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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
38/115

2-3

***


 翌朝も雨は激しく降り続いていた。

 薄暗い朝を迎えたフリーダは、新しいローブを纏い砦の四階の先日の戦で倒壊した張り出し歩廊の残骸の上にいた。水滴が撥ねて自分にかかるのにもかまわず、モルドラ砦がある方に視線を向ける。

 しかし雨にけぶってはっきりと見えない。

「フリーダ、そんなところで何をしている」

 ふと、肩を掴まれ中へ引き込まれる。振り返れば夫のフランツが強張った顔で自分の顔をじっと見ていた。

「飛び降りはしませんよ、夫殿。血と死臭が洗われてちょうどいい雨だと思っていただけです。……雨漏りは困りものですが」

 フリーダは笑ってそう返し、真下の方を見やる。

 破砕された門は気休めにもならない木組みの柵が置かれている。柵が置かれる前に多くの遺骸がそこで燃やされた。灰は風の魔術で牧草の肥料代わりに撒かれたが、血は多くの魔道士が犠牲になった砦の入り口にや、壁に飛び散って残っていた。

 この雨で血はいくらかは洗われうっすらと纏わり付くような死臭もしなくなった。

 その代わり、罅の入った壁から雨水が染み出して何部屋か使い物にならない状態ではある。

「……父上が身罷られた」

 不意にフランツがそう言って、フリーダは目を瞬かせる。

 フランツの父であるマールベック伯爵は『杖』の魔道士として、門を護っていた。しかしバルドにより魔術の防壁が破られ、その反動で両腕が内から破裂し体の内部にも衝撃を受けて重体となっていた。

 全ての魔力を注いだ魔術防壁を打ち破った神器の破壊力はすさまじいものだ。

 神器で門が受けた攻撃は二度。一度目に三十名近い『杖』が防壁を張っていたが、半数が戦死、もう半分も腕が二度と使い物にならない状態になった。

 二度目の攻撃はマールベック伯爵と数人の『杖』での防壁を築き、すでに伯爵以外は死亡している。

「夫殿が家督を継ぐのですね。葬儀も略式ですませるのでしょう。私がすべきことはない……っ」

 冷淡に返せば、ふと体が浮いて背中に衝撃が伝う。

 フランツに胸ぐらを掴まれて石壁に叩きつけられるように体を押しつけられたのだ。

「貴女は、貴女は一体何のために私の元へ嫁いで来たのだ……っ!」

 夫の激怒にフリーダは眉を顰める。

「……命じられたから嫁いできた。それだけのことです。夫殿は一体私に何をしろと仰るのです。むしろそちらがなぜ私を娶ったのですか。寝返るつもりなら最初から縁組みを断ればよかった」

 ハイゼンベルクの油断を誘うためになのか、自分を使って情勢を探らせるつもりだったのか。なんにせよ、自分は父の命に従っただけで、それ以上の理由などなかった。

「父の決めたことだった。私は貴女が拒むのであれば、娶る必要などないと言った。貴女は命じられたと言うが、人質としての役目も、妻としてに役目を果たすつもりもなく逆らっている」

 ぎりりと息苦しい程にローブの襟首をしめつけられながら、フリーダは憤る夫に向けて薄笑いを浮かべる。

「なるほど、では今は父親を亡くして傷心し、これから当主としての重責を負う夫を慰め支える妻になれということですか。残念ながら、そのような献身的な妻にはなれそうもないので、早い内に離縁して新しくディックハウトの貴族を娶ればよろしいでしょう。私はただの捨て駒の兵にして下さって結構。戦死の方が離縁よりは体面がよいかもしれませんね」

 つらつらと挑発的な言葉を並べながら、フリーダは自分自身でも不思議に思う。

 フランツに対しては、いつもこういう態度ばかりになる。

 父親の顔色を窺ってばかりいるのが自分のようで嫌いなのかもしれない。

 そうだ、初夜の時も、覚悟がまだないなら床入りは先延ばしでもいいと言ったのも妙に気に食わなかった。

 生娘でもないので余計な気遣いはいらないからさっさと済ましてくれと返すと、決まった相手がいたのかとなんとも複雑そうな顔をしていたのをよく覚えている。

 退屈凌ぎの関係が数人いた程度だと正直に言って、叩き返されるだろうかと思ったものの結婚後の不貞は互いにしないという約定をされてやっと事が済んだ。

 結局、わずか半年ほどで寝所を共にすることはなくなったが。

「それほどまでに、私のことを嫌っているのか」

 ついに呼吸ができなくなる。

 しかしフリーダは足掻かなかった。このまま夫に絞め殺されるのも悪くない。

(ああ、でも、君との決着はつけておきたかったな……)

 ふっとリリーのことが思い浮かぶ。

 初めて彼女と実戦で剣を合わせた時、今までにない感情の高ぶりを覚えた。

 あの時、フランツに止められなければきっと負けていた。次になんの邪魔もなくリリーと戦うことになったら、自分の力ではもはや太刀打ちできないだろう。

 それでもまた戦いたかった。互いの全てをぶつけ合う瞬間を夢想すれば、胸の奥で燻っていたものが燃え上がる。

「何をしている! フランツ殿!」

 意識が朦朧とする中で、誰かが怒鳴りつける声が聞こえて呼吸が楽になる。

 フリーダはふらつきながらも座り込むこむこともなく声の主を見る。右目の際から顎にかけての傷痕が目立つ黒髪の大柄な男は、ディックハウト雷将のリーヌス・ゲオルギーだ。

「なに、些細な夫婦喧嘩です。父君が亡くなられて少し動揺されているらしい」

 夫が沈黙している間に、フリーダは襟元を直してゲオルギー将軍に向き直る。

「……伯爵のことは今し方聞いた。惜しい方を亡くした」

 ゲオルギー将軍が哀悼を告げ、フランツが深呼吸をひとつして深く頭を下げる。

「見苦し所を見せて申し訳ありません。そのような事情なので、軍議を少し遅らせていただけますか」

「無論、かまわん。この雨だ。動くに動けない。俺も部下達もできることがあれば協力する。遠慮せず言ってくれ」

「お気遣い、痛み入ります。では、失礼いたします」

 フランツが立ち去るのに、フリーダはついていかなかった。

「大事ないか。……夫婦のことに立ち入るつもりはないが、奥方はハイゼンベルク方だった。そのことに関わるなら、俺は将として立ち入らせてもうらが」

 至極真面目にゲオルギー将軍が話しかけられたフリーダは、思わず吹きだした。

「そちらとは関係ありません。私の悪妻ぶりについに夫殿も我慢ならなかっただけです。私はディックハウトの魔道士として、前線で戦って死ぬ覚悟もありますので、どうか好きにお使い下さい。では、私は呼ばれるまでしばしここで待機しています」

「そうか。それならばいい」

 ゲオルギー将軍は決まりが悪そうな顔をして、その場を後にする。

 ひとり残ったフリーダはフランツに絞められた首元を撫でて、ため息をついた。

 夫婦になった以上は、信頼を築けたらとも彼は最初の頃に言っていた気もする。初めから離叛は決まっていたというのに、おかしな話だ。

「本当に、ここは退屈だ」

 フリーダはつぶやいて、再びモルドラ砦の方へと目をむけてひとりごちる。

 ハイゼンベルク側でも退屈なことに変わりなかった。退屈しのぎとは言ったものの、父の目を盗んで幾人かと共寝をするだけの関係を持つことはさして楽しいものではなかった。

 やはり戦場が一番いい。リリーと戦って終わりたい。

 フリーダはリリーと対峙した時の高揚を思い返すが、上手く掴みきれない。だが確実に自分の空虚な心を満たしてくれるとわかっているからこそ、もう一度あの高揚感を味わいたくてしかたなかった。


***


 父親であるマールベック伯爵の略式の葬儀の準備を終えたフランツは、短い軍議も終えても席も立たず頬杖をついてうなだれていた。

 妻のフリーダは軍議が終わるとまた歩廊の方へと向かい、飽きもせずに外を眺めているらしかった。

 朝に見た時はそのまま歩廊から飛び降りかねないと思うほど、何かに恋い焦がれている顔をフリーダはしていた。

 視線の先にはハイゼンベルクの拠点であるモルドラ砦がある。

 あちらに戻りたいのか。しかし彼女はかつての戦友らに刃を向けることを躊躇わなかった。

「フランツ殿。大丈夫か」

 ゲオルギー将軍が声をかけてきて、フランツは顔を上げる。

「朝から慌ただしく申し訳ない」

「かまわない。父君が亡くなられたのだ。気落ちするも仕方がない。俺も父が戦死した時はひどく落ち込んだ」

 そう言われて、フランツは父親が死んだばかりだというのに、フリーダのことばかりが気になっている自分に気づく。

 神器で魔術防壁が打ち破られれば、父親が助からないことは予期していた。もう助からないと、意識の戻らない父の姿にある程度の覚悟はできていた。しかし辛いことは辛い。

 父の死に対して悲しみもあるが、それ以上に孤独感の方が大きかった。

 兄弟はおらず母も身罷り、親族はもういない。古くから仕えてくれている家臣達もいるが、唯一の家族を亡くした寂しさはそれで慰められるものでもない。

 だから余計に、新たな家族となるはずの妻のことを考えてしまうのかもしれない。

「……私は妻のことがわからない。この婚姻は彼女にとって不本意ではあったのでしょう。だが、妻はハイゼンベルクに戻ろうともしなければ、こちらに与する気もなく前線に立ちたがる……」

 子供の頃から見知っている重臣にする零したことのない悩みを零してしまったのは、よく知らない他人だからだろうか。

 ゲオルギー将軍の歳は自分よりひとつ上で、年齢が近く気安い雰囲気もあった。

「自分を今の立場に追いやった誰も彼もを恨んでいるのかもしれない」

 ゲオルギー将軍が隣の席に腰を下ろす。

「ハイゼンベルクの身内も、私達も、ですか。……できるだけ、私は妻に心を砕いてきたつもりでした。ですが、彼女はなにひとつ受け入れてくれはしなかった」

 フリーダを妻に迎えることは、自分も最初は不本意だった。父はディックハウトに寝返る準備をする時間稼ぎに使うと言っていたからだ。

 場合によっては後で始末するという話もあった。いくら家が生き残るためとはいえ、むごいではないのかと父に訴えて、フリーダの意志だけは確認してもらった。

 そしてフリーダは嫁いできた。

 軍で『剣』の統率を務めていたというだけあって、軍人らしい顔つきで凛とした姿に同情と感心を覚えた。

 フリーダに、後ろめたい気持ちもあった。だがそれ以上にこの先共に生きていかねばならないなら、よい関係を築けたらとフリーダの意志をできるだけ汲む努力をするつもりだった。

(なにひとつ、心の内を見せなかった)

 しかしフリーダは従順なふりを続けるばかりだった。気がつけば皮肉の応酬ばかりになり、義務的に身を任せるだけの彼女と寝台を共にすることもなくなった。

 やっと、フリーダが自分の意志を示したのは、再び剣を握り前線に出たいということだった。

「……俺が知っている人も、心を閉ざして誰も受け入れない。そうしてしまったのは、俺がどうしようもなく愚かだったからだ。フランツ殿は、そうではないだろう。時が解決してくれることもある。貴公がディックハウトに忠を誓った以上、時は十分にある」

 時間が果たして凍り付いたフリーダの心を溶かしてくれるものだろうか。

「諦めてしまうのが、一番早いのでしょう。所詮は人質。遠方に住まいを用意させることも、このまま最前線に送り出すことも私にはできるはずなのです」

 フリーダの言う通り、新しい妻を迎えれば済む話だ。父も、戦に勝った後にディックハウトの貴族との新たな縁組みも用意する考えだった。

 だのに、その選択ができない。

 フリーダを諦めきれないのだ。ただ彼女のなにひとつ手に入れられず、意固地になっているだけなのか。

 愛していると言うには、あまりにも心の繋がりがなく怒りや苛立ちの方が大きすぎた。

「手に入らないものほど、執着してしてしまうものかもしれないな」

 ゲオルギー将軍の言葉はやけに重みがあってフランツは彼の横顔を見る。

 彼も諦めていないのだろうか。

「このような話に突き合わせてしまって、申し訳ありません」

「いや、いい。皆が心置きなく戦に挑むことができるようにするのも、将の務めだ。何か必要なことがあれば言ってくれ」

「これ以上ないお言葉です。将軍、皇主様のため、亡き父のため、私は戦います」

 そう、今は戦に集中すべきだ。悲しむのも、悩むのも戦に勝利してからでも遅くはない。

「ああ。頼む。俺も皇主様のため、命を賭けて戦う」

 そう言って席を立つゲオルギー将軍に瞳に、一瞬映った影にフランツは気づかなかった。


***


 皇主のアウレールが倒れて早五日以上が経つ。しかし快癒に向かう気配はなかった。

「アウレール……」

 息子に添い寝するロスヴィータはすっかり窶れていた。手や指にの包帯が巻かれ、血の滲んでいるものもある。

 寝台の傍らに置かれた机の上には、無数の玉石が転がっている。城にあるあらゆる宝飾品をかき集めさせ、台座から取り外したものだ。これらは全てロスヴィータが魔術の媒体にするためにある。

 日に二度、ロスヴィータは指先や手の甲を傷つけ血に濡れた手で玉石を握りしめて、魔術を使う。

 ロスヴィータの魔術によってだけ、アウレールはわずかながら目を醒まし食事を取ることができた。意識はあまりはっきりしておらず、まるで赤子のような状態でいることがほとんどだが。

 膨大な魔力が必要で魔術を使う度に媒体は割れてしまう。もうすでに幾つもの宝玉が砕けてしまっている。

 しかしアウレールの命を繋ぐためなら安いものだ。

「もう少し、待っていて。またわたくしがお前を目覚めさせてあげるから……」

 今すぐにでも息子の目を開かせ声を聞きたいが、まだ魔力が回復しておらずロスヴィータは歯がゆく思う。

 彼女自身の体も限界に近かった。

 毎日空になるまで魔力消耗し、血を流し続けているのだ。体力も磨り減りほとんどその場から動けない状態だった。

 それでもロスヴィータは自分の命を削り、息子に分け与え続けるのをやめなかった。

「ロスヴィータ、皇主様の容態は」

 音もなく部屋に入ってきたのは、宰相である兄だった。

「見ればおわかりになるでしょう。こんなにもやせ細って、可哀相な子……」

 ロスヴィータはアウレールの削げた頬を撫でながながら、兄へと侮蔑の視線を投げつける。

「勝利まで後少しだというのに。一体どうやって灰色の魔道士は、社の中へ入り込んだのだ」

 昨日、目覚めたアウレールは意識が以前よりも明瞭だった。灰色の男が、社の中にいたと怯えていた。おそらく、神器の社の周辺で目撃されていたの灰色の魔道士だろうと結論づけられた。

「……皇祖様かもしれませんわ。今の皇国の姿をお嘆きになって彷徨っているのかもしれないわ。ねえ、兄様。最初に罰を受けるなら、兄様でないとおかしいでしょう。この子はただ産まれてきただけ」

 兄が何も言わずに部屋を出る音が聞こえる。

 昔から利己的で傲慢な兄は嫌いだった。自分の望んだ幸せは全て、兄に奪われてしまった。

「お前だけなの。わたくしにはもうお前だけなの」

 自分の命はなどどうでもいい。アウレールの命さえ助けられればそれでいいというのに、その願いはまだ叶わない。

 北から灰色がかった雲が緩やかに押し寄せてくる。その日の夕刻の内に稲光と共に、雨は降り出した。

 北で降ったほどの強い勢いはく、冷たい雨はしとしとと降り注ぐ。

 その音を聞きながら、ロスヴィータは静かにすすり泣いた。

 

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