「言わせておけ」という言葉
自分の気持ちを鼓舞させ、前へ進む力をくれるマジックワードというものはたくさんある。
「がんばれ」「何のこれしき」「あなただけじゃない」……
そういうあまたの言葉の中から、創作家であるあなたにはこの言葉をこそ贈りたい。
――言わせておけ
さて、あなたはこの言葉の意味を正しく理解できるだろうか。
私はものを書くときに発生するリスクにおいてプロとアマチュアの隔たりなどないと思っている。すなわち、根幹となる性根に大差のあるはずは無いと。
だって、プロだって人間だもん。
プロですらよく心得ていない文章のリスクのひとつに、作者から見たときに酷評としか思えない自分勝手な意見を読者から頂戴するというものがある。
無料投稿サイトのように読者と作者の距離感が近い場所では、これがダイレクトな『感想』として作品に並ぶために、よく議論のネタともなる。
あなたの手元にあるその感想は、感想者の人格を踏みにじるようなやりかたでSNSにあげ連ねてまで糾弾しなければならないほどの『酷評』なのだろうか。
ここで私があなたたちに問いたいのは、「あなたは商業ラインに乗った作品の全てを平等に愛することができますか?」ということだ。
誰にだってお気に入りの作品はあるものだし、どれほど世間でヒットしていても自分の嗜好に合わないことだってある。
つまり、どれほど万人ウケをするような作品を書いている作者だろうと、百人中百人が大絶賛するものなど書ける訳がないという、これが創作の真理だ。
特にプロになれば、多様な媒体による頒布にのって、作品を手に取る人数は増える。つまり、私のようになろうの底辺をはいずっている作家とは絶対的な分母数が変わってしまうのだ。
百人中一人が絶対的嫌悪を示す作品があったとしよう。頒布範囲はせまく、百人にこの作品がいきわたったとしよう。そのときにアンチとなる可能性がある人間は一人。
これが千人規模、一万人規模になれば、アンチとなる可能性を持った人間も十倍に、百倍にと増えてゆくのだ。
それだけのアンチ要素があれば、例えばネットの片隅で「あの作品、世間の評判はいいけれど俺は嫌いなんだよね」と誰かがつぶやいたときに同士が見つかることもあるだろう。
現に商業作品に対するアンチ意見などあちこちで普通に見かけるものではないか。
また、人は時に「有名だから嫌い」といった理不尽なことを言い出したりもするもので、知名度があがれば上がるほどヘイト的な感想をもらう可能性は高くなるのだ。
だからこその「言わせておけ」。
作家が自分の意見を曲げるのは規制に引っかからないようにするときだけでいい。そもそもが創作というのは自分自身の全てをさらけ出すに似た行為なのだ。
つまり作品は分身であり、信念でもある。誰かに意見されて曲げたり直したりできないのは当たり前なのだ。
そして「言わせておけ」のもうひとつの意味、彼らには物言う権利があって、私たち作者が自分の思い通りではないことを責める権利などないのだ。
まして、SNSに降臨して「私の思い通りじゃない感想が来た! あいつ悪いやつ!」をやるのは、たとえアマチュアだとてあまりにも情けない行為ではないだろうか。
先に作品が分身であり、信念であると述べたが、それはつまり「自分の好きなことを書いた」と同意である。
こちらには自分の好きなことを書く権利があるのに、あちらに好きなことをいう権利がないなんて、あまりに不公平ではないか!
だから「言わせておけ」。
彼らは自分の意見を言っているにすぎず、それがたまたま感想欄に現れたからといって驚くほどのこともない。
もちろんそれを拒否することも戦略上の有利を考えればあって当然。明らかに剃刀の刃のこめられたような手紙であれば捨てて当然、削除も有効な自衛の手段である。
そう、感想欄に寄せられた感想は私信あつかいが一番しっくりくるたとえだろう。
うれしい便りなら、集めて、並べて、折にふれて眺めて楽しむのもいい。ダイレクトメール的なものならばろくに見ないで捨てても非礼とは言われないだろう。そして耳が痛くなるような便りなら……それの処分はあなたの一存にかかっている。
ここで私があなたのとるべき行動を「こうあれかし」と唱えるのもおかしな話であるからしない。
けれど、感想欄に書き込んだ『人』がいる、これは私信の様なものだと心得てさえいれば、あなたがどんな解決方法を選んだとしても、決して非礼な度ではないのだということだけを伝えておきたいと思う。