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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
110/115

5-1


 洗濯籠を抱えて中庭に出たリリーは陽射しの暖かさが気持ちよく、目を細めて春の気配を体一杯に感じる。

「もうちょっとあったかくなったらいんだけど、まだ先かしらね」

 暑くもなく寒くもない陽射しが心地いい季節が待ち遠しいリリーは、まだ花はもちろん蕾すらついていない花壇を眺めながらつぶやく。

 時の流れに流されるままでなく、待ち侘びる先ができてきた。目覚めて頬が濡れていることもない。

 中庭の隅にある囲いをされた物干しで自分の洗濯物をのんびりと干していく。昨日マリウスが戦から帰還したので、ヴィオラから今日の午後にお茶の誘いがきていたので出掛けるつもりだ。

 今日は屋敷の仕事も使用人達で十分ということで、茶会まではこれといって急ぐ予定はなかった。

「せっかくだから、外で繕い物しようかしら」

 長椅子の上で暖かい紅茶を側に置き、古いドレスの身頃を整えるのも悪くなさそうだ。しかし、私物の整理も少ししておきたい。

 屋敷を出るのはまだ先だけれど、荷物はできるだけ少ない方がいい。

 元よりあまり自分の持ち物は少ないので、時間もかからなさそうなので茶会までに両方できるかも知れない。

 洗濯物を終えたリリーは次にすることを考えながら、部屋へと道を引き返す。

「ほんと、いい天気」

 帰りは視界を塞ぐ樹木や建物が少ない方向に向かって歩くので、ことさら澄み切った青空が広々と見える。

(……そっちも、いい天気?)

 リリーはもう戦を始める準備を整えているだろうバルドに胸の内で問いかける。

 雪解けの頃に革命軍は仕掛ける。その前に皇家軍が動くかもしれない。

 戦をするなら晴れの日がいい。そしてほんの少し寒いぐらいだともっといい。動いているうちに暑さを感じるぐらいが、心地いいのだ。

 北の方はここより寒いだろうから、きっといい戦日和になっている。

 まだ北で戦が始まったという話はきかない。だけれど、始まるのは遠い先ではないだろうと、リリーはそわそわとした気持ちを深呼吸で宥めた。

 

***


 雲ひとつない空にハイゼンベルクの旗が閃く。

 修復が一通り終わった砦の上に立てられた旗は開戦の合図だった。奇襲でも強襲でもなく儀礼に乗っ取った戦の始まりだ。

 砦を出た一万余りの軍勢が雪がまばらに残る平原をを一糸乱れず行軍し、砦よりやや離れた所で敵を待つ。

 対する革命軍も近隣の駐在部隊をかき集め、皇家軍が見える場所まで進軍する。

 最前列に立つ互いの将の顔がぼんやりと分かる距離で、黒のローブを纏う皇家軍と、白のローブを纏う革命軍のふたつの群が向かい合う。

 皇家軍の将であるバルドが先に神剣を抜いて高々と掲げる。

 革命軍の将も、剣を抜いて応じる。

 声もなく、両者が剣を振り下ろす。

 彼らの後ろに控える魔道士達が一斉に動き出し、あっという間に白と黒が混ざり合っていく。

 バルドはあらゆる熱を含んだ風が横を通り過ぎて行くのを見ながら、補佐役であるラルスと戦況を眺める。

「向こうはまだ数がないですねー」

「……こちらはこれで全て」

 多勢に無勢というほど兵数の差があるわけではないのは、この場だけの話だ。背後にはまだ多くの兵が控えている。

「まあ、今回は、まだ挨拶程度ですからねー。さあて、行きますか」

 ラルスが緊張感の欠片もなく混戦する中へと駆けていく。バルドは無言で見送って混ざり合っていた白と黒が再び別れていくのを待つ。

 ラルスを筆頭にして皇家軍は敵兵をみっつほどの塊になるように誘導していき、バルドは追い込まれた羊の群と化した革命軍に雷撃を落とす。

 一挙に敵兵の数が減る。

 効率はいいがつまらない。

 バルドは攻撃に怯んで後ろへ下がっていく革命軍を見やり、密やかにため息をついて前へと出ていくものの先に革命軍が撤退を選んだ。

 勝利と言うには手応えがなさすぎる。

「皇主様ー。こちらも引きますか?」

 後退してきたラルスが指示を仰ぐのに、バルドはうなずく。

「深追い、不要。撤退」

 ものの一刻もかからなかった初戦に、味方の兵達も拍子抜けしている様子だった。とはいえそう時間がかからないとは、事前に予測はしていたのだ。

 あくまで首都に控える本隊をこちらに招くための前哨戦にすぎない。

 バルドは兵らを引き上げさせながら、首都の方角を振り返りかけてやめる。

 自分が見ようとしていたのはやがて押し寄せてくるだろう大軍なのか、捨てきれない未練なのかわからなかった。 


***


 皇家軍進軍、駐留部隊壊滅という報告が首都に届いたのは二日近く後だった。夜明け前にクラウスはその一報に叩き起こされて、議事堂と名を改められた元王宮へと向かっていった。

 そのことをリリーが知ったのは、夜が明けてから朝食を厨房に取りに行った時だった。

 使用人がクラウスが朝早くに出て行ったことを告げただけで、理由は知らなかったがリリーはおそらく戦がとうとう始まったのだろうと、察した。

「勝ったのかしら、負けたのかしら……」

 駐留部隊の数はさほど多くはないとは聞いている。数がそう多くないのなら、簡単にバルド達が負けるはずもない。

 詳しい事を知っているクラウスが屋敷に戻ってくるのはまだ先になるだろう。

 リリーは朝食を黙々と呑み込んで、後は上の空で何をする気にもなれなかった。しかし今日は廊下の拭き掃除を手伝うことになっていたので、動かないわけにもいかない。

 使用人服に着替えてリリーはクラウスが戻ったら教えてほしいと他の使用人に頼んで、モップを片手に予定をこなすことにする。

 だが延々と続く長い廊下を拭きながら、どんどん気持ちが焦っていく。

 今、どこで、何がどうなっている。

 バルドはどうしているのか。

 自分の手が止まっていることに気づいて、リリーは口を引き結んで作業に没頭しようとする。だけれど考えないことを意識すると、余計に考えてしまう。

「リリー」

 昼食前になって、二階部分の掃除を終えたリリーの前にクラウスが現れた。

「始まったの?」

 それとも、もう終わってしまったのか。

「始まった。駐留部隊は壊滅状態。明後日には本隊を出す」

 クラウスがあまり表情を動かさずに返答する。

「そう。とりあえずは勝ったの」

 安堵に膝から崩れ落ちそうになるのを、リリーはこらえながら顔を強張らせる。

 今、勝ったからといってそう遠くない内に負ける。本隊が出れば一万弱の皇家軍はそう長く持ちこたえられるはずがない。

 今からこんな調子で、その時がきたら自分はどうなってしまうのだろう。

 急にこれまで抑えてきた不安や恐怖が吹きだしてきてリリーは固まってしまう。

「リリー、昼、一緒に食べるか」

 クラウスが近づいて来て、ためらいがちにモップの柄を固く握りしめすぎているリリーの手に触れる。

「……今、あんまりおなかすいてないから」

 リリーは力を込めすぎていた拳を緩めて、クラウスから一歩距離を取る。

「食べなくてもいいけど、とにかく一緒に座って落ちいて話したほうがいいだろ」

 誰とも一緒にいたくないと思う反面、今、ひとりきりになって自分と向き合う覚悟もなかった。

 リリーは弱々しくうなずいてその場を片付けてから、クラウスと食堂に行く。

 食事は出されたものの、とても手をつけられる気分ではなかった。

「……つまらないわね」

 戦の様子をクラウスから聞いて、リリーはぽつりとこぼす。

 呆気なさすぎてバルドは物足りないと思っていることだろう。だからこそ本隊の到着を彼は待ち侘びている。

「思い切り暴れられてないからな。でも、こっちも将軍が何人か出る。きっとさ、バルドは好きなだけ戦える」

「うん。それなら、楽しいわね。バルドは強い相手と戦いたいだろうし」

「こっちも全力でやる」

 クラウスが答えるのに、あとひと月もないのかもしれないなとリリーはぼんやり思う。

 待ち侘びる春に、バルドはいない。

「リリー、今日の所は屋敷で仕事するから一緒にいてくれ。今、ひとりにしときたくない。それに、なんにも知らないより、知っておきたいだろ」

 クラウスが心配そうな顔を、リリーは見上げる。

 確かに、何も状況がわからずひとりで悶々とするよりはすぐに情報を得られる方がいいと思えた。

「……邪魔にならない?」

「ならない。人の出入りが少しあるかもしれないから、着替えて俺の執務室にだな。その前に、少しでも食べておいた方がいいな」

 クラウスがパンと魚のスープを示して、リリーはスープだけ一匙飲む。

 だがそれ以上は喉を通らなかった。


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