の間に、大陸にも魔道士が存在するようになったのだろうか。

「何事だ!! 皇主様!」

 そこへバルドの放った魔術で騒動が起きていると気づいただろう砦の魔道士達が駆けつけてくる。

「あたしと、バルド……後ろにいる皇主様が尋問するから、気絶したふりでもしておいて」

 リリーはそう言うと、シェルは抵抗しないほうがよいと考えたのか、大人しく横に倒れて目を閉じた。

「不審な魔道士を捕まえたわ。気を失ったから運ぶの手伝って……」

 リリーは気絶したふりをしているシェルを見て絶句する。

 あろうことかこの状況で寝息を立て始めていた。狸寝入りかと思ったが、体全体に緊張感の欠片もなく、本当に眠ってしまっていたらしかった。

「なんなの、こいつ……」

 そして額に手を当ててリリーは深々とため息をついたのだった。


***


 ハイゼンベルクからの攻撃を退けたゼランシア砦は、攻め込むべきかそれとも相手の出方を窺うべきかで紛糾していた。

「陽動作戦の可能性は捨てきれない」

 ゲオルギー将軍がそう言うのに、フリーダも内心おそらくそうだろうと思いながらも口出ししなかった。

 ここでじっとしていてもリリーとは戦えない。ならばこちらから出向いて行けばいだけのことだ。

 幸い、軍議の場は攻めに転じることを望む者が多い。このままいけば数日中に出陣だろう。

 フリーダは全員の意見が相手方の砦を落とすことに向かっていくのを、静かに待つ。夫のフランツは一刻も早く勝利を収めたい焦りと、ゼランシア砦で敵を迎え撃ちたいという保守的な理性の間で葛藤しているようだった。

「二度の攻撃でこの砦もずいぶん削られました。これ以上攻撃を加えられても、砦の損傷を増すばかりでは」

 フリーダは砦の主であるフランツがなかなか意見をはっきりと定めないのに焦れて、自分の望む流れを引きよせる言葉を発する。

「フリーダ、それはあの雷獣がこの砦を潰しかねないということか」

「ええ。あまりにも長引くようであれば、そうするでしょう。私は攻めるべきかと思います」

 夫に答えながら、視線はゲオルギー将軍に向ける。

「……三分の一の兵とフランツ殿は引き続き、砦の防衛にあたってもらう。残りの手勢はモルドラ砦を攻める。それでかまわないか?」

 ゲオルギー将軍は決断を全員に問う。異議を唱える者はなく、編成と日取りについての話し合いへと変わってフリーダはほっとする。

「奥方はここでフランツ殿と護りに徹するか、攻撃に加わるかどちらを選ばれる」

「私は夫の許しがあれば攻撃に加わりたいと思います」

 一応は夫の顔をたてて答える。だが気持ちはすでに固まっている。

「……貴女の、好きにすればいい」

 フランツはどこか諦めきった表情で同意した。

 もはや自分達夫婦の間には溝しかなかった。夫はいっそこのまま戦死してくれればありがたいと思っているのかもしれない。

 妻は果敢に前線に立ち名誉の戦死となれば、夫が再婚するにあたってどこにも角が立たない。

「では、全力をもって戦わせていただきます」

 戦う相手はリリーひとりのみ。

 フリーダはやっと戦えると、編成が着々と進み出陣の日取りが決まるのを心待ちにする。 そんな中、軍議の場へ緊急の知らせが入った。

「ベーケ伯爵家からの使者か。ついに南も獣を見限ったのか」

 北の防衛の要であるマールベック伯爵家当主のフランツが、南の防衛の要であるベーケ伯爵家からの接触に声を上げて、議場がどよめく。

「使者を通せ」

 ゲオルギー将軍の呼びかけに、ひとりの女性が通される。ローブを纏っておらず、簡素なドレス姿の年若い女の顔に、フリーダは見覚えがある気がした。

 無愛想で地味な容貌とはそう印象に残るものではなく、記憶の奥に沈み込んでしまっている。

「……エレン・フォン・ベレントか」

 やっと思い出して彼女の名を口に出すと、エレンが肯定するように視線を向けてくる。

「フリーダ、知り合いか」

「いいえ。知り合いではありませんが、彼女は先日身罷ったラインハルト殿下の侍女であり、第一の側近だったはずです」

 フリーダの返答に再び議場が騒がしくなる。

 そうしてもたらされた報せは、フリーダにとってはあまり面白くないものだった――。



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