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棺の皇国  作者: 天海りく
灰色の影
36/115

2-1

 ゼランシア砦での第二次の戦から二日後。皇都にも戦況が伝えられ、軍議が開かれた。

 辛くも目的は果たしゼランシア砦の防衛力を削いだとはいえ、戦死者の数の中に生きて向こうへ寝返った者があるとの報告に重苦しい雰囲気となった。

 軍司令部の幹部であるジルベール侯爵は、嫡男のマリウスが片腕を失ったことに、敵将相手によく戦ったと平静な態度だった。

 そして皇都でも具体的な離叛者への打開策も出ず、軍議は終わった。

「マリウスは片腕なくしても帰還する気はなしか」

 水将補佐官のカイは軍司令部の建物から出て、陽射しの強さに目を細める。

 戦線離脱する重傷者や遺体は明日明後日には皇都につくらしいが、その中にマリウスの名はなかった。

「片腕あったら魔術は使えて、指揮も取れますからねー。それにしても、離叛者が問題だなあ。宰相殿は皇主様がご不在をいいことに、また我が物顔で議会をとりしきってるけど、ちゃんとアンネリーゼ嬢の見張りはしてるのかなー」

 カイの傍らで、不機嫌そうにつぶやく青年は水将のラルスである。

 ラルスは皇主が絶対的な君主であらねばならないと考える皇家派だ。宰相に言いなりになる傀儡は皇主と認めず、政治の主導権を握れる真の主君を求めている。

 そして、ラルスは宰相に従わないラインハルトを主君と定めていたが、病没してしまった。しかしラインハルトから教育を受けたバルドも、十分に理想に値するらしい。

(こいつの理想も正直よくわからねえけどな)

 ラルスは子供の頃から魔力を神聖視している。この奇蹟の力を与えた皇祖の末裔は、崇められるべきで誰の意のままにも動いてはならないらしい。

 確かにバルドはラルスの理想に近く、宰相の傀儡にはならない。かといって他の人間を信用することもなく君主としては問題が多すぎる。

「……さすがに、嫡男の首を撥ねたアンネリーゼ嬢に警戒しないわけないだろ」

 カイは会話に意識を戻してそう告げる。

 ベーケ伯爵の子女で忠誠の証に宰相家嫡男に嫁いだアンネリーゼは、夫の首を魔術で切り落とした。凶行に及んだ理由は、夫がクラウスを処分しようとしたからだという。

 アンネリーゼは、夫よりも歳の近い、クラウスの方に長年想いを寄せていたらしかった。

「だといいんですけどねー。まあ、クラウスが一緒にいるよりは、使い物にならないとは思うよ。僕の方でも見張っているからアンネリーゼ嬢が何か失敗してくれればいいけど、家の中の行動までは見張れないからなー」

 ディックハウトの内偵とも噂されたクラウスを戦に参戦させるかは、出陣の直前まで揉めたがアンネリーゼと引き離していた方がいいという意見の元、結局参戦させた。

 クラウスがなんらかの謀略を企てて入れ知恵えしていたとしても、これまで箱入り令嬢だったアンネリーゼがひとりで滞りなく事を進められる可能性は低い。

 ラルスはアンネリーゼの失態から、クラウスの計略を事前に知ることができるかもしれないと考え、独自にフォーベック邸に怪しい人の出入りがないか確認している。

 今の所は問題ないらしいが、手紙や使用人などを使われると把握しきれない。

「ベーケ伯爵が寝返るかどうかが問題だな。伯爵の方はハイゼンベルクに忠義だてしてるようだが……」

「問題は御嫡男。父親を立ててハイゼンベルク側にいるけど、いざとなったらどう転ぶか分かりませんよ-。伯爵もいいお歳ですし、いつころっといっちゃっても不自然でもないですしね。家あっての主君か、主君あっての家かはそれぞれだからなあ」

 いざとなれば嫡男が家のために、父親を『病死』させることもありうる。

 アンネリーゼの件とて、宰相家嫡男は病死として公表されている。ここ近年で当主が病死し代替わりすると同時に主君まで変わった家がいくつあったことか。

(家あっての主君、主君あっての家、か)

 カイはラルスの言葉を胸の内で繰り返す。

 貴族の落胤で市井育ちで二十歳まで実父を知らなかったカイは、貴族の子弟という自覚は薄い。ただ戦死した兄の遺児である甥に、兄の代わりに育てた分愛着がある程度だ。

「……カイは、どうします」

 兵舎のすぐ手前までくると、足を止めてラルスが何気なく問うてくる。

「どうするって今さら何言ってやがる。俺は家も何もないし、もう十分だ。ここでてめえに最後までつきあってやるよ」

 妻はとうに戦死し、甥もハイゼンベルクに最後まで忠義を尽くす気でいる。

 これといって自分ひとりで生き延びる理由もない。

「それなら心強いですね-。僕はひとりより、カイがいてくれる方が助かるんですよねえ」

「てめえはもうちょっとひとりでどうにかなれよ。三十過ぎていつまでたっても手間のかかるガキでいるんじゃねえよ」

 ラルスとも、かれこれ二十年近い付き合いだ。

 父と交流のあったラルスの父のブラント伯爵に、束の間遊び相手を頼まれたのがきっかけだった。

 どうも教育係に馴染まず、他人とも馴れ合わない息子に若干の不安を覚えていたかららしかった。どんな貴族の子弟とも馬が合わないので、市井育ちで親交のがあり信頼できるベッカー伯爵の息子ということで自分に目をつけたそうだ。

 ラルスは人見知りかと思えば、客人に対して愛想もよく、剣も学問も独学で十分すぎるぐらいにできがよかった。

 ただ十歳という歳の割には妙に達観した子供ではあった。

 魔術や皇家への神聖性もその頃から、独特のものだった。ブラント家は祭事を司る典儀長官の家系なので、その影響も少なからずはあるのだろうが。

 熱心に魔術や皇祖のすばらしさを説いて聞かされても、まったくもって理解不能だった。

『さっぱりわからねえ……』

 その答がラルスの興味をひいたらしかった。

 今までは理解を得られても噛合わないか、理解する振りをする人間ばかりだったらしい。その件についてわかり合えることはなかったものの、付き合いは続いた。

 そして気がつけば最初は部下だったラルスは自分の上官になっていた。

「僕もそれなりに大人になったと思うんですけどねー」

「なってねえよ。ほら、仕事するぞ、仕事。補給部隊は俺らの管轄だろう」

 カイはラルスの背を押して、兵舎へ押し込む。

 兵舎では、すでに多くの魔道士が動いている。戦が終わる頃に黒いローブを着ているのは一体どれぐらいいるのだろう。

 カイはとりとめのないことを思いながら、ラルスと共に部下達に指示を与えて職務を黙々とこなしていった。


***


 アンネリーゼはクラウスが無事だという報告を受け、安堵しながら父と兄への手紙を認めていた。

 表向きに自分の立場は夫に先立たれた、不幸な未亡人である。監視の侍女は常時ふたりついているものの、そう不自由はない。手紙も検閲されているが、見られて困る内容はなかった。

「これをお願い」

 アンネリーゼは手紙を侍女に渡してペンを置く。後はすでに宛名と署名がされた封筒に使用人が手紙を入れて封蝋をして生家に届けられるのだ。

 だが使用人の幾人かにはすでにクラウスの手が回っている。

 兄への手紙の中身は別のものへすり替えられる。

 父はハイゼンベルクに義理立てしているが兄は違う。自分が嫁ぐ時もそうまでして共倒れしたいのかとぼやいていた。

「アンネリーゼ様、こちらを」

 ひとりが手紙を部屋の外に持っていった隙に、もうひとりの監視役がこっそりとクラウスからの手紙を渡してくる。手紙の体裁はモルドラ砦にいる彼女の夫からとなっているが、内容はクラウスからの伝言である。

 砦攻略は順調という内容だった。

 あえて現在ハイゼンベルクが攻めているゼランシア砦とは記されていない。この手紙が示す砦は、ハイゼンベルクが拠点とするモルドラ砦のことになる。

 後はいくつか今後の指示も、日常の雑談に紛れさせて示してあった。

 手紙を運び出した侍女が戻ってくる音に、アンネリーゼは手紙を内通者に戻しながら返信の内容の指示を出す。

「お生まれになったそうですよ。お嬢様だそうでございます」

 そして、戻って来た侍女がそう告げる。

 殺した夫には自分の他にふたりの妻がいた。ひとりは男児を二年前に産み、もうひとりは身重だった。

「そう。お祝いを差し上げないと」

 産まれたら何か贈りたいので教えて欲しいと事前に頼んでいたアンネリーゼは、にっこりと微笑む。

 監視役の侍女がアンネリーゼの完璧すぎる美貌を、気味悪がりながら眉を顰める。

「玩具か着るものがいいわね……」

 どうしようかしらとアンネリーゼは、考える。

 外から何かを持ち込むのに利用するためではあるが、祝う気持ちは本物だった。

 彼女たちのおかげで自分は夫の子供を持たずにすんだし、寝台を共にすることもほとんどなくなったのだ。その礼はしておかねばならない。

(わたくしはクラウスと幸せになるの……)

 アンネリーゼは近づいてきているはずの自分の理想の未来を、ひたすらに夢見るのだった。


***


 ゼランシア砦の攻防から五日。

 戦線離脱する重傷者や戦死者は皇都に送られ、残ったマリウスを含む重傷者の容態も落ち着いてきて、忙しいようで退屈な毎日になりつつあった。

「ねえ、あんたまだここに居座るつもり?」

 軍議も訓練もなく、物資の確認作業を終えたリリーは執務室の長椅子に横たわっているクラウスに目を向ける。

「だって、どうせ監視ついてるんならリリーに見られてた方がいいだろ」

 離叛者への警戒が強まる中、要注意人物となったクラウスには監視の目がつくことになった。無論、本人には告げてはいないが早々に気づいたらしくこの頃はずっと一緒にいる。

「……邪魔」

 執務机のバルドが不服そうに言う。このせいでリリーとふたりきりでいられる時間が少なくなって、彼の機嫌が悪かった。

「皇主様の目の届くところにいた方、みんな安心するんだから我慢しろよ。俺だって人に見られてばっかでて窮屈なんだからな」

「どう見てもくつろいじゃってるじゃないのよ、この駄眼鏡」

 重要事項に関わる書類仕事にも関わらせるわけにもいかず、こうしてだらけさせておくしかないのだ。

(あの灰色の魔道士の件もなんとかしなきゃいけないのよね……)

 リリーが困っているのはその件についてもあった。

 戦を終えた翌朝、部屋の外に人の気配があるので訝しんでそっと様子を見ると、バルドが扉の横の壁にもたれて眠っていて驚いた。事情を聞くと、また灰色の魔道士がまた近くをうろついているかもしれないというのだ。

「やることないしなあ。例の灰色の魔道士、また近くうろついてるんだろ。暇だし、俺が探してもいいんだけどな」

「外に出せるわけないでしょ。何人か出してるからいいの」

 不審人物として砦周辺の見廻りにも、灰色のローブを着た魔道士には注意するようには言っている。

「結局、目的はなんなんだろうな……」

「そんなの捕まえてみないとわからないわよ」

 リリーは灰色の魔道士を捕捉する目的を知らないクラウスに、うかつなことを喋ってしまわないよう気をつけながら答える。

 神器が目的かもしれないというのが大方の予想だが、実際に本人に聞かなければ分からない。

(見つけたら、あたしの心臓の神器をどうにかできるかしら)

 自分の心臓は、かつては皇祖であるグリザドのものだった。血の繋がった兄弟同士で子を成し、延々と千年ものあいだ引き継がれてきたのだ。

 兄弟のいない自分は、最も近しい血縁であるバルドを血を繋ぐための伴侶として求めているという。

 他人の心臓が自分の中で動いて、勝手に意志を操られるなどという不快感を取り去りたかった。

「そうだな。なんならリリーが出てった方が引っかかりそうだから、後で一緒にその辺り見廻りに行かないか? 灰色の魔道士は探せるし、俺の監視も一緒にできる」

「それもいいわね。ねえ、今出てもいいかしら」

 やることはあらかた終わっているので、リリーは上官であるバルドに訊ねる。

「俺も行く」

「じゃあ、暇つぶしに三人で砦の周りうろうろしてみる? あ、炎将にはちゃんと言っておかないとね」

 そうと決まったらと、リリーはそそくさと片付けを始める。

「お前ら、戦闘できるかもしれないとか考えてるだろ」

 クラウスの指摘に、リリーとバルドはもちろんとうなずく。

 体勢の立て直しや物資の補給が整うまで進軍はできない。向こうも簡単には攻め入ってこないだろうということで、しばらく戦闘になる見込みは薄い。

 戦える機会があるならいいに決まっている。

「いいじゃない。炎将と話すの任せたわ。あたしもバルドも、炎将と話すのあんまり得意じゃないし」

「お前ら、話すのが得意な相手いないだろ。まあ、いいけどな」

 クラウスがだるそうにしながらも立ち上がる。

 そうして三人揃って砦周辺の見廻りに向かった。

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