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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
42/115

3-4

***


 書簡を送って五日。昨日には書簡を受け取ったとの連絡がバルドの元に入ったものの、まだ協議したいとのことだった。ちょうどこのモルドラ砦に手紙が届いた日に、エレンが宰相家を訪ねていたらしいが、こちらからの書簡が行き着く前に発ったそうだ。

 エレンはその後、生家のベレント男爵家へ帰る道筋をたどったかと思われたが、帰っていないらしく足取りが掴めなくなっているという。

(南。……ベーケ伯爵)

 バルドはエレンの行き先を考えて気鬱になる。ベレント男爵家とベーケ伯爵家は途中まで方向は同じだ。

 アンネリーゼとエレンが接触したと思われることから、皇都からの手紙でもそのことを危惧していた。エレンの目的も見えず、気分は落ち着かないままだった。

 だが、リリーと一緒に眠るようになってからは不安は和らいだ。

 眠っている間もリリーの気配が側にあるだけで、あんなにも気が安らぐとは思わなかった。

 しかしそのリリーは、今は執務室にいない。演習に狩り出されているのだ。まだディックハウト側に動きもなく、気の緩みも散見されたので引き締めも兼ねて、訓練の強化がされている。

 外でリリーの魔術が暴れる気配に闘争心をかき立てられてうずうずとするものの、バルドは手紙の返信と一緒に皇都から送られてきた政務があって加われない。

「バルド、俺、お前の所行けって言われたんだけど、やることあるか?」

 早くすませれば演習に参加できるかもしれないと思いながらペンを動かしていると、クラウスが扉を叩くことなく入ってくる。

「……ない。訓練」

 クラウスも演習に従事しているはずではと、バルドは訝しむ。

 同時にアンネリーゼとエレンが接触したなら、クラウスは何か知っているのではないかと考えた。

 だがクラウスに訊ねて素直に答えるとは思わなかった。

「俺がなんかやらかしそうって噂が出てて、気が散るから皇主様のお側に控えてろってさ。要は人目につかなくて全員が信頼できる監視役の所にいろっていうことだろうな」

 クラウスは昼寝をすることにしたらしく、長椅子に横になった。

 この頃クラウスへの不審感がますます強まっている。最も疑うべきではあるが、あまり軍内で逆臣の噂が回りすぎても他の離叛者への警戒が薄れてよくない。

「なあ、最近リリー、お前の部屋で寝てるだろ。抱いたのか?」

 クラウスが唐突にそんなことを聞いてきて、バルドは手を止める。

「ない。一緒に寝たほうが落ち着く」

 リリーと深く口づけるだけでは足りず、彼女の肢体をなでて唇で触れることはしてしまっているものの、最後の一線は越えていなかった。

 衝動的にこのまま踏み越えかけても、結局わずかな理性に歯止めをかけられるのだ。

(リーの全部、俺のもの)

 リリーの言葉を頭で繰り返すと、自分の全てが受け入れられた安心感と真実彼女が自分のものなのか確かめたい気持ちが混ざり合う。

「ふうん。お前らのこと、もうかなり噂になってるぞ」

「……一緒にいる方が重要」

 今、神器の問題がある中でリリーと密接にしているのは、周囲からはよく思われていないだろう。しかしもうこれ以彼女と過ごす時間を削りたくはなかった。

「面倒ごとを避けるとか言ってられないのか。戦況もこんなだしな。俺がお前の立場だったら抱くけどな。そんなに子供ができるのが嫌か? それともまだリリーが受け入れてくれないのか?」

「クラウスに、関係ない」

 子供がいたらリリーは自分のものでなくなってしまうことも、己の血を分けた子を憎んでしまうのも恐かった。

 だけれどそれだけでない何かが自分を抑制していた。

(リーと俺は、同じでない)

 リリーからはっきりと告げられた言葉が蘇って、バルドは瞳を曇らせる。

 彼女の全てが自分のものだとしても、同じにはなれない。

 そう思うとリリーの全てに触れるのに躊躇いが生じてしまうが、その理由は自分でもよくわからなかった。

「俺としてはこのまま手はつけないでおいてくれたほうがいいから、それならそれで耐えてくれよ」

「…………昼寝」

 リリーを欲しがっていることを隠さないクラウスに、バルドは苛つきながら早く寝ろと促す。

「俺だって寝てたいんだよ。でも暑くちゃな。バルド、灰色の魔道士探しくらいなら俺がしてもいいんじゃないか? そっちはそれほど重要なことでもないだろう」

 クラウスが起き上がって、バルドは表情を常より強張らせる。

 自分から仕事など滅多にしないクラウスが、自ら手がかりもない人間ひとりを探すと言い出すのは不自然すぎた。

「なんだ、それ、重要なことなのか?」

 返答が遅れているうちにクラウスが確信を得た顔をする。

「…………手がかりなし。無駄足」

「確かになんの手がかりもないし、お前だって直接見たわけでもないか。それにしても、敵方の出方待つのは退屈だなあ」

 灰色の魔道士の重要性を確認できたからかクラウスは、そこで話をやめて何気ない動作で部屋を出ようとする。

「待機」

 本当は部屋から出ていってくれるのが一番よいわけだが、そうも行かずバルドはクラウスを嫌々制止する。

「やっぱり駄目か。砦の見廻りも駄目か? 四、五日前から貯蔵庫から食料が減ってるってらしいし、訓練中にこっそり盗み食いしてる奴がいるかもしれないぞ」

「貯蔵庫?」

 その話題は初耳で、バルドは聞き返す。

「報告上がってないのか? パンや乾し肉が少しだけ減ってるっていう話だから、誰かが勝手につまみ食いしてるだろうってことで上には報告してないのか、犯人見つけてから報告するつもりだったのか。まあ、職務怠慢だな」

「兵糧、重要。報告すべし」

 たかがパンひとつ、乾し肉一欠片でも兵糧がいつの間にかなくなっているのを、見過ごすわけにもいかない。

 面倒なことだとうんざりしていると、兵のひとりが気色ばんだ顔で部屋を訪ねてきた。

「ディックハウトからの使者です……我が軍の魔道士の首が十、運ばれて来ました」

 そうして歯を食いしばり声を絞り出されたのは、ディックハウト側が動いた報告だった。


***


 演習でひとしきり暴れたリリーは、フードを取り払い顎をつたう汗を手の甲で拭った。

「……本当にあたしの好きにやってよかったんですか?」

 そして演習に加わった魔道士の一部が、すっかり怯えた顔をしているのを見て隣にいるヴィオラを見上げる。

「これでかまいませんのよ。リリーちゃんが皇主様のお気に入りだから補佐官になったわけではないと知られればいいんですの。……できればリリーちゃんも寝る場所は考えてもらいたいのですけれどねえ」

「…………どこで寝ようがあたしの勝手です」

 むくれて答えると、ヴィオラがため息混じりに苦笑する。

 どうやらバルドの部屋で夜を明かしていることで、リリーをよく知らない魔道士達の間で皇主は実力や血統ではなく私情で補佐官を選んだのは間違いないと噂されているらしかった。

 先日のゼランシア砦への突入の際、マリウスが深手を負ってリリーが軽傷だったことも皇主の愛妾に功績だけ持たせるためだけの人選だったのではと言う者もいるそうだ。

 出陣した者でもリリーが戦闘中の姿を見ていない者もいる。

 大がかりな作戦の後、長引く待機期間の中で緊張の糸が緩む中で退屈しのぎの噂話といったところだ。

 リリーを知っている者が埒もない話だと窘めても話は収まらないだろうということで、演習で好きなだけ暴れてもいいとヴィオラから言われたのだ。

(くだらないわ)

 これはリリーのためではなく、バルドの皇主としての威光を護るためだという。

 うんざりするほど周囲は立場や見栄を尊重する。

(だけど、好きに戦わせてもらえたのはよかったわ)

 言われた通りリリーは遠慮なしに魔術を放ち剣を振るった。

 久しぶりということもあって、体を動かすのも魔力を放出するのも楽しくて戦闘にのめりこんだその結果が、一部の噂話を鵜呑みにする集団の怯えぶりである。

「リリーちゃん、まだ戦う余裕はあるかしら」

「戦えます。だけど、他はもう少し休ませないと無理そうですね」

 リリーはぐったりと地面に座り込んでいる兵達をみやる。炎天下の演習はさすがにリリーも堪えているものの、戦い始めたら戦闘に没頭して暑さも疲れも忘れられる。

「演習はもう終わりですわよ。敵襲があっても動けないでは困りますもの。皇主様が退屈されていらしたら、わたくしとリリーちゃんでお相手してさしあげた方がよろしいかと思いますの」

「それなら、やります」

 ヴィオラには他にも目論見がありそうだと思いつつ、リリーはバルドと久方ぶりに魔術を交えて戦えるのならとふたつ返事をする。

 空いた時間でふ誰にも邪魔されないよう裏庭で剣を合わせることはしているものの、やはり魔力を発散できるのとできないのでは楽しさが大違いだ。

 バルドも喜ぶだろうとリリーはいそいそと執務室に行こうとする。だが、ディックハウト側からの使者が首を届けにきたという報告で足を止められた。

 そうしてヴィオラと共に使者が待つ広間に行くと、バルドとクラウスを含め他の統率官らも集まっていた。

 バルドだけが神器を抱きかかえて椅子に座し、彼の右手側に雷軍士官、左手側に炎軍の士官が縦一列に立って並んでいる。

 皇主に一番近い場所が両側にひとり分ずつ空いていて、バルドを除くと雷軍で一番手になるリリーと炎軍の将であるヴィオラがそこに収まる。

「見た顔ですわねえ」

 バルドの真正面にずらりと並べられた十の木箱の前に鎮座する、白いローブを纏った中年の男の顔にヴィオラが忌々しげにつぶやく。彼女の隣に立つマリウスの表情も険しかった。

 どうやら離叛した者のひとりらしいが、リリーには見覚えはなかった。

「……誰?」

 リリーはすぐ隣にいるクラウスに小声で男の正体を問う。

「そこそこお偉いさんの三男で炎軍の仕官。この間の戦で一応戦死扱い。離叛してたんだな。覚えてないか?」

「……言われてみたら見たことあるかもしれないわ」

 そう言いつつも他人への感心が薄いリリーにとって、このぐらいの年格好の人物は同じ印象しか残っておらず、果たしていま記憶に引っかかっているのが使者の男であるかは怪しかった。

 しかし知らないということは、中の上ぐらいの立ち位置だろう。

「首、検分」

 バルドが静かに告げ、使者が箱を持ち上げる。

 現れたのは氷付けの首が十。この暑さで溶けた歪な氷の塊の内にある首は精巧な作り物にも見えた。全て雷軍の魔道士で、こちらはリリーにも見覚えのある顔ばかりだった。

 だが怒りや悲しみはわいてこない。

 どれだけ日常的に接することがあっても、彼らは狭い自分の世界の外側にいる者達だった。そんな彼らに感傷がないためでもあれば、死に慣れすぎているためでもあった。

「皇家の正統はディックハウトにあると、認めぬ者達の首でございます」

 使者が臆することなく言って、その場の空気が殺気と怒りに澱む。同士を討たれ蔑まれたことに感情を動かさないのはリリーの他に、バルドとクラウスもそうだった。

「要求」

 バルドが眉一つ動かさずに問う。

「御首をいただければ、全ての者に許しを与え臣下に迎える所存をお伝えに参ったのです」

 露骨すぎる挑発だった。

「この痴れ者が!」

 挑発と分かっていながらも雷軍の部隊長のひとりが声を荒げたのを皮切りに、一斉に怒号が吹き出す。

 怒りと憎しみを一身にぶつけられながらも、使者の男は顔色一つ変えなかった。

(炎将も補佐官も止めはしないのね……)

 ヴィオラとマリウスはただじっとことの成り行きを見ているだけで、上官として制止する気はないらしい。マリウスの方は震えるほど強く拳を握っているのを見れば、裏切り者の部下を叱責したいのを必死に押さえているかに思えた。

「静粛」

 バルドが立ち上がり剣先で床を叩く。

 音よりも大柄な体をさらに大きく見せる不機嫌な雰囲気がもたらす威圧感に、ぴたりと怒声が止んだ。

「……ご返答はいかに」

 さすがに使者も表情を引きつらせて返事を求める。

「俺の首が欲しくば、戦って獲るべし」

 声は抑揚がないながらもバルドの眼光にちらつく戦いへの狂気は、味方すらも本能的な恐怖を与えるほどのものだった。

「承知いたしました」

 息を呑んで返事をする使者の顔からは血の気が引いていた。

 どれだけ高い矜恃を持っていようと、戦意に満ちたバルドの視線を向けられれば怯えずにはいられないだろう。

(今のバルドと戦いたいわ)

 ただひとりリリーだけは戦闘への欲求をかき立てられていた。

 やはり実戦の時のバルドの雰囲気が一番、闘争本能をそそられる。この後は長々と軍議になって剣を合わせる時間がないことが、つくづく惜しい。

 気分が上がった分、落ち込みも激しくリリーは思わずため息を零しかけて呑み込む。

(この使者どうするのかしら)

 こうなれば首を撥ねられるてもおかしくはない。

 リリーがそう考える内に、何人かが使者を首だけにしてゼランシア砦へ送り返すべきの声が上がる。

「わたくしとしても、処分を下したいと思いますけれど、挑発に乗ってさしあげるのも癪ですわねえ。皇主様、いかがなさいます?」

 ヴィオラが問うと全員の視線がバルドに向かう。

「不要。手間。いずれ戦」

 言葉が少なすぎたらしく、今度は補佐官であるリリーへと説明を求める視線が向けられる。

「首だけにしたら送り返すにも、こちらから人を出さないわけにもいかないのが手間だそうです。だったら後で戦場で首を落とせばいいってこと、で、いいですか、将軍」

 リリーが確認をとるとバルドが鷹揚にうなずいて、使者だけ部屋の外に待機していた魔道士数人に連れられ外へ出された。

「皇主様、こちらから仕掛けるということですか」

 残された同胞の首を見つめていたマリウスが言うのに、バルドはしばし考える素振りを見せる。

「軍議、弔いの後」

 バルドの視線がクラウスに一瞬向いて、気が急いていた者達もやっと冷静さを取り戻した様子でそれが先決とうなずく。

(クラウスは、軍議に参加させられないのよね)

 ごくごく自然に隣にいるのでクラウスが軍議から外されていることを、リリーもすっかり忘れていた。

「わたくしが火葬させていただいてよろしいでしょうか」

 首だけになった骸は燃やされ灰にして遺族に返すのが通例だ。

 将であるヴィオラがその役目を担うというのは、戦死者にとっても最後に与えられる栄誉でもある。

 その後、改めて箱に収められた首は砦の広場で多くの同胞に見守られながら皇主であるバルドからねぎらいの言葉を手向けられ、ひとつずつ火葬されていった。

 そうしてその日の夜の内に、翌日の出陣が決まったのだった。


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