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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
103/115

3-2


***


 クラウスと出掛けた翌日、リリーは手作りの干し葡萄のスコーンを手土産にカルラの元を訪ねた。

 もうそれぞれの暮らしを始めて十日余り手紙のやりとりはしたものの、会うのは久しぶりだ。

「リリー。そこの路地を入って裏よ。迎えに行くわ」

 中級階層区域に建つ屋敷の三階の窓辺から、カルラが手を振る。仕立屋の屋敷でお針子達が二十人ほど暮らしているらしい。表は入ってすぐに注文を受ける広間と工房があり、店の客でなければ裏手から入るらしい。

 リリーは言われた通りに屋敷の右手側の細い路地に入り、裏へと回る。裏庭の門前で待っていると、カルラがやってきて三階の奥の部屋へと案内された。

「階段、大変じゃない?」

 リリーはカルラがひきずっている足を見ながら、心配になる。

「これぐらい平気。あ、椅子はないからそこに座って」

 カルラの部屋は狭く、寝台と仕事道具が置かれた作業台、後は茶器が置かれた小さな机がひとつでぎゅうぎゅうだった。椅子を置ける場所がなく、寝台を椅子代わりにして机を使うそうだ。少し高めの寝台の下が収納になっているらしかった。

 リリーが寝台に腰掛けると、カルラもその隣に座った。

「残ってた部屋はここだけなの。他の部屋は広い代わりに二人か三人でつかっているけれど、おかげでひとり部屋だから気楽よ」

「広くても人数が多いならたいして変わらなさそうね。あたしも大勢で広い部屋より狭い部屋でひとりがいいわ。あ、これ、ちゃんと味見したから味は大丈夫だと思うんだけど……」

 リリーはたどたどしく干し葡萄のスコーンを入れたバスケットを机に置く。あらかじめ、お茶菓子は自分が用意してくると手紙でやりとりしていた。そしてどうせ大してやることもないのだから、自分で作ってみたのだ。

「あら、美味しそう。リリー、いつも料理するの?」

 バスケットを開けて中から布に包んでいたスコーンを取り出すと、カルラが微笑んだ。

「全然しないわ。これも屋敷の料理人に手伝ってもらってなんとかできたの。思ってたより難しいわね」

 戦場でも食事を作る当番はたいてい『玉』の魔道士で、『剣』は山鳥や鹿や猪、野兎などを狩って捌くのがせいぜいだった。

「私は料理は苦手。リリーは好きになれそう?」

 カルラが紅茶をカップに注ぐ。

「わかんない。でも、ひとりでできるようになりたいわ……」

 リリーはスコーンを手に取って囓る。ごくごく普通の味である。しかし作るまでに段取りが悪く、納得がいっていないのでまたやりたい。

 今はまだ楽しかったというより、意地になっているところだ。

「あ、美味しいわ。あのね、私、干し葡萄大好きなの」

 スコーンを食べたカルラが笑いかけてきて、リリーも微笑み返す。

「あたしも。……お茶も美味しい。仕事、上手く行ってる?」

「なんとか。前にも少し、ここから繕い物の仕事を手伝ったりしていたこともあるから、慣れるのはすぐだと思うわ。私のこと、知っている人もいるけど色々言ってくる人はいないわ。リリーは?」

「あたしは、何をしていいのかまだ見当つかなくて屋敷の掃除とか洗濯とか買い出しとか、人が足らない時に手伝いしてるぐらいだわ」

 広い屋敷の中で使用人は必要なだけいるものの、大がかりな掃除や晩餐会などの催し物の時は忙しくなる。そこで人手がもうひとりぐらいは欲しいという所へ雑用をしに入るのだ。

「リリーは働き者ね」

「体をちょっとは動かしてないと落ち着かないだけよ。部屋を借りてるわけだから、なんにもしないのもね」

 一日中屋敷で大人しく座っていられる性分でもなければ、あまりクラウスに借りを作るのも気が引けるのだ。最初に奥方様と使用人に呼ばれて、誤解が広まるのを防ぐためでもあった。

 士官学校の時も、孤児の自分は校舎の隅の小屋に住んで学内の雑用をしていたので少し懐かしい気分もする。

「クラウス様は何も言わないの?」

「したいなら好きにしていいって言ってるわ。でも、いつまでもこうしてるわけにはいかないって思ってるんだけど、時間ってなんとなく過ぎてくものね」

 戦のない、穏やかな日常。物足りないものを抱えながらも、気がつけば夜が来てまた朝が来る。

 戦場以外に生きられる場所はないと思っていたのに、戦から離れてふた月近くも経つ。

 戦ほどの高揚も充実もないけれど、屋敷の雑用をし手が空いているときは編み物をしていることは退屈ではない。

 だけれどまだ、朝に頬が濡れていることがたまにある。

 変わらないこと、変わっていくこと。

 穏やかな波に乗せられてたゆたうように日々は過ぎていく。

 そうしている内にいつもでもこうではいけないとじりじりと焦りもでてきていた。

「そうね。これから仕事が増えていくとあっという間に過ぎそう」

「あ、忙しかったらいいんだけど、五日後に夕食をクラウスの家で一緒にどう、かな。……あたしの誕生日で、、クラウスがカルラも招待したらって言ってくれたの」

 自分で自分の誕生祝いに誘うというのは、妙な気分だとリリーは面はゆくなりながらカルラに訊ねる。

「ええ。大丈夫だと思うわ。すこしだけリリーの方が年上になるわね」

「カルラは春頃?」

 確か去年の初夏には同い年だったはずだったとリリーは記憶を辿る。

「あとふた月ぐらい先よ。もう十八なのね……」

 しみじみとカルラがつぶやく。

「十八って言っても特に変わったこともないけどね」

「そうね。結婚を急かす身内もいないし、まだ自分のことでいっぱいでそれどころじゃないもの」

「……この歳ってそういうこと考える歳なのね」

 早ければ十五、六で嫁いで遅くとも二十才頃には大抵家が決めるなり、当人が決めるなりして結婚するものではあるがリリーはバルドと色々あるまで気にしたことはなかった。

 身寄りもなくいつ戦場で死んでもおかしくない身の上だったのだ。

 まったく結婚のことなど、頭になかった。

「私達と歳の近い子達はみんな、今は親や親戚が持ってきた縁組みの話をよくしてるわ。私のことを知ってる人は何も言わないけれど、知らない人には訊かれるのは少し困るわね」

 かつて伯爵令嬢としてバルドの婚約者候補だったカルラが苦笑する。

「でも、そのうちカルラは結婚する気はあるの?」

「それはもうちょっと先にならないと分からないわ。身内と縁がないなら、自分で決めることになるからしないかもしれないし……一緒に生きる人を自分で決められるのは大変でもそっちの方がいいのかしら。急がされることがないのは気楽ね。お茶のおかわりいる?」

 カップの中身が空になっていたので、リリーはもう一杯もらうことにする。

「リリーも、このままのんびり時間に任せてみるといんじゃないかしら」

「あたし、焦ってるように見える?」

「少しだけ。もう少し、いろいろなことゆっくり決めてもいいと思うわ。クラウス様もたぶん、そうできるようにして下さってると思うわ。今までが慌ただしすぎたのよ」

 クラウスが干渉しすぎず、屋敷の中でも好きにさせてくれる理由はわかっている。

「……戦がないってこういうものなのかしら」

 戦と戦の合間は退屈でも、焦りはなかった。次ぎにすべきことが決まっているからだ。

 だけれど次がないまま時間だけが過ぎていくことに慣れない。

「リリーはまだのんびりしててもいいと思うわ。時間はたくさんあるんだから」

「沢山あるのも困りものね」

 二十まで生きてはいないだろうと思って生きてきたのに、今は自分が幾つまで生きられるかさっぱり見当がつかない。

「たくさんある分、楽しいことも嬉しいこともいっぱいあるはずって思って私は生きることにしたわ。外に出てリリーに会えて、こうやって一緒にお茶をしてられるのが楽しいことだもの」

「カルラは強くなったわね」

 最初に会った時は、何かに縋らなければ生きていけなかったカルラはすっかり明るくなった。もしかすると、こちらの方が彼女の本質なのかもしれない。

「リリーがいてくれたからよ。ひとりぼっちだったら、こんなに前向きにはなれなかったわ」

「……あたし、一個だけなんとなく思ってるの。また剣を持とうかなって。それでどうするかっていうのはまだ分からないけど」

 両手が寂しいのは変わらない。そのうち自分が剣を持つだろうとは思っている。

「そう。指南役っていうのもあるわね」

「あたし人に教えるの、向かないのよね。ほとんど直感で動いてるから、型にはまらない敵の動きに対処する演習の適役に使われるぐらい」

「あら、それでも十分訓練になるんじゃないかしら」

 カルラがくすくすと笑う。

「まあ、剣が持てるならなんでもいいわね。それまでに体が鈍らないようにはならないと。体力は落ちてる気がするわ」

 急ぎでないかぎり買い出しは歩いて行くとが多いが、帰りの坂を上るときに以前より息切れしやすくなっている。

「リリーは動くことが好きなのね」

「好きなんだと思うわ」

 昔は単純に剣術が好きなだけと思っていたが、今は体を動かすだけでそれなりに気が落ち着くのでそういうことかもしれない。

 そしてカルラと談笑しているいる内にあっというまに夕暮れ時が近づいていた。

(楽しいこと、嬉しいこと、か)

 リリーは歩いて帰る途中、カルラの言っていたことを思い出す。確かに少しだけ増えてきている気はする。

 今まで気づかなかった自分自身のことも知る機会ができている。

「……でも、本当に、鍛え直しておかないと」

 屋敷に帰り着く前に足が辛くなってきて、リリーは苦笑して明日あたりからもう少し手伝わせてもらえることを増やそうと決めた。




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