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棺の皇国  作者: 天海りく
夜明け告ぐ雷鳴
101/115

2-4

  

***

 

 元王宮に戻ったリリーはすぐに使用人に書庫に案内してもらった。目当ては島の地図だった。

 書棚の奥には製本されていない紙束が丸めたり積み重ねられていたりしている。その中の紙筒のひとつが地図だった。

「……えっと、ローブルだっけ」

 机の上に広げた地図の北側をリリーは目を細めて目当ての地名を探す。小さな村々の名前が点在する島北部の中から、ゼランシア砦よりさらに北。海沿いの小さな村だ。西側は山岳がそびえ立ち、北側の海沿いは切り立った崖で港湾もなかったはずだ。

「遠い」

 リリーはローブルから首都までを指でたどってつぶやく。地図の上ではほんのわずかな道程も、ゼランシア砦よりさらに北なら果てしなく遠い。

 リリーは地図を片付けて、何かローブルについての本があるか探してみることにした。そして百年近く前に書かれたらしい、島全体を巡った記録書を見つける。

 文字の羅列にあまり字を読むのが好きではないリリーは一瞬怯んだものの、なんとかローブルについての記述を見つけ出す。分厚い本の中でほんの数行だけしかなかった。

 村人は五十人に満たない魔道士である村長が治める小さな村である。真冬にふたつきほど大雪で周囲と隔絶される。土壌は豊かで食料に事欠くことはない。皇祖への忠誠厚い村である。

「ああ、なんかそんな話聞いたわ」

 北へ向かった後、拠点候補の街や村のことをバルドと話した記憶がぼんやりと思い出されてくる。


『雪、いっぱい降るんだ』

 天幕の狭い寝床で身を寄せ合い寒さを凌ぎながらだった。雪をあまり見たことがないので、雪深い場所と言われても想像がつかなかった。

『伝聞。見たことはない』

『雪が降る日ってうんと寒いからあたし嫌いだわ。それがずっとならもっと寒いのね』

 今でさえしっかりと着こんで毛布を被っていて、ふたりぶんの体温があっても寒いというのにこれ以上の寒さは堪えそうだ。

『冬。仕方なし』

 バルドにすっぽりと包み込まれて、暖かさは増す。そうやってこの先もずっとふたりで寒さを乗り越えるのだと思っていたのは、自分だけだった。


「……籠城を決め込んだなら、兵糧は十分足りてるのかしら。持ちそうにないなら、撤退はしないはずだし」

 リリーは記憶を振り払ってバルドの意図を探る。

 この後に及んで兵糧が尽きて追い込まれるという惨めな終わり方は選ばないはずだ。体制を整えて、雪解けと同時に討って出るつもりなのか。

 その間に革命軍はバルドの神器への対策を固めるはずだ。バルドはそれも待っているのかも知れない。

 戦のない国を望む者達の中には神器を前にして、命を惜しんで怯んでいる者も大勢いるはずだ。革命軍の士気が上がったところで決着をつけたいのか。

「無策で籠ってることはないわよね」

 水将もまだ一緒なら尚更だと考えながら、リリーは腰元の軽さに落ち着かなくなる。

 腰に剣を携えていないのは、ゼランシア砦の時に受けた傷の療養中以来だ。二本の剣の重みがないことにも慣れてきたと思ったのに、戦のことを考えていると違和感がぶり返してくる。

(あたしは、戦場が好き)

 戦況を聞いただけで胸が沸き立って、いますぐその場に飛び込んで行きたくなる。

 命懸けで戦って勝つ喜びを味わう瞬間を思い出すと、堪えきれない。

「いっそ、相討ちのほうがよかったかしら……」

 今まで最も高揚を得たフリーダとの勝負で討死していたなら、何ひとつ悩まずに済んだのにと思考は陰鬱になってくる。

 バルドの元へ帰ることに必死だった。だけれど、今の彼の望みは自分が生きることだ。

「子供か……」

 ヴィオラの話を思い出して、リリーは机に突っ伏せる。

 誰も何も言わないけれど、街に出ることが許されたのが月の障りの最中であったことが全く無関係ではないとはわかっていた。

 別に欲しいとは思わないけれど、バルトの間に残るのが思い出だけしかないことは少し寂しく思った。

(だから、結婚式)

 どんなに忘れたくなくても、記憶は薄れぼやけていく。全部は覚えていられないけれど、だけれど絶対に忘れないこともある。

 バルドは思い出だけ残せれば、それでよかったのだろうか。

「リリー」

 ふと、肩を叩かれてリリーは顔を上げる。クラウスが少し心配そうな顔をして後ろに立っていた。

「どうしたの?」

 クラウスが自分から探しに来るのは、ここ最近なかったことだ。

「リリーが戻って来たっていうから顔見ようと思ったらここだっていうからな。書庫にいるなんて珍しいな。何探してたんだ?」

 普段本など読まないリリーが書庫にいることを心底意外そうにクラウスが何もない机の上に目をやって首を傾げる。

「……ローブルってどのあたりで、どういうとこなのかなって」

 リリーはクラウスの顔を見ずに答える。

「エレンから聞いたのか」

 クラウスが隣の席に腰を下ろして、リリーは小さくうなずく。

「今、膠着状態なんでしょ」

「大雪のせいでな。神器にも手こずってる。今更死にたくない奴らも多いからな……」

 エレンから聞いた話と、自分が考えていたことと同じらしかった。

「じゃあ、本当に春まで決着つきそうにないんだ」

「つかないだろうな。ああ、城を作ってるというか、補修してるのか。あそこに古い砦があって、それを今補修してるらしい。物資も確保できてるみたいだな」

「砦? ふうん。面白そう」

 新しい情報に、リリーは何をするつもりなのだろうと微笑む。

「戦には出せないからな。首都内ならどこに行ってもいいし、好きにしていいけど、剣だけは戦が終わるまでは駄目だ」

 クラウスが表情を硬くして念を押すのに、リリーは唇を尖らせてわかっていると答える。

「戦が終わったら剣は持っていいの?」

「……どうしてもっていうなら。俺は、リリーがしたいようにしてるのを見てるのは好きだからな。でも、命を捨てに行くなら別だぞ」

「戦に行く時だって、捨てに行ってたわけじゃないわ」

 ただ勝つために、自らの命も惜しまなかっただけだ。

「俺からしたら、捨てに行ってるとしか見えなかった。できれば、危ないことはしてほしくない」

「心配されることはしないわよ」

 今のままでは剣は握れない。バルドは自分を戦から遠ざけた理由は、ただ命をながらえるためだけというわけでもないだろう。

 まだ全部は思い出にしてしまえる気はまったくしないし、どこへ向かうべきかも見えない。

 だけれどひとりで立ち止まっているわけにもいかない。バルドがどこにいるのか分かっただけで、不思議と気持ちは落ち着いた。

「クラウス、早い内にあんたの家に厄介になることにするわ」

 まずはここから動かねばならないと、クラウスへ向き直る。

「……できれば、長い付き合いになれるといいな」

 クラウスが表情を緩めるのに、リリーは上手い返事は思いつかなかった。


***


 リリーが元王宮を出るのはそれからわずか二日後だった。調度品は全部置いて、中身だけ持って行くことにした。

「リリー、これ、私の新しい住所。近くだから何かあったら、いつでも連絡して。また、時々一緒にお茶をしてくれると嬉しいわ」

 ちょうどお針子として住み込みの働き先を見つけたカルラが、住所を記した紙をリリーに渡す。

「うん。連絡する。色々、ありがとう。ショールももうちょっとかかりそうだけど、頑張って作るわ」

 二人で作り始めたショールはまだ半分ほどしかできていないが、いい時間つぶしにはなるだろう。

「この分なら、春までにはできそうね。今度、一緒に編んだりもしましょう。リリー、じゃあ、またすぐに会いましょう」

 叶えられない約束ではなく、確かに果たせる大仰ではない約束をしてリリーはカルラと別れる。

 荷物はなくそう遠い場所でもないので、リリーは歩いてクラウスの家まで向かうことにする。

 まだ冬の最中の風は冷たく、馬車の方がましだっただろうかと思いながらも街路を一歩ずつ自分の足で歩いて行くことで気が引き締まる。

 白い街並みを魔道士や官吏が行き交う中、中級階級層程度のドレスでひとりでいるリリーは少々浮いていた。彼女の顔を知っている者は興味ありげに視線を向けるものの、声はかけなかった。

 リリーも周囲のことは見なかった。ただただ前を見て、ようやく自分の道を踏み出し始めていた。

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