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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
40/115

3-2

***


「皇主様、この件は真でございますか」

 その頃、バルドは炎将や他の統率官らから糾弾されていた。

 誰もがバルドの無言と表情に怖じ気づきながらも、これだけはただしておかねばならないといった気迫があった。

「わたくしどもは、まずこれが事実かどうかが知りたいだけですのよ。皇主様、神器の『玉』は皇都にありますのかしら」

 最も多く言葉を発するのはこの場でバルドの次に位の高いヴィオラだった。

 事の発端は少し前に届いた手紙である。バルド以外のこの場にいる全員が同じ内容の手紙を受け取った。

 差出人はでたらめな名前で、皇家が神器の『玉』を紛失した旨と、そのことを知る者のの名、手紙を受け取った者の名が記されていた。

 実際に手紙を見たバルドは、すぐに差出人がわかった。

 兄の側近でもあった侍女のエレンだ。彼女にそのことを隠す気はないらしく、文字も偽っていなければ神器紛失を知っている者の一覧から、彼女の名が抜かれている。

 そして手紙を受け取った者はハイゼンベルクを裏切る見込みのない者達。

(意図、不明)

 結束を崩したいのか、他に目的があるのか不明だった。

 なによりもひっかかるのは、リリーの心臓が神器である事実を知っていながら伏せていることだ。事実を知る者の中に、リリーの名も含まれていない。

「……皇都にはない。別に保管。場所を知るのは俺のみ」

 バルドは考えた末、秘密は真実の中に隠せというラインハルトの教えに従いできるだけ真実に近い嘘を告げる。

「紛失したという事実はあるのですか」

 統率官のひとりが問い正して、バルドは躊躇しながらも是と返す。

「神器紛失はいつ頃なのでしょうか。ディックハウト信奉者の掃討作戦の時に用意した贋物の『玉』は紛失を隠蔽するために用意していたのですか」

 以前、贋の神器をディックハウト側に掴ませ皇都内にいる裏切り者をあぶり出した。皇家が贋物を作っていた以上、本物があると言っても信憑性が薄い。

「……内乱勃発時に回収後、紛失。近年発見」

 一体エレンがどこまで明かす気があるのか読めない。しかしリリーの心臓が本物の神器ということだけは隠し通さねばとバルドは真実に嘘を重ねた。

 皆が息を呑む気配を感じる。

 この戦の発端はハイゼンベルクがディックハウトと交代で即位するという約定を破ったことからだ。ディックハウトの統治力に問題があった主張はすれど、簒奪したも同然だ。しかしそれでも正統性を主張し、強気に出られたのはみっつある神器の内ふたつを手にしていたからだ。

 その大事な神器を紛失していたなどと知られれば、ハイゼンベルクは多くの臣下から正統性を疑問視され早々に戦に負けていただろう。

「いったいなぜ紛失してしまい、今頃になって出てきたのですか。何を明かされようと、我々の忠義は変わりません。我らが欲しいのは真実ではなく、皇主様の信頼なのです」

 炎軍の『剣』の統率官が切々と訴えかけてくるのに、バルドは苦悩する。

 わからない。彼らの自分に対する期待も皇家への忠心もなにひとつ理解できなかった。いったい正しい答はなんなのか。

(兄上は知っている)

 脳裏に兄の姿がよぎって、思わず救いを求めたくなる。いつでも君主としての正しい姿勢を兄は示していた。

「……仔細は典儀長官と相談の上。事態煩雑。神器はふたつハイゼンベルクの手にあることは確か。この場の者に偽りは不必要」

 ここにいる者達が裏切る心配はしておらず、嘘を吐くつもりはないと偽りの宣誓をするものの言葉は上手く伝えきれなかった。

 やはりリリーがいなければ、意思の伝達にもたついてしまう。

「一体誰がこの手紙を送ってきたきたのか、お心当たりはあるのですか。手紙にある人物以外にこのことを知る者はいるのでしょうか」

 そう質問してきたのは、じっと黙って成り行きを見ていたマリウスだった。

「……断定できず」

 まだエレンの目的が見えない内には、うかつには喋れない。

「そんな重大事項を知る者が裏切り者なのか……」

 絶望的なつぶやきが静かな議場ではよく響いて、沈鬱な雰囲気がさらに重苦しくなるばかりだった。

「裏切りならば、なぜわたくしたちを選んだのかしら。もし、裏切るつもりならとうに他の者達に広め混乱させているのではありませんこと」

 ヴィオラの意見に一同が顔を見合わせて、うなずきあいバルドに視線を向ける。

 しかし彼らが納得する解答を持ち合わせていないバルドは、無言でいることしかできなかった。

「……この件は後に再度協議。先決は砦攻略」

 答を先延ばしにされた面々が憂鬱なため息を呑み込んで、渋々と軍議を進めていく。

 しかしクラウスの処遇についての議題で、神器の件が再び問題になる。

「皇主様、宰相殿は神器紛失の件をクラウスに知られていないで、よろしいですわね」

「宰相、神器紛失は隠しているはず。神器発見、宰相に伝えていない」

 そう答えると小さなどよめきが起こった。

 これまで政の主導権を握っていたのは宰相だった。皇主はお飾り同然で宰相の意見に同意するだけの存在。

 しかし皇家の復権を目指していたラインハルトから教育を受けたバルドは、宰相に全てを任せることはしなかった。最重要事項のひとつを皇主が伝えておくべきはずの宰相に伝えていないことは、皇主が宰相主導の政をさせない決定的な意志の現れだとその場の誰もが思った。

 そうして、手紙での告発があったからにせよ、バルドがこの場にいる者を宰相より信ずるに値する臣下とみなしたも同然であると受け取った。

(これが狙い……?)

 そして、バルドも今、偶発的に宰相の政においての絶対的地位が崩れたのを悟った。

 果たしてエレンは自分が最も隠しておくべき秘密を守るために、ほとんどの事実をこの場にいる者達に明かしてしまうことまで予測していたのだろうか。

(兄上……)

 誰よりもラインハルトの側近くにいたエレンなら、ある程度は予測できていたかもしれない。

「では、フォーベック統率官の処遇はいかがいたしましょうか」

 ひとりの統率官が決定打をバルドに求める。

「……軍議に参加させず。今日は剣術指南」

 バルドが答えて、長らくハイゼンベルクで権威をふるっていたフォーベック侯爵家の失墜は確実なものとなる。

 宰相本人に皇主からの信頼もなく、跡目を継ぐ嫡男アウグストは死亡し残る相続人は裏切りの兆候が見られる次男のクラウスと、わずか二歳のアウグストの長子のみだ。

 これで宰相家としてのフォーベック家は終わりだ。

(終わりは誰も同じ)

 しかし、戦に勝てる見込みはすでにない。自分もここにいる誰もがハイゼンベルクで戦う限り終わりを迎えるのだ。

 バルドは議場に集った臣下の顔を見やりながら、果たしてこの軍議にどれほどの意味があるのだろうかと考えてしまう。

 自分には終わりを先延ばしにして、リリーと一緒にいられる時間をつくっているぐらいの意義しかないというのに。

 こんな皇主に忠を誓い、彼らは命を賭けるのか。

(皆自分自身のために戦う)

 所詮、忠心も自己満足だとラインハルトはいつかつぶやいていた。

 そんな臣下の自尊心を利用してまとめあげていくのが君主というものらしい。しかし他人のことなどまるで理解できない自分に、そんなことができるはずもない。

 やはり自分などに兄の代わりが、務まるはずがなかった。

「補佐官、呼びに行く」

 バルドは広い議場がひどく狭苦しく居心地の悪い空間に思えてきて、席を立つ。

「皇主様、アクス補佐官に神器の件は」

「伝えていない」

 ヴィオラが問うてくるのに、バルドは答を投げ捨てて議場を出る。

 リリーとクラウスが控えている部屋に入って、ふたりが一定の距離を空けていることに安堵しながらクラウスの処遇を先に伝える。

「剣術指導って子供のお守りしながら監視されるんだろ。どうせなら見張りを部屋の扉の前に置いて謹慎の方がよかったのにな」

 クラウスが心底嫌そうな顔をして大人しく指示に従って出て行く。

「……どうしたの? 顔色悪いわよ」

 そしてクラウスがいなくなってからリリーが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「エレンが動いている。神器の件、幾人かに知られた。リーについてはまだ」

 軍議であったことを話すと、リリーも顔を青ざめさせた。

「皇太子殿下の侍女はディックハウトにつく気なの?」

「不明。宰相は立場がなくなった」

 兄の目指した皇家主導を最後にやりとげたかったのか、それともこの先ディックハウト側へ渡る準備をしているのか。

 それともラインハルトが何か遺言でも残していたのかもしれないと考えて、バルドは自分が見限った兄の影を重たく感じる。

「そう、なの。難しいことはよくわからないけど、神器の在処が分かったらあたしの心臓を取り出そうとする輩が増えるのね」

 リリーが自分の心臓に触れながら、顔を顰める。

「させない」

 抱きしめると、腕の中でリリーが笑う気配がする

「あたしだってそんな簡単にあげないわよ。知られたら知られたで、いっぱい戦えそう。それも悪くないわ」

「……敵、白ばかりでなし」

 すでに水将のラルスがラインハルトの命を受けて一度リリーを狙った。今はまだ大人しくしているラルスだが、神器のことが他に漏れる可能性があると分かれば再びリリーの心臓を狙いかねない。

 ラルスだけではなく、他の者達もそうだろう。

 リリー自身を大事にしている者など、ハイゼンベルクにもディックハウトにも自分とクラウス以外にいはしないのだ。

「誰だろうと、売られた喧嘩は買うのがあたしよ。それで、軍議の続きあるんでしょ」

 リリーが言うのにバルドは腕を解く。彼女のぬくもりや感触が離れていく瞬間が、この頃は苦しい。

 自分とリリーは違うのだという現実を突きつけられる気がするのだ。

「知っている。……リーは神器のことを知らない体裁」

 リリーが戦う機会が多くなるということは、それだけ彼女が戦死する可能性が増えるということだ。

 しかしバルドはそのことは口にはしなかった。

「うん。なんにも知らない振りしておけばいいのね」

 そうしてふたりは軍議の場に戻るのだが、少し遅かったせいか一同の表情は少々不安げだった。

「軍議」

 誰かが口を開く前にバルドが先に告げて、普段と変わらない軍議が始まる。

 しかしその日の軍議はディックハウト側を平原まで引っ張り出す手段については、挑発することや忍耐強く待つべきではとの様々な意見が出たものの、皆考えあぐねるばかりでまとまらなかった。


***


 砦の広場では、五十人近いまだ十三、四の少年少女らが無心に剣術の演習に打ち込んでいた。

 クラウスは指南役を命じられたものの、監視役も兼ねた他の指南役に役目を任せて隅であくびを噛み殺していた。

(今の所実戦で役に立ちそうなのは三、四人といったとこか)

 十五歳未満の兵は平民か弱小貴族の出自で、これが初陣という者達がほとんどだ。魔術を用いず真剣で演習をする子供達は、向かってくる剣先や刃に怯えを見せる者はもちろんいるが、相手に攻撃があたりそうになると怯む者も多くいる。

 一瞬の畏れや躊躇いは戦場で命取りになる。

 この砦の中で突然の反乱が起きてまともに対処できるどころか、混乱を広めるだけになるだろう。

(……リリーと神器の繋がりがはっきりしないと困るんだよなあ)

 今日、エレンから一通の手紙が届いた。すでに手紙の検閲をすり抜けられる手段はこちらでも整えており、ラインハルトの側近であった彼女なら監視の網目も見つけているはずなのに、文面は直接的な表現ではなかった。

 

『今、私は皇都にいますが、『玉』の社近くに住む親類の元に用件があるのですぐに発ちます。空は灰色ですが、雨は降りそうにありません。以前話していた仔猫を連れ帰ろうとおもったのですが、宝石がついた首輪がついていました。盗まれやしないかと心配しましたが、首を切り落とさないかぎり外せそうにない丈夫な鎖でできた首輪でした』


 もはや最初の手紙をやり取りした時の、侍女時代の友人への手紙を装う必要もないのにそんな内容だった。

 仔猫はリリー、仔猫の首輪の宝石は神器の『玉』ということだろう。

(リリーが神器を持ってるだけじゃないないよな。リリーが皇家の純血なのと関わりがあるんだろうが)

 首を切り落とさないかぎりという文章があることが物騒だ。

 曖昧な文面はこちらを焦らしているのか、まだ駆け引きをしているのかもしれない。そうしてもうひとつ灰色の空とわざわざ天気を記した文が不自然だ。

 灰色は、おそらく灰色の魔道士だろうが。

(リリーとバルドがやけに灰色の魔道士にこだわるのもそこか。皇太子殿下もやけに気にしてたしな)

 リリーに狙いをつけている不審人物として気になるのはわかる。しかしそれにしても、あのふたりが気に止めるのには少々不自然だった。

 灰色の魔道士が神器の社をうろついていたことや、皇祖しか扱わない神聖文字を用いた魔術を使うことから、神器が鍵ではないかとは考えていた。

 全てリリーに繋がっている以上、灰色の魔道士の存在は無視できないとはいえ、捜索は滞っている。

(皇家の血統に加えて、神器か……エレンはどうするつもりだ)

 ディックハウトにエレンが知ることとなれば、リリーを連れて行くのは厄介になることは分かる。

 エレンがディックハウトに簡単に寝返るとも思えず、判断に困る。

「フォーベック統率官、あちらの者達の指導をお願いします」

 考え事にふけっていると、声をかけられてクラウスは仕方なしに一旦思考を中断する。

(だけど、時間もないな……)

 いつまでも悠長にハイゼンベルクに留まるつもりもない。

 クラウスは腰の長剣を引き抜いて、緊張する少年少女らへ顔を向ける。

「俺、教えるのは苦手だから、好きにかかってきてくれればいい。実戦積む方が役に立つしな」

 付け焼き刃の剣術の基本よりも相手を斬ることと、切っ先を向けられることに慣れる方が先だとクラウスが促しても、誰も向かってこなかった。

 これだから子守りは嫌なのだと、クラウスは自分から動いた。

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