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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
106/115

3-5


*** 


 十八度目の誕生日の朝は、憂鬱な気分だった。頭からすっぽり被った毛布から顔を出すと冷気が頬を刺して、起き上がるのに相当の決心がいった。

 それでもとっくに夜明けは過ぎているので、体に毛布を巻き付けたままリリーは部屋履きをつっかけて、暖炉の前へと急いで体が暖まってきても気持ちはなかなか浮き上がってこない。

 夢見があまりよくなかった。どんな夢だったかは覚えていないが、悪夢ではなかった。

 なのにこんなに心が重たいのはむしろ目覚めたくないぐらいに、心地いい夢だったからだろう。

 リリーは暖炉の灯をぼうっと見つめながら、揺らめく炎の中に燃えつきていく花々の残像を見た気がした。

 それはきっと結婚式の後にふたりでくべた花たち。

「……朝食、シェルの分も」

 リリーは思い切って毛布を寝台の上に戻して、少年用の使用人服に着替える。

 シェルはしばらく屋敷に滞在することになり、少しずつ運び入れた資料を部屋に籠って見ている。

 着替えると幾分か体を動かす気にもなって、リリーは厨房へとのろのろと進んでいく。

「おはようございます。朝食、いただきます」

 いつもどおりほとんど仕度のすんだ厨房で、パンにハムとチーズを挟んで、鍋の玉葱のスープを椀に入れる。それをふたり分できると盆に乗せてまた引き返す。

「シェル、入るわよ、いい?」

 気の抜けたかすかな返事があって、リリーはそっと部屋に入る。寝台や机の上に書類が山積みになり、シェルは長椅子の上で横になっていた。

「……おはようござ、います……?」

「そうよ、朝。机の上に朝食置いておくから」

 どうやらまだ半分眠っているらしく、シェルからはくぐもった返事がした。リリーは机の上の書類を隅にまとめて朝食を置く。

「ああ! そうか!」

 唐突にシェルが飛び起きて、リリーは驚いて肩を跳ね上げた。

「何?」

「ずっと、人為的に魔道士を作るということの根底に、ザイード・グリムのいかな思想があったのかわからなかったんです。定説は魔術の繁栄や永続性に対する実験というのがあったのですが、ここが違うのです! 記録を見ていると魔術を持つ者持たざる者の差異に注視しているのですが、この定説を一度忘れれば違う物が見えてくるはずです。そうか。あ、リリーさん、おはようございます。いつからそこに?」

 自分でさっき挨拶をしたことも覚えていないシェルが、リリーを見てきょとんとした顔をする。

「部屋に入る前も、入った後も返事したじゃない。魔術を解く手がかりが見つかったの?」

「とっかりを見つけたというべきでしょうか。おいしそうですね。いただきます」

 シェルが朝食を目に留めたので、リリーはそのまま一緒に朝食をすませることにした。

「とっかかりが見つかったってことは、早い内になんとかなりそうなの?」

「いや、あまり期待されると困るのですが。魔術を解くことに、かけた魔道士の人となりや思想というものが色濃く反映されるものです。だから、彼を知ることは重要なてがかりなのです。ああ、あたたまりますね」

 シェルが玉葱のスープを飲んで、ひと息つく。

「そう簡単にはいかなそうね」

 リリーはがっかりしながらチーズとハムを挟んだパンをかじり、部屋中に広げられた資料を眺める。千年前に生きていた人間のことを知るには少なすぎるのか、十分すぎるのかもわからない。

「いや、必ず見つけて見めせます。ここまで来たなら、やりとげないと気がすみません」

 シェルが拳を握りしめて言うことに、いつになるのやらとリリーはため息をつく。

 だけれど時間はまだ有り余っているので、焦ることもない。戦が終わった後でなければ、混乱をきたすので実証もできないのだ。

(バルドがいなくなってから)

 リリーは死ぬという言葉を無意識に避けて考える。

「あ、リリーさん、今日はお誕生日ということになってましたね。おめでとうございます」

「……ありがとう。晩餐は美味しい物いっぱい食べられるわよ」

 ついでなので夕食にはシェルもいることになった。

「いやあ、本当にこのお屋敷の料理番は素晴らしい腕です。しかし、今日も誕生日だというのに使用人のお仕事を?」

 リリーの格好を見てシェルが首を傾げる。

「それとこれとは関係ないわよ、どうせやることないから、今日はいい天気だから敷布を干すの。あんたのも出すから、上に置いてる物はよけておいて」

 なにもしないというのは、自分にとって苦痛だ。編み物ももちろん楽しいしショールを仕上げたいが、体を動かすことだってしたい。

「はあ。わかりました。食事が終わったら出しますね」

 そしてリリーは朝食の片付けをしに厨房に行った後、古書の埃を被ったシェルの寝台の敷布を持って他の使用人達と使っていない客室の敷布を集めて中庭で日干しする。

 真っ青な空の下、冬の乾いた冷たい風に白い敷布が数十枚はためく光景は、朝の憂鬱な気分が取り払われるほど心地がよかった。

 

***


 日暮れ前に敷布を取り込むと、リリーは慌ただしく着替えをする。淡い青のドレスを着て、髪は結い上げて夜会というほどでもないが普段着というわけでもない装いだ。

 カルラにも来てもらうので、客をもてなすのにある程度はきちんとした格好をしておきたかった。

「んっと、これでいいわね」

 姿見の前でくるりと回って、おかしな所がないか確認してリリーは向かいの部屋にいるシェルに、夕食の時間だと告げる。

「おや、今晩は綺麗な格好をしているのですね。はあ、こうしてみるとなかなか普通のお嬢さんですね」

 リリーを見ながら、シェルが褒めているつもりがあるのないのかわからないことを言う。

「友達がわざわざ祝いにきてくれるんだから、綺麗な格好してないと失礼じゃない」

「なるほど。しかし、お祝いの品など一切用意していないのですが、よろしいのでしょうか」

「いいの。欲しい物なんてないし……」

 誕生日をバルド以外に祝われることに慣れていないので、どうにも落ち着かない。

 使用人達にもさらりとおめでとうと言葉をもらった。使用人でもないのに屋敷のことを手伝っている自分を最初は扱いづらそうにしていたものの、今では少し慣れてきた雰囲気ではあったものの祝ってもらえるとは思わなかった。

 お決まりの挨拶としても、やはり祝われるのは戸惑ってしまう。

 そうして大げさな晩餐会を開くのとは別のこじんまりとした食堂に入ると、すでに多くの料理が並べられてた。肉類は鳥の香草焼きだけで、後は貝のスープやムニエルなど魚介類が多いのは、リリーの好物だからだった。

「本当に、すごい。ありがとう……」

 リリーは食卓を見て感嘆しながら、先に席についているクラウスに例を言う。

「今回の俺の贈り物はこれだけだからな。リリー、おめでとう。あ、ご希望の林檎のパイは食後にな」

 クラウスが向かいの席を勧められるままに、リリーは席につく。よく見れば四人分にしては少し控えめな量なのは、きっと後にくるパイのためだろう。

「今晩はお招きありがとうございます。リリー、おめでとう」

 そうして、最後にカルラがやってきてリリーは立ちあがる。

「うん。来てくれて嬉しいわ。座って。あ、こっちはシェル。知り合いで屋敷に泊まってるの。話は食べながらしよう」

 リリーはカルラを自分の隣の席に促しながら、ついでにシェルを紹介するとふたりが軽く挨拶を交わす。

「あ、リリ-、これ。お祝いの贈り物。時間があればもう少し他の物も用意できたんだけれど……」

 カルラが手に持っていた包みを差し出した。

「ありがとう。開けていい?」

 とても大事に受け取ったリリーは、カルラが緊張気味にどうぞと返事をしてから黄色いリボンを解く。

 包みを開けると白い花が一輪あった。繊細なレースの花びらで作られた花飾りだった。

「綺麗……もしかして、カルラが作ってくれたの?」

 丁寧な作りに感動しながら訊ねると、カルラが照れくさそうにうなずいた。

「あまり時間がなかったから小さめだけれど、ドレスにも髪にも飾れると思うの」

「すごく素敵。大事に使うわ。本当に、綺麗。カルラ、すごいわ」

 仕事の合間に作ってくれたことを思うと、感謝してもしきれない。

「よかった。喜んでもらえて」

 カルラが安心した顔をするのに、リリーは彼女の誕生日にこれに見合うだけのものが返せるのか今から心配だった。

(……先のこと、考えてる)

 そしてふっと自然と今後初めてできた友人の誕生日を祝うことを考えている自分に気づく。

 前に、きちんと進めているということなのだろうか。こうやって、歳を重ねて生きていくのかとやっと今までよりははっきりとした実感があった。

 実際、晩餐は楽しく過ごせた。友人達と美味しい料理を楽しんで、とびきり甘くいけれどほどよい酸味もある林檎のパイも想像以上に美味しい物で、明日の朝にはちゃんと料理番の人達にも礼をしなければと思った。

 楽しい夜だった。

 晩餐を終えてカルラを見送って、寝台に潜り込むまで暖かく優しい気持ちは続いていた。

 だけれど目を閉じると、忘れてしまっている今朝見た夢を見たいと望んでいいる自分がいた。

 夢の中にしかない幸せを、まだ求めている。

 リリーは首を横に振って固く目を閉じて、望みを振り払い眠りにつく。

 結局その日は、夢は見なかった。


***


 バルドはひとり固いパンと乾し肉を囓りながら、今日という日が過ぎていってしまうのをやるせない気持ちで過ごしていた。

(リーの、誕生日)

 去年は忘れていたけれど、今年はしっかり覚えていたのに肝心の祝う相手がいない。

 渡すこともできないのに、ひと月近く前から何を贈ったらリリーが喜ぶだろうと考えてしまっている自分がいた。

 今日は、誰かが祝ってくれているのだろうか。リリーの誕生日を知っているのはクラウスぐらいだが、どう過ごしているのか見当もつかかない。

 彼女が少しでも明るく笑える誕生日を過ごしていればいいのだが。

(明日、早い)

 バルドは古びた柱時計を見上げて、今日は早い内に床に入ることにする。

 例年よりは暖かいらしく、南側は少し雪が溶け始めている。このぶんだとあとひと月ほど後には戦が再開される。

 明日は周辺の様子を念入りに探る予定だ。

「……リー、おめでとう。おやすみ」

 寝床に入るとき、バルドは口にするか迷っていた祝いの言葉をつぶやく。

 この先、リリーが何度も歳を重ねていくこと思いながら、何十回分もの想いをこめてただひたすらに先に多くの幸せが訪れることを祈りながら――。


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