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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
102/115

3-1


 今日も今日とて真っ白で寒い。

 バルドは自分の息まで白いのを見てうんざりしていた。小競り合いをしながら北のローブルに辿りついてすぐに大雪が降り、それ以来雪は降ったり止んだりを繰り返している。

 村外れにぽつりと佇む石積みの砦の塔から見下ろす景色は、どこもかしこも雪をかぶって白い。例外は北に見える海と、砦の補修や雪かきをする黒いローブをまとった魔道士達ぐらいだ。

「いや-、ずいぶんまともな砦らしくなってきましたよー」

 塔の一室で外で眺めるバルドの元へ、水将のラルスが肩についた雪を払いながらやってくる。

「……補修、順調」

 皇家軍一万余りを抱えるには少し手狭な砦は、到着時は今にも崩れかけそうだった。ゼランシア砦よりも少し後に建てられたという建国前の砦で、千年以上放置されていた。砦として形が残っているだけでも、奇跡的だった。

 見かけに反して実際は状態も補修すればなんとか使える程度にはよく、この二十日近くで今にも崩れそうなという見かけではなくなった。

「このまま雪が降らねばいいんですけどねー。これは無理そうかな」

 ラルスが鎧戸の奥に見える、べったりと空に張り付く重たげな灰色の雲にため息を零す。

 あまり雪が降りすぎるのは困りものだ。ここ数日は徐々に減ってきているとはいえ、まだまだ雪が解けそうにない。

 兵糧がまだふた月分は残っている。島北部は皇家派が多く、物資の調達が想定以上に潤沢となった。おかげで砦の補修と雪解けを待つ余裕ができた。

「用件」

 バルドはラルスが何か報告があるのではないのだろうかと問う。用がないのならひとりにして欲しい。

「偵察と思しき者が行商になりすまして村へ来ていたそうです。こちらも隠すべき大げさな情報というのはありませんし、お互いこの雪では軍も動かせないですし放っておいてよろしいでしょうか」

「……ひとつ、砦の弱み。東」

 バルドは不要かとは思いつつ、敵の進軍方向を誘導しておくことを提案する。

「了解しましたー。東の補修が追いつきそうにないと、さりげなーく話を回しておきますね。やはり、戦には砦があったほうが格好がつくものですねー。皇主様の居城としては不足ですが」

 ラルスが上機嫌で言うことにバルドは返事はしなかった。

 砦は兵達が雪を少しでもしのげる場所があれば十分だ。自分ひとりならば掘っ立て小屋でもかまないぐらいなのだ。

 しかし、砦を築いている内にこれが自分の棺なのだとぼんやりと思った。

 戦場で戦い果てれば後は野晒しで朽ちても、首をさらされても死んだ後のことはどうでもよかったはずなのに、今更になって棺を思うのは納めたいものがあるからかもしれない。

(リー……)

 今頃、リリーは新しい暮らしをなんとか始めている頃だろうか。

 戦が終わるまで彼女の身が自由になることはなさそうだが、クラウスが不便がないようには取りはからってくれているはずだ。

 暖かい寝床、温かい食事。取り上げたも同然の戦場と剣の代わりになる何か。

 自分にはけして贈れないものを、リリーは少しずつ得ていけるはずだ。その中でたくさん自分との思い出は忘れていってしまっていいけれど、ほんの少しでも覚えていて欲しい。

(俺は全部持っていく)

 リリーとの思い出を全て忘れないうちに望むままに戦って、終わる。自分が満足できる戦になれば最良なのだが。

「皇主様、よろしければ剣の相手などしますが、いかがですかー?」

 ラルスの誘いにバルドは躊躇いなくうなずく。軍内でまともに相手になるのはラルスぐらいである。

 しかし、慣れれば慣れるほどラルスとの稽古も飽きてくる。本気でやりあうことがれば、楽しめることがわかっているからこそ物足りなくなってくる。

 かといってここで寒さに耐えてじっとしているよりはいい。

 うんざりするぐらい退屈でも、リリーと一緒なら耐えられるのに。

 バルドはいまだ未練がましい自分自身に呆れながら、鈍い足取りでラルスと共に砦の外へと向かった。


***


「あ、雪降ってきたわ」

 首都を歩いていたリリーは、頬にひんやりとした感触を受けて空を見上げた。今日の空模様だと雪になるかもしれないという予想は当たった。

「じゃあ、予定繰り上げて屋敷に戻るか。せっかく一緒に出掛けたのになあ」

 一緒に歩いていたクラウスが残念そうにつぶやく。

「珍しいことするからじゃない? 街は見ても昔と全然変わらないわ」

 今日はクラウスの予定が空いたので、一緒に首都を巡ってみないかと誘われたのだ。生まれ育った街を探索することにさして興味は覚えなかった。

 だが屋敷の中でやることもないので使用人の手伝いをしたり、編み物をしたりして過ごしている時間が多かったので気分転換に出てみたのだ。

「だから言っただろ、これから変わってくんだって。士官学校も学問を修める場になるし、孤児院も貴族以外の孤児も受け入れることになる。今は瓦礫と崩れ賭かけの家ばっかりの下層部も変わる。だいたい、じっくり街なんて見たことないだろ」

「それはあんただって一緒じゃない」

 自分もクラウスも故郷に愛着をもつ質ではない。

「俺は裏道とか、抜け道とかしかっり見てたけどな」

 かつて皇太子の命でディックハウトへ潜り込み密偵をしていたクラウスが肩をすくめる。

「自分が利用できる情報でしょ、それ」

「そうだな。リリー、楽しくないか?」

 首を傾げられてリリーは眉根を寄せる。

「嫌じゃないけど、楽しくはないわ。仕事でもないのにあんたとふたりっきりで歩いてるのって変な感じがするわね。クラウス、楽しい、これ?」

 どこまでも真っ白い街並みは上から下に向けて家々の大きさが徐々に小さくなるぐらいで、目に楽しいというわけでもない。つい先程通り過ぎた中層の広場は今日は市も開かれておらず、閑散としていた。

「言われると、まあ俺もそんなかんじだなあ。リリーと一緒にいられるのは嬉しいけど、街巡りが楽しいかって言うと微妙だ」

 クラウスもリリーと同じように悩ましげにする。

「じゃあ、なんで街の巡回したいなんて言ったのよ」

「リリーとふたりっきりで何か変わったことしてみたかったからかな。俺もまだリリーとどう過ごすのが一番しっくりくるか、わからないしな。今までより少し近い距離がいいけど、どれぐらいが馴染むんだろうな」

 クラウスが自問するのに、リリーもどうなのだろうと考える。

 事前に言われた通り、一緒に暮らすと言っても広い屋敷の中でお互いの部屋も遠く時々一緒に食事をする程度で、ほとんど毎日兵舎で顔を突き合わせていた頃よりお互いの姿を見ることは少なかった。

 かといって距離が昔よりあいたわけでもなく、会えばクラウスが好きに喋って自分が適当に返事をするのは昔のままだった。

「変わる必要あるのかしら」

 自分はこの程度の距離感がほどよいと思うのだが。

「必要があるかないかっていうとないかもな。そのうちなんとなく気がついたら昔より近い気がするぐらいになれたら一番いいな。……この先ずっと一緒にいれたらそうなれるんじゃないか?」

 道を折り返し、馬車に向かいながらリリーは考える。

 この先。自分はずっとクラウスと一緒にいたら、そんな風に今より近い距離が馴染んでくるのだろうか。

「一緒にいられたら、か」

 繰り返した思考がつい口に出ると、クラウスが苦笑した。

「この話は急ぎすぎか。まあ、この街にいるのも悪くないって思えるのが先だな」

「ここが嫌いなわけじゃないわよ。カルラだっているし、知らない場所よりは過ごしやすいもの」

 だけれど欠けているものがある。

(バルドが、いないわ)

 思い出だけが街のあちこちに散らばっている。街が変わってしまったらもう拾い集めることはできなくなるのかもしれない。

「……大雪になってきたな。リリー、急ごう」

 リリーの憂う表情に何かを察したのか、クラウスが彼女を馬車まで急かす。

「ここでこんなに雪が降るのなんて初めて見るわ」

 馬車の窓からは大粒の雪がばらばらと降ってきているのが見えた。

「俺もここまで降るのを見たのは初めてかな。あ、ほんと四つか五つかぐらいに見たっけな。ああ、そっか。リリーが産まれた頃……もうすぐ誕生日か。いつだったけ」

 クラウスが手を打つ。

「そういえば誕生日だったわね、あと六日?」

 正確に言えば孤児院に捨てられていた日なので、本当の誕生日は別であるが祖父に聞いてもいないので知らない。

「まだ時間あるな。欲しい物とかあるか?」

「祝わなくてもいいわよ。あんた去年までそんなことしなかったでしょ」

「去年はしただろ。焼き菓子あげた」

 リリーはそんなことあっただろうかと記憶を掘り返して、苦虫を噛み潰した顔になる。

「何日か過ぎて、食堂の子からの贈り物を渡してきたわね」

 林檎のパイをもらったはいいが、好きではないので少し遅い誕生日祝いなどと言って押しつけてきたのだ。

「それ。だってなあ、他の男の好物と間違えて贈ってきたんだぞ。美味かったとは言ってただろ」

「美味しかったわね……。本当にしょもないんだから」

 揺れる馬車の中で向き合い今までと変わらない調子で話せることに、リリーはこれが一番しっくりくると改めて思う。

「じゃあ、今度はちゃんと誕生日にうちの料理人に美味しい物作らせる」

「あんたんちの料理普段から全部美味しいじゃない。……そうね、林檎のパイご馳走になるわ」

 リリーはそう妥協しながら、バルドと過ごした誕生日を思い返すが七年分全部混ざって正確には思い出せない。戦場にいてそれどころではなかった年もあったはずだ。少なくとも去年は戦に夢中でふたりとも忘れていた。

 バルドは忘れてしまっていたことに、少々落ち込んでいた。


『リー、おめでとう』


 毎年聞いたバルドの声が耳奥で響いて、微笑むはずの唇が一瞬震えて目尻が熱くなった。

「……蜂蜜はちょっとだけ多めがいいわ」

 リリーはひと思いに湧き出た感情を呑み込んで、クラウスに注文をつける。

「控えめな贅沢だな。そう伝えておく」

 何も気づかなかったのか、それとも気づいていないふりをしてくれているのかなのかクラウスの表情や声音ではわからなかった。


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