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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
43/115

4-1

「あたしも出たい……」

 朝から急な出兵の準備に追われていたリリーは、出陣の半刻前にやっとバルドの執務室の長椅子に腰を下ろして長いため息をつく。

 バルドとヴィオラが出陣するため、砦の護りが手薄になるということでリリーは砦で控えることになったのだ。

「陽動。すぐに退く」

 執務机で残った政務を片付けているバルドが顔を上げずに言う。

「向こうもそんなに兵を出してこないのは分かってるわよ。でも、将軍が出て補佐官待機なんて普通は逆なのに」

 面倒な仕事だけしてご褒美なしでは愚痴のひとつやふたつ零したくなるものだ。

 今日の策が向こうの挑発に乗ったと見せかけゼランシア砦の前まで攻め入り、ある程度鬩ぎ合ったら怖じ気づいたふりをして退却するのだとしてもだ。

「策、成功すれば、リーも出られる」

「乗ってくれるかしら」

 思惑通りディックハウトが勢いづいて砦から出てきてくれれば、確かに思う存分戦えるが上手く行く補償はない。

 すぐに深追いしてくることはなく準備を万全に整えて出てくるだろうという予想で、今日の所はどのみち大人しく待機だ。

「将の判断による。待機中、クラウスの動向注意。他、砦内の警備も重要」

「クラウスは散々怪しまれてるのに出て行けるのかしら」

 離叛者として疑われクラウスの動向には誰もが気にしている。四六時中誰かしらの監視の目が合っては、出陣しない限り逃げ道はなさそうだ。

「不明。クラウスばかり監視も、危険。他にも離叛を目論む者、必ずいる」

 バルドの言う通り、クラウス以外の魔道士が全員信用できるわけではない。まだ他にも離叛を考えている者もいるはずだが、かといってその兆候を見抜くのも困難である。

「そのためにあたしとジルベール補佐官が残るのよね……苦手だわ」

 マリウスが将軍ふたりがいない間の砦の最高責任者となる。全体の統率ができるジルベール家嫡男のマリウスが統率をとることは当然だが、四角張った彼のやり方を思うと堅苦しいのが苦手なリリーは考えただけで疲れてしまっていた。

「少しの我慢」

「できるだけ早く帰ってきて。クラウスじゃないけど、ここで昼寝してたいわ……」

 リリーはそのまま長椅子に横になる。

 今日も今日とて暑いが風がある分多少は涼しく、窓を開け放っておけばよく眠れそうだと思うと本当に眠くなってきてあくびまで出る。

「眠ったら、尚更面倒」

 席を立ったバルドが横になったリリーの側に屈んで、彼女の頭を撫でる。

「ジルベール補佐官にどやされるわね。ああ、もう。それされると余計眠くなっちゃう」

 バルドの大きな手で優しく触れられる心地よさに、リリーは猫のように目を細てくすくす笑う。

「これならいい」

 どこかに触っていたいらしく、バルドが手を握る。

「こっちの方が眠くはならないわ。なんだか、士官学校の時みたい。バルドが戦に行って、あたしが待ってるの」

 指先を絡めて遊びながら、懐かしくなってくる。

 バルドは年齢と立場上、学徒であっても戦場に時々出ていた。その間数日は、ひとりで退屈な時間を過ごしていた。

「今回は、すぐ帰る」

「うん。あたし達、あの頃よりずっと一緒にいるわね」

 卒業したら離ればなれになると思っていたのに、今では昼夜なくバルドと同じ時間を過ごしている。

「不足」

 それでも手の甲に唇を寄せてくるバルドは、底なしに寂しいのだろうか。

 どんなに暑く寝苦しい夜でも手だけでも繋いでいたがるのだ。バルドが本当の所何を思っているか、一番奥深くまでは見通せない。

 しかし以前ほどバルドのことが全てわからなくても、あまり不安には思わなくなった。安心よりも諦めの方が近い。

 自分とバルドはまったく同じではないのだから仕方ないと思うことに寂しさはあっても、だからこうして触れ合って得られるものがあることは悪くないと楽観もできた。

「そんなこと言ったって、これ以上は無理よ……時間ね」

 執務室の外でバルドを呼ぶ声があって、リリーは起き上がる。

 将がふたりに兵が二千の軍団が砦を出たのはそれから間もなくのことだった。


***


 ハイゼンベルク方出陣の報告を受けて、ゼランシア砦には緊張が走った。

「動いたか……」

 フリーダは腑に落ちないものを感じながら、軍議の場で首を傾げる。

 まだゼランシア砦からハイゼンベルクの兵団は豆粒程度の大きさしか見えず、多からず少なからずの数だろうということは把握できても将が誰かは分からないままだ。ただ旗を掲げている所からして、バルド自ら出陣しているのではということだった。

「奥方、このまま、砦の内に攻め上がってくると思うか」

 フリーダに意見を求めたのは、ゲオルギー将軍だった。

「攻め落とすにしては、少々手薄ではないかと思いますが。神器がある以上はなんとも言いかねます。もう少し、布陣がはっきりとしなければ」

 神器を得たバルドは単身で百人の敵兵を討つことができる。だが狭い砦の内に入ってしまえば、得物も攻撃も大きなバルドの実力は十分に行使できないはずだ。

「しかしフリーダ、あの血に餓えた獣のような男ならば、上手く誘い込んで砦の中で一網打尽にできるのではないか」

 夫のフランツが問うのに、フリーダは首をすくめる。

「獰猛だが、阿呆ではないのがあの獣ですよ。だから使者も殺さなかった。むしろ獣だからこそ勘も鋭く、目端がきく。そう簡単に誘いには乗ってこないでしょう」

 送り出した使者は生きて帰ってこないだろうというのが、この軍議に参加するゲオルギー将軍の部下やマールベック家の重臣達の意見だった。だがフリーダは、帰ってくると予測した。

 頭に血が昇りやすい幹部もいるものの、彼らを押さえるのは冷静に対処ができるバルドとヴィオラだ。

 そう単純にことは運ばない。

「布陣の詳細が分かるまでは、護りを固めるのが得策か」

 ゲオルギー将軍がそう判断を下し、すでに戦支度を整えている杖達が正面を護るために配備される。上からも寸断なく攻撃をするために、城門付近には『杖』の魔道士を重点的に置き、砦三階の張り出し歩廊へ『剣』の魔道士が多く配置されることとなった。

 フリーダを含めた指揮官達も、敵方の動きを見て随時指示を出すため物見がいる砦の最上階である五階へと移動する。

(殿下がいるなら、リリーもいるだろうか)

 フリーダは期待を抱いて、緑の絨毯の上を黒蟻のように行軍する魔道士達が近づいて来るのに目を凝らす。

 しかし誰もが目深にフードを被っているので分かるはずがなかった。

「将がふたりいるな」

 やがてハイゼンベルクの軍団が間近に迫ってきて、バルドとヴィオラの姿が確認されるとゲオルギー将軍がつぶやいた。

 じりりと、ディックハウト側も攻撃に備え緊張感を高める。

「くる……」

 やがて城門近くまで辿り着いたバルドが神器を天高く掲げるのを見て、全員が身構える。フランツはすでに魔術を放出し透明な壁を築き始めていた。

 剣先から晴天へと蒼白い雷光が昇り、蛇のごとくうねりながら近づいて来る。

 砦正面に張られた何層もの魔術の障壁が一枚、また一枚と破られてそのたびに砦が大きく揺れる。

「く……っ」

 一番最後の護りを築くフランツの築いた障壁にもぶつかって、鬩ぎ合う。

「フランツ殿、退け」

 みしりと見えない壁が軋む音にゲオルギー将軍が剣を構えて、フランツが障壁を消す。

 それと同時にゲオルギー将軍が眼下のバルドの雷を打ち落とそうと、雷撃を雨のように降らしていく。

 障壁にぶつかったことで威力を削がれていながらもなお、神器から放たれた魔術は強力でゲオルギー将軍の放った幾筋かの雷光とぶつかり合って大きく爆発した。

 耳が痛いほどの轟音と、爆風にまともに目を開けていられなかった。

 しかしながら砦に及ぼした衝撃は少ない方だった。

 砂塵や石つぶての混じる風が収まり目を開けると、すでに他の黒の魔道士達も攻撃に加わり初めていた。

 上と下で白と黒が激しく魔術を叩きつけ合う。

 バルドが下がって、前に出たヴィオラが急ごしらえの砦入り口の柵へ向けて炎の塊を投げつける。

「攻め込んでくる気か……」

 フランツが杖をきつく握りしめて、つぶやく。

「……敵将の補佐官達の姿が見えない。マリウスはともかく、リリー・アクスがいないのは不自然と思われます」

 フリーダはバルドの周囲を見てみるが、リリーらしき人物は見つけられない。

 モルドラ砦に送った使者の報告ではマリウスの生存は確認されているものの、あの傷ですぐに戦場に出られはしないだろう。

 リリーがもし戦闘に加わっているならすぐに分かるはずなのに、見当たらないということは参戦していないのだろうか。

「しかしフリーダ、将がふたり出たならモルドラ砦は手薄になる。離叛者が出た以上、あちらの砦にも戦力と指揮官を確保しておきたいのではないか」

「決着をつけるつもりなら、あちらの雷将は炎将を砦に待機させ、かわりに補佐官を連れてくるはずです。留守番など彼女にはさせない」

 フリーダは夫にそう答えながら、なおもリリーの姿を探すが見当たらない。

 それともうひとり姿が見えない人物がいる。

「クラウスもいないな……」

 魔力の突出した者が戦闘していれば、どれだけ数が多かろうが目立つものだというのにバルドとヴィオラ以外に目につく者がいない。

「我らの皇主に膝を折る気があるフォーベック家の跡継ぎか……リリー・アクスと婚約したという噂もあるらしいが、そのふたりが参戦させられていないということか」

 フランツが再び魔術の防壁を築きながら、困惑した顔をする。

 先日の戦でハイゼンベルクを見限り寝返った者達から、リリーとクラウスが婚約したという話があると聞いた。

 クラウスとリリーという取り合わせは、意外と言うほどでもない。だが、リリーがクラウスに簡単になびくとは思えなかった。なんらかの政治的な思惑で、噂を流しているにすぎないと見た方がいい。

「さあ。クラウスは裏切りの可能性が高いので残されているのでしょうが、リリーは砦の護りで違いないでしょう。婚約が噂だけなら、事実ではないとみてよいかと。……将軍、私は下で攻撃に加わりますがよろしいですか」

 夫の質問に答えた後、フリーダはゲオルギー将軍に向き直る。

 もしかしたらリリーがいるかもしれないという期待を、まだ捨て切れていなかった。

「奥方は三階より攻撃を。俺は門近くで指揮を取る。フランツ殿、俺の補佐官をここに置いていくので、共に砦の護りをお願いする」

 ゲオルギー将軍が『杖』の魔道士である補佐官の三十代女性に指示をして、フリーダの申し出を許可した。

 一番下までいけないのは残念だが、上からの方がリリーがいるかよく見えるだろう。

「フリーダ……いや、いい。下は頼んだ」

 階下へ向かおうとすると、フランツが何か物言いたげしながらも、結局何も言わなかった。

 フランツの父であるマールベック伯が死去した日から、ふたりの会話は増えた。歩み寄ったわけではない。フランツが新たにマールベック伯となったため、やるべきことが増えて会話が必要な用事が増えただけだ。

 戦や政の話の他に、フランツが何か言いたそうにすることはあったが、やはり今のように言葉を呑み込んでしまっていた。

 わざわざ訊ね返す気は起こらなかった。夫が何を考えているかなどまるで興味がないのだ。

 たったひとりの少女にしか関心を抱かないフリーダは、義務的にうなずいて夫に背を向けた。



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