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「リリーちゃん、お久しぶりですわね」
墓所へ向かう日、リリーを迎えに来たヴィオラは軍装ではなかった。
髪を結い上げて首元まで覆う露出も飾り気もない黒いドレスは、他の者であれば質素な出で立ちだがヴィオラの内から滲み出る華やかさを覆い隠し切れてはいなかった。
(……相変わらず派手だわ)
そう感心するリリーも普段以上に控えめな紺色のドレスを選び、髪も三つ編みを後頭部で丸く纏めただけで明るい色はない。
「一昨日はマリウスが一緒だったでしょう。気が利かない子だから、窮屈ではありませんでしたこと?」
馬車の中で向かい合わせに座っているヴィオラが小首を傾げる。
「いえ。大丈夫でした……あの、炎将は軍にいるんですか?」
リリーはマリウスがヴィオラの手伝いをしていると聞いたことを思い出し訊ねた。
「ええ。軍にいるとはいっても、組織の再編のお手伝いだけですわ。わたくしは必要に迫られない限り、もう剣はもたないつもりですの」
「そう、なんですか?」
ヴィオラも将を務めるのに十分すぎる魔力と剣才を持っていたのに、もったいないことだ。
「他にやりたいこともあるから、本当は軍のお仕事も早めにマリウスに引き継ぎたいのですけれどね」
「まだ、何かあるんですか?」
ヴィオラが離叛した理由はそれなのだろうか。
「わたくし、子供が欲しいのですのよ。もし、戦がなかったら早い内に優しい旦那様をみつけて、ふたりか三人。もっと多くてもいいかしら。そんなことをずっと考えていましたの。似合わないでしょう」
ヴィオラがはにかみ小さく笑うのに、驚いたけれど似合わないと思わなかった。
「そんなことはないと思います。……戦はずっと嫌だったんですか?」
「嫌々戦をしていたわけではありませんわ。わたくしも武勇で名を上げたジルベール家の子。行儀作法より剣の方がずっと性にあっていましたもの。だけど、他にも辿りたい道があっただけですわ」
「だったら、もっと早くにもうひとつを選ばなかったんですか?」
裏切り者だとか、逃げただとかいう批難する意味合いはなく、リリーはただ漠然と聞き返した。
皇家同士の戦の時にディックハウト側に行っていてもよかったのではないのだろうか。
「もっと早くには、選べませんでしたわね。わたくしには皇家への忠誠心もありましたもの。弟もそう。どちらかの皇主様に従うかと言われたなら、ハイゼンベルク以外にありませんわ。だけれど、その皇主様が忠誠を望まれないなら、わたくしはもうひとつの道を選ぶことにしましたのよ」
ヴィオラが一呼吸おいて、それでもと憂い顔を浮かべる。
「決断するまでに時間はかかりましたわ。だけれど、あの籠城の説得に行って、決断しましたの」
「あの戦、何があったんですか?」
ヴィオラが離叛したのはは革命軍派と皇家派に分かれた男爵家の内紛の鎮圧の最中だった。
すでに皇家派は劣勢となり籠城していて、革命軍派から停戦交渉を持ちかけられ残る籠城している者達の説得に向かったのだ。そして領民と共に消息を絶った。
「籠城している者達は魔術を失った後を恐れていましたの。自分達が統治者であり続けられたのも、領地で上位の立場にいられるのも魔力があるから。もし魔力がなくなってしまえば、今まで築き上げたものが全部なくなってしまうと思っていましたわ」
魔力を持つ者達が選民意識を持つことは希ではない。むしろ大半の魔道士がそうだともいえるかもしれない。
「革命軍は地位を保証するって説得してきたんですか?」
「ええ。すぐには信じられないでしょうし、皆、今更寝返るのはと迷っていたのですわ。だけれど、自決も選べずにいた。わたくしは革命軍へ共に行きましょうと手を引いただけですのよ。自分より高位の者が言うのならと、皆、ついてきましたのよ」
「たったそれだけのことなんですか」
もっと複雑な事情があったのかと思えばそんなことかと、リリーは拍子抜けする。
「そんなものですわ。自分だけの意志で突き進めるほど、強い人間は多くはありませんのよ。わたくしにも、革命軍から、離叛すればマリウスの命の保証もすると言ってきましたわ」
「捕虜ならともかく、前線に立つ人間の身の保証なんて無理です」
「ええ。無理よ。だけれど、自分の手でならやれるかもしれないとわたくしは思ったの。誰よりもあの子のことを知っているから……。それも、過信でしたわ。皇主様に頼るしかなくなってしまった。リリーちゃんには悪いけれど、とてもいい交換条件で引き受けて下さいましたわね」
悪びれた素振りはなく、哀しげにヴィオラが言ってリリーは膝に置いていた手をかすかに振るわせる。
「……どっちにしろ、あたしを置いていくことには変わりなかったんです」
ヴィオラが交渉しようとしまいと何も変わらない。バルドはマリウスを無条件でヴィオラに引き渡したであろうし、自分はここへと送られることになっただろう。
ふたりの間に沈黙が横たわって少し経った後、馬車が止まった。
半分ほど取り壊された石垣に囲まれた皇家の墓所は、木々がまばらに生えるただの草むらだった。奥の方に神器を祀る社のような、こじんまりとした白い石造りの建物が見えた。よくよく見れば、王宮を縮めた形をしているらしい。
墓所の敷地を狭めるためらしく、石垣を解体してそれを元に新しい囲いを作る作業が同時に行われていて墓所らしい静謐さはなかった。
「あら、だいぶ狭くなりますのね」
ヴィオラが新しい囲いの様子を見てつぶやく。
(あれぐらいでちょうどいいんんじゃないかしら)
社の大きさは人ふたりが入れるかどうかという大きさだというのに、残っている石垣から察して墓所全体の広さは王宮ほどの広さがある。狭められた後でも、数十人は入れる有余があるだろう。
「っと、え、ごめん、大丈夫?」
敷地に入ってすぐにリリーは足下にふたつぐらいの幼子が前も見ずに駆けて来て転ぶのに驚く。
幼子はこくりとうなずいて泣きもせずにすぐに走っていってしまった。その先では慌てた様子の母親らしき女性がいて子供を抱き上げて、深々と会釈した。
「ベッカー補佐官の甥孫ですわよ。ふふ、可愛い」
ヴィオラが告げて、リリーはぽかんとしながら母子の姿を見る。
戦死者を祀ることになっているのだから、墓参りか何かなのだろう。そして唐突にカイが死んだのだと、実感した。
悲しみや寂しさがあるわけではなく、今までどこか遠くでぼやけていたものがはっきり見えたのと似ている。
「ああ、エレンちゃんはあそこですわ。わたくしは自分の用があるから失礼いたしますわ」
ヴィオラが指し示す方向に苗を持ったエレンがいた。
リリーはヴィオラに短く礼を言って、エレンの元へとぎこちない足取りで向かった。
「……どうも、お久しぶりです」
さして親しく会話をしたことのないエレンに声をかけるのにも、妙に固くなってしまっていた。
「お久しぶりです。こちらへ来るとは思いませんでした。なぜ?」
深緑のドレスを纏ったエレンは、あいかわらず淡々としていた。
「なんでって、言われると困るんですけど、あなたがどうしてるのかと思って。それは?」
真正面から訊ねられてリリーは上手く答えられず、エレンが持っている苗を見る。
「金盞花です。……皇太子殿下がお好きだったので」
何かを懐かしむように、エレンが花の苗に目を落とす。
「皇太子殿下のために、墓守をしてるんですね」
「いいえ。これは、私自身のためです」
エレンが苗を社の側に植え付けながら、答える。
「自分の、ため」
リリーは意味が分からずに鸚鵡返しにする。
「あの方の望みは、海に遺灰を撒くことで、ここで祀られることではありませんでした。私は自分自身の過去を埋葬したいのです。忘れるためではなく、過去を引きずりながら前に進まないために、整理をつけたいと言った方がわかりよいでしょうか」
苗を見つめたままそう語るエレンに、誰にも語らない思い出が両手一杯にあるのだろう。
「引きずったままじゃ駄目なんですか」
「……少なくとも、私は引きずっては歩き続けられる気がしないのです。過去が時々懐かしめる思い出にならなければ、私は動けなくなると思うのです」
きっぱりと言い切るエレンに、リリーは自分はどうなのだろうと考える。
(なんにも置いていきたくないな……)
今はなにひとつただの思い出にしたくなかった。バルドとの思い出も、彼への想いも全て抱えこんで離したくない。
だから、バルドとの思い出は誰にも話さずにいる。カルラはあまり触れて欲しくないのを察してくれているのか、何も聞いたりはしない。クラウスも話題には極力出してこない。
「ただ、それは私のことです。何が正しいかは、それぞれでしょう」
リリーの心を読んだかのごとく、エレンが立ちあがって言う。
「なによりも、まだバルド殿下は戦を続けています。戦況はご存じですか?」
「知らない、です。……バルドは今、どうしてますか?」
迷いながらもクラウスに訊ねずにいたことを、口にする。
さすがに討ち取られたとなれば大々的に公表されるはずだから、生きてはいるはずだ。
「島の最北部のローブルという小さな街にたどりついたそうです。まだ、多くの魔道士が従っているとのことです。やはり、神器は脅威となっていて膠着状態になっている内に、大雪で攻め入ることができず革命軍は一旦退きました。雪解けの頃、春までかかるかもしれません」
追い駆けるのならまだ、間に合うはずだと暗に言われている気がした。
「そうなんですね。……あの、急に来てすいません。ありがとうございました」
リリーは表情を強張らせて、逃げるようにしてエレンに背を向ける。
墓所の入口にまできた時、走ったわけでもないのに鼓動が早くなっていた。墓所には故人を偲ぶ者達や、古い物を取り壊し新しい物を築く者達で溢れかえっている。
(進みたいわ。あたしだって、いつまでも止まっていたくない)
だけれど何も、捨てたくない。抱えたままで歩けるならそうしたい。
リリーはヴィオラが再びここに戻ってくるまでじっと、立ち尽くしながら今ならどこへでも行けるのではないのだろうかとふと思う。
だけれど、そうはできなかった。
(あたしは、ここで生きていくのかしら)
しっくりこない答に首をかしげながらリリーは、結局そのままヴィオラと共に首都へと戻ることとなった。