5-3
***
「……どうして起こして下さらなかったんですか」
日暮れ前になって起きたシェルがさめざめと訴えるのに、着替えるために自分の部屋に入ろうとしていたリリーは呆れる。
「悪かったわね。まさか今の今まで寝てるなんて」
クラウス達と食事をしてその後ヴィオラと剣を交えている間、シェルはもう起きて考えているだろうと思っていた。
「そうですね。日暮れ近くまで寝ているのは怠惰な人間がいるとは思いませんよね」
「なんでそんなにいじけてるのよ。神器のことわからなかったの?」
シェルが気を落とす要因はそれだろうかと訊ねる。
「いや、分かったんですよ。分かって一度は起きたんですよ。しかし、外出中だったので部屋に戻って気づいたら……」
どうやらシェルが落ち込んでいるのは分かったことをすぐに喋りたかったということらしい。
依頼したのは自分達とはいえ、面倒くさい男だとリリーは思わずため息を零しそうになった。
「今日は出立式があるから見に行くって言ってたでしょ」
「出立式……ああ、そう、でしたね……」
なんともばつが悪そうな顔をするシェルに、リリーはどう返していいのかわからず少し気まずい空気になってしまう。
「……春が近づいたらこうなるのは始めから決まってたことだもの。神器ももうすぐ壊すの。クラウスと一緒に夕食だからそこで教えて」
誰よりも戦を望んでいるのはバルド自身だ。それがもう勝てない戦だとしても、戦い続けて終わることを彼はもうずっと前から決めているのだ。
思う存分バルドが戦えることを、自分だって願っている。
だけれど、その果ては。
リリーは自分自身の思考に暗がりに突き落とされかけて踏みとどまる。
「あたし、着替えるから。夕食まで、寝ないで待っててよ」
リリーはシェルの返事も聞かずに自分の部屋に戻って、ヴィオラと剣を合わせるために着ていた使用人服から普段着のドレスに着替える。
その間も胸の奥からどうしようなく苦しい感情がせり上がってきて、必死に押しとどめる。
バルドは自分の思い描く生き方をまっとうする。強い将も多く出る。けして彼自身にとって悲劇的な結末にはならない。
だから悲しまない。自分は絶対に泣かずに受け止める。
そう思っても時が迫るにつれ、そうやって見送れる自信は減っていくばかりだ。
リリーは鏡の前にたって暗い表情をしている自分をねめつけて、髪を整え始めた。
***
ひととりの政務が終わった後、クラウスは夕食の席にシェルがいることを聞いて思ったより早く結論が聞けそうで安堵する。
「それで、神器を壊したらどうなるんだ?」
単刀直入に訊くと、シェルが一気に葡萄酒の杯を煽ってから話し始める。
「結論からいいますと、この島にかけられている魔術の効力は薄れるでしょう。まったく魔術が使えなくなるわけはないですが、今のように軍事利用するのは無理になるかと」
「それはありがたいな。戦に利用できなくなるだけでも十分だ。神器破壊するだけでそこまでの効果があるなら、ずいぶん脆いな」
皇家が主権を取り続ける限り意図的に破壊するということはないとはいえ、万一ということもある。
「千年経って綻びが大きくなってきてるからです。もっと初期であれば、それほど急速な影響はなかったでしょう」
「それでも魔術はちょっとは使えるのね。火をおこす程度なの?」
ウズラのの蒸し焼きを黙々と食べていたリリーが首を傾げる。
「規模としてはそうですね、暖炉に火をつける程度でしょう。水も一杯、雷は微弱。それだけあれば使い方によっては色々とできるでしょうが、それもゆっくりとさらに弱くなっていくはずです。理論などの解説などは……」
「わからないからいい。やっぱり、目下の問題は火葬か。今の魔術で一気に燃やすっていうのができなくなるのはなあ」
戦以外で利用している魔術でなくなると不便なものとして、そのことが議題に上がっていた。灰になるまで一気に燃やすことは難しくなるので火葬場を新たに整えるべきだと、場所や規模を議論しているところだ。
「なるほど。葬祭と魔術が密接しているのは興味深いですね。魔術を得て生まれた風習が、魔術の喪失と共に変化する。これはなかなかいい論文の題材になる。火葬は疫病対策に続けた方がいいということだけ助言させていただきます。特にこのような小さな規模の島ではなおさらです」
「……ねえ、それ食事中に話すこと?」
リリーがうんざりした顔をして、クラウスとシェルはそれぞれまだ手をつけていない料理を見つめてそれもそうだとうなずいた。
「とにかく、派手にやりあうことがなくなるのは助かるな」
まだ魔術を使う者がいても大きな害にならないのならいい。ゆっくりとこの島は魔術を捨てていく。元々魔道士自体の数は減っていて、貴族以外はそれこそ葬儀の時ぐらいにしか恩恵がない。
後は戦の巻き添えを食うだけだ。
「その分、戦争が民衆も武器をとる時代が来るでしょう。現在の状況では大々的な戦争はないでしょうが……」
クラウスの思考と同じ所を辿ったのか、シェルがそんなことを重々しく言う。
「大陸の魔術のことは興味ないけど、統治や歴史は話は聞いときたいな」
閉鎖されたこの島ではまったく新しいことだとしても、広い大陸では似たことがあるなら知っておくに損はない。
「ええ。そういうことでしたら、お世話になっているお礼にお話しさせていただきます。リリーさんも一緒にどうですか?」
そこはかとなく嬉しそうな顔をするシェルに、リリーが首を横に振った。
「あたしはそういうの苦手だからいいわ」
心底興味なさそうなリリーの皿ははナイフとフォークを動かしているのに、あまり料理が減っていないことにクラウスはふと気づく。
「リリー、口に合わないか?」
「ん、美味しいわよ。……あんた達が変な話するからよ。ちゃんと、全部食べるから」
リリーの食事の進みが悪いのは、そればかりではないだろうが。
「しかし、このお屋敷の料理は本当に美味しいですよね」
シェルが気づかっているのか、ただ率直に感想を言っているのかわからない口調でしみじみと夕食を口にする。
食事の間、誰も北での戦のことはほとんど無意識のうちに話題にあげることはしなかった。
***
バルドは砦の最上階の窓から何もない平原を見渡す。昨日一瞬冬が戻ってきてうっすらと雪が積もったものの、灰色の空の隙間から差し込む陽光がすぐに溶かしてしまうだろう。
「やはり東側に『剣』を多数配備しているようですよー」
物見の報告を持ってきたラルスの報告に、バルドは静かにうなずく。
東側の補強が整っていないという話を流した件は上手くいったらしい。だが。西からも南からも続々と革命軍やってきている。
雪の影響でどうやら東側の部隊はまだそろっていないらしいが、各方向から集まっている敵の数はこちらの倍近くになっている。
有利に戦を進めるというより、できる限り自分達が長く戦えるための下準備といったところだ。
「西と南はまとめる」
ばらけてこられるよりはある程度固まってくれた方がやりやすい。そのために兵を動かす算段を進めることにした。
「ではもうそろそろ、軍議を始めましょうかか。みなさん、退屈し始めているところですからね-」
バルドに異論はなく下の階の広間へとラルスと共に移動する。
すでに多くの指揮官ら集まり、長卓に広げられた布陣図を眺めながら議論を交わしている。
人の感情を察することが苦手なバルドでもはっきりと分かるほど、彼らは楽しそうだった。
負け戦に挑む絶望感は微塵もなく、戦に胸を躍らせて意気揚々としている。
それはバルドも同じ事だが、彼らと共感することはできなかった。
戦を彼らはしたがっているが、自分はただ戦いたいだけなのだ。
軍略を立て兵を率いるよりも、たったひとりで剣を振るいたいのだ。そのどうしようもない本能を分かち合えたのはリリーだけだった。
大きな戦があるのに戦えないことをリリーは今、どう思っているのだろう。
終わりが近づくにつれてリリーのことを考えてることが多くなっている気がする。
今、一体何をしているのか。誰と過ごしているのか。何を思っているのか。楽しいことは幾つか見つけただろうか。笑うことは増えているのだろうか。
自分のことを思い出してくれているのか。
(時々、でいい)
自分のことを全部忘れて欲しいとは言えないし、思ってもいない。残した思い出をたまに懐かしんでくれたらいい。
「皇主様」
声をかけられてバルドは指揮官らの話を順番に聞き、自分の意見も間に挟んで軍略をまとめていく。
報告から上がる敵将の中に見知った者もいれば、一度剣を交えてみたいと思っていた相手もいて俄然期待が膨らむ。
早く、戦いたい。
バルドは静かに闘争心を燃やし、一時の間リリーへの想いを胸の奥に仕舞い込んだ。