3-3
***
そして翌々日。リリーは厨房の片隅で木箱に座り黙々と芋の皮むきをしていた。
何度かやったことのある作業で、難しいこともない。刃物を持つことは少し前に許可されていた。こんな使い古した包丁では自分の血を塗りつけても魔術は一度か二度使うのがせいぜいだ。
「リリー、いるか?」
クラウスが厨房にやってきて、リリーは手を止める。
「何?」
「シェル・ティセリウスっていうぼやっとした胡散臭い若い男、例の灰色だよな」
そして意外な名前に目を瞬かせる。祖父の元に行ったはずの大陸の魔道士がいったいどうしたのだろうか。
「そうよ。もしかして来てるの?」
「ああ、やっぱりか。昨日から不審人物として拘束されてる。リリーの知り合いっていうから、一応俺に話が回ってきたんだ。じゃあ、すぐにこっちに呼ぶな」
「うん。頼むわ」
リリーはクラウスにそう答えて芋向きを再開する。
「リリーさん、お客様なら着替えた方がいいんじゃない? こっちはもういいから」
年嵩の使用人の女性が古びた少年用の仕事着を着ているリリーに話しかける。使用人用のドレスも動きやすいが、やはり屋敷中を動き回るには少年服の方が勝手がよかった。
「そこまでちゃんとする相手でもないんで大丈夫です。あと残りやったら失礼します」
リリーは作業を続けながら、シェルが落ち着いたらまたなどと言っていたことを思い出す。
皇祖の魔術について調べているというので、その件かもしれない。
(……それ以外に用はないわよね)
リリーは芋剥きを終えると前掛けを取って、自分の部屋に一度戻った。そして編みかけのショール造りを再開して時間をつぶしていると、クラウスがシェルを連れて戻ってきた。
「どうも、お久しぶりです……」
クラウスと一緒に部屋に入ってきたシェルが気まずそうな顔で頭を下げる。
「……久しぶり。爺様、元気?」
「はい。とてもお元気ですよ。あ、これをリリーさんにとあずかってきてます」
背負っている袋からシェルが取り出したのは胡桃だった。何か孫に手土産でもという意図らしい。
「そう。うん。ありがとうって伝えないとね……」
身内という実感が薄いリリーにとって、祖父からの贈り物は今までバルドからもらった時とはまた違った、嬉しいような面はゆいような不思議な感覚がした。
「で、間違いなく、これが大陸の魔道士なのか」
クラウスが不思議そうにシェルを眺める。
「クラウス、シェルの顔は見たことなかったんだっけ?」
思い返してみれば、シェルと最初に会った時はクラウスは味方側にいたので、顔ぐらいは見ていなかったのだろうかとリリーは首を傾げる。
「俺は、灰色の魔道士騒動に隠れて色々動いてたからなあ」
「ああ。そうだったわね」
シェルを捕らえてすぐにクラウスは砦を内部から崩壊させて離叛したのだ。その下準備も大詰めで、ハイゼンベルク内でも警戒されていたのでシェルの顔を見る機会がなかったのだろう。
「で、何しに来たんだ?」
クラウスが全員を長椅子に座らせながら、怪訝そうにシェルを見る。
「ええ、ザイード・グリム……あなた方の言うグリザドの手記が残っていないかと思って訪ねてきたのです。リリーさんにも、ご挨拶をとも思いまして。しかし、どこへ行けばよく分からず道行く魔道士にリリーさんのことを聞いたら、なぜか拘束されてしまったのです」
身振り手振りを交えながらシェルは早口で説明する。
「リリーがここに移送されたことを知ってて、街の外から来た魔道士なら不審者扱いされても仕方ないな」
「ねえ、魔力はそんなに回復してないの?」
シェルはグリザドの痕跡がある場所なら魔術で移動できるときいていた。しかし大量の魔力を消耗するらしいので、足りないのかとリリーは訊ねる。
「お爺様の所はやはり魔術的に特殊な場所なので、魔力の回復は早いです。しかし、大陸に帰ることを考えると無駄な魔力は使わないでいたほうがいいと判断したのです。実際、ここまでくるのに魔術は使わず、行商の馬車に乗せてもらって来たんですよ。で、リリーさんを預かっているのは、国家元首ということで王宮内に魔術文字が書かれたものなどがあれば見せてもらえないかと……」
言いながら、シェルがクラウスへ目を向ける。
「魔術文字っていうのは皇祖様が使ってた神聖文字だったか。王宮内の書庫はまだ誰も手もつけてないから残ってるはずだけど、俺よりエレンの方が詳しいだろうな」
ラインハルトはグリザドの残した神器について深く調べていたので、その側近だったエレンなら正確な場所も分かるかもしれない。
「では、見せていただけるということでよいのですね!」
シェルが表情を輝かせた後、我に返った顔でリリーを見る。
「あ、リリーさん、あの、隠し事をしていた件に関してはですね、本当に申し訳なかったと」
「いいわよ。それはもういいの」
バルドの選択に荷担したシェルを責めたところで何が変わるわけでもない。彼が協力しなくても、バルドの決断は変わらなかったはずだ。
「……今すぐに王宮に行けるわけじゃないから、今日の所は屋敷で泊まってくれていい。面倒だからリリーの向かいの部屋でいいな。少し話もしたいから、戻って来たら早い夕食にするか。とりあえず……」
クラウスがシェルの今晩の宿を決めて、リリーとシェルを交互に見る。
「ふたりで部屋で待っててくれ」
そして何やら納得した顔でふたりを残してクラウスは部屋を出て行った。
「いやあ、いい人ですね。しかもお若いのに、新政府の旗頭とはご立派だ……」
シェルがクラウスを褒め湛えて感銘を受けている様子に、リリーは思わず奇妙な物を見る目付きになる。
クラウスをまともに褒める人間を見たのは初めてだった。彼の悪い噂も普段の素行も知らなければこう感じる島民もいるのかもしれないと思うと、いたたまれない気分になる。
「クラウスは悪い奴じゃないけど、いい人でもないわよ。だいたいあたしに一服盛って砦から連れ出したんだから」
「ああ、そういえばそうですね。打算的な野心家……。ふむ。革命家というのはそちらの方がしっくりきますね」
「野心もたいしてなさそうだけど……」
全部、リリーのため。
クラウス本人やバルドから言われた言葉を思い出して、リリーは口を噤む。
あの面倒くさがり屋のクラウスが、国家元首などという面倒極まりない椅子に大人しく座っている理由の根拠を口にしてしまっている。
正直なところ、いまだにクラウスが自分のためにそこまでするのだろうかと不思議だった。
「なんだかよくわかりませんが、とにかくリリーさんは使用人とはいえ、待遇が良さそうでよかったです」
ほっとした様子でシェルがなんどかうなずく。
「使用人とも違うわ。居候させてもらってるからよ。爺様の所にある本は読み切ったの?」
祖父の屋敷の書庫にも大量の書物があった。過去に一度シェルは訪ねているので、全て読み切ることは不可能でもなさそうだが。
「あらかたは。お爺様からも改めて話を聞きましたが、これといった魔術を解く手がかりもなさそうでした」
「魔術、解く気なの? でも、あたしとバルドが一緒にいないと駄目なんじゃないの……?」
どんな魔術もかならず解く方法あるという。この島全体にかけられた、魔術を扱えるようにするための魔術を解くには、自分とバルドのふたりが必要なのではとシェルは仮説を立てていた。
「実際解けなくても、どういう仕組みなのか知りたいんです。もちろん可能であれば実証したいです。学者としての探求心です」
「解けるなら早い内に解いてもらった方がいいかしらね……」
魔術の解き方には興味はないが、魔術なしで自分がどれだけ戦うことができるのか。自分自身を支えてきた大きな力を失って何か変わるのかは今はとても知りたかった。
だけれど、バルドが必要ならば無理かもしれない。
「魔術を解くことに、ご協力いただけるということでよいのですね」
シェルが嬉しそうにするのに、リリーはうんとうなずく。
「そもそも、あたしの心臓が皇祖様のじゃなくて普通になるならしてほしいって言ったじゃない」
自分の意志を皇祖に操られているわけではないとわかったとはいえ、やはりよくわからない魔術のかかった他人の心臓が自分の中で動いているというのは気味が悪いのだ。
「そうでしたね。では、心置きなく探求に励みたいと思います……ところで、厚かましいお願いなのですが水などいただけないでしょうか。ほんの少しパンの一欠片などあればなおよいのですが」
恐る恐る申し出るシェルに、リリーは眉根を寄せる。
「食べてないの?」
「ええ。夜はパン一切れと水、朝はスープだけで、昼は何もなく……」
牢に入れられていたなら仕方ないとはいえ、さすがにそれではもう夕刻近い時間にはひもじいはずだ。
夕食まで少しの間とはいえ、待たせるのも酷だとリリーは仕方なしにシェルと共に厨房へと食べられるものをもらいにいくことにした。