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皇家の墓所であった場所は縮小作業が進み、遺灰を納める建物の周りには新たな囲いが着々とできつつあった。そして冬の間眠りについていた花々達も、もうすぐ目覚めの時間だった。
エレンは自分が植えた金盞花の蕾が膨らみ、今にも弾けそうになっているのを見つけてほんの少しだけ口元が緩んだ。
亡き主がまた見たがっていた花は、今日か明日には咲きそうだ。
「あら。あなたも笑うのね」
ふと目の前で驚くヴィオラの声が聞こえて、自分が笑っていたこと気づいていなかったエレンは何を言われたのかいまひとつ把握しきれなかった。
「……お久しぶりです。墓所は整ってきています」
「ええ。これぐらいの大きさがちょうどいですわね。わたくしは今日はお墓を見に来たのではなくて、落ち着かないから外に出てきましたの」
クラウス達が昨日出陣したからかとエレンは思う。もうすぐ戦の終わりがくるが、ジルベール姉弟が終わりに立ち合うことはない。
「ついに、終わるのですね」
エレンは少し離れた丘の頂上に佇む、今は議事堂と呼ばれる王宮を見上げる。
「終わりですわね。リリーちゃんもクラウスに同行しているのはご存じかしら? さすがに剣は持たせずに見ているだけだそうですけれど」
「よく、同行を許したものですね」
リリーが決戦の場に行きたがることは意外でも何でもなかったが、クラウスが彼女を戦場とバルドに近づけることに驚いた。
「自信があるのかしらね。帰ったらまた一緒に試合しましょうって可愛いお手紙もリリーちゃんからもらったのですけれど……」
まるでその約束がもう果たされないと確信しているかのように、ヴィオラが寂しそうに微笑む。
「戦うわけではないでしょう」
参戦しないのであれば。よほど悪運が強くない限り無事に戻れるだろう。
「皇主様の間近に行って、あの子がこちらへ帰って来る気になると思いませんわ」
エレンはうなずくつもりはなかったが、何気なく足下の金盞花の蕾を見下ろした時に思いがけず首を縦に振ってしまっていた。
しかし、ヴィオラの言うとおりかもしれない。
自分ならどうするだろうかという考えをエレンは直ぐに打ち消す。彼女は自分ではないのだから、考えても無駄なことだ。
「……彼女は理性よりも本能で動いてしまうかもしれませんか」
何を選ぶにしろリリーが向かいたい場所へ好きに行けばいい。
願望ではなく、それが自然なことだと思った。時期を迎えて花が開くことや、潮の満ち干きや風の流れと同じだ。
止めることはしてはいけないし、できるものでもない。
エレンは微かに潮の香りを感じる穏やかな風を受けながら、北へと顔を向けて見えない全てを見ようとするように目を細めた。
***
首都を出発して二日が経って、少し肌寒くなってきたのでリリーは自分で編んだ毛糸のショールを膝掛けにしていた。
山林を通る間馬車は不規則に揺れている。向かいのクラウスは悪路にも慣れたものでうとうとと半ば眠っている。
「あ……」
することもなく窓の外を眺めていると延々と続いていた杉の木立の合間に城が一瞬だけ見えた。
「どうした?」
クラウスが目を開けてリリーはもう見えない城を思い出しながらもしかしてと思う。
「城が見えたんだけど、ルベランス城かしら」
「ん、ああ。この辺りで見える城ってそこじゃないか? そうか、しばらくそこにいたんだよな」
ゼランシア砦での戦の後、拠点としていたモルドラ砦が崩落していたのでハイゼンベルク軍は近くのルベランス城に滞在していた。
(あそこで結婚式、したの)
口に出しかけた言葉は声にはならなかった。ふたりだけの一番大事な思い出を誰かに話す気持ちにはやはりまだなれていなかった。
「……シェルもしばらくいたのよね。ひとりでどうしてるかしら」
リリーは代わりに首都に残っているシェルのことを話題に出す。
「いつも通り資料に埋もれて考え事してるだろうな……。ここまで来たら予定の居留地まで半日ぐらいって所か。朝までにはさすがにつくか……」
そう言ってからクラウスがあくびをする。どうやらまだ眠いらしい。
「道が悪いのによく寝られるわね」
「俺にはちょうどいい揺れだな。かえって夜の野宿の方が寝られない。だから今、ちょうど眠い、頃合……」
喋りながらクラウスがまた舟を漕ぎ始めたので、リリーはそのまま寝かせておくことにした。
そしてリリーはまた窓の外に顔を向けて、木々が流れるのをぼんやりと眺める。もう一度城が見えることはなかった。
***
雹が降ってから六日。一時期革命軍が尻込みしていたものの、増援が到着するにつれて士気を取り戻していった。
雹の被害や三日前に雪がまた降ったこともあって両軍がぶつかったのは二度ほどだが、皇家軍はじわじわと兵を失っていっている。
朝から三度目の交戦となったこの日、ラルスは澄み切った青空を見上げていつもより今日は体が軽いとなんとなしに感じていた。
「皇主様、南からの手勢はこちらでやりますー。といっても四方八方、敵兵ばかりでなんともかんともですけどもねー」
砦から見渡す限り、平野は革命軍の白いローブで雪でも積もったかのように真っ白だった。
これが本当に最後となるだろう。
「好きに戦え。策、不要」
側に立って同じく戦場を眺めていたバルドが自分はそうすると言外に告げて身を翻し、戦に向かって行く。
「はー、最後の最後までお変わりにならないなー」
臣下達の忠誠心をついぞひとつも受け取らなかった主君に、ラルスは苦笑しながら自分も戦場へと足を運ぶ。
バルドは一足先に先陣を切って東側で雷の雨を降らしてる。圧倒的な力の気配は、自分が幼い頃より信奉してきた魔術の象徴だ。
バルドのあの人に左右されずにひたすらに力を暴れ狂わせる姿は、王と言うよりも神に等しいとさえ思える。千年にわたりこの島を支配したものの最後でありながら、原初に近い。
(忠誠と言うよりやっぱり信仰だなー。カイはさっぱりわかってくなかったけど)
ラルスは剣を抜いて身の内に流れる魔力をありったけ剣へと流し込んで、水流で敵を押し流す。
この力を失うことも、過去の遺物として形骸化していく様も見たくない。
斬っても斬っても次から次へと沸いてくる敵兵を退けながら、ラルスは退路も気にせず向かう先すら決めずに前へ前へと押し進んでいく。
周囲の味方達も全力でもって戦っているが圧倒的な数に次第に立っている数が減ってくる。
ラルスは周囲に味方の姿が見えなくなり、どこからともなく襲ってくる風の刃が皮膚を裂いても、炎が肌を舐めても歩みは止めない。
ラルスは剣を振るうと同時に魔術を惜しみなく使う。
攻撃の合間を縫って、剣先が脇腹を掠めるのを避けたものの、後に来た別の刃は躱しきれなかった。
背中から右肺が貫かれて、喉の奥から泡だった鮮血が溢れてくる。
両膝をつきながらもラルスは残る魔力を最後の力を振り絞って放つ。周囲にいた敵が大波に呑まれるのを見やりながら、ラルスは最後に空を見上げる。
雲ひとつない空に雷光が見える。
(最期に見えた景色がこれなら、文句なしですよ)
腹心であり父親と兄の中間のような存在であったカイの、後悔はするなという言葉を思い出しながらラルスはうっすらと微笑む。
そしてそのまま地に倒れ伏した。
***
懐かしく肌に馴染む雰囲気に包まれて、丘を上がるリリーの足取りも自然と速くなる。
昨夜遅くに駐留地について夜営の後、戦場となる平野を見下ろせる丘の上で戦況を見守ることとなった。革命軍の拠点の東南に位置する上にはすでに天幕が設置され後詰めの魔道士達が控えていて、なかなか平野の方は見えてこない。
「バルド、戦ってるわね」
「そうだな」
リリーが空に雷光が閃くのを見上げると、半歩前を行くクラウスがうなずく。そして頂上まで行くと、魔道士達がクラウスのために場所を空けて、やっと全てが見渡せるようになった。
「……すごい数だわ」
平野は革命軍のローブで真っ白だった。対する皇家軍は四分の一もいないかもしれない。圧倒的に数では革命軍が有利だ。黒いローブの皇家軍は海沿いに佇む古ぼけ今にも崩れそうなくすんだ色の砦の周囲に固まっている。
(いた)
東側で突出している白の中に一滴落とされた黒い点を見つけ、リリーは目を凝らす。
顔までは見えないとはいえ、思ったよりも近く持っている剣ですぐにバルドと分かった。
「リリー、水将、ついさっき討ち取られたってさ」
兵達の報告を聞いていたクラウスがそう伝えてくる。
「この状況じゃ、遅かれ早かれ全滅だわ……」
押し寄せる白に黒は瞬く間に砦の方へと押されて消えていく。
皇家軍の魔道士達は勝つためでも生き残るためでもなく、生き抜いて終わるために戦っている。誰がどう見ても間もなく壊滅するのは明白だ。
「バルド……」
ただひとり前に進んでいたバルドが敵を引きつけるためか砦へと後退していく。そうしながら彼はひたすら剣を振り回し、雷を撃ち戦い続けている。
(今、楽しい? きっと楽しいわよね)
バルドの姿からリリーは目を離さずに心の内で声をかける。自分もあの中へ剣を持って混ざりたいと思っても、両手には何もない。
南側の黒が消える。西側も砦の中へと退避していく。大勢を相手するなら狭い砦へ入った方が、まだ相手をしやすい。しかし迎え撃つにはあまりにも砦は貧弱すぎる。
「あと少しか……士気をあげにくる必要はなかったな」
クラウスが呟いて、リリーはバルドの姿が砦の方へと消えてしまうのに息を呑む。
歩き方が少し不自然に見えたのは気のせいではないはずだ。しかし大人しくバルドが砦で静かに終わりを迎えるとは考えられない。
自分ならどうするかとリリーは考える。
大勢の敵に突っ込んでいくか、それとも質の高い戦いを望むのならひとりかふたりを相手にするための狭い場所に移るか。
後者、だろう。砦を築いたのもきっとそのためだ。
自分の考えが合っているかどうか確かめる術はない。バルドの姿はもう見えない。
彼がどんな風に戦っているのか、どんな顔をしているのか、何を思っているのかここからではなにも見えない。
次に姿を見られるとしたら、その時バルドは自らの足で立ってはいないだろう。
「リリー。もう、十分だろ」
クラウスに遠慮がちに手を引かれてリリーは首を横に振る。その時、瞳から涙がこぼれ落ちた。
「まだ、終わってないわ」
バルドはまだ戦っている。だけれど、本当に終われていないのは自分だ。
伝えたいことを全部伝えきっていない。話したいことが沢山ある。きっと一生かかっても終われないぐらいに、届けたい言葉や想いがありすぎる。
バルドがいなくても歩いて行けると思っていたけれど、本当は違う。
心の隅で居場所さえ分かっていればいつでもまだ、バルドにまたいつでも会いにいけると安心していた。
だからこの数ヶ月新しい道を進みながらも、バルドに続く道をこっそりと胸の奥深い方へ自分の目からも隠してきた。
その道がなくってしまう。
「リリー!」
思わずクラウスの手を振り解いて丘の下へと駆け出しかけたが、今度は強く手を引かれて進めなかった。
「嫌なの。バルドがいない場所なんて、そんなのやっぱり無理よ」
涙を拭うことなく、リリーはクラウスを見返す。
「無理じゃない。上手く行ってただろ。これからだって、大丈夫だ。約束もしてきただろう。ちゃんと帰るんだ。……行かないでくれ」
聞いたこともないほど悲しい声でクラウスが引き止めてくる。
「上手く行ってたのは、バルドがいたからよ。また会えるってほんとうはずっと思ってた。絶対会いに行くって考えてた。カルラの事は大好きだし、炎将とだって今までよりいい関係になれると思うわ。新しい好きなことも、やってみたいこともできたわ」
けして、バルドと一緒にいることに比べて数ヶ月の間にできた友人や、新しい生活が軽いものではない。本当に自分にとって心の底から大事で愛しいと思えるものになり始めていた。
「クラウス、ずっと一緒にいられると思うぐらいあたしにとってあんたは初めての友達だわ。いっぱい、いろんな事をあたしのためにしてくれたこと、すごく感謝してる。だけど、あたしバルドがいないのだけは耐えられないの。お願い、バルドに会いたいの」
クラウスのことも、大切な人だと素直に受け入れることができてきた。
彼の自分に対する想いには応えられないけれど、一緒に過ごした七年は色々あったがいい思い出もあるし、よくない思い出も今は笑い話にできる。
「……連れてきたら、こうなるかもって考えてはいたんだよな。リリー、全部、捨てていっていくのか」
クラウスの手が緩む。
「捨てないわ。大事だもの、全部。ここにしまって持って行くわ」
リリーは自分の胸に手を置いて、笑顔を作った。
「そうか。リリーらしいな」
完全に手が離れて、リリーを無理矢理この場に縛り付けるものが消える。
「クラウス……カルラとか炎将とか、屋敷の人達とかにありがとうと、ごめんって伝えて」
約束を破ることを許して欲しいなんて言えない。だけれど感謝と謝罪だけは伝えたかった。
「わかった」
静かにクラウスがうなずく。
「ありがとう。じゃあ、行ってくる」
リリーはバルド目指して駈け出した。白いローブを纏って杖も剣も持たない自分を目に留めて危ないと告げる声を聞き流し、平野の兵達をかき分けひたすらに走った。
息がきれて、足がもう動かないというほどに駆け続けた。
いよいよ血臭が強くなる砦の前でリリーは一度呼吸を整えて再び走り出す。
細い廊下にはバルドに敗れたと思しき者達が無数に倒れている。生きている者も、事切れている者もいた。
もう戦っている気配はどこにもない。
リリーは間に合って欲しいと願いながら廊下の先にたどりついて、奥の開けた空間に剣を持って立っている人影を見つける。
「バルド!!」
名前を呼んで部屋に飛び込むと、血に塗れたバルドの姿があった。
「リー……」
驚くバルドの顔に微笑み返して、リリーは言葉を発するよりもバルドの胸へと飛び込む。
片腕で抱き返されてああ、やっぱり自分の居場所はここだと安心した。
***
戦って、ひたすら戦い続けて望む終わりくるのを、バルドは待っていた。
終わりの方になると、どんどん強い者達が挑んできてこれまでにないほどに楽しい戦となった。
じわじわと脇腹の傷から血が流れ出ていっている上に、闘争の高揚感に意識はふわふわとして地に足がついていない感覚だった。
だが、後もうひとりぐらいとは戦える。誰かもっと強い相手が来ればいいと待っていると、リリーが自分を呼ぶ声が聞こえた。
幻聴かと最初は思った。強い相手のことを考えていたから、リリーのことを思い出してしまったのかもしれないと。
実際に姿をみてもやはりまだ信じ切れなかった。胸に飛び込んで来た体を剣を持っていない片腕で抱いて、やっと現実だと認めた。
「何故」
どうしてリリーはここに来てしまったのだろう。朦朧とした意識は疑問は覚えても、答を出せるほど回っていなかった。
「うん。たぶん、バルドがあたしに見て欲しかったもの、見たと思うの。すごく素敵なもの。でもね、あたしここがいい。バルドと一緒がいい」
胸に顔を埋めていたリリーが顔を上げて、満面の笑顔を見せる。
「バルド、大好き」
そうして伝えられた言葉に、バルドは呆然とする。
戦って終わるつもりだったというのに、それを望んでいたというのに今、自分はとても満ち足りていた。
いや、しかし少し足りない。片腕だけでは物足りない。
だから剣はもういらいない。リリーを両腕で抱きしめて終われるなら、剣を握らなくてもいい。
バルドは剣の柄から手を離し望みを叶える。
「リー、俺も、愛している」
重たい神剣が石床に落ちる音と共に、バルドは告げる。
もう彼女以外本当に何もいらないと思った。
そして落ちた神器は淡く発光し、全てが白むほどの光を放ち地上から天へと雷が駆け上がる。
その稲光を中心にして島は暗雲に包まれた。
しかしそれは一瞬のことだった。細く枝分かれした雷光が黒い空を引き裂く。空を覆う大きな一枚の布が引き裂かれるようだった。
びりびりと島中を揺るがす豪音が消え去る頃には、再び雲ひとつない蒼穹が人々の頭上に広がったのだった。
***
一瞬の暗黒と雷鳴の後に、魔力を持つ人々は空を見上げるよりも、よりもまず自分の体を見下ろした。
今まで自分の身の内を流れていたはずの魔力が消え去ったのだ。
「あ……」
ちょうど外に出ていたカルラはこの世の終わりかと思う一瞬を経て、自分の胸に手を当てて瞳を潤ませる。
理由はわからないが、リリーはもう帰ってこないと感じた。
「やっぱり、行きたい場所に行ってしまうのね……」
カルラは親友の旅立ちを受け入れて涙をぬぐい、戦が終わったのかとどうなったのかと困惑する人々共に再び歩き始める。
***
主君は逝ってしまったと、マリウスはしばらく呆然としていた。
幼い頃怖れ、いつか誇りに変わった魔力が消え失せたことを受け入れるは容易いことではなかった。
「マリウス、始まるのよ。終わりではないわ」
一緒に茶を飲んでいた姉のヴィオラが優しく告げる言葉に、マリウスはゆっくりと胸に染み込ませる。
そしてそれは始めるしかないのだ明確な意志となっていった。
***
島の北西部の小さな村の片隅で、母子が手を繋いで自分達の体に降ろしていた視線をまた空に向けていた。
「本物の皇主様は天に帰られたのですね……」
「ええ。そうでしょうね。アウル」
母と子は、ディックハウトの皇主であったアウレールと生母のロスヴィータだ。
体調が回復し始めたアウレールを死んだと偽って自らも海に飛び込んだと見せかけ、乳母を頼り名前を変えひっそりと暮らしている。アウレールにも本当の父親のことを話した。
驚いていたがすぐに何もかもが腑に落ちた様子だった。
ずっと前にこうするべきだったのだとロスヴィータは思う。
「父上様にも報告しましょう」
そしてふたりはお互いに手をしっかり繋いで、村の隅にある戦没者の墓所へ向かった。
***
「皇太子殿下、終わりましたよ」
魔力が消え去ったことを感じ取りながら、花が綻び始めた墓所でエレンは亡き主に語りかける。
バルドは全てを壊してしまうかもしれないとラインハルトがいつか言っていたことは本当になった。
海がある東からの風が強く吹いて潮の香が濃くなり、答を返してもらっている気がした。そんな錯覚を覚えてしまってる自分が変におかしく思えて、エレンは小さな笑い声をもらす。
終わったけれども、自分はまだこれからだ。
魔術と皇家をなくしたこの島の行く末をここで見ていく。ラインハルトが見たかったものを生きる限り目に焼き付けて生きていく。
自分は生きていくのだと今やっと、なにもかも受け入れて歩いてけるとエレンは思った。
***
「リリー……」
クラウスは自分の掌を見つめて手放してしまったものの大きさを噛みしめる。後悔がないとは言わない。
ただ自分が好きなったリリーが彼女らしくあり続けたことはよかったと思えた。
終戦に沸く声は周囲はなく、誰かがぼそりと天に帰ったとつぶやく声が聞こえる。
魔道士達はもう魔道士ではなくなった。
当たり前にあったものを失ってはじめて喪失感に苛まれる。しかしもう新たな世界は始まってしまったのだ。
後戻りなどできない。過去を振り返ることはあってもけして同じ場所には二度と立てない。
「戦った全ての者に敬意と感謝を」
厳かにクラウスが声を発すると誰もが黙祷始める。嗚咽を押し殺した声も所々で聞こえた。
そうしてゆっくりと誰もが前を向いて次へと歩き始める。
皇家軍が拠点としていた砦は、あの天へ昇る雷と共に白く燃え瓦礫もわずかにほとんどが灰になってしまっていた。
とうぜんのごとく誰の遺骸も見つけることはできなかった。
見つかったのは折れた朽ちかけた神剣だけだった。しかし、魔術の消失と皇主の死は同じことだ。
残っていた杖も灰となっていて、贋の玉の欠片と共に全て皇家の墓所に納められた。
これによって千年続いた皇家の血脈は途絶え、島は新時代の夜明けを迎えたのだった――。