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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
107/115


 ひとつ歳をとったからといって、自分自身が何か変わった実感はない。

 リリーはさして代わり映えのない毎日をあいかわらず過ごしていた。使用人服から日常着のドレスに着替えて外に出ると、いつもより魔道士が行き交う姿が多く見られた。

(戦の準備かしら)

 慌ただしく張り詰めた空気は、馴染みのあるものだ。このごろは日中の寒さがいくらか和らいできている。北も暖かくなってきているのなら、そろそろ雪解けが近いかもしれない。

 クラウスもこの頃忙しいらしく、ほとんど顔を見ることもなく会えば疲れた顔をしている。忙しいと愚痴を零すことさえしないので、自分にはあまり話したくない戦のことだろうとは薄々感じている。

 市にでると、相変わらずの賑やかさだったが耳を澄ませば人々の噂話が入ってくる。

(南?)

 果物を並べる店の前で、南側で小競り合いが起きて行商がしにくくなっているという声が聞こえた。情報を得ようと歩調を緩めてあれこれ話を拾っても、北側ですぐに戦が起こりそうな前兆はなさそうだった。

(領地の管理で揉めてるのね……)

 クラウスも少し前に新政府によって領地の所有権が世襲ではなくなっていくことで、しばらくはごたつく事態が起こるだろうと聞いた気がする。難しい話は苦手なので、よくはわかっていない。

(北じゃないんだ)

 皇家軍との決戦というわけではないことに、リリーは無意識のうちにほっとしながら目当ての卵と海老を探し始める。今夜は新政府の中枢にいる者達を招いての夕餉だそうだ。

 無論ただの居候であるリリーは出席はしない。今日はこの夕食会の準備の手伝いが主な仕事だった。

「これと、あとこれと、んー、あとはこっちとこっちお願いします。」

 大振りの海老を十匹選んで、リリーは籠に入れる。後は卵を十個。人混みを分けてリリーは卵売りをなんとか見つけ出す。

 すでに何人か客がいて必要な数を揃えられるか悩ましいところだと思っていると、客のひとりがエレンであることに気づいた。

「あ、こんにちは」

 声をかけるとエレンも会釈を返しながら、リリーの手提げ籠の上に被せた布の端からのぞく海老に目を留める。

「厨房の買い出しですか?」

「はい。今日は夕食会だから準備してるんです。……すいません、十個ありますか?」

 エレンがふたつ買った後、リリーもなんとか必要数を確保する。

「何かと、慌ただしい時期ですからその集まりでしょうか。南での諍いが大きくなって近々出兵だそうですね」

 世情に詳しいエレンに問われてリリーは曖昧にうなずく。

「市を歩いていたらそういう話、してました」

「北への出兵が近いことは?」

 リリーは一瞬言葉を詰まらせて、エレンを見上げる。

「もうすぐ、なんですか……?」

「今度の南での内紛が大きくなったのも、そのためとも言われています。北までついて行けなかった皇家派が革命軍への足止めを始めたのではとは、と。しかし、潜んでいる皇家派をいくら合わせても、兵力差がありすぎますから……」

 勝てる見込みもなければ、皇家軍の敗北も止められるものでもない。

「死に場所がほしいだけなのね」

 リリーのつぶやきにエレンの返答はなかった。

「……灰色の魔道士は今もいるのですか?」

 身の置き所のない居心地の悪さに気が重苦しくなっていると、エレンが話題を変える。

「いますよ。あたしにかけられてる魔術も改めて調べながら、よくわからないことばかり喋ってます」

 シェルは日々部屋を散らかしながらグリザドの足跡を追い続けている。時々関を切ったように喋り出して、こちらが全く話についていけずにぽかんとしていると失望した顔でため息をつく。

 大陸の本当の魔術という物をまったく知らないので、わかるわけがないではないかと毎回理不尽に思うのだが、喋りたくて仕方ないのだろうとこの頃は何もかも聞き流している。

「まだ何も解明されていないということですか」

「少なくともあたしが理解できることはなんにもないです。あ、皇祖様は永遠を望んだわけでじゃなくて、終わりの方が重要だったのかもって話してたかしら……」

 断片的に覚えているのはそれぐらいだった。

 人為的に魔道士を作り上げることと同時に、魔術を永続的にかけることが重要というのがこれまでの見解だったが、永久機関は存在しないという覚え書きを見つけたことによってこの定説は完全に覆されただとかなんとかそういう話だった。

「終わり、ですか。そうかもしれませんね。永遠に続くものなど、どこにもないのでしょう。皇太子殿下も命を永らえさせることを望んでいましたが、ただ生きるだけが目的ではありませんでした。成し遂げたいことを成せずに無為に生を終えたくはなかったのです」

「……意味がなく生きたってしょうがないか」

 戦場を死に場所に選ぶ人間は、戦でしか生きる意味を見いだせないからだ。自分もそうだった。

 だけれど今のこの生き方を、自分は意味のないものだとはもう思えなかった。

 せっかくできた友人のカルラは大事で、あたらしいことを始めてみることも、自分のできることを模索していることも無駄なこととは思わない。

 祖父にももっと自分から歩み寄って行きたいとも思う。クラウスのことはこの先関係が変わるとは今の所全く考えられないが、できることならこのまま友人として付き合えるならそうしたい。

 戦場でなくても自分は生きていける。このままなら、最期に満足はなくても後悔することもなさそうだとも思う。

(でも、なんだろう。やっぱり、変なかんじがする)

 胸の奥で燻っているこの感情はなんだろう。

 押さえきれない何かがあるのを、自分は必死で押さえつけて蓋をしている。手を放して覗き込む勇気がわかない。

「すみません、お手伝いの途中でしたね」

 エレンに言われて、時間に余裕は持ったもののあまりのんびりしすぎてもよくないとリリーは気持ちを切り替えてエレンと別れて屋敷へと引き返す。

 体を動かすことを意識し始めてから上り坂で息切れすることはなくなっていた。


***


 夕食会の準備がすみ、来客がやってくる時間になるとリリーは大広間のすぐ側の部屋まで呼び出された。

 来賓であるジルベール姉弟が顔だけでも見たいということだった。

「まあ、リリーちゃん使用人をしているのは本当でしたのね」

 少年用の使用人服を着たリリーを見たヴィオラが、扇子で口元を覆いながら驚く。

 さすがにこの格好では失礼だろうとはリリーも思ったのだが、時間もあまりないのでそのままでいいと言われたのだ。

「住ませてもらってるので……」

「まあ。まあ。でもその方がクラウスに気兼ねしすぎないでよろしいかもしれませんわね。男の子の服なんて、可愛らしいこと!」

 ヴィオラが今にも抱きついてきそうだったので、リリーは一歩だけ後退った。

「あたしは、このとおり上手くやってますから……特に大事な話があるっていうわけじゃないですよね」

 本当に顔を見に来ただけなのだろうかと、リリーはヴィオラの後ろ手無言で立っているマリウスへと何気なく目をやる。

 なんとなく彼は物言いたげな雰囲気だった。

「わたくしはリリーちゃんに会いたかっただけですけれど、マリウスが直接報告したい話がありますのよ」

 ほら、とヴィオラがマリウスを前に出す。

「……この度、マーキル地方の内紛の鎮圧の指揮をとることになった。革命軍として、皇家軍を討つ」

 彼は一体、自分にそれを伝えるのだろうとリリーはきょとんとする。

「そう、ですか。ご武運を」

 リリーは当たり障りない返事をするが、マリウスの方はさらに深刻な顔つきになってしまった。

「裏切り者と思わないか」

「ジルベール、様が選んだならいいんじゃないですか。あたしは皇家に忠義を尽くしたわけじゃありませんから、昔から離叛者が出ても裏切られたと思ったことはないです」

 本音で答えると、マリウスがなんともいえない顔をして考え込んでしまった。

「…………そうか。戦を終わらせる、その助けを自分はしたい。言い訳に聞こえるだろうが」

 マリウスが言葉を選んでいる中、リリーはなんとなく彼の気持ちが掴めた。

「いい、死に場所を。そういうことですね」

 戦場で終わることを望むかつての同士達に彼は、こういう形で報いたいのだろう。

「ああ。……すまない、きっと私はアクス殿を通して、皇主様にお伝えしている気持ちでいる。わずらわせてすまなかった」

「わずらわしいことはないです。わからないことも、ないですから。あたしは、あたしでなんとかやってます。前に、進んでると思います。……前に進むことは後ろめたいことじゃないって……」

「そうか。そうだな」

 自分の思いを言葉にするのはやはり難しい。それでもリリーとマリウスは、ぼんやりながらもお互いを理解し合った。

「ああ、よかったですわ。リリーちゃん、この子もこれで気持ちが晴れますわ」

「ちょ、ドレスが汚れますよ!?」

 不意打ちでヴィオラに抱きつかれて、リリーは驚く。

「姉上、ご迷惑です」

 マリウスがヴィオラの肩を掴んで引き離す。

 ふっと、マリウスがヴィオラのローブのフードを引っ張って止めていたことを思い出す。水将補佐のカイも、そして自分も世話の焼ける上官のフードをひっぱていた。

 もうずっと遠い昔の出来事に思えた。

 カイは死んで、自分もバルドともう一緒にいない。

 だけれどこの姉弟は変わらないだろうと思うと、嬉しいという気持ちに似たものがわいてきた。

「じゃあ、もう行きますわね。マリウスが戻って来たら、堅苦しくないお食事でもうちでいたしましょう」

 ヴィオラがマリウスと去って行く後ろ姿を見送って、リリーは変わらないもあるのも、悪くないと微笑んだ。

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