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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
44/115

4-2


***


 一方、リリー達ハイゼンベルクの幹部らはモルドラ砦最上層の張り出し歩廊から、交戦開始の合図である青空を遡る雷光を見ていた。

「見てるだけなんて、退屈」

 リリーは思っていることをつい口に出してしまう。

「……アクス補佐官、待機も立派なお役目。指揮を取る者がそんなことを言ってはならない」

 近くにいたマリウスが窘められてしまい、リリーは小声ですみませんと形だけ謝罪する。

(でも、退屈なものは退屈なんだもの)

 この後も万一のために戦闘訓練は剣は使わずなく、隊列の確認だけなのだ。この隊列訓練というのが、リリーはすこぶる嫌いだった。

 型通りの陣形をいくつか実際に作り、行軍の練習をするのは疲れるだけで何も楽しくない。雷軍はあまりかっちりとした隊列は組まないので日常的にはあまり隊列訓練を行わないが、炎軍はそうではない。砦の指揮を取るのが炎軍補佐官のマリウスである以上、一糸乱れぬ隊列が強いられるに違いない。

(……何か理由つけて、訓練に参加しないは無理よね。駄目だわ、クラウスみたいなことばっかり考えてる、あたし)

 リリーはいつも仕事から逃げているクラウスをちらりと見る。彼は戦闘が始まったことに興味はないらしく、柱にもたれて退屈そうにしている。

「では、これより訓練に移る。アクス補佐官、雷軍と炎軍混成でやるので指揮しっかり頼む」

「はい……」

 マリウスに指示されたリリーは力無くうなずくしかなかった。

 何よりも嫌いなのはこの指揮官という役回りだ。今日はバルドがいないので自分が一番上というのも気が重い。群れるのが苦手だというのに、いちいち他人に指図して群れを作らねばならないというのが嫌でたまらない。

「リリー、そんなに嫌なら俺とどっかでのんびりしないか」

 階下へ降りる途中、リリーはクラウスに暗い表情を見つけられた。

「あんたと一緒なのはともかく、訓練に参加はしたくないわね。だけど指揮官不在っていうのはさすがにまずいでしょ」

「リリーはなんだかんだ言ってても真面目だよなあ」

「参加しなかった方が後が面倒くさいじゃない」

 マリウスから延々と説教を聞かされるのと、隊列訓練どちらを選ぶかと聞かれたら迷いなく後者を選ぶ。

「それはそうだな。俺は訓練を横目に『玉』の魔道士と草引きって、酷い扱いだろ」

 治癒が主な仕事の『玉』の魔道士は隊列に加わらないので、雨と陽射しですくすくと育った砦内の雑草をむしることになっている。訓練に加わっても統率を乱すだけだと判断されたクラウスは、草引きに回されるのだ。

「あたしは隊列訓練よりそっちがいいわ。……バルドがいたら指揮はほとんどやってもらえて、あたしはただの伝言役ですむのに」

「……最近、またバルドと仲いいな」

 クラウスが面白くなさそうな顔で言うのに、リリーは膨れる。

「悪かったことなんてないわよ。いいじゃない、一緒に寝てたって誰も困るわけでもないんだから」

「いや、バルドは皇主様だから困る人間もいると思うぞ。俺としてもいつバルドが理性の限界になるか、心配だしな」

「心配しなくてもいいわよ。……そうなったって、あたしはいいんだもの。もう、この話は終わり。真面目に草むしりしなさいよ」

 言っている内に羞恥心が込み上げてきて、リリーは歩幅を広げてクラウスと距離を取る。

「リリー」

 しかし腕を掴まれて足を止められる。

「何?」

 思いの外強い力にも驚いたが、それ以上にクラウスの痛みを堪えるような顔に腕を振りほどけなかった。

「……どうしても、バルドじゃないと駄目なのか」

「あたしは、バルドが望んでること、全部叶えたいの。バルドが好きだからそう思うのよ」

 リリーはクラウスを真っ直ぐに見つめ返して告げる。

 今の自分の気持ちはそれ以外になかった。例え一目でバルドに惹かれた理由が、グリザドの心臓が定めたことでも、彼に全てを尽くしたいと願ってしまうほどの好意は自分だけのもののはずだ。

「それで、それだけでリリーはいいのか。バルドはなにも返さないのに」

 クラウスが手を離しながらも、視線はそのままで訊ねてくる。

「いいの。バルドが安心するならならあたしも嬉しいわ」

 見返りなんてことは考えたこともなかった。自分がしたいことをしているだけにすぎないのだ。

「アクス補佐官、フォーベック統率官」

 廊下の途中で立ち止まったふたりをマリウスに訝しまれ、ふたりは会話を打ち切る。そうして強い夏日が射す外へと出る時、砦の内から異変の知らせが届いた。

「貯蔵庫に不審者? 見張りはどうしたんだ」

 マリウスが怪訝そうな顔をする。

 貯蔵庫には食料の盗難が疑われているので、常時一箇所しかない入り口に見張りを立たせている。話によれば地下の貯蔵庫から不審な物音がして、中を覗いてみれば人影が見えたというのに誰も見つからなかったということだ。

「食料泥棒、あの灰色の魔道士なのかしら」

 見張りを立たせてからぴたりと食料が減るの収まったので、灰色の魔道士の可能性は除外されていた。しかし、見張りがいながらも食料庫に忍び込んだとなれば、窓も扉も関係ない灰色の魔道士かもしれない。

「そういうことかもなあ。マリウス、どうする?」

「見過ごすわけにもいかないが、訓練もある……何人かそちらに回す」

 少し考えて、マリウスは訓練を優先させることにしたらしかった。

「あたしも、行っていいですか? 指揮は『杖』の統率官に任せるんで」

 バルドとのことは自分の中で一応の踏ん切りはつけたものの、やはり心臓のことは気にかかる。

 できれば自分で捕まえておきたかった。

「アクス補佐官自ら赴かねばならないほどに、その不審人物は重要なのか?」

 どことなく不満を感じる声でマリウスが訊ねてくる。

 灰色の魔道士の件は、リリーの血統や心臓についてが明かせないため重要案件としては取り扱われてはいない。しかし、皇主の補佐官が自ら捕捉に出たいと名乗り出るのは、不審をもたれてしまうのは当然だ。

 焦ってついうかつなことを口にしたとリリーは返事に詰まる。

「よく分からない魔術使うみたいだし、リリーぐらいの手練がひとりぐらいはいた方がいいんじゃないか? どうせなら俺も草むしりよりもそっちがいい」

「……そうですね。アクス補佐官、ではそちらは頼む。フォーベック統率官も連れて行っていい」

 クラウスが助け船を出してくれたことにリリーは安心する反面、関わってくることに不安も覚える。

「分かりました。じゃあ、訓練の方、お願いします」

 しかしクラウスを連れていく行かないで揉めている内に、灰色の魔道士を取り逃してしまっても困るとリリーは仕方なくクラウスを連れて貯蔵庫へ向かう。そのさい他にも五人ほど魔道士があてがわれた。

「おかげで、俺は草むしりしなくてすんで、リリーも訓練不参加の理由ができたな」

 呑気なクラウスの言葉は、果たして本音なのだろうか。

 バルドからクラウスの義姉とエレンが接触した可能性が高いとリリーは聞いていた。

 皇祖が使っていた神聖文字とリリーに関わりがあることや、灰色の魔道士が神聖文字らしきものを浮かび上がらせ、なんらかの理由で神器に関心を示しているのかもしれないとクラウスは知っている。

 彼がそれ以上のどこまで知っているか、皆目見当がつかなかった。

(さっさと捕まえて喋らせせなきゃいいわよね)

 自分の秘密が誰かの耳に入る前に、自分の手で捕まえて黙らせておくしかない。

 リリーはそう考えながら早足で貯蔵庫へ向かう道を行く。

 見張りの立っている貯蔵庫の分厚い扉をくぐり幅の広い階段を下りてていくと、肌に触れる空気が少しひんやりとしてくる。

「貯蔵庫って思った以上に広いわね……」

 積み上げられた小麦の袋や芋袋で視界は塞がれ灯も乏しいので、実際よりも広く見えるのかもしれない。しかしそれにしても城の地下の大部分を占めるほど広大である事は間違いない。

「この数の兵を食わせなきゃならないんだからな。あっちの方だっけか? 俺とリリーはそこ、探すからお前らは向こうと、あっちに手分けして見てくれ」

 クラウスがについてきた魔道士に指示を出して、リリーが口を挟む隙はなかった。

「戦力、偏り過ぎてない?」

「マリウスは俺の監視のためにリリーつけたんだろ。一緒にいないと意味ないんじゃないか? 灯は俺が持つ」

 言われてみればそういうことで、リリーは渋々承諾する。灯があるのは入り口のあたりだけで、奥に行くには燭台が必要なためクラウスが持つ事になった。

「まだいるかしら」

「どこにでも移動できるなら、とっくに消えてそうだな。それにしてもわざわざここで食料盗まなきゃならないのはなんでだろうな」

「そうね。灰色の魔道士じゃないのかしら」

 確かに食料はここに多いとはいえ、わざわざここを選ぶ理由もない。

「でも、見張りが立ってて人影があったんなら、進入路がなあ……ここで行き止まりか」

 葡萄酒の詰められた樽が並べられた所で壁際だった。クラウスが辺りを燭台でくまなく照らし、リリーも感覚を研ぎ澄ませるものの誰かが潜んでいる気配はまるでなかった。

「いないわね……。何してるの?」

 クラウスが壁をじっと見ていて、リリーは首を傾げる。

「城とか砦っていうのはな、隠し通路のひとつやふたつはあるものなんだよ。こういう所には特にな」

 そう言うクラウスの掲げた燭台の火がふと揺れる。

「この辺りかしら」

 リリーは彼の側に近づいていって、壁に触れながら目を凝らす。石と石の隙間がきっち詰まった石積みの壁の、一箇所だけに指一本が入りそうな隙間が空いていた。

 明るい部屋なら目立つ隙間も、地下の暗がりでは灯を近づけてじっくり見なければ分からない。

「ああ。ここだな。家の屋敷にも似た隠し扉があるな。こうしたら、開くはず」

 クラウスが指を入れて隙間をいじると、壁が扉のように動いた。その奥には狭い通路があった。

「これなら誰でも入りこめるわね」

「といっても、どこに繋がってるか知ってないとな。幾つか入り口があって全部同じ通路に繋がってるのか、それともバラバラなのか」

 クラウスが通路を燭台で照らし出す。乾いた地面に泥の靴痕が点々とある。

「これ、この間の雨の時かしら」

 そう古い足跡にも見えないで、ここ数日の間に誰かが忍び込んでいたのは間違いなさそうだった。しかし、手がかりはそれまでで、他には何も見つからず延々と暗い通路が続くだけだった。

「なあ、リリー、この道、どこに続いてると思う?」

「外、じゃない? でも、雨漏りもしてたし外に出て、中に入ってから別の入口から……はまどろこっしいかしら」

「砦の外に出たら、そのまま一緒に消えないか?」

 前を歩くクラウスの冗談とも本気ともつかいない言葉が反響する音が尾を引く。

「……こんな時に馬鹿言わないで。もう。それにしても長いわね」

 残響が消えた頃にリリーは静かに叱りつけて、話題を変えた。

 数歩先は暗闇でどこに辿り着くかもわからないせいでずいぶん長く続いている気がする。

「分かれ道だ。足跡はこっちだな」

 クラウスが右手に曲がって少ししてから止まる。

「行き止まりと隠し扉、どっち?」

 燭台に照らされた奥には石壁が立ち塞がっていて、足跡もその前で途切れていた。

「うーん、と隠し扉だな。開け方はさっきと一緒だ……部屋だな」

 クラウスが壁の端を見やって貯蔵庫の奥にあった通路の隠し扉と同じように開く。中は寝台がひとつだけある小部屋だった。緊急時に身を潜めるためのものらしかった。

 寝台といっても積み重ねた石の上に藁と敷布と上掛けによっって、それらしく見えるだけだ。体を横たえて眠ることができる最低限の広さしかない。

「荷物があるわ」

 寝台の脇に、布袋を見つけてリリーは中を検める。簡易の筆記具と紙束と少しの着替えがある。その中にまだ真新しい灰色のローブがあった。

「ここに潜んでたのか……一部は神聖文字だろうけど、他も文字か?」

 紙束にはいろいろ書きつけてあったが、なにひとつ判読できなかった。

「ここにいたのが灰色の魔道士なのは間違いなさそうね。戻ってくると思う?」

「さあな。でも、これ持ってたら取り戻しにくるんじゃないか」

 分厚い紙束と書き付けられた文字の量を見る限り、簡単に捨てていい物でもなさそうではある。

「ここで待ち伏せするか、これ持っていって誘き出すか……あ、ここに来るの、誰にも報告してなかったわ」

 遠くから自分とクラウスを呼ぶ声が聞こえて、リリーは待ち伏せはできなさそうだとため息をつく。

「一旦出るか。バルドが戻って来ないことには、最終決定は下せないからな」

「そうね……」

 クラウスに同意しながら、リリーは紙束に今度はじっくりと目を通す。

(この中に、あたしのこと、書いてあるのかしら)

 ひとひとつの文字らしきものを目で辿っても、何が書いてあるかさっぱり分からない。しかし神聖文字のいくつかは、琴線に触れるものがあった。

 自分の記憶か、それとも皇祖の記憶か。

(これ、あんまり人目にさらさない方がいいかもしれないわ)

 神器に纏わることは多くは伏せられている。ここから余計な詮索をされるのは困る。

「ねえ、クラウス。これ、あたしが持って行くの、内緒にしてくない? 事情は話せないんだけど……」

 あまりクラウスに弱みを握られたくはないが、こればかりは仕方ない。

「わかった。まあ、いろいろややこしそうだから、説明できる時がきたら説明してくれ」

 やけに聞き分けのいいクラウスに違和感を覚えつつも。リリーローブの中に紙束を隠す。

 それからすぐに他の魔道士達もぞろぞろとやってきて、周囲を一通り確認してから隠し部屋から出た。 


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