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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
41/115

3-3

***


 無駄のない所作だと、マリウスは砦二階にあるヴィオラの執務室の窓から中庭で訓練に参加するクラウスを見ながら失った左腕が疼くのを感じる。

「あらまあ、あいかわらず剣術だけはお上品ですわねえ」

 一緒に中庭を眺めているヴィオラが呆れ混じりに感心する。

 クラウスは多数の敵を相手するのを得手とする。一箇所からほとんど動かず、相手が長剣の間合いに入ってくるの待って、瞬時に仕留めていく。

 演習も最初こそは自分から動いたものの、今は一歩も動かずに複数の攻撃を受けては返している。ひとつひとつの動きが洗練されていて、淑女のような剣さばきだ。

「……姉上、自分はやはりまた剣を持ちます。片手で持てる剣ならば、鍛錬すれば使えるはずです」

 回復し起き上がるまでは片腕がないということは、両手が使えず不便になるだけかと思っていた。しかし、体の均衡が崩れて歩くにしても、いつも片手でできていたことも思い通りにできなくなっていて愕然とした。

 傷さえ癒えれば、左腕がないこと以外はすぐに元通り動けるという考えは甘かった。

「お前はどうしても前線に立ちたいのですわね。……神器の話を聞いても忠誠心はかわらないのね」

 ヴィオラが呆れて苦笑する。

「魔術を用いて武功を立てたいのです。姉上は。神器の件で忠誠心が薄れたのですか? 神器紛失については、皇家より管理を命じられていた者の責が大きいと思います。容易に事情を明かせなかったこともわかっています。しかし、皇主様は自らの意志で私達に明かして下さる意志を見せてくださった。自分に不満はありません」

 ことの重大さや戦況を鑑みれば秘匿されていたことにも納得がいく。この先、きちんと説明がなされるはずだとマリウスは盲目的に信じていた。

「そうですわね。わたくしも不満はありませんけれど……マリウス、リリーちゃんが神器のことを知らないと思う?」

「……皇主様はそう仰っていました」

 ヴィオラの問にマリウスは歯切れ悪く返す。側近中の側近である補佐官のリリーが知らないというのは、少々不自然に思えた。

「皇主様が一番信頼をおいているのはリリーちゃんですのにねえ」

 確かに、ラインハルト亡き後のハイゼンベルクで最もバルドに信頼されているのはリリーであることに間違いない。

「しかし、アクス補佐官は出自が不明でフォーベック統率官とのこともありますので」

 バルドの信頼を得ていても、リリーの素性や人間関係は外から見れば信頼に足らず隠しておくのも仕方ない側面もある。

「リリーちゃんの素性はわかっていると思いますわよ」

「それは、どういうことですか姉上」

 初めて聞く話にマリウスは目を瞬かせる。

「ラインハルト殿下が御隠れになる少し前に、皇主様が偵察に行ってらっしゃったでしょう。その時、猟師を王宮に連れてきていたのだけれど、それがリリーちゃんの親類だったらしいですのよ」

「待って下さい、神器の社で不審な人物を拘束して皇都まで連行したということは聞いています。しかしただの猟師ですぐに解放されたと……まさか、神器をその人物が」

 王宮内に神器の側で猟師が密やかに連行されたことは、上位の幹部の間では知られていた。マリウスも軍司令部で要職についている父から聞いていた。

 バルドが向かったのは『玉』の社。紛失していた神器が『玉』であることから関わりがある可能性が高い。

 しかし、ヴィオラはいったいどこからそんな情報を得たのかとマリウスは首を傾げる。

「お父様がお調べになっていて、リリーちゃんが王宮でその猟師とこっそり会っていたのを突き止めましたのよ。リリーちゃんのお爺様だったそうですわ……。マリウスにもう少しはっきりとしたことがわかってから伝えるつもりだったらしいけれど、もういいわね」

「……父上は、自分をジルベールの跡継ぎとして不足とお考えなのでしょうか」

 父がヴィオラだけに伝えていたことに動揺を隠しきれず、マリウスはうなだれる。

 いつも父は大事なことは姉と共に協議する。そしてある程度お膳立てされてから、決定事項を教えられるだけで話し合いにはろくに口を挟ませてもらえない。

「そうね。お前は政の駆け引きが苦手だし、皇主様への忠心が強すぎるから。それはお前のいいところよ。だけれど、政をするには打算も私欲も必要ですのよ。マリウスは嫌いでしょう」

 つい先日、戦場で生き残るには卑怯になることも必要だと、ヴィオラから言われ卑怯者になるのは嫌だと答えたマリウスは口を噤む。

 誠実に主君に尽くすことだけで、全てが上手く行くとまで考えてはいない。

 だがそれでも自分自身の信念は貫きたい。

「自分は、変わらねばならないのでしょうか」

 失った左腕がじくりと痛む。

 腕を失ったことに後悔はない。自分の信念のままに動いた結果だ。敵将を討てずに終わったが、自分の最低限のなすべきことはしたと自負している。

「わたくしはマリウスはマリウスのままでいてほしいですわ。だけれどジルベール家の当主になったとき、家のために何が最善かを考えなければならない日がきますわね……」

 憂うように朱唇からヴィオラがため息を零す。

 その時はこないかもしれないと姉の表情は語っていた。それならばなおさら武勇でもって名を上げたジルベール家の嫡男として、戦場で皇主のために戦い抜きたい。

「父上は、家のために何をしようとしていたのですか」

 マリウスは自分よりも父を知っているヴィオラに問う。

「リリーちゃんをわたくしたちの妹にしての養女にして、皇主様に嫁がせるつもりですのよ。リリーちゃんが妹になるのはわたくしとしては大歓迎ですけれど」

「外戚となるつもりなのですか。なんと畏れ多いことを」

 父親の権力への欲を垣間見たマリウスは思わず眉をひそめてしまう。

「お前は本当に真面目ね。だけれど、リリーちゃんの出自を皇主様が秘密にされているから、慎重に動いていらっしゃるわ」

「祖父がただの猟師ではなかったということですか。……アクス補佐官の魔力は平民としては突出しすぎている。アクス補佐官の出自と神器に関わりがあるということでしょうか」

 軍の要職につくべく貴族の子弟が士官学校に、孤児であるリリーがいたのも高すぎる魔力のせいだ。マリウスも士官学校にいた時に、実際に上位貴族の子弟すら凌駕する魔力に驚いた。

 あれだけの魔力を保持しているなら、おのずと可能性は絞られていきそうなものだというのに見つからなかったのも奇妙ではある。

「その件について詳細がわからないかぎりは、難しいですわねえ。ただ、リリーちゃんの出自が重要なことには間違いありませんわ。リリーちゃんがクラウスのお気に入りというのも、気がかりですわねえ」

 再びヴィオラが窓の外に視線を投げて思案する。

「フォーベック統率官は、アクス補佐官の出自の重要性を知った上での、婚約の件なのでしょうか……」

 やはりあの男の行動には全て裏があるのではないかと、マリウスは不審に思う。

「リリーちゃんと本気で結婚するつもりでも、出自についても探りはいれてますでしょうし何か嗅ぎつけてはいるのではないかしら……まあ、全員片付けてしまいましたね。あの子達を戦場に出すのはまだ難しいですわねえ」

 クラウスが少年少女らをやすやすと打ち負かし剣をしまう。

 嫌味なほど最後の最後まで所作は美しい。魔術を暴走させやすいという欠点こそあれど、剣の扱いについては秀でていることは認めざるを得ない。

 早く、戦えるようにならねばとマリウスの気持ちは急くばかりだった。

 

***


 神器についてのことが一部露見してから丸一日。

 リリーは手紙を受け取った者達から何か探る視線を向けられるのに、落ち着かない気分でいた。だが、自分以上に気が立っているバルドの様子が気になった。

「なるようにしか、ならないわよ」

 日が暮れてすぐに早めの夕餉をバルドとすませたリリーは、長椅子と壁の間の狭い空間に体を押し込めているバルドを長椅子の上から見下ろしてため息をつく。

 自室はもちろん遠征先でも自分が落ち着くことができる狭い空間を見つけて、そこにバルドが入り込むことはいつものことだ。

 しかし、今日はさらなる安心感を求めてリリーを巣には引っ張り込まずひとりでじっとしている。

 かといってひとりになりたいわけでもないらしく、リリーは長椅子の背もたれに顎を置いて、上からバルドを見る格好になっていた。

「……心臓のみ保管」

「取り出しちゃった方が安心するんはわかるけど、神器が神器じゃなくなるって爺様も言ってたのは、水将が聞いてるでしょ」

 水将の父である典儀長官への書簡はすでに出している。

 内容が内容なだけに、バルドが一度皇都に戻った方がという意見もでたらしいが、今のこの状態で将が砦を出るのは兵達の不安と動揺を誘うということで書簡という形になった。

 敵方に渡らぬように最新の注意は払っているとはいえ、返信が届くあと幾日かは安心できない。

 神器の件もあってゼランシア砦の攻略もしばし様子見となってしまった。

「定かでなし。神器を所持重要」

 確かに祖父が神器でなくなるとは言ったとはいえ、実際に試したわけでもない。それにこの千年余り神器は社にすらなかったのだ。

 神器と名のついたものを、手元に保管しているだけでいいのかもしれない。

「どうしたの。あたしは大丈夫だって言ったでしょ」

 バルドの表情に落ちた影には、苛立ちと不安があった。

 リリーは長椅子から下りて、バルドのいる隙間に入り込む。彼は固く腕を組んで手を伸ばしてくることもないが、紫の瞳に怯えと渇望が覗いた。

 ここ数日この調子だ。手をのばすのに躊躇いを見せる。昨日からは側に寄ってきても、自分から動かなくなった。

 そんな時、バルドは最初に心細そうな顔をしてふと何かに怯えた目をする。

「バルド、何が恐いの?」

 リリーはバルドの膝辺りに腰を下ろして、彼の顔を覗き込む。

「……何も、恐れていない」

「嘘。そんな顔してるのに、なんにもないなんて嘘よ」

 リリーはバルドの顔を両手で挟みこんで、彼が顔を背けるのを阻む。

 誰もがバルドに表情がないというが、リリーからしてみれば彼は正直すぎるぐらいに感情が顔に出ている。

「リーと、一緒にいない時間。慣れない。リーに、触れたい。触れても、離さねばならない」

 バルドがとつとつと告げる言葉に、リリーは彼の頬から手を離す。

「しょうがないわ。四六時中は一緒にはいられないんだもの。あたしはあたしで、バルドはバルドなんだから」

 自分とバルドは同じようで、結局別々の人間でしかなくいつも一緒にはいられないのだ。

 似ているだけで、自分とバルドは違うのだと思うとつきんと胸を突く痛みが走って心細くなる。

「リーと、俺、違う。だが、一緒がいい」

 駄々をこねるバルドが押さえきれず、リリーを抱き寄せた。

「全部一緒なんて無理よ。だけど、一緒にいる間はあたしの全部、バルドのものなのよ……」

 誰かに自分自身を委ねることは拒んできたけれど、バルドに対してだけは違う。今は全部、彼の望むままでいいと思っている。

 自分が隷属するのは、彼以外にいない。

「リーの全部、俺のものでいい……?」

「いいのよ。同じにはなれないし、ずっと一緒にはいるなんて無理なんだから、一緒にいる時間は我慢しないで。あたし達が一緒にいない時間なんてほんのちょっとよ。あたしはね、すぐにバルドの所に帰るんだから」

 この頃は丸一日も離れていることがないのだ。それでもバルドが寂しく恐いのは、きっと自分が帰ってこないかもしれないと疑っているからだ。

 どうしたらバルドが安心するかなんてわからない。だけれど、一緒にいる間はもっと好きに甘えて我が儘を言って欲しい。

「リー……」

 バルドが唇を重ねてくる。

 何度か唇を啄んで、舌先で探るように下唇をなぞられる。リリーはバルドの求めることを察して、薄く口を開いて受け入れる。

 以前と違って驚きはしないものの、口腔内をまさぐる感触がもたらす慣れない快楽に体は竦んでしまう。

 しかしやめてほしいとは思わない。

 触れ合った場所から溶けて混じり合えそうで溶けきれないもどかしさに、自分自身も求めていた。

(違うから、かな)

 蜜の中に沈められたような息苦しくも甘い感覚に溺れるリーは、ぼうっとそんなことを思う。

 互いに違うからひとつになりたくて、こうやって触れ合うのかもしれない。

「あ……」

 唇が離れて、今度は熱い吐息が首筋にかかるのにリリーは思わず上擦った声を上げる。

 首筋に唇で触れられ、大きな両手が腰のくびれをなぞるのには戸惑いを隠せなかった。

 どこまで、彼は触れるつもりなのだろう。

 未知の経験に怯む気持ちはほんの少しあったが、バルドが望むことなら大丈夫だとも思えた。

(子供が、できることまではしないさそうだけど)

 首筋や鎖骨のあたりに唇や舌が触れるのに、湿ったため息を零しながらリリーは考えるものの思考は内側から上がる熱に溶かされていく。

 バルドの片手が不器用にシャツの留め金の上部を外していき、ふくらみの谷間が見えるところまで襟元をくつろげる。

「ん……」

 そうして鈍い痛みが谷間のあたりにする。以前、クラウスにされたことと同じだが嫌悪感はなかった。

 むしろ胸の奥から何かひどく切なく愛しい思いがわき上がってきて、リリーは柔肌を何度か唇できつく吸っているバルドの髪を撫でた。

 指を滑る硬質な髪、胸にかかるかすかな重み。わずかな痛みも熱もなにもかもが、自分だけの特別なものな気がした。

(バルドが好き……)

 誰かの意図を疑うことなくリリーは自分の感情を見つめる。

 今は他人の心臓の存在を感じずにいられた。

 バルドへ愛おしさが全てだった。

「……俺の」

 少し息が上がっているバルドが顔を上げ胸元に散った痕を確認して、もう一度軽く唇を重ねてくる。

 そして彼はリリーを深く抱きしめてしばらく動かなかった。ただこれ以上は、触れる気はないらしかった。

 いったいどれぐらいそうしていただろうか。

 不意にバルドが腕を解いてリリーのシャツの留め金を元に戻した。

「……リー、嫌ではなかった?」

「うん。大丈夫。バルドは少しは落ち着いた?」

「リーに触れると、安心する」

 お互い心地よい一体感の名残を惜しむように手を繋いで寄り添う。

 そしてその日の夜からリリーは自分の部屋にほとんど戻らなくなった。バルドがほんの少しでも長く一緒にいたいというので、同じ寝台で手を繋いで眠ることにしたのだ。

 広い寝台が苦手だったバルドはそうしていると、狭い空間にいるよりもよく眠れるらしかった。

 リリーも同じだ。

 日中の面倒ごとなど些末なことになるぐらい、夜のふたりだけで過ごす時間は甘美な安らぎだった。

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